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2005/01/17(月)
10年で町の景色は変わったけれど・・・
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朝9時に仕事が始まり、ふっと外を見ると ほんの10分間ほどであるけれど うっすらと雪に覆われた六甲山上空を 東西に虹が綺麗にかかっていた。 2005年1月17日・・・あれから丁度10年である。
俺の部屋には今も5時47分1秒で止まった置時計がある。 震災の日、台所の冷蔵庫の上に置いていたものだ。 地震で、冷蔵庫が前倒しになり時計が落ちて 電池の入っているカバーが割れて電池が飛び出し時を止めたのである。 たぶん電池を入れれば動き出すだろうけど、なんとなくそのままにしてあるのである。
TVでやっている震災関連の番組をみると、 家族や大事な人を亡くした人の悲しみの大きさは はかりしれないものである。
人はいつどうやって死ぬのか・・・その時がこないと解らない。 俺様もちょっとした運のよさで、あの地震の中で生き残ることが出来たのかもしれない。 たぶん、隣に大きく頑丈なマンションが建っていなかったら 俺様の住むちっぽけなビルは倒れていたと思う。 あとでわかったことだけど、地震で揺れている時に 俺様の住むビルと隣のマンションは何度かぶつかり合い、 たぶん隣のマンションに支えられ倒れずにすんだのだろう。 (お互いのぶつかり合った部分が激しく壊れていた。) 現在もこの俺様の住むビルは西にかなり傾いているので、 初めて前を通る人は立ち止まり、ながめているぐらいだ。 しかし、今でもビルとビルがぶつかり合うなんて 信じられないことである。
10年という年月は俺様の住む街の風景を一変させた。
震災前は、俺様の家の前には高層建築物などなく 昭和30年代に立てられたような、アパートやおんぼろの コインランドリーや古い商店街、古い木造建築物など が立ち並び、路地裏なんかは昭和の臭いがしていたのだが、
今では、灘区役所の大きなビルが新築され、駅前の35階立ての ツインタワーマンションを筆頭に高層マンションが立ち並ぶようになった。おかげで震災前は綺麗に見えていた六甲山が 今ではほんの一部しか見えなくなってしまった。
震災復興の名の元に、区画整理だなんだということで 出来上がった町が魅力あるものになったのかどうかと いうことには人それぞれ感じることがあると思うけれど・・・ まぁ、俺様は少なくとも高層マンションが立ち並ぶ町の風景は あまり魅力的とは感じてはいない。
そんな俺様のちっぽけな思いなどとは関係なく 世の中は時と共に形を変えていくわけなので どんな状況下でも強い生命力をもって これからも俺様は死ぬまで生きていくわけなのである。
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