今日の音楽論
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2003/09/20(土) F.ディースカウ
なんという美声だらうか。
これほど穏やかで感情豊かな声があるだらうか。

ということで、わたくしはバリトン歌手であるF.ディースカウが好きなんである。今わたくしはディースカウの歌っているアリアを聴いておるわけだが、このリヒターが指揮しているマタイ受難曲が好きで好きで仕方ない、死んだら墓にいっしょに埋めてもらいたいぐらい好きなのは、ディースカウがバスアリアを歌っているから、というのが理由の30%を占めていると思う。マタイ受難曲というのは全体として非常に悲痛な作品であるが、このディースカウの声が入ることで、悲痛な中の一縷の望みである「安らかに眠れ」というのが、本当にもう「ああもう苦しまなくてよいのだ」と思わせてくれる。私は日常とくに苦しんではいないが、この声には本当に癒される。

ディースカウは基本的にリート歌手だ。なので宗教作品より歌曲をたくさん歌っているに違いない。なので探してみたのさ。探してみると、あるわあるわ。宝の山だわ。ザクザクあるわ。ということで、ディースカウの美声に浸るため、1年ほど前にシューベルトの「冬の旅」とあともう一つ何かを買った。
結果、好かぬ。というか「あともう一つ何か」などと言って作品名を覚えていない時点でアウトだ。何が原因かというと、私はシューベルトが嫌いなんであった。

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むかつく演奏。
そういうのが世の中には多くはびこっているんである。むかつく演奏というのは、何がどうむかつくのかと聞かれると答えに窮するのであるが、一言でいうと「癇にさわる」ような感じか。今日わたくしが購入したフランツ・リスト「ハンガリー狂詩曲」についても、車中で鑑賞しながら、何度デッキから取り出し窓から投げ捨てようと思ったことか。ピアノの演奏というのは、だいたい頭の2〜3小節を聴いたらそのピアニストがこれからどういう演奏をするかがわかるのだ。「いやいや、これは何かのマチガイだ」と思って根気よく半分ほど聴いたとしても、マチガイであった試しはない。
以下、むかつく演奏をする人を挙げてみやう。
ジョルジ・シフラ
ジョン・オグドン
ロベルト・シドン

他にもたくさんいるが、まあこの辺が私はむかつくのである。この3名の共通点は、「すべてにおいて作為的である」ということ。和音をわざとばらつかせたり、タメたり、妙にゆっくり弱く弾いたかと思えば次の瞬間に心臓が止まるかと思うほど轟音をたてたり、などなど、とにかく「どや驚いたか」というような下心が見え見えなんである。どういう解釈で弾いているのか尋ねたい。そのフォルティシモの意味は何ですか。そのスタカートにアクセントをつけるのに何か意義があるのですか。秘められたエピソードがあるのですか。誰も知らなかった解釈があるのですか、え?もーこういう演奏の人はみんな突き指したまえ。まむし指になりたまえ。そうすればむかつく演奏が排除できるコンチクショウめ☆

口直しにペーター・シュライアーのメンデルスゾーン歌曲を聴く。フゥ、いい声だ。てっきり死んだと思っていたら、まだ生きているということを最近知った。まだ現役で歌うことが可能で、しかも今度来日するというではないか。いいなぁ。聴きたいなぁ…。


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