気が向けば書く、いい加減日記なのだ〜(爆)
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最新の絵日記ダイジェスト
2008/12/01 ありがとうございました。
2008/03/07 レッスンステージ前夜
2007/11/27 公演を終えて
2007/11/21 最終稽古
2007/11/19 あと、残すところ稽古一回だ!

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2004/08/30(月) タイフーン
天気予報どおり外は嵐、しかも、規模も大きく速度も遅いので
随分長いこと荒れ模様がつづいている。

子供の頃、台風が来るといえば
まず、親父やじいちゃんが家の窓やらに板を打ち付け
台風に備えたものだ。
そして、いよいよ台風がやってくると大体決まって停電になり
ろうそくを囲んで6畳間で家族そろってじっとしていたものである。そうしていると、大体爺ちゃんが戦争の話やらはじめたり
防空壕で避難した話をして婆ちゃんが話に参加してきたり
親父の子供の頃の話をきかせてくれたりと
今思えばいい家族風景が繰り広げられていたものだ。

それに、ビュ〜ンと風の音、ガラガラと風に何かがとばされている音なんかがひっきりなしに聞こえ、好奇心旺盛な俺様は
外の様子が見たくて仕方なかったものだ。
台風の中で傘でもさして走れば屋根の上ぐらいなら
飛び上がれるんじゃなかろうかとか、そしたらライダーキックも
ほんとに出来るんじゃないだろうか!!
あぁ、そとにでてライダーキックをためしてみたい!
なんて、無邪気におもっていたものである。

あと、近所の川でいつもは橋の下10mぐらいのところに
水面があるのだけれど、大雨の影響で橋の下数十センチのところ
まで増水したときなんかは馬鹿みたいに何度もそんな状態の橋を
渡って喜んでいたことがあった。
今考えると、いつ橋げたが激流に破壊されてもおかしくない
ような状態だったんだろうとおもうと怖いことをしていたものだ。

しかし、今回の台風はなかなかの威力だ、
俺様のすむビルがゆらゆら風に揺られている。
自然の作り出すパワーのなんと大きなことか、
窓の外を見れば、信号機も街路樹もへし折ってやろうかという
勢いである。
嵐の街を眺めているとなんとなく子供の頃を思い出してしまった。

2004/08/28(土) 小さな友達からのご招待。
今日はふぉるむ登山隊最年少メンバーのタカちゃんから
タカチャンの通う保育園の夏祭りにご招待をたまわった。

これだけ多くの小さな人間の集まるなかに俺様、身を置いたのははじめてである。それぞれみんな可愛く、またそれぞれの子供達の
親の自分の子を愛しい眼差しで見守っている姿はなかなかよいものである。こういう経験もまた、俺様が何かの役を演じる時に
役立つことだろう。

保育園の先生方もいろいろなショーを自ら演じて
子供達だけでなく親達までも楽しませるサービス精神。
韓国の映画スターのヨンさまのお友達の“シン様”と称する
若い男の先生の白いコートに白いマフラーで茶髪の登場には
思わず爆笑してしまった。

また、園児の親達も一緒に考えた色んな出店も
ワイワイと子供達で大盛況。
俺様、保育園とはこういうところなんだ〜と
知らない世界をはじめて見るようで新鮮な一日であった。

親友タカちゃん、夏祭りご招待ありがとう!!

2004/08/26(木) 2時間の不思議・・・・
小林代表の勤める会社で不要となった
コンテナボックスを引き取りに行き。
そのあと、車を六甲道の僕の住むところの駐車場に止め、
当然のように二人で飲みに行った。

六甲道駅周辺は都市開発がすすみ、今では高層マンションが立ち並び、ショッピングモールやいくつもの飲み屋が出来、
震災前とくらべると全然違う街の様相となっている。

まず、一軒目で軽く腹ごしらえとビールでほろ酔い気分で店を出て2軒目に突入!
この2軒目は昔、俺様が行ったことのある地酒と焼酎の専門の
店である。日本酒好きの俺様は調子よくグビグビ飲んだ。
焼酎好きの代表もグビグビ飲んで話が弾む。

しかし、俺様トイレに行って帰ってきて席につくや否や
なんだか急激に良いがまわって来て、「うっ・・・ヤバイ・・」
と再びトイレに駆け込み胃の中のものを大放出!!

で、トイレからもどってくると小林代表はお勘定をすませ
帰ろうか!でお開きとなった。
一軒目をおごってもらい、2軒目は俺様がおごります!なんて
大口を叩いた俺様であったが、結局2軒ともご馳走になってしまった。

そして、ここから家まで距離にして200メートル足らず、
時間にすれば5分とかからないはずなのに・・・・
部屋にたどり着いたのがなぜか2時間後であった・・・
俺様不覚にも記憶が定かでない・・・久しぶりにめちゃくちゃ酔っ払った夜であった・・・・ちょっと反省!!

2004/08/22(日) 17くらぶ 冷麦パーティー
今日は17くらぶの稽古であった。
谷川俊太郎詩集の「ことばあそびうた」を使い
楽しい稽古が進んでいった。
日本語の持つ、美しさや面白さ、アクセントの重要性
意味、リズム、などを彼らは今日の稽古で感じてくれたことだろう。

そんな、稽古で汗を流した後に、今日は前回の稽古で小林代表が
みんなに冷麦を作ってふるまってあげると宣言していたので、
倶楽部員一同大変楽しみにしていた冷麦パーティーの始まりであった。汗をかき熱くなった身体に冷麦はツルと美味しくいくらでも入っていく。なにしろ、みんな食べ盛りの10代真っ只中である。一回目に作られ運ばれてきた冷麦はまさに秒食とでもいう
ぐらいの短時間で皆の胃袋におさまった。
小林代表、更に2回目を湯がきに台所にいく・・・・
2回目もあっという間になくなる・・・
小林代表3回目をゆがきにいく・・・
これも、かなり速いスピードでなくなる・・・
小林代表、4回目を湯がきにいく・・・
やっと、みなの食べるスピードもおちついて小林代表自身が
冷麦にありつけた!

いや〜しかし、10代とはすごいものである。
パーティーといっても当然10代なのでお酒などはなく
飲み物はお茶であるのだが、彼女達が時間を経過するにしたがってどんどんハイテンションになっていく様は、まるで酔っているのかと錯覚するほどである。
彼らの食欲とハイテンションを是非芝居のパワーにかえて面白い発表会としたいものだ。

2004/08/19(木) 盆休み明けの稽古
この日は盆休み明けの初めての秋公演の稽古であった。

前回の稽古で皆、たくさんのダメ出しをだされて
今日はかなりみんな役作りに頭を悩ませたことだろう。
なんとなく、稽古場の空気が緊張ではりつめていていい感じだ。

うさぎ役のHさんも随分とこの前の稽古よりパワーアップして
いる。演出のダメ出しにもへこたれることなく稽古に打ち込んでいる姿は、よい未来を予感させるものである。

他の倶楽部員たちもかなり今日は気合をいれて稽古にのぞんでいるようだ。

どんな芝居だって簡単に作り上げることは出来ない。
だからこそ、俺様のような飽き性な者でも15年以上も続けてこられたのだと思う。それほど、芝居作りはおもしろいのである。

毎回毎回、新たな発見や新たなものを作る喜び、ライトを浴び
お客さんの前に立つ快感。などなど、その魅力をいえばきりがない。そして、もちろんそれらの喜びや快感を得るために乗り越えなければならない壁が幾度も立ちふさがるが、決して怯まない
強い意志で壁をぶち壊さなければならないのだ。

秋公演に抜擢された倶楽部員達も決して怯まずにこの調子で
前に前に突き進んでほしいのだ!!

2004/08/16(月) 高山観光!そして、100円ビールが俺を呼んでいる
5時30分起床!
小林隊長の姿がすでに無い!!
さすがに早朝登山で鍛えた肉体は早起きである。
すでに朝市に一足先に出発したようだ。
俺様を伊藤隊員もすぐに小林隊長の後を追った。

6時に高山名物の朝市の開かれている川沿いの場所にたどり着いた。俺様は高山の朝市は初めてである。
というか、登山の時にはいつも高山はあっさり通り抜けているので観光なんてしたことないのが実情だ。
今回は日程に余裕があるので最後に高山の朝市を楽しんで帰ろうということになったのだ。もっとも、小林隊長や伊藤隊員は
高山ではいつも朝市を楽しんでかえるそうであるが・・・

しかし、早朝からすごい人出にビックリしてしまった。
高山にこんな世界があったとは知らなかった。
出店をしている人達はほとんどがお年をめした女性であるが
中には寅さん風のおじさんもいて面白い。
野菜なんてめちゃくちゃ安い、おみやげ物はそれなりの観光客相手の値段だけど、見てると面白い。

出店だけでなく普通のお店も軒を連ねていて同じように早朝から
あいているのでいろいろ入ってみると面白い店がたくさんあった。そんなことをしてうろうろしていると、ほどなく小林隊長発見!!わいわいと3人で朝市を気がつけば3時間近くうろちょろ
楽しんだのであった。

そして、10時31分高山発、美濃太田行普通列車に乗って神戸に
向かったのである。
7時間40分ごに無事神戸到着!!
小林隊長が芦屋駅についた頃
「村井ちゃんこいくか!」
俺様の答えは火を見るより明らかである。
「100円ビール!!ちゃんこ一番!!行きましょう!!!」
伊藤隊員
「え〜・・・まだ、ビール飲むの?・・・昨日焼肉たべたやん。」
とあきれてものも言えないという表情である。

小林隊長と俺様は最強のワイルドコンビである。
したがって胃袋も最強!ビールが俺達を呼んでいるのである。
これは運命、逆らえないのだ!!
ということで、めでたく今日もちゃんこで打ち上げで大盛り上がりなのであった。

めでたしめでたしのふぉるむ登山隊夏の北アルプス山行も
無事終わったのであった。

2004/08/15(日) 焼肉
★下山の日

山行も4日目ともなると目覚ましを使わなくとも
自然に目がさめるのである。
横に眠っている伊藤隊員と小林代表はまだ目覚めていないようだ。起こそうかとも思ったが窓の外は激しい雨なので
なんとなく布団を出るのが嫌だなぁ〜なんて思いながら
布団の中でうとうと1時間が過ぎた。

午前4時、伊藤隊員が今何時?とついにお目覚めのようだ。
時間を知らせると、あら大変とばかり起き出した。
続いて小林隊長もお目覚め、仕方なく俺様も布団から出る。
窓を叩く激しい雨音に3人の気持ちもなんとなく浮かないもので
ある。しかし、行動を起こさねば物事は進まないのである。

朝飯をくって、ザックカバーを装着、カッパを着込み完全防備の
いでたちで午前5時50分、双六小屋を新穂高バスターミナルに
向けて出発である。
いざ、歩き出すと激しかった雨も普通の雨模様ぐらいに
弱まり、土砂降りの中を歩くことを覚悟していたので
なんとなく得した気分で楽に歩き出せた。

俺様の膝もとりあえず痛みも随分取れてなんとかなりそうだ。
もちろん今日はサポータタイツははいている。

双六小屋から鏡平小屋にむかうコースはシシウドやトリカブトなどが群生していてきれいである。太郎平や黒部五郎岳に向かう
ところではすでに花が終わっていたコバイケイソウもたくさん
咲いていた。

1時間ほど歩くと眼下に早くも鏡平小屋が見えてきた。
この頃になると雨の方ももうすぐ止むことが予想されるほどの
小雨模様となってきた。
雨はふっているが幸いガスはなく槍ヶ岳や西鎌尾根や東鎌尾根の
ゴジラの背中のような風景が間近にせまってみえている。
そうこうしているとほどなく7時45分に鏡平小屋到着。

曇っていることが逆に幸いして、鏡池に見事に逆さ槍が写っている。丁度お腹もすいてきたので、三人そろって小屋のラーメンを
食べることにした。このラーメン実に惜しい!スープは美味しいのだが、残念なことに麺湯がきすぎであった。
そんなことを心の中で思いながら完食して、8時25分今度は
わさび平小屋の冷麦をめざして下山に取り掛かった。

ここからのくだりは大きな石が登山道にゴロゴロしていて
段差の多い道なので、やはり膝を痛めてしまった俺様の脚には
また、苦痛を伴うものとなってしまった。
2年前は1時間40分ほどで下った道なのだが、今回はなんと4時間も
かかってやっとのことで12時30分にわさび平小屋に到着した。
小林隊長は脳内がビールをもとめているので、
俺様と伊藤隊員をかえりみずに引き離し
一時間も早くわさび小屋に到着。俺様達がついたときには
すでに冷麦を完食してビールを何本か飲んでしまっているようで
絶好調のご機嫌さんである。
ほんとに、今回の小林隊長は早朝登山の成果を存分に発揮したようである。

俺様も名物の冷麦を食べ、ワインを飲み、伊藤隊員は残っている
食料をザックから取り出し腹ごしらえをして、1時40分に
新穂高めざして歩き出し一時間後無事新穂高バスターミナルに
到着した。そして、バスターミナルにある無料温泉で汗をながし
スッキリして高山に向かうバスに乗ったのである。

さぁ、これから高山で打ち上げ&観光だ。

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★焼肉

新穂高発高山行 16:40分のバスに乗り、18:15分に無事
高山に到着。

高山到着寸前に車窓から見えた一泊3600円の看板を掲げた
ビジネスホテルを小林隊長は見逃さなかった。
バスを降りるや否や三人は最短距離でそのビジネスホテルに
向かった。先ずは今夜の宿を押さえるのが何よりも先決である。

受付で部屋はあるかと聞くと3600円の部屋は一つしか残ってないそうだ。しかし、2人〜4人用の和室ならなんと1人3300円で
とまれるそうだ。俺達は雨風をしのげて眠ることさえできれば
それでいいので、その部屋に即決した。

部屋が決まれば、今回の山行の打ち上げに焼肉宴会はふぉるむ登山隊の定番である。
まず、ロビーで受付のおばさんに美味い焼肉屋は内科と聞くと、
JAの直営店の美味しい焼肉屋があるとおしえてくれた。
いってみると、すごい人で待ち時間30分以上まった。

そして、案内された席はなんと個室でトイレまでついている
部屋であった。メニューを見ると確かに安い。
しかし、みんなの所持金もかなり少ないので
いかにして安くたくさん食べ飲むか!ということに
頭を働かせた結果、ファミリーセット(4人前の肉、サラダ、ご飯
デザート)とビールとした。
これが、なかなかの量としかも、JA直営だけあって美味い!
どおりで、お客さんがわんさかくるわけであると一同納得!!

胃袋満タンにした三人は満足の内にビジネスホテルに帰り
眠ったのであった。もっとも、酔っ払った俺様はいつ眠ったのか
記憶になく朝目覚めたのであるけれど・・・・

2004/08/14(土) 空に暗雲・・・そして、俺様の膝にも暗雲たちこめる・・・
★魔の手が忍び寄る・・・・

午前三時に腕時計のアラームで起床。
テントの外に顔をだすと空はとりあえず晴れているが
これから悪天に向かうだろうと予想できるあまり嬉しくない
雲がでている。

今日の出発は午前五時半の予定だ。
フライシートを撤収、テント本体は5時頃まで撤収せずに
その中で伊藤隊員の準備を待つことにした。

5時トイレに行くため山小屋にに行くと、伊藤隊員が窓から
手をふっている。話を聞けばもう朝食もすませて出発準備は
ととのっているとのこと。
トイレを済ませた俺様は山小屋で作ってもらった弁当を受け取り
テント場にもどりテント撤収を済ませ再び山小屋に小林隊長と
向かった。

予定通り午前5時半
三俣蓮華岳→双六小屋→鏡平小屋→わさび平小屋→新穂高バスターミナルというコース走破を目指し歩き出したのである。

まず、三俣蓮華岳を目指すのだが、いきなりの急登である。
大体3時間ぐらいつづくようだ。1時間ほど歩いたところで
すでに俺様の胃袋はグーグーと鳴りはじめた。
腹が減ってしょうがないので急登が一段落ついたところで
山小屋弁当を食べることにした。太郎平小屋の弁当はおにぎり二つで800円だったが、黒部五郎小屋の弁当はごはんもたっぷり、
おかずもたっぷりの幕の内弁当風で1000円である。たった200円の違いだが内容は天と地ほどちがう。
味もなかなか美味しく満足の内に完食!

再び歩き出すが、天気の方が思わしくない。
剣岳に朝かかっていただけの雲が今では空全体を覆い
風もでてきた。雨が降るのはもはや時間の問題である。

そして、それよりも恐ろしいことが俺様に忍び寄っていることなど知るよしもなかった・・・

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★空に暗雲・・・そして、俺様の膝にも暗雲たちこめる・・・

ひたすら三俣蓮華岳をめざして登り続ける裸の猿の一行であった。
2000メートル以上の山域でも八月で太陽の光の下でなら歩いている時はかなり熱いのだが、
今日はくもりでまた、寒冷前線の影響で冷たい空気が流れ込んでいる為、
しかも、風も吹いているためかなり体感温度は低い。
三俣蓮華岳の手前の小ピークで三人ともたまらずカッパを着込むことにした。
これで、寒さを解決してまた、三俣蓮華岳を目指し
登りだす三人であった。

実はこの時、俺様はなんとなく自分の膝に違和感を感じ出していたのだが、
まぁ、心配するほどのことではないだろうと何の処置もせずに歩き続けたのであったが、
これが大きな間違いであることに気づくのにそう時間はかからなかったのである。

登り続けている三人は空模様がどんどん下降していくのを感じ
この分では双六岳の頂上を踏んでも景色は期待できないと思い、
時間短縮のため頂上を踏まない巻き道をとおり双六小屋を目指すこととした。

小林隊長は今日も絶好調でトップで飛ばしていく。
分岐があらわれ巻き道を選び進んでいくこと3分、
前から引き返してくる登山者と俺様と伊藤隊員が会話を交わすと、
その登山者は巻き道だと思い歩いていたが、
どうやらこれは頂上を踏むコースであることに気づき
早々に引き返しているのだというではないか。
あわてて、先を行く隊長に大声で知らせ、俺様達三人も引き返し三俣蓮華岳の頂上から分岐している正しい巻き道に向かった。
ほんのわずかな距離を引き返しただけだが、一度進んだところを引き返すのは精神的に疲れるものである。

ほどなく、三俣蓮華岳頂上に到着、
しかし、このあたりからついに雨が降り出し、
おまけに強風でガスもあり景色はまったく望めない。
早々に頂上から双六小屋に向かう急斜面を下降した。

この三俣蓮華岳を下る道は以外にも高山植物が咲き乱れ綺麗で
ある。しかし、この急斜面を降りることでついに俺様の膝に
決定的なダメージが与えられてしまったようだ。
斜面を降りきった三俣分岐の道しるべがあるところで
俺様は普通の歩行スピードで歩けなくなってしまった。

ここからは、少し進んでは立ち止まりの繰り返しで
これは、今日中に新穂高まで下山するのはとても無理だと
判断せざるを得ない状況だとおもい。
そのことを、俺様のすぐ前を歩いている伊藤隊員に知らせた。

小林隊長はそんなこととはつゆ知らず、快調にトップをとばしていく。とても追いついて知らせることは不可能なので
双六小屋についたところでその旨をしらせ。
今日は双六小屋に全員泊まりましょうと言う事にした。

この膝痛かなりの重症のようでしまいには膝痛のある右足の
踏ん張りがまったく利かなくなってきてしまった。
仕方なく左足を酷使しながらの歩行になる。
最後の双六小屋手前の急斜面の下りは普通なら15分もあれば下れるところを40分ぐらいかかってしまった。

やっとのことで双六小屋にたどりつき、一足先にたどり着いた伊藤隊員が小林隊長に状況を伝えてくれていた。
さて、今日は下山を諦め双六小屋宿泊となったのである。

しかし、山小屋というのは快適なものである。
今日は悪天ということもありお盆のわりに登山者が少なかった為に布団も1人一枚を使えるというラッキーぶりである。

就寝まではたっぷり時間がある。なにせ、小屋に到着したのが午前10時過ぎである。
そうなると、やることは一つ!!
双六小屋名物おでんを食べて生ビールである。
伊藤隊員がおもわず「ビールなんて身体を冷やして膝にわるいわよ!」とごもっともな意見である。
しかし、俺様の耳はそのとき“耳東京”でまったくその声は
とどかなかったのはいうまでもない。

生ビール中三杯とおでん&小林隊長のもってきたおつまみを食いつくし、ご機嫌で眠りについた俺様であった。
膝痛が明日の朝目覚めれば治っていると脳天気に信じて
おやすみなさいなのだ。

そして、外は激しい滝のような雨が降っていた・・・

2004/08/13(金) 10時間
★目を覚ました裸の猿

早朝三時、まだ太陽が昇るおよそ三時間前に
はだかのマウンテンゴリラとはだかのチンパンジーが
目を覚ました。

テントから顔をだすとまるで宇宙空間に飛び出したような
錯覚をおこすほどのおびただしい星が瞬いている。
5分間ぐらい空をじっと眺めていれば、宇宙空間から地球の大気に突入する星屑を見ることだって出来る。
本当に銀河系の中に浮かぶ星にいるのだと実感できる
貴重な瞬間だ。
しかし、そんな星にいつまでも見とれているわけにも行かないのが
ワイルドなテント泊山行の宿命である。

まず、最初に取り掛かるのが昨日寝る前に飲んだビールや酒の
変化したものを我が膀胱から放出するためにトイレに向かう。
これは、まぎれもない地球環境汚染だが、俺様にはどうすることもできない何億年も続いてきた生物の性である。

スッキリしたと同時に貴重な体温を放出したために
アルプスの午前三時の気温2度は毛のない猿にはかなり寒いが
気合を入れてテントを大急ぎで撤収する。
この太郎平のテント場でテント撤収はどうやら俺様達が一番のようだ。一時間後テント撤収をすませ20分先の距離にある伊藤隊員のいる太郎小屋に向けて出発した。

4時20分に太郎平小屋にほどなく到着、しかし、伊藤隊員との待ち合わせ時間は6時半である。時間があるのでザックの荷物整理と
今日の飲み水を沸かして殺菌して茶を作るなどして時間を
有効利用する。
5時52分、2匹の毛のない猿がオレンジ色に輝く巨大な星の光に
照らされると同時に震えていた身体に力がみなぎり
今日の目的地、黒部五郎岳にむけ闘志がわいてきた。

10分後、伊藤隊員が「早いじゃない。」とあらわれた。
そして、予定より30分早く黒部五郎岳に向けて
3匹の毛のない猿は元気よく出発したのであった。・・・
しかし、この黒部五郎岳越えは予想を上回るものであることを
この時、この猿達はまだ気づいていなかったのである。

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★10時間・・・

昨日につづき晴天この上ないという最高の状態のなか
まずは北ノ俣岳にむかう登山道をのんびり悠々と歩いていた。
このあたりの風景は穏やかでまさに癒し系の柔らかな風景である。8時28分にほどなく北ノ俣岳に到着。
白山、御嶽山、乗鞍岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳、剣岳、薬師岳などなど
360度の大パノラマが眼前に広がっている。
これほど全ての山に雲もかからずに見渡せることなど
そうそうあるものではない。俺様もこんな素晴らしい眺めははじめてである。

小休止のあと順調に歩を進め赤木岳を越え、10時ごろ中俣乗越で
ランチタイムで30分休憩した。
ここから10分ほど進むと地塘があり、小さなピークを越して
ついに、黒部五郎岳アタックである。
なかなかの急登で、GW山行の大天井岳の登りに少し似た感じだ。
13時、少し疲れたがほどなく黒部五郎岳アタック成功。
ここでもやはり雲もガスもない360度の大パノラマである。
ここまで来る間に抜きつ抜かれつしながらやってきた
他の登山者達と会話を楽しんだり、グレープフルーツを
振舞ってもらったりして楽しいひと時を頂上で過ごしたのち、
他の登山者の多くは頂上を取って返して黒部五郎のカールコースを、ワイルドな俺様達は一般的ではない稜線コースで今夜の
幕営地を目指した。

頂上から幕営地である黒部五郎小屋がよく見えているので
大して時間はかからないだろうなんてのん気に歩き出したのだが・・・それは、大きな誤算であった・・・
この稜線コース、岩場の連続ですでに7時間行動して来たテント泊の重いザックを担いだ疲れた肉体にはかなりハードであった。

アップダウンを何度も積み重ねやっとのことで15時40分に
幕営地到着。

この黒部五郎のテント場は地塘にあるのですごい湿気で、
あまり快適でない。小屋どまりの伊藤隊員も小屋には宿泊者が
大勢いて2つの布団を3人で寝なければならないようである。

そして、今日も無事目的地にたどり着いたことを祝い
3人でビールを片手に小宴会!
そして、明後日から天気が崩れるらしいので、
明日は一気に三俣蓮華を越え双六岳を越え新穂高まで下山してしまおうと予定を変更することにして皆就寝したのであった。

2004/08/12(木) 裸の猿御一行様の旅立ち
2004夏、ふぉるむ登山隊黒部五郎岳の巻の始まりだ。

ワイルドな俺様としたことが、贅沢にもα1(アルファ・ワン)
というビジネスホテルに4980円も出して泊まって
熟睡して体調バッチリで朝4時に目覚めた。

5時44分の立山行急行に乗るべく5時10分ごろ改札前に行き
小林隊長と伊藤隊員を待つことした。
5時半頃に両隊員も元気はつらつ気合充分アドレナリン充満の
面持ちで駅に現れ無事合流して、いざ出発だ。
有峰口に6時21分に到着して、バスに乗り換え登山口である
折立に向かい7時40分に折立到着。
準備運動、トイレをすませ8時10分についに登山開始だ。

2年前、単独行で今日のコースは経験積みである。
その時のザックの重さは25キロであった。
しかし、テント泊山行を重ねる度に軽量化をはかり
今回は飲み水を含め19キロである。
したがって、非常に楽だ。20キロ以上の荷物を背負う時は
膝痛予防のためにサポータータイツをはくのだが、
今回は軽いし、前回の春山テント泊山行でも膝痛にはならなかったので、ザックのサポータータイツをはかずに出発することにした。しかし、この考えが後で大きなしっぺ返しとなって帰ってくるなど、この時俺様は考えもしていなかった・・・

今日は雲ひとつないといっていいほどの晴天である。
気温はそれなりに高いが湿度が低いので止まれば途端に汗が引き気持ちいいのだ。したがって足も快調に進む。

今日の目的地の太郎平までの丁度中間点あたりで
伊藤隊員が昨日の夜、おすし屋さんで握ってもらった寿司を
3人でほおばり、エネルギー充電。
それまで、小林隊長がトップを快調にとばしていたので
今度は俺様が交代して、今日の体調を確かめるべく
トップでとばしてみることにした。
やはり、ザックが25キロと19キロでは偉い違いである。
肩の痛みはほとんどなく、前を歩く人達もごぼう抜きである。
30分ほどとばしたところで休憩して小林隊長と伊藤隊員を
待つことにした。15分ほどすると二人が現れ3人で休憩して
また、三人ペースを合わせて登ることにした。
天気は最高、俺様の脚も絶好調!!今回の山行は楽勝だ!!
なんて、思っていた俺様は・・・最後の2日間地獄を見ることに
なるのであった。・・・

さて、そんな未来など想像だにしない俺様達は12:30分に
無事太郎平到着して、何はともあれビールで乾杯!!
あっ、ちなみに小林隊長は太郎平まで後二キロの表示をみるや
いなや一刻も早くビールがのみたい一心で少しバテ気味の
伊藤隊員のペースを無視して、爆走登山であっという間に
俺様と伊藤隊員を引き離し10分ほど先に到着して
さっさとビールを飲んでいた・・・
そして、後から到着した俺様達にビールをおごってくれた。
伊藤隊員は思わず「まぁ、それぐらいしてもらわなきゃね!プンプン」みたいな・・・でした。
そんなこんなで今日のコースを無事にこなしたことを祝い
大いに三人ビール片手に盛り上がり、伊藤隊員は小屋で夕食を
俺様達は20分先のテント場にむかいお互いの食料を出し合って
ラーメン鍋とビールで夕食をした。
そして、明日朝3時起きなので暗くなるや否やテント組みは
夜7時に就寝したのであった。

※ 写真の日付は全て2日間ずれています。時間はだいたいあってます。よってこの写真の本当の日は12日ということになります。

8月絵日記の続き


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