ひとりごと
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年9月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新の絵日記ダイジェスト
2005/09/25 気晴らしに・・・
2005/09/24 昨日のことです。。
2005/09/21 な、懐かしい。。
2005/09/19 本当は・・
2005/09/17 そして・・

直接移動: 20059 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 月 

2004/09/29(水) 憎ッくき台風!?
広島の上空を21号の台風が通り過ぎて数時間が経ちましたが・・
実は、今日(9/29〜10/2迄)3泊4日の高2の息子の修学旅行の初日のはずでした。コースは(福井の東尋坊〜黒部ダム〜東京ディズニーランド経由)で、この度の台風通過により東京ディズニーランド以外は全てキャンセル。大切な日程は1日削られ、おまけに旅館キャンセルによる膨大な料金(2年生全員)まで各個人の自己負担に。“泣きっ面に蜂”とはこのこと。せっかくの修学旅行も2泊3日の(中学並?の修学旅行)になってしまって、本人はハブテ(ふてくされるの意味)まくっており、台風が通り過ぎた後でも我が家では息子の台風が吹き荒れております(苦笑)
果たして息子達は10/1〜10/3?まで何処に修学旅行に行くのやら??迷走する修学旅行です。
(息子に行き先を尋ねてもシークレットだと言って教えてくれません・・でも、どうやら行き先も未だに決まってないようで、今晩先生方は徹夜でその準備をされるらしいのです)
明日学校に行って行き先を教えて貰うのだと言っておりました。
今回の台風21号は我が家には18号ほど影響は無い筈でしたが、まさか息子の修学旅行に影響が出ようとは。。おかげでとんだとばっちり!?を受けた修学旅行になりました。『台風はこれでもう打ち止め?にして欲しい』と照る照る坊主様に切に切にお願いしました。

2004/09/27(月) 瀬戸内海サーキット。。
最近疲れがピークに達している中での四国遠征でしたが・・
深夜から無理を押して出かけて本当に良かったッ!と
思っています。
店主らのレース戦績はもとより・・
日頃からかなりのストレスが溜まっていた私ですが、
四国の皆様の心温まるお接待のお蔭で癒された一日でした。
本当に感謝、感謝の一日でした。。<(_ _)>

また昨日は中川夫人と“お互いに旦那抜きで喋くり倒したいッ!”と意見も一致しましたので、ご夫妻で是非とも廣島まで足を延ばして頂き、ゆっくり出来ませんかねぇ。。
廣島にもいい温泉は有りますので、お湯に浸かり疲れを取りながら・・お互いに日頃のうっぷんを晴らすのもいいかも!!(笑) ああ〜早くそんな日が来ないかなぁ〜?!なんて、夢見てるこの頃です。(*^_^*)
***********************************************************
ところで・・
皆さんは『春夏秋冬占い』というのをご存知でしょうか??
先日、本屋さんでまたまた珍しい本を見つけましたのでご紹介します。
『春夏秋冬占い』・・人生を十二年のながれで読み解いた、まったく新しい占いです。
生まれ月で春・夏・秋・冬と単純に分けるのではなく、
生年月日をある表に照らし合わせて春・夏・秋・冬と
分けられて行きます。
ちなみに11月生まれの私は『春』で
1月生まれの店主は『夏』でした。。
興味を持たれた方は下記をアクセスしてみてください。
簡単にご自分の季節が出せますよ。。では〜〜
http://www.seasons-net.jp/

2004/09/18(土) “宮島”のおはなし。。
“宮島”は荘厳で雅あふれる厳島神社をはじめとして歴史的建造物・弥山(みせん)等、、歴史的建造物が目白押しですが、表通りをはずれて裏路まで足を延ばしてみるとそこには「全く違う顔の宮島」が有ります。
通常の観光ルートならば桟橋から右へ曲がりお土産屋さんの並ぶ観光通りか、海岸線をだらだらと歩くのですが・・
「全く違う顔の宮島」へは、島民の方が利用する正面のトンネルへ続く道を通って行きます。
短いトンネルから左に進むと右手正面には細い路地が、
左手正面には綺麗な石垣等が表れてきます。
さらに左の港の隋道を抜けて突き当たりを右へ進むと
右手に『百がんぎ』として古くから親しまれている
“今伊勢神社”の石段が目の前に現れます。
また、この地はその昔『戦国三大奇襲戦』と
称される厳島合戦【毛利元就がわずか3千の軍勢で
陶軍2万5千を打ち破った奇襲戦の一つ】での時の
毛利勢の拠点となった宮尾城跡地でもあります。
石段を下り、すぐ右の辻を左に行くと・・
昔あった歓楽街の面影を残しており、
当時は格子から遊女達が顔を覗かせていたのが
偲ばれるような、そんな風情のある街並みが続いています。
・・・しばらく行くと五重の塔に近づきます。。
そして厳島神社の真裏の方面にも古い木造建築が
数多く残っており、日々の喧騒から離れた緩やかな
時間が流れるもう一つの宮島に出会えることでしょう。。

私もあまり知らなかったのですが・・宮島には『宮島歌舞伎』と言って・・江戸時代には(金毘羅・出雲)と並び、西国三大歌舞伎として全国にその名を轟かせていたそうです。「昔は宮島さまで5百両、金毘羅さまで5百両いただいてこそ、江戸に戻って千両役者と呼び声が掛かる」と歌舞伎界では言われていたそうです。
また宮島は江戸時代の当時の廣島藩唯一の遊芸地として藩の手厚い保護の中繁栄を極めていきましたが、明治以降は時代に流されるようにして衰退していきました。  
ですが、最近再び西国三大歌舞伎が脚光を浴びつつあります。 平成6年、宮島で102年ぶりに“澤村籐十郎氏”による奉納歌舞伎が興行されました。


また『宮島には墓がない!』というのは有名ですが。。
「古来より、宮島自体が神域の為、島内にはお墓が本当にありません。ですから住民が亡くなると、亡骸は海を渡って本土へと移されます。」この風習は現在まで続いており、私も幼い頃からその話は聞いて知っておりました。『神の島・宮島』の七不思議の一つでもあります。


昔話【宮島沿線[五日市(イツカイチ)]の巻】〜あまのじゃくな息子〜

 むかしむかし、五日市に道空(どうくう)という漁師がいました。
道空は貧しい漁師でしたが、信仰深くまじめに働くことから
だんだんと豊かになり、町の人々からも大変尊敬されていました。
 そんな道空にも一つだけ悩みがありました。
息子の道裕(どうゆう)の事です。
道裕は大変な変わり者で父が「右」というと道裕は「左」、
父が「山に行こう」というと道裕は「海に行く」というなど、
何でも反対のことをしていました。
人々はそんな息子の道裕のことを『あまのじゃく』と呼ぶようになりました。
 父・道空が亡くなる間際に道裕を呼んでこう言いました。
「わしが死んだら海がいいので、津久根島へ葬ってくれ。」と。
道空の本心は“山に葬って欲しかった”のですが、いつも反対の事をする息子のことだからあえて“海に”と告げたのでした。
しかし、道裕は「さいごくらいは親父の言う事を聞いてやろう」と思い、
津久根島で手厚く葬りました。
 父・道空の思いもむなしく、道裕は最後まで道空の反対のことをしてしまいました。。  おしまい!!    

(いつも行くラーメン屋さんに『もうひとつの宮島』を紹介した雑誌があったので少し抜粋してご紹介致しました)(*^_^*)

2004/09/16(木) ハァ〜?!
つい先日、、京都に行っている息子から電話が有って
(どうやら息子の友人の一人がこのページの隠れ?ファン?らしく)早く更新して!と命令にも似た電話が掛かって来たのです。
ネタが無い時は3筋で終わったりするんだけど・・どうやらそれも彼には気に入らないらしく、長文を希望しているようで(溜息) これじゃ、締め切りの迫った小説家のようで、トテモ窮屈でしょがない。。と、ブツブツ文句を言いながら・・今夜も愚痴ります(苦笑) (-_-;)

今日は息子の事を少々書きます。先月の8月に19歳になった彼は現在京都に住んでいますが、彼ら(昭和60年生まれ〜61年生まれですが・・)の小学・中学・高校でのこの子達の入学式・卒業式・林間学校・修学旅行等は全て天候が不順で驚く程、悪天候でした。良くて薄曇。。雨(または雪)が必ずといって良いほど降ったり、時には地震・台風等(最近では8月末の里帰り中に台風16号が到来)遭遇。呪われているのか?と思うほど。。先月の筑波へ一緒に行った時も天気予報では・・雨の予報は全然出て無かった筈なのに・・何故か雷雨でした(苦笑
だからそういう時には息子に必ず聞くのです『何か悪い事でもしたんじゃろぅ?!』と。息子は『何でや!(怒)』と言い返し『天気が悪いのは俺のせいじゃぁ〜ない!』とも。。そりゃ、息子のせいじゃあないと、判っていても(意地悪く)聞いてみたくなるのです。なんかしたんか?と(苦笑) 息子も馴れっこで、そんな私の意地悪い言葉にも全然切れることなくすばやく同じ言葉で言い返します。まるで条件反射のように。

(こんな事を書くと息子からクレームがきそうですが)19歳まで(私達家族と共に)幾度と無く親戚等の通夜や法事に同席しましたが、お寺のお坊様がお勤めが終わって帰りに大勢いる同年代の子ども達の中から決まってこの子だけに目や声を掛けてお帰りになるのです。(初対面ということも有り)私も息子も苦笑いしながら、まだ小さかった息子は硬直して私の傍で震えながら立ちすくんでいました。何故かどの方もご同様に『一緒に帰ろうと。。』言われ、しまいには手まで差し延べられ、さすがの私もドキッ!と息子同様に固まってしまいました。・・・不思議です。
お寺の小坊主に丁度よい?のでしょうか?!(苦笑)本人は憶えていないかもしれませんけれど。。
それに京都はご存知の通り、お寺があちらこちらに点在していますから、息子自身が自らそう望めば修行も出来るわけで・・もし、万が一にでも目標の所に就職が決まらない場合は・・お寺での修行も有り?!(竹口家のご先祖様は5代前までは代々続いた浄土真宗のお寺の住職だったらしく、、その時のDNAが残っている???!)
書きすぎ!という、息子の鋭い突っ込みが聞こえそうですけど。・・以前も自宅で時々主人も冗談まじりに『お経の読める整備士もええのぅ〜』と息子に言っておりました(半分本気?)

これを読んだ京都に居る息子はきっと・・視ない、聴いていない振りを決め込むでしょうけど。。
(おびえたような(息子似?のカエル君に)深い意味はありません、、笑)

2004/09/13(月) ( ^^) _旦~~
昨日、工場に念願のシャッターが着きました。
最初のうちは取着け無いつもりでしたが・・やはり物騒ですし、、
お客様の大切なお車を預かるのですし、よくよく考えた末に見積もりを出して貰うことに。。思った以上に安く(取り付け費用込みで)通常の半値で済みました。思い切って着けてよかったなぁ〜と思っています。

それから・・このまま順調に行けば事務所の工事(内装も二階は9割方済み、後は一階の内張りと天井等です)来週末ごろには出来上がる?かも。。
最近では通いの大工さん達と、とてもフレンドリーになってきました。  事務所&工場の出来上がりがとても楽しみです。。 


今月23日は秋分の日で・・仏教でいうところの“お彼岸”です。。
『暑さ寒さも彼岸まで〜』と、言う言葉があります。
いよいよ秋も本格的になって来ます。

(右画面の花は彼岸花ですが・・)
お彼岸に咲くこの彼岸花(別名:マンジュシャゲ(曼珠沙華)
はご存知のように葉っぱがありません、
根っこ(球根)で増えていきます。。ですからいつも春と秋のお彼岸頃に決まって赤じゅうたんを敷き詰めたように田んぼのあぜ道や土手・墓地の辺りに赤い花が一面に咲きます。

それは昔々、除草剤等農薬が普及していない頃に雑草予防のためにお百姓さん達が好んで植えたらしいと、昔、何かの本で読んだ憶えがあります。
 
また・・この花は昔から「シビトバナ(死人花)」「カジバナ(火事花)」などと言われて、大変忌み嫌われた花のようで、
この花を手折って家に持って帰ると「縁起でもない!持ってくるもんじゃない!」と大人からこっぴどく叱られた人もいたのではないでしょうか? 

子どもの頃、家の周りに沢山咲いておりました。この花を摘んで首飾りにしていた友達も何名か居ましたが、肌の弱い私は(摘み取った茎の汁でカブレやすい為)触る事も出来ずこのグロテスクな花をただただ眺めているだけでした。 (-_-;)

2004/09/10(金) 最近思う事。。
この度の台風18号の被害が思ったよりヒドク(ここ広島でも南方面、西部の沿岸地域等々、、風の被害はもとより、特に海水による被害が大きかったですねぇ)私達の周りでもその話題で持ちきりです。。
我が家でも駐車場の波板が飛んだり・・自宅が雨漏りしたりと、台風の被害は少なからず有りました。。

振り返ってみると・・我が家でもここ数年〜半年余りは暴風雨に見舞われ続けたような日々だったと痛感しています
それは・・例えばこの度の事務所&工場の立ち退き騒ぎ等にも表れております。
ご存知の通り、木造建ての小屋は戦後から50年余り?あの場所に有ったのです。。最初の数十年は消防団の為の車庫として使用され、別の場所に引き払った後は・・十数年前より当方で借り、現在まで使わせて頂きました。また最近は昭和のレトロブームのことも有り、懐かしがって見に来られる方も居て、解体が決まった時にはガラスなどをわざわざ持ち帰りになられた方も居られました。

立ち退き話は・・降って沸いたような?話で・・今年初めのお台場の日本クラシック協会主催のニューイヤーミーティングから帰広後の1月31日に急遽ある事情により9月末迄に立ち退きを言い渡されたのです。
正直言って大変戸惑い、困り果ててましたが・・なんとか建て替えも決まり、移築も物凄く低コストに出来るらしいやり方により(建物を解体→柱や梁・階段・屋根・瓦等をクレーンで向かいの駐車場側に運び・・即、柱建てをして)現在急ピッチで内装を仕上げ完成?しつつあります (その模様はUPBBSで公開しています)

無事移築も終わりすっかり見通しの良くなった跡地の前を普段何気なく通り抜ける人たちは(バイクに乗っているオバサン達でさえ)道路のど真ん中で思わず立ち止まり左右をキョロキョロと見回し・・あの小屋は何処に行ったのか?と探しまわるのです(笑)でも最近ではそんな人達の様子にも慣れましたけど。。

現在は仮事務所を家主さんのご厚意で土蔵に移しているのです・・・その土蔵も好評で移築後も喫茶室にされたら?と言う声まで出る程です(微笑)

新しい事務所は今月の終わり頃?には完成予定です。
(いままでの古くて暗〜い小屋のイメージは有りませんが)レトロな部分は知恵と工夫で何とかカバー?して行ければと思っていますが、、果たして??

・・現在の移築後の新事務所&工場を見て(私達の思いとは別に)様々な事をいう方が居られ、少々困惑しています。。
最初は事情を細かく説明していたのですが、今では主人も私も笑って聞き流すように努めています、、(右の画像に深い意味はありません、でも・・現在の私達の正直な気持ちを表わしているのかも!? 笑)   
もう開き直りの構え?です(苦笑

2004/09/05(日) HPの一番最初のページに・・
ご覧の画像は・・8/8の筑波サーキットで優勝した記念すべき一枚です。
(尚、大きな画像はHPの一番最初のページに有ります。)
皆、満面の笑顔でした(花を添えてくれたレースクイーンの皆様有難うございました!!<(_ _)>)
当日はNAOさんをはじめ、関東のCCJの皆様のお蔭で
とてもいい思いをさせて頂きました。本当に感謝しています。
店主もその当時の様子(私の撮った下手くそビデオを)
見ながら時折感慨にふけっています

2004/09/03(金)  〜秋〜♪
朝晩だいぶ涼しくなりました、いよいよ私の大好きな秋到来!ですッ!
・・・誰です?“食欲の秋だ〜”なんて言ってる人は???(笑)
明日は久しぶりに栗ご飯に・・シチュウー? なぁ〜んていいですよね (*^_^*)

2004/09/02(木) 急ピッチで・・
今年の猛暑も先週の台風一過でようやく過ぎ去り、
今週は初秋を思わせるような日がようやくやって来ましたね、
朝晩も涼しく“蔵”事務所の中は扇風機も要らない程です。
そんな中、事務所の移築工事も着々と進み?(でもアクシデント付き・・) 唯一、使っていた井戸のポンプが急に作動しなくなり大事な水が出ず、仕方ないので傍に流れる安川にバケツを落とし水を汲んで急場を凌いでおりました。。水が中々使えない不便さも知った一日でもありました。設備屋さん達のお蔭で新事務所の上下水道も設置されました。。(但し、水はまだ当分先かも)屋根の方もクレーンを使って瓦を設置し、後は並べるだけで・・ここに来て工事も急ピッチな仕上がりを見せています。
そして夕方頃、小雨もぱらつきハラハラしながら見守っていた私達でした。。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.