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2005/05/29(日)
久しぶりの髪カット・・・そして、花架拳
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昨日は稽古場で稽古後宴会であった。 何人か(俺様も含め)終電の時間が来ても飲み続け 朝まで飲むぞ〜なんて盛り上がってしまった。 しかし、おりこうさんな俺様は午前三時に 一人先に退散させてもらった。
そして、朝8時に起床、久しぶりに伸ばしに伸ばした髪を カットすることにした。 なぜなら、今日は伊藤陽子様に花架拳のステージの招待券を 頂いているからだ。 伊藤陽子さまのステージをボサボサの伸び放題頭のルンペンのような姿で観に行くわけにはいかないのだ。
花架拳についての伝承では、敦煌の壁画に描かれた飛天(天女)や菩薩の動作を模して創成されたといわれている。 その由来のとおり、まるで飛天が舞うがごとき美しい舞なのである。
さて、花架拳というものは俺様は初めて拝見したが、 まさに中国大陸からうまれたものだけあって、 その動きは優雅で大地を流れる大気のような 感じを受けた。伊藤陽子様もまだ、やりだして間もないとい ことだが、演劇の舞台やダンスで培われたものがあるので とても初心者にはみえない。舞っているときの姿勢も美しく また、俺様にとっては羨ましい体の柔軟さも花架拳のゆっくりとした動きをより美しく見せているようだ。 あれだけゆっくりとした一見優雅に見える動きも いざやるとなったらバランスを崩さず舞うのは至難の業なんじゃ ないだろうかと、体が硬い俺様は感心してしまうのである。
そして、やはり御師匠さん(師範代、先生?どういう呼び名が 正しいのだろうか・・・)の鉄扇の舞は心揺さぶるものであった。 舞がすばらしいのは当然のことなのだが、俺様がとくに 感じたのは眼力の強さというか目線の決まり方、力強さ、 それらと舞が見事に調和がとれ、まさに気という目には見えない ものがびんびんと感じるのであった。 そして、美しく優雅に見える舞も時に力強く、 武術であるということも感じるカッコよさであった。
そして、役者も含め表現者たるもの目線の重要さを あらためて感じたのである。劇団の研究生達もさそって くればよかったなぁ。
ps 小林代表とさっちゃん&たかちゃんと伊藤家の人々も来てる筈なので、絶対的に目立つ巨体な小林代表を探し出すために客席を見渡したが見つけ出せなかった・・・ “哲郎日記”を読んでその理由がわかった・・・あちゃ〜 そんな、小林代表を他山の石として、俺様も飲みすぎには 注意しようと思う今日この頃!!
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