ひとりごと
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2004/04/01(木) 埋蔵金?伝説“白南天と黄金の茶釜”
4月1日は年度替りですねぇ。。
先程も近所のDソーで慣れないスーツを身に着けた新社会人達
(10人位)を見かけました。。着慣れていない所が初々しく
眩しくて。。我が家でもあと2年すると
娘と息子がそれぞれ社会人になります
感慨深い思いがしています。(*^_^*)

今日はエイプリールフール!?なので昔から語り継がれている
伝説(うそのような本当のお話)をご紹介します。

事務所の近辺にも春霞のしている山々が連なっています。。
その山の一つに武田山(標高410.9m、(銀山城))というのが有ります。

『今からおおよそ五百年以上昔の事ですが・・
時の将軍に安芸の国の守護を命ぜられて
甲斐の武田家からはるばるやって来た
武田氏は代々安芸の国を平穏に治めておりました。
ところが、ある時期毛利軍にあっという間に攻め入られ
・・・悪戦苦闘の末に負けてしまいました。
世は戦国時代で織田信長の時代の話です。

それでも・・またいつの日にか「お家再興を」
との僅かなノゾミを託し落ち武者となった家臣の一人が
落ち延びる際、武田山の山中深く密かに黄金の茶釜を埋めました。
その際、枯れてもわかるようにと目印に白南天の木を
植えたらしいのです。
その後、数名残った家来たちも農民に姿を変え
山城の有った山頂近くに住まいを建てて
山を守りながらその時期を狙っていました。
そして年月も流れ・・その茶釜の話は伝説?として残りました
私も幼い頃から叔母からその話は幾度となく聞かされて
いました。・・史跡も残っています

埋蔵金?の話を聞いた人々の中で実際に武田山の茶釜を
探し回った所、白南天の木を見つけて掘ろうとしたら
(・・呪いが掛けてあるのでは??)と
思わせるような出来事が有り・・『何処からともなく
大男の武将(僧という説もある)が現れて
邪魔をして掘らせないようにした(大怪我をしたとか)』
『大蛇が出てきた』とか・・
また、登山中に偶然白南天の木を見つけて後で掘ろうと
目印をしていたにもかかわらずその白南天の木が見つからなかったとか、、
埋蔵金の発掘目的で登山するとたちまち不思議な事が起こるようです。
・・・残念ながら誰一人として未だに武田家の財宝の入ってる黄金?の茶釜をみつけた人はおりません。
平成の世になっても黄金?の茶釜は武田山の山中でさまよっている?!のでしょうか? 

◎茶釜の他にも銀山城の跡地には武田氏の山城跡等が有り
また、高取〜長楽寺近辺にも大合戦の有った山々・一門の処刑場跡・墓地等等、
縁のあるお寺・神社等、現在でも残っております

「松3本、竹3本有る限り、武田の恨み忘れるな」
この言葉は武田氏の残した言葉です。
今でも子々孫々に密かに語り継がれています。
当時、あっけなく賊軍(負け組)?になってしまった
武田家一門のお話でした。。(合掌)』

広島の郊外に祇園というところが有り武田氏ゆかりの安神社と共にそれらの伝説も残っております。
また近辺には武田山『銀山城跡地』への登山道があります。

詳しくは下記にアクセスしてみてください
http://members.at.infoseek.co.jp/yagumo2/kanayama.htm 
天気のいい日には皆さんも一度ハイキングコースとして登ってみてください。
ちなみに武田山の裏?の北側になる(相田・高取側)からは登るのも険しいので、あしからず。
今では武田山の裏手の麓(平和台)に山陽自動車道も通っております。


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