今日感じたこと。
菅が今日一日で感じたことや行動したこと、出来事などを書き溜めていきます。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年9月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新の絵日記ダイジェスト
2004/12/06 日記は「体操ブログ」へ移行します。
2004/12/03 おのみち体操教室で
2004/11/30 看板を何とかしたい
2004/11/29 多くの方にホームページを見てもらっています。
2004/11/28 広島県ジュニア体操競技共演・選手権大会が終わりました。

直接移動: 200412 11 10 9 8 7 6 月 

2004/09/29(水) 松葉杖が折れた。
女子の選手で、足首を捻挫して、松葉杖を使用している選手がいます。
練習中にけが人が出た場合は、上畠接骨院にお願いするのですが、ここの先生は、足を固定する必要がある場合は松葉杖を貸し出してくださるのです。
昨日は雨が降っており、この選手が学校で松葉杖を使用していたのですが、滑って転んでしまい、松葉杖を折ってしまったのです。
大きな怪我につながらなかったの幸いでしたが、木で出来ているとはいえ、松葉杖が折れるほどの衝撃があったのかと思い、本人に確認してみると、けろっとしていました。
今度の松葉杖は金属製でした。
その接骨院では松葉杖を折ったのは二人目だそうです。

また、台風が来ています。
今週の土曜日と日曜日は中学生の県総体がありますが、練習が出来ないのは痛いです。女子は自由のチェックの予定でした。

2004/09/26(日) 25日の土曜日は
男子選手とアクロバット教室担当の美行先生が広島で開かれている講習会に参加のため、私が担当しました。

エピソードを二つ。

男子選手が床運動でロンダード後転とび後方伸身宙がえりの練習中、着地の時に何か飛んできた物があったので、よく見ると、ぬるっとした青ばな(鼻水)でした。宙返りをした勢いで飛んでしまったのですが、本人は何も気が付いていなかったのです。

アクロバット教室が半年続きましたが、今回が最後となりました。
もともとは、10人以上いたのですが、側宙ができるまでという事で始めたクラスだったため、途中で側宙が出来た生徒や、退会した生徒などもあり、最後まで残ったのが3名でした。
全員が体操の経験はなく、体力もそんなにあるほうではなかったので、われわれ指導者が考えるほど簡単には側宙はできませんでした。
おそらく保護者の方も「いつ出来るんだろう」と思っていらっしゃったと思います。
そして最後の日、私が担当して二人はほとんど出来ている状態だったので、少し補助をして練習をした後「一人でやってごらん」と促すと、始めに一人の子が出来て、後からきた子も出来るようになりました。
結局3人のうち2人は出来てしまいました。
この二人はすでにできる状態にあったのですが、最後の一歩がなかなか出ずに足ふみしていたのです。
それが、今日が最後という事で、自分の中で決意のようなものがあったのではないかと思います。

この体験から、期限を決めることが大切だなと強く感じました。
何かをしようとしたとき、目標を決めますが、その目標を達成する時期まではなかなか決めにくいものです。
しかし、本当に実現しようと思うなら、期限を切ることが大切のこととなります。

こども達から教わったことです。

2004/09/22(水) 発表会と交歓会の準備で
10月10日に開催される第26回発表会の準備と、三原市体操協会のイベント「三原市体操協会 体操・新体操交歓大会」の準備が重なって、少し困惑気味です。
交歓大会は11月7日開催予定なのですが、参加者を募集することが最重要課題です。
新しいことをはじめるにはエネルギーが必要ですね。
幼稚園・小学校にもお願いしようと思っています。

毎日新聞記事 第2弾
明日の木曜日の毎日新聞に私に関する記事が掲載されます。
先週掲載された記事の続編です。

2004/09/15(水) 明日の毎日新聞で
明日16日(木)の毎日新聞に私(菅)に関する記事が掲載されます。
長い時間をかけた取材による記事で、1回では掲載できないということで、2階シリーズで掲載されるそうです。
2回目は来週の木曜日の23日の予定です。
体操教室を始めるにいたった経緯や、私たちが変わらず持ち続けている夢などについても語っています。
そして、体操を通じて何を伝えたいのか、また何がわかったのかなどを記者の方にはお話をさせていただきました。
おかげで、初心を思い出し、とても新鮮な気持ちになりました。
また古い写真を引っ張り出してきて、自分の選手時代の思い出などもよみがえってきました。
とてもよい機会を与えてくださったと感謝しています。
時期的にも、オリンピックの影響なども考えるとグッドタイミングではないかと思います。

2004/09/12(日) バイオフォトニックスキャナー
体内の活性酸素の量を検査するサービスが始まると新聞記事にありました。検査キットを購入し、自分の尿を採取し郵送すると、検査結果を1週間後くらいに送ってくれるサービスだそうです。この会社は自分の血液を採取し送ると検査結果を送ってくれるサービスも展開中とのこと。病院に行かなくても各種検査ができるようになったことはよいことですね。しかし、病院の検査もですが、時間がかかりますよね。
先日「バイオフォトニックスキャナー」という機会の説明会に参加しました。
アメリカで開発され多数の特許に守られている機械だそうですが、手をかざすだけでその人の抗酸化力(活性酸素に対する抵抗力のようなもの)が3分間でチェックできるというものです。
抗酸化力がわかるということは免疫力もある程度把握できるということですよね。ということは病気になる可能性も・・・
心癒功(気功)の指導をしている私にとっては、どうしても手に入れたい機械です。
なぜなら、心癒功を習う前に抗酸化力をチェックし、心癒功を習って3ヵ月後ぐらいに再び抗酸化力のチェックを行えば、抗酸化力が向上しているはずなのです。あくまで仮説ですが。
このことを実証してみたいですね。
また、食事の内容の良し悪しもある程度判断できます。野菜や果物が充分かそうで無いか等。
また、医薬品を摂ると(薬を飲む)どうなるか。サプリメントを摂るとどうなるか。また、サプリメントの種類によっても効果の違いもわかるでしょう。
すごい機会ですよね。医療業界が変わるかもしれませんね。

2004/09/09(木) 台風18号で体育館の屋根が一部飛んでしまいました。
大きな被害を残した台風18号ですが、菅体操スクールの体育館の屋根が一部飛んでしまいました。
朝体育館に行って外から見たのではわからなかったのですが、となりにお住まいの方が、昨日は大変だったと言われ始めて屋根が飛んだことがわかりました。お隣にも迷惑をかけたことと思います。
不動産屋に電話して修理をお願いしたのですが、いつ直して貰えるのか見当がつきません。
明日から雨になるということで早く手を打たなければなりません。
何年か前にも大きな台風がきて、屋根が飛んだことがありました。
この時は、徹夜で雨水を集めて汲み出しました。
器具が濡れると使い物にならなくなる可能性があります。

2004/09/08(水) 三原体操クラブのOB達が集合
三原体操クラブの男子のOBが全日本インカレ終了後解散となり、故郷へ帰ってきました。
九州東海大学4年生の青木良太君、そして青木君の弟秀治君、九州共立大学の1年生黒岩観西君の3人が集合しました。
大変懐かしく、みんな話が弾んでいました。
先輩たちが帰ってくると、今の選手たちはある程度の緊張感と、普段とは違う気持ちになれる様で、練習も違います。
時々このような刺激がほしいものです。
九州東海大学に行った青木君は、就職も内定し、大学生活も充実していたということで、一安心です。
本人も大学に行ってよかったと本心から喜んでいました。
確かに、大学でしか学べないものもあります。
私自身は大学へ行っていないので、具体的にはどうこうはいえないのですが、教え子の様子を聞いてみるとまさにその通りだと思います。
三原体操クラブの考え方は、大学4年生まで現役でがんばれる選手を育てることです。そして、自分たちの経験を子供たちに伝えてくれることを願っているのです。

2004/09/07(火) また台風です。
また強力な台風がやってきました。
ちょうど三原は午後3時前後が強風と雨ということで、レッスンと練習はお休みにしました。
保護者の方の中には「今日はレッスンはどうなるのでしょうか」というお電話も頂きました。
確か10年ぐらい前だったと思いますが、夕方から台風が接近して来るのを私自身が認識していなくて練習を普通どおり行ったのですが、その当時は福山市や尾道市から通ってくる子供もいて、迎えにきたのはいいが国道が封鎖され帰れなくなった事がありました。
この出来事以来、台風にはより注意を払って早めに手を打つようにしています。
今回もどうなるかはわからないのですが、早めに中止の連絡を出しました。
結果的には、2時間ぐらいの間風が強かったのですが、その後は普通に戻りました。これでよかったと思っています。
しかし、今年は本当に台風の多い年ですね。

2004/09/02(木) 昨日の続き
毎日新聞の取材を受けている間に色々なことが思い出されて、懐かしく感じました。
その中で、三原体操クラブの出身者でオリンピック選手はいないかと言う質問がありました。
実は当クラブの出身者でオリンピックに出場した選手がいるのです。
三浦華子さんですが、彼女は東広島市出身で小学5年生まで三原体操クラブの選手でした。
お父様の転勤で、東京へ行くことになり、どうせ行くなら日本一のクラブへと朝日生命体操クラブへ紹介しました。
朝日生命体操クラブ日の監督の塚原光男さんとは河合楽器時代で同室というよしみで頼みやすかったこともありました。
そこで彼女はがんばって選手コースに入り、ついにはオリンピックへ2度も出場するという選手になりました。
今現在三浦さんはアメリカで体操指導をしています。
この三浦さんが、小学3年生のときだったと思いますが、地元の新聞社の取材で、「オリンピックに出たい、アジア大会に出たい」とコメントしています。事実アジア大会も出場を果たしています。
すごいことです。

2004/09/01(水) 毎日新聞社の取材を受けました。 頼もしい選手。
毎日新聞の備後版で「備後に生きる」という欄があります。
この欄のための取材を受けました。内容はかなり長い文章で、人間の生き方など深く掘り下げた内容になっています。
今日の取材でも、長い時間お話をさせていただきました。
体操教室を始めた頃の私のおかれていた状況や、考え方、そして今にいたるまでの軌跡なども詳しく取材されました。
今日1日では時間が足りないので、明日も見えるかも知れません。
私の考えていることをまとめていただき、新聞という媒体で発表していただけるなんてとても光栄なことだと思います。


特訓コースに頼もしい選手が。

体力づくりコースから選手コースへ移行する段階に特訓コースというコースがあります。
このコースで練習をしている藤本朱音ちゃんは、お母様に、オリンピックで金メダルを3つ取ると言っているそうです。
一つはお母様の為に、二つ目はお父様の為に、そしてもう一つは自分のためにとるのだそうです。
すごいことですね。
お母様としたら、この子は何もわからないでこんなことを言うんですよ。と困惑顔ですが、私から見れば、なんとも頼もしいと思いました。
なぜならば、私はオリンピックに行くと言った人がオリンピックに行けると考えています。
だから、朱音ちゃんはオリンピックに行ける可能性を待った子どもという事になります。
みんながオリンピックに行きたいといったらどうなるのでしょうか。
わからなくなりました。
でも、本気で心からそのように思える子は少ないと思います。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.