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2010/07/31(土) 水俣病に学ぶ―――いのちの価値(1)
水俣病に学ぶ―――いのちの価値     2010年6月5日、立川市にて
                     原田正純
水俣病の原因はいうまでもなく、メチル水銀で、それを摂食しておこった中毒である。しかし、それは小なる原因で、さらに言えば、水俣病はチッソが流した廃液の中のメチル水銀が魚貝類に蓄積され、それを食したヒトにおこったメチル水銀中毒であった。医学的にはその説明で満点解答であるが、しかし、それも中なる原因で、それだけではとても説明し、言い尽くせない巨大な原因がもっとあるように思える。それこそ、真の原因(大なる原因)である。それは、人を人と思わない、相手の立場になって考えようとしない差別の構造である。それは間社会に存在する根源的な差別の問題をも含んでいるように思える。したがって、水俣病を単なる水俣地方におこった、特殊な気の毒な事件としてみることは過ちである。確かに、水俣病は環境汚染の結果、食物連鎖を経由しておこった食中毒事件で、人類が史上初めて経験した事件であった。しかし、同時に、その発生の構造から社会的影響、政治的対応、社会心理的反応などなどは現代社会に内在する特性を象徴している。それだけに、水俣病事件は医学ばかりでなく、政治、経済、法律はもちろん、倫理、哲学にも内包する広範な問題を喚起した。
公害は弱者にはじまる
水俣病は50年前の1956年5月1日に公式に発見された。水俣市の小さな入江に面した漁村の船大工の3歳と5歳の姉妹が相次いで原因不明の脳症状を発病した。驚いた医師たちが伝染病の疑いとして水俣保健所に届けたことから発見された。水俣保健所が中心になって調査すると多数の同様の患者が発見された。医師たちは最初、伝染病を疑ったが、それは疫学的調査によって、すぐに否定された。しかし、その噂は住民の中に広がり、長く差別の原因の一つとなった。伝染病はすぐに否定されたにもかかわらず、差別は長く続いて患者を悲しませた。疾病と差別を考える上で貴重な経験となった。
最初に幼児たちが罹患したということは環境汚染によって人間に被害が出る時、生理的弱者から被害が始まることを意味した。次いで老人や病人など生理的弱者が被害を受ける。さらに、水俣病は自然に最も近く、自然と共に生きている者、漁民とその家族に多発した。彼らは時として、権力も財力もない社会的弱者であることが多い。すなわち、公害は生理的弱者、社会的弱者からはじまることを示していた。そのような背景では被害者たちは実態が明らかになることを拒んだ。行政やチッソはそれを良いことに積極的に被害の全貌を明らかにする努力を懈怠した。しかも、水俣では伝染病が最初に疑われたために、「うつる(感染する)」といって村八分的な差別にさらされた。ここでは貧富や職業に対する差別に加えて、病者に対する差別にとは何かと言う普遍的な問題に突き当たる。
水俣病の原因が魚貝類を摂食することによっておこることは、すぐに熊本大学の医学研究班の疫学調査によって明らかになった。また、水俣湾産の魚貝類をネコに与えると100%ネコは水俣病を発病した。しかし、魚貝類の中の何が原因か判らないという理由で行政もチッソも何ら有効な対策をたてなかった。さらに、水俣病の原因が魚貝類に含まれるある種の化学物質であることが明らかになっても、チッソも行政も原因不明を理由に何の対策も救済もしなかった。現場を見れば分かることだが、この不知火海沿岸で海を汚染する可能性のある工場はわが国でトップレベルと言われたチッソの化学工場以外になかった。当時、経済や技術の発展のためには漁業被害や一握りの漁民の生命・健康は軽視されたのであり、庶民もまた経済発展、便利さを選択したのであった。
当時、行政が何の対策を立てなかったことは、例えば、食中毒が仕出し弁当でおこったことが明らかになっても、弁当の中には刺身も天麩羅もあるから、そのどれが原因か分からないといって弁当を売り続けたようなものであった。
さらに、「毒物は薄めて流せば毒でなくなる」という神話が信じられていた。確かに自然界には希釈という働きがあって、希釈されることによって毒物が無毒化することも事実である。しかし、一方でごく薄い化学物質を濃縮するという働きも自然界には存在する。水俣病は人間に都合のよい自然界の働き(希釈)だけに注目し、利用して、人間に都合の悪い自然界での濃縮という働きを無視した結果であったとも言える。自然界では稀釈も濃縮という働きがあり、人間にとって有益にも有害にもなり得る二面性があることを忘れてはならない。

2010/07/30(金) 水俣病に学ぶ―――いのちの価値(2)
食物連鎖
わが国においては古来から“めぐりめぐる”自然観、本来の意味とはやや異なるが“輪廻”などという“循環”の思想があった。その“めぐりめぐるいのち”の思想こそはまさに、食物連鎖の現象を具現化した思想とみることもできる。近代化、工業化の中では自然と人間は対峙する存在として、極端な場合は闘う対象、あるいは克服する対象としてとらえられてきた。共存するべきものという意識が近代化のなかで希薄になっていったのではなかったか。
水俣病以前に人類が経験してきた中毒事件は、職業性のものや事故によるものであって、全て直接的な中毒であった。したがって、環境汚染による、しかも食物連鎖を経由した中毒事件は人類初の経験であった。「薄めれば毒でなくなる」ということも事実であるが、一方、濃度の超薄いものを濃縮するという作用が自然界には存在していたのである。この濃縮のメカニズムは食物連鎖と呼ばれる生態系の循環によって行われている。現代において、どんなちっぽけな“いのち”も私たちのいのちと繋がっているという自覚を失ってしまったのではなかろうか。
このような食物連鎖を通じておこった中毒発生のメカニズムの特異性が水俣病の最大の特徴であり、人類初の経験であり、水俣病を公害の原点と呼ばれる所以である。この水俣病事件以後、環境汚染による中毒事件が世界各地で明らかになる。
このように水俣病の発生は人類が初めて経験する新しい事例であった。したがって、さまざまな分野に新しい問題を提示したのである。初めての経験であったことも医学や法律などの学問の分野でも、行政、企業においても対策の遅延、懈怠をもたらした。このような初期の対応の不十分さは半世紀経った今日なお未解決の問題を山積させている原因の一つとなっている。
水俣病問題が今日なお未解決の問題が山積していることの理由の一つに事態が人類史上初めての経験であったことを挙げたが、それで行政、企業、学会が免罪されるものではない。経済優先、効率優先、安全性軽視、弱者軽視、自然界における循環の軽視などの思想が蔓延し、企業優先の政策を行政は強力に進めていた。たとえば、1969年11月、漁民たちが操業停止を求めてチッソ工場に押しかけたのに対して、漁民たちを逮捕して裁判にかけることで応えた。「日本の経済発展のためには化学産業は不可欠で、そのための漁業被害はやむを得ない」とまでいい、工場に乱入した漁民を逮捕して裁判にかけたのであった。

2010/07/29(木) 水俣病に学ぶ―――いのちの価値(3)
胎児性水俣病
水俣病を「公害の原点」と決定的にしたものに胎児性水俣病の発生であった。それまで,胎盤は毒物を通さないと考えられてきた。そのために、最初、これらの患者たちは「魚を食べていない」という理由で水俣病とは認められておらず脳性マヒと診断されていた。しかし、この子の母親たちは最初から「私が食べた魚のせいに違いなか」と確信していた。それは、同じような子どもたちが水俣病の多発地区に同じ年に、多発していたからである。たとえば、水俣病多発地区ではこのような子どもが7.0から9.0%もみられていた。日本の一般の脳性マヒ児の発生率は0.2から0.5%であったから異常に高率であった。しかも、この子たちはみんな脳に重篤な障害をもち、同一症状であったこと、母親たちが妊娠中に水俣湾産の魚貝類を多食したこと、家族に水俣病患者が多数いたことなどから水俣病との関係が強く疑れていた。
その後、熊本大学医学部の研究によって胎盤経由の胎児期におこったメチル水銀中毒であることが疫学的、臨床的、病理学的、実験的にも明らかになった。そのため、世界初の胎盤経由の中毒の存在が明らかになったのである。
胎盤経由の中毒の発生は人類初の事件であることから、さまざまな方面にさまざまな影響を与えずにはおかなかった。従来の胎盤は毒物を通さないという神話が崩れ去ったのである。つまり、環境を汚せば、子宮(次の世代のいのち)も汚染する、換言すれば、「子宮は環境である」ということを示した。
人類は胎盤が外部からの毒物を遮ることによって、子孫を護り、生き延びてきたといえる。換言すれば、数百万年の人類進化の過程でそのような機能を獲得してきたから生き延びてきたとも言える。しかし、メチル水銀は胎盤を容易に通過して、母親に大きな障害を与えること無しに、胎児に重大な障害を与えることが明らかになった。現代においてはもはや胎盤は胎児を護ってくれなくなったのである。
なぜ、胎盤は毒物から胎児を護ってくれなくなったのか。数百万年という長い人類など生物の進化の歴史の中で自然界に存在する毒物に対しては、胎児を護るという機能を獲得してきたと考えられる。しかし、自然界に全く存在しない化学物質や自然界にあっても極めて微量な物質に対してはそのような機能を生物は獲得してこなかった。したがって、生物の遺伝子(DNA)はそのような物質をどう処理していいのか分らないのである。たとえば、自然界に全く存在しなかったPCB(ポリ塩化ビフェニール),PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン),DDT,ダイオキシンなどの有機塩素系化合物などがそのいい例です。また、自然界に存在しても極めて微量にしか存在しなかったものの例が放射性物質やメチル水銀などである。これらのものは自然界にも微量なら存在していたものであるが、人類はそれらのものを地下から掘り出して濃縮して大量に使い始めたのである。
宝子
新潟水俣病(1965年)では公式には胎児性水俣病は一人となっている。それは水俣病の発生が明らかになった時、胎児性水俣病が生まれる可能性があることで新潟県は子どもを生まないように指導した。水俣病多発地区で頭髪水銀が50ppm以上を示し妊娠可能な女性が40人いた。彼女らに対して新潟県は1965年7月、母乳育児の禁止と子どもを生まないように指導した。新潟では詳細は不明であるが2人が中絶し、1人が不妊手術を受けていることが明らかになっている。
 水俣では確認されている重症胎児性患者だけでも66人以上いる。胎児性で最も重症な上村智子さんは何一つ自分では出来なかった。しかし、母親の良子さんは智子さんを『宝子』といって慈しんだ。「この子が私の食べた水銀を全部吸い取って生まれてきたので、私も姉妹たちも元気です。この子が一人で水銀を背負ってくれたので、わが家のみんなの恩人です。それに、私はこの子の面倒で手一杯で、他の子の面倒は全くみてやれなかったとです。それで、他の子たちはこの姉を見て育ったから、自分のことは自分でする、お互いに助け合う優しい子どもに育ってくれました。それになあ、先生。この子がテレビに出るでしょうが、すると政府の偉か人や、会社の偉か人が見て、環境に注意するごとなれば、この子は本当に宝子ですたい」と言うのが常だった。
公害がおこって差別がおこるのではなく、差別のあるところに公害がおこる。差別とは「人を人と認めない」ことであり、相手の立場に立ってみないことである。この地球には残念ながらまだ多くの差別がある。「先進国と途上国」、「多数民族と少数民族」、「富者と貧者」、「都市と農村」、「健康者と障害者」などなど。これらの差別とどう取り組むかが重要である。環境問題の解決は決して資金と技術だけではない。水俣病の経験から学ぶ学問として「水俣学」を模索している。それは従来の枠組みを超えた、現場に学び、いのちを中心にした新しい学問(哲学)が今、必要であると思う。

参考著書:「水俣病」(岩波新書)、「水俣が映す世界」(日本評論社)、「いのちの旅」(東京新聞社)、「水俣学講義第1〜4集」(日本評論社)、「人類史に及ぼした水俣病の教訓」、in 『生命と環境の共鳴』(熊本大学生命倫理研究会論集、九州大学出版会)「応用倫理学講義、環境」(岩波書店)。「宝子たち」(弦書房)、「検証、環境ホルモン、共著」(青木書店)、「カネミ油症、過去・現在・未来、共著」(カネミ油症被害者支援センター編)

2010/07/28(水) 第26回市民環境問題講演会(1) 
第26回市民環境問題講演会                    2010/6/5 立川市アイム  
     水 俣 に 学 び、未 来 に 伝 え る (講演要旨)
             ―水俣から日の出処分場の問題を問い直すー
       講師 原田 正純 先生
僕は医師なので、ごみのことはよくわからないのですが、水俣の話の中から皆さんの問題を拾っていただきたいと思います。
水俣病が正式に発見されたのが1956年の5月1日です。子どもがばたばたと倒れたので気が付いたんです。環境汚染によって被害が起きる時には、胎児や赤ちゃん、そしてお年寄り、もともと病気を持っている人などその環境に住む弱い人から出ます。
環境問題は、医師が出てくる前に対処しなければ意味がありません。正式発見の2年半前くらいに、猫が死んでネズミが増えて困るということが起こりましたが、これは人に問題が起こる前に自然界に住んでいる動物に問題が起こるとことを示しています。
 環境汚染で病気が起こる時には、農村や漁村で自然と共に生きている人たちが真っ先にやられますから、なかなか中央まで声が届きません。一番象徴的な水俣病だけでなくて、長崎の五島で起きたカネミの事件もそうです。
東京のど真ん中で起これば、もう少し違った対応ができたと思います。
 最初、原因が分からずにもたもたして熊大が原因を発表するまで2年半もかかりました。でも、原因が分らない時には、まず特徴を掴むということが必要ですが、それが意外と難しいのです。重症な患者ばかりだと何が特徴なのか分からないのです。そのうちに、感覚が鈍くなるとか、運動が円滑にいかないとか、視野が狭くなるとか、言葉が出なくなるといった症状が特徴だとなるわけですが、それにやはり2年くらいかかりました。20世紀初頭のイギリスで農薬工場労働者の有機水銀中毒の経験から書かれたハンター・ラッセルの論文を読んで、それから水銀を測りだすんですよ。
 私の学生時代、衛生学で希釈放流という、毒は薄めて棄てろと習いました。しかし、薄まったものも濃縮するというのも自然界の働きです。名もない命と私たちの命が繋がっていることを水俣病は私たちに教えています。そのメッセージを、我々がこの50年間でどう受け止めてきたかが問われています。命は循環しているわけですね。
 食物連鎖を通じて起った中毒というのは人類史上初めての経験です。そういう意味で水俣病は公害の原点と言われているんですね。それからもう一つは、胎盤を通しての中毒が起こってしまったということです。有機水銀、ダイオキシンなどは、胎盤を通っちゃうわけですね。これは大変なことなんです。そういう意味では、この水俣病という事件をもっと大事にしなければいけないと思うんです。被害者の人たちをもっともっと大切にしなければいけないんです。ところが、現実はどうですか。
胎児性の患者なんか補償金を貰ったからもうそれでいいじゃないかというわけでしょう?病気は治らないですよ。お金を貰ったって、そんなものは全く足しになっていないんですね。それが現実なんです。

2010/07/27(火) 第26回市民環境問題講演会(2)
 へその緒(被害者から集めた)の水銀を測ってみたら、まさにその当時のチッソの生産量と結果は一致する。つまり子宮は環境だということです。環境を汚せば子宮も汚れるということを示している怖いデータですね。
 私は水俣病が起こったから差別が起きたとずーつと思っていました。しかし、世界の色んな所に行って見ますと、社会の中でのマイナスの部分、ここの例でいえば、廃棄物です。マイナスの物をどこに持っていくかですが、力の弱い所に持っていくんですね。世界を歩いてみたら差別されている所に、公害が起こっています。
生物学的にも、お腹の中の赤ちゃんとか弱い人に症状が出るんですね。
世界のあちこちに調査に行って、地元の問題、自分がやっている問題も大事ですけど、地元の問題をちゃんとやるためにも世界と繋がらなくてはならないということが分かったんです。世界は今、我々が水銀の影響がないと切り捨てたところで、水銀の影響がどうなっているかという議論をしています。ところが日本では線を引っ張っちゃって、ここから上だけが水俣病であとは知らんとやっているわけです。
本当に公害というのは、差別のあるところにしわ寄せが来るということだと僕は実感を持ちました。
 2009年7月から水俣病の特別措置法というのが出来ました。マスコミは一斉に進歩したというのですが、中身で実質があるのはチッソの分社化だけです。診断基準を増やしたことは意味がありません。むしろこれから大変だと思います。(有害物質の)安全基準を決めるにも、二つの物質三つの物質四つの物質と重なった時、そんなものが人体にどんな影響を及ぼすかなんて、誰も実験していないし、どの本にも書いていません。今、我々はそういうとんでもない時代に突入しているんだという自覚が必要だと思います。今から起こる公害というか化学物質の汚染というのは、安全基準など決められる訳がないです。非常に危険なところに立っていると思います。
 水俣病の問題の一つの悲劇というか失敗は、これほど社会的なしかも幅の広い事件を、医学だけに丸投げしたことです。そうでなくて、色々な人が参画する、特に被害者自身が参画して一つの学問を作っていく、そういう立場で熊本大学に「水俣学」の講座を開設し、センターを作り、現地にも出張所作っています。本来ならば、寺子屋じゃないけれど、あちこちで名乗りをあげて色々と研究をやれる、色々な学問領域の縦割りの壁を取り外して、一つのことに関して研究していくことをやるのが理想でした。一番の専門家は、当事者ですから。そこに住み、そこで生活し、そこで影響を受けた人がやっぱり一番の専門家だろうと思います。そのへんをちょっと考えるきっかけになればくらいに思って「水俣学」を始めたのです。本当は大学の中じゃなくて水俣市内に水俣学講座みたいに出来たらよいと考えていたことなんです。今5年目です。こちらでも、そういうのを作られたらいいのじゃないですか。
現場に行って、いろんな事を知っている地域の人から、専門家と言われる人たちにどうやって学ばせるかという作業が必要だろうと思います。
              −講演録から抜粋― 吉田千佳子さん作成

会場には若い方も含め90名近い方で一杯でした。先生の水俣での長年の取り組み、世界各地の現実などを権力の側に立たない姿勢と人柄を通しての話に皆うなづきながら聞き入りました。遠路の講演感謝いたします。 
高木仁三郎市民科学基金・パタゴニア助成活動

2010/07/26(月) 2010年 春の活動報告
       2010年 春の活動報告
<調査活動>

・ 5/1 春の水生昆虫・水質調査                参加者 6名
   全体的に各河川とも水量が多かったです。谷古入沢は殆ど生き物を見ることが出来ませんでした。
   裏面に小平市の高梨さんの参加報告を載せてあります。

・5/9 植物生態観察調査                   参加者 4名
   尾根道の植物の葉などの異変を採取し分析機関で判定してもらう。アオキの葉などが黒くなるのは
   炭素病と判明。峠近くで異臭を感じる。
   馬引沢峠に処分場内で多摩地区の小学生に植林をさせている様子の看板が設置されている。
   私たちの調査ではこの地点の土壌ダイオキシン値は47

・5/17 野鳥調査                      参加者 5名
   晴天で気温が高く、オオルリガ多数確認でき、営巣場所の取り合いをする2羽の争いの珍しい情景
   見られる。馬引き沢の入り口でサカハチチョウが見られる。
   組合の場内定期井戸水質調査の組合3名、調査会社3名、22区自治会7名の一団と会う。
   自治会の多くの方は杖を突きながら歩いている。これが1200万円の22自治会の地元対策費と
   住民の環境監視の実態なのかと思う。

<その他の活動>

・3/6 高木仁三郎市民科学基金 公開プレゼンテーション参加
   今年度の助成団体の公開プレゼンテーションに取り組みを訴える。新たな様相として動植物(梅や狸
   など)の免疫力の低下という現象の説明も加える。

・4/17〜18 アースデイ参加   パタゴニアの助成で代々木公園に出展
   昨年と同様「川と流域を守る」という共通テーマで、たまあじさいの会は「都民の水源多摩川の汚染」を
   処分場の模型などを展示して訴える。おいしい「源流の水」を見学者に提供もしました。
   約400名の方が見学や説明を聞いてくれました。準備に時間がかかりますが、色々な出会いがあり
   楽しい企画でした。

<第26回市民環境問題講演会>                       参加者 86名

  「水俣に学び、未来に伝える」 −水俣から日の出処分場の問題を問い直すー
  講師 原田 正純先生 
   立川アイムの会場は満員となり、若い方も年輩の方も先生の50年来の水俣病の一人ひとりに寄り
   添った経験とそこから得た水俣病の知見、現在や未来の環境汚染の様相についての指摘に
   一つ一つ頷きながら聞き入りました。先生の人柄と姿勢は深く参加者の心に染み入りました。
   遠路の講演、快く快諾させたことに感謝いたします。
   *講演会の資料と講演要旨同封してあります。是非ご覧ください。


<総会報告>

 大変遅くなりましたが2010年度の総会の報告をいたします。
5/15に青梅で12名の参加で総会が行われ、2009年度の活動報告と会計報告は承認されました。
2010年度の活動計画などについては修正が提案され承認されました。
修正された点は、エコセメント工場の本格稼動前の2003年から取り組んできた野鳥と水生昆虫の
調査活動は、ひとまずここで休止して、これまでのデータなどのまとめを行うこととなりました。
植物調査については、より環境汚染の実態が明確になるような内容を検討しながら継続して取り組みます。
又、土壌・水質・雨水・大気などの調査は継続して取り組んでいくとなりました。今後も調査活動への
皆様の積極的な参加をお願いいたします。

<会員の皆様、会費納入をお願いいたします>

 私たち「たまあじさいの会」の活動は、会員の会費・カンパと高木市民科学基金・パタゴニアからの
活動助成が主な収入源です。一方、日の出町のごみ処分場やエコセメント工場を推進している
循環?組合は、税金から多額の経費で環境調査を「パシィフィックコンサルタント」に発注しています。
軍事基地から様々な海外での政府関係の環境調査、日本各地のごみ処分場や焼却炉の環境調査で
策謀している調査会社です。
 一人ひとりの会員の皆様の意思とご協力が巨大な権力と組織と資金に対抗する拠り所です。
厳しい経済状況の中で心苦しいお願いですがよろしくお願いいたします。

<本の紹介>

「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」中村哲・澤地久枝対談 岩波書店 1900円

「多様性を認めるのが、本来の民主主義だとか、自由主義だとおもいます」「多様性を認めない
デモクラシーとはなにか」「ヒットラーに近いです」と世界や日本の現状を述べ、医師の目でアフガン難民
の惨状を確かめ自立できるように一歩一歩寄り添って25年の思いを澤地久枝との対談で語っています。
6/5の講演会の講師、水俣病の原田正純先生といくつかの共通点が見られます。
共に九州出身で医師、権力の側に付かない姿勢、患者や難民に寄り添つた活動に取り組んで
いることなどです。是非、今年の夏の課題図書としてみてください。

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       夏の活動の案内
8/8(日) 植物調査          8:45 青梅駅 9:00 馬引き沢入り口集合
   6年目のエコセメント工場真上の尾根道沿いの5mx5mの20マスのコデラート法による樹木と林床
   の継続調査
* 多くの方のご協力を必要とします。ご都合の良い方はぜひご参加を。
* 午前に終了予定です。水筒などをご持参ください。

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