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2004/03/02(火)
洋子さんのこと。
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ただ話したい話を話すことって、なんだろう。自分の中で既に何度も繰り返して、記憶というよりは物語として定着してしまった。けれど、それだけでは飽き足らず、まだ誰かに聞いてもらいたい気持ちはなんだろう。
学生の頃、パチンコ屋でバイトしていた時、古株の洋子さんには本当に可愛がってもらっていた。洋子さんは当時42、3歳だったと思う。色が白くてちびっこくって、でも華があって、学生がほとんどのアルバイトと同じユニフォームを着ても遜色なく、ホールのアイドルだった。陽気で世話好きで酒好きで下ネタ好きで、みんなに慕われていた。 洋子さんはパチンコ屋の上の部屋にひとりで住んでいた。 若い頃、舘ひろし似で優しい旦那にすごく望まれて結婚して、娘さんが2人できて、何も不満はなかったのに、看護婦さんをしていた洋子さんは、ある時突然患者さんだった人と駆け落ちをしてしまったのだそうだ。その相手とは長続きせず、その後は職を転々として、ひとりだったり、新しい男ができたりしながら、20年近く家はおろか郷里にも帰らず暮らしてきたと言っていた。 ある日、閉店作業を終えて上の食堂でみんなで一服しているところを、その日は早番だった洋子さんが風呂からあがって通りかかった。洋子さんのすっぴんを初めて見た。年齢以上に老けて見えるその顔と普段見ている顔とのギャップにぎょっとした。みんなもそうだった。特に男の子達は、洋子さんが自室に消えると、思ったことをあけすけに口に出した。 洋子さんは優しかったし意地っ張りだったから、朝から店に出ていてくたびれているはずの時も、みんなに先に休憩をとらせた。そんな人であったけれど、一月に一度は薬を飲んでも布団から出られない状態になった。自律神経失調症なのだと言っていた。病気なのも、すっぴんがひどいのも、夜の仕事を長いことしたせいだと、こんな風になっちゃ駄目だよと言った。洋子さんは市内にマンションを持っていて、なのにパチンコ屋の上に住んでいた。 ある日、洋子さんは、ちょっと付き合ってと言って、私の手をひっぱって公衆電話の前まで連れて行った。娘さんに電話をしたいので、そばにいて欲しかったらしい。どうしても声が聞きたくなって、様子が知りたくなって、出てきてしまってからも旦那がいなさそうな時間を見計らって、頻繁とは言えないまでも電話はしていたそうだ。でも、かける度に相当な勇気がいるのだろう。上の娘さんが私よりひとつ下だった。 電話が終わって、洋子さんが言った。「旦那が出て、帰って来いって。娘ももうすぐ嫁に行くだろう。両親そろって結婚式に出てやりたいじゃないかって。」私は帰ったほうがいいと思うと言った。洋子さんがいなくなっちゃったらすごく寂しいけれど、それでも帰って欲しいと思った。「帰れるわけがない。」と洋子さんは言った。
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