がてんこ、Dig Your Own Hole
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最新の絵日記ダイジェスト
2004/03/11 UFOのこと。
2004/03/10 ああ、そうか。
2004/03/08 正しい人々。
2004/03/07 恵み。
2004/03/06 猫のこと。

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2004/03/11(木) UFOのこと。
 霊の存在を信じていない。霊感の強い友人も少なからずおり、その話を聞けば霊以外の原因で説明のつく現象ばかりでもないのだが、その場に一緒にいても同じ体験ができないのだから、つい別の原因を探ってしまう。目に見えないものだって存在することは知っている。どうやったって観測できないもので世界が充たされていることだってあり得るだろう。でも、霊、とりわけ成仏できずにさまよっていると言われている人タイプの霊はいないと思う。
 このまま放っておいたら300歳まで生きるのではないか、と生前密かに危ぶんでいたほど執着心の強かったうちの祖母が化けて出てこないなんて、本当に霊が存在するならあり得ない。そのことだけで確信に至った。

 地球外生命体の存在は全く疑っていない。科学者の計算する可能性を鵜呑みにしているだけなのだが、そして科学者の計算する可能性も人によってまちまちだし年々変わったりもするのだけれど、何故かするっと信じこんでいる。ヒトよりずっと知的なものもいるに違いないと思う。
 でも、UFOは別だった。どうやって来たの?どうやって飛ぶの?ヒトの知らない物質やテクノロジーを使っているのだよ、と言われると逆にテレビに出てくるような目撃情報はヒトの目でしっかり確認されすぎているような気がして、どうしても信じられなかった。
 ところが、以前哲板に書いたように、UFOの存在を信じられるようになる必要性にせまられたのである。ステディーがUFO遭遇体験者だったのだ。
 付き合いだして1年は経っていたであろうある日、一緒に超常現象を扱った番組を見ていた。私は友人のUFO&霊感青年ホッスィーの体験談を面白おかしく話して聞かせた。その口調から私がUFOの存在をほとんど信じていないことが伝わったのだろう。ステディーは意を決したように幼い頃の遭遇体験を熱く語った。その体験は彼の中でかなり大きな位置を占めているみたいなのだ。
 ピンとこない私を見て彼が悲しそうなので、なんとか接点がないかといろいろ質問してみた。「音はした?」「浮力と推進力はなんで得ていたのだと思う?」音は(昼間見たのは電柱くらいの高さ、夜中トイレに行った時見たのは屋根のすぐ上という至近距離にも関わらず)しなかったそうなので大気を震えさすことなしで飛んでいるらしい。だめだった。いくらなんでも、いきなりピンとはこなかった。
 いろんな資料やいろんな人の証言を調べていると、信じない根拠のないものにもたくさん出会った。その言及している対象がUFOでさえなかったら、疑問も無く受け入れているだろう数々の報告例。自分で見さえすれば信じられるのに、と思ってしょっちゅう空を見ていた。
 その後(初めからすると3年以上経って)、哲板に書き込みをしているうちに地球外知的生命体、飛来していてもおかしくないじゃん、と思えるようになった。でもステディーの不信は解けていないように見える。飛来していてもおかしくないじゃんではまだ不充分なのか、私の当初の態度が忘れられないのか、それとも私は自分が思っているほどはまだUFOの存在を信じられていなくて他人にはそれが分かるのか?

 とにかく、私は今ではもう自然に空を見上げてUFOを探す。UFOの動力についても、新たな物理現象を知るとこれが適用できはしないかと真剣に考える。でも、私達はUFOの話題になるとちょっとギクシャクして、二人ともいつもより少し明るい口調になる。

 スカイフィッシュはいると思っている。しっかりその姿を記録した疑いようの無いビデオをテレビ番組でいっぱい見たから。友達の彼氏が親切に「あれ、至近距離で映りこんだハエが再生時の特性でああゆう風に見えるんだって、テレビでやってたよ。」って連絡してきてくれたけれど、全然そんなの信じられない。だって、トンボはトンボに映っていたよ。
 スカイフィッシュに関しては、二人とも意見が一緒なので問題はないのだ。

2004/03/10(水) ああ、そうか。
 月ちゃんスレのちうとツモぴょんのやり取りを読んで、なんか分かってきたことがある。
 すごく当たり前なのだけれど、私は私の目でものを見ている。それを知っていたけれど、分かってはいなかった。
 
 そういえば、一子相続の家父長制が廃止されたのは戦後のことなのだ。それ以前は「家」を守ろうとすることは当たり前に「正しい」ことだった。家長の言うことを聞くのは当たり前。家に属する個々人が家のルールに従うのも当たり前。更に家は種々の共同体に属し、しきたりを守って互いを維持してきた。
 (この社会構造がどれくらい遡るものなのか、どれほど社会の層差、地域差があるものか、調べていないのでわからない。ただ、本百姓だったらしい我家には最近まで確かに根付いていた。)
 
 戦後、男女兄弟みんな平等になって家父長制は名実ともにほぼ消えた。インフラが整備され、消費活動が活発になり、現金収入が切実に必要になったため、仕事のある土地に人口が集中し、核家族化が進んだ。
 属する共同体が同じ家族といえどもそれぞればらばらになり、各々環境によって別の価値観を身に付け、家のルールが絶対的正しさを持って成立しづらくなった。

 祖父母や両親は、ちゃんと世の中をみていないのだ、過去の考えで凝り固まって、新しいことを自分の頭で考えてないのだ、と思っていた。
 違う。見えるものからして既に違ったのだ。

 子供は家庭の中で育つと同時に、時代の中で育つ。大人よりも子供の方が現在を的確に掴むのは、自然なことなのだ。
 大人は大変なことがいっぱいあるから、意識して頑張らないとこんなに情報がある昨今では、限りなく遅れていってしまう。
 その中で、浮標がないからこそ楽しんで泳ぐか、わけが分からなくなって溺れてしまうか。

 結局なにがああ、そうかかというと、「正しい」ことが空気の様にそこここにあったことがあったのだな。それが身体の組成に織り込まれて「思いやり」や「個々人の気持ち」を凌駕したりもするのだな。悪気がない事は知っていたけれど、うちの正しい人々をあまりにも分かっていなかったよ。

2004/03/08(月) 正しい人々。
 両親がけんかしたらしく、朝から冷戦状態だった。普段から仲がいいとは言えない二人だが、こんなにはっきりと険悪さが分かる状態は初めてだ。はっきり無視をしているのは母だ。父は軽く探りを入れようとしては撥ね付けられ、憮然とすることを繰り返す。
 いい機会だから二人とも相手を理解しようと努めてみればいいのに。とはいうものの、65歳前後の人間が今更変わるかもなんて期待はしない方がいいだろな。
 祖父母の代からうちには「ごめんなさい」という言葉は無い。母はたまに発するけれど、それは自分の正当性を語る枕詞か、キレたのでもうこの話はしないという宣言だ。
 まったく不自由で気の毒だ。ま、別にいいや。

2004/03/07(日) 恵み。
 昨夜、男児出産しました、とKちゃんからメールが届いた。うわーい!やっと出てきたか。ずっと楽しみだったし、今後も楽しみにしているのだ。早く見たいぜベイビー♪

 Kちゃんはクールでシニカルで、いつもちょっと大人。自分の体験をもネタ化して笑いをとるのがスタイルで、自分色を出しながら時代を先取りする話題をいつも探している。
 小学校でクラブが一緒だって以来のそんなKちゃん像が最近ずれてきていて、興味深くてしょうがない。
 
 人生を醒めた目で見ていたKちゃんに、こんな怒涛の展開いったいどれだけの人が一生のうちに体験するだろうかというということが起き、いやあ人生何があるか分からんねえというこの2年だった。
 そして一連の出来事を傍観していて、Kちゃんが「何もかも自分には過分なことだ。最初から諦めよう。人に迷惑をかけてはいけない。我慢すればいいのだから簡単なことだ。」といつからか密かに決意していたのだなあ、だからずっとクールに振舞っていたのだなあ、と思った。
 「わりと傍若無人だし、弱者にすら酷いし」というKちゃんが提示してきた像と、時折見せる人に対する細心さとにはギャップがありすぎた。(最近やっとKちゃんのその過剰な気遣いに気が付いた私が鈍すぎるのか?)
 Kちゃんの話はいつも面白いしもちろん彼女自身も笑いをとることを楽しんではいるけれど、それと同時に場を盛り上げずにはおられなかったのだな。別にネタを振る人がいる場面では、彼女は聞き上手にもなれるのだから。いやあ、最近ますます尊敬している。

 そんなKちゃんと、怒涛の奔流に一緒に巻き込まれながらちっとも揺るがないKちゃんの旦那との間にできた子供の先行きが楽しみなのは当たり前なのだ。ネタを振りまきつつ大きく育っていって欲しい。
 両親とも歴史好きということで、ぜひ「平八郎」と名付けて欲しい。(名古屋の市章〔八〕にちなんで「エイト」案もでていたことだし。)

2004/03/06(土) 猫のこと。
 一日中風が強くて、晴れたり、曇ったり、時雨れたり、目まぐるしい天気だった。

 猫にガリガリやられてざかざかになった扉のささくれを撫で付けながら、もうこれはしょうがないといった調子で母が「生きていた証つけたね。」と言った。
 瞬間、猫がいなくなった後にその傷を見た時の気分を想像で味わってしまった。いつまでも一緒なわけではないんだよ、とわかっていても、悲しくなるのだな。

 猫がまだいなかった時の気分も試しに想像してみた。よく吟味すると、ポコッとピースが抜けているような感じもするけれど、別に悲しくない。不思議だな。どちらも仲良しの猫が実際そばにいる現在の自分が想像する「猫がいない状況」なのに。

 猫と出会う前の記憶は、年表上猫と出会った後と区別されるだけではなく、猫がいなくなった場合感じるであろう悲しさとも隔たっているのだなあ。もし猫と出会わなかったなら、って仮定に基づくイメージも同様。

 出会ったものは頭の中にもガリガリ証をつける。出会う前の記憶の想起や、出会わなかった場合を仮定するイメージは、そこをちゃんと迂回してるんだね。

2004/03/03(水) 洋子さんのこと、2。
 お金が貯まったので、バイトをやめて北海道に行った。戻ってきたときには洋子さんはいなかった。
 連絡先を教えてもらって電話をした。実家でひとり暮らしをしていたお母さんの健康状態が思わしくないし、自分も今のような暮らしはそろそろ終わりにしたくなって戻ったのだと洋子さんは言った。旦那さんと娘さんの住む家はすぐ近くなのに、戻ったことを言うつもりはなくて、ひっそりお母さんを病院に連れて行ったりしながら暮らしているらしかった。
 洋子さんは自分でも自分は意地っ張りだと以前から言っていた。だけれども、それでも郷里に戻ったのは、生活を変えようと思ったのは、旦那さんの言葉があったからなのではないのか。なのにどうして会いにすら行かないのか。でもそれが洋子さんが決めたことなのだ。

 5年ほど経って、またお金が貯まったのでツーリングに出かけた。洋子さんが戻ったはずの郷里の方面に行ったので、できたら会いたくて電話をした。ずっと病気のお母さんと二人でひっそりと暮らしているそうだった。遊びに行きたいと言ったら、今の自分を見られたくないので会いたくない、と断られた。少なからずショックだったけれど、それも洋子さんが決めたことなのだ。
 旦那さんや娘さんのことは聞いたか、聞かなかったか、忘れてしまった。書こうとして、忘れてしまったということに気づいた。

 元気であって欲しい、少しでも幸せであって欲しい、と思うばかりなのだ。そして、手をつないで散歩のようにホール廻りをしたことや、怪しげな店やゲイバーに連れて行ってもらったことを、楽しかったよねって思い出すのだ。

2004/03/02(火) 洋子さんのこと。
 ただ話したい話を話すことって、なんだろう。自分の中で既に何度も繰り返して、記憶というよりは物語として定着してしまった。けれど、それだけでは飽き足らず、まだ誰かに聞いてもらいたい気持ちはなんだろう。

 学生の頃、パチンコ屋でバイトしていた時、古株の洋子さんには本当に可愛がってもらっていた。洋子さんは当時42、3歳だったと思う。色が白くてちびっこくって、でも華があって、学生がほとんどのアルバイトと同じユニフォームを着ても遜色なく、ホールのアイドルだった。陽気で世話好きで酒好きで下ネタ好きで、みんなに慕われていた。
 洋子さんはパチンコ屋の上の部屋にひとりで住んでいた。
 若い頃、舘ひろし似で優しい旦那にすごく望まれて結婚して、娘さんが2人できて、何も不満はなかったのに、看護婦さんをしていた洋子さんは、ある時突然患者さんだった人と駆け落ちをしてしまったのだそうだ。その相手とは長続きせず、その後は職を転々として、ひとりだったり、新しい男ができたりしながら、20年近く家はおろか郷里にも帰らず暮らしてきたと言っていた。
 ある日、閉店作業を終えて上の食堂でみんなで一服しているところを、その日は早番だった洋子さんが風呂からあがって通りかかった。洋子さんのすっぴんを初めて見た。年齢以上に老けて見えるその顔と普段見ている顔とのギャップにぎょっとした。みんなもそうだった。特に男の子達は、洋子さんが自室に消えると、思ったことをあけすけに口に出した。
 洋子さんは優しかったし意地っ張りだったから、朝から店に出ていてくたびれているはずの時も、みんなに先に休憩をとらせた。そんな人であったけれど、一月に一度は薬を飲んでも布団から出られない状態になった。自律神経失調症なのだと言っていた。病気なのも、すっぴんがひどいのも、夜の仕事を長いことしたせいだと、こんな風になっちゃ駄目だよと言った。洋子さんは市内にマンションを持っていて、なのにパチンコ屋の上に住んでいた。
 ある日、洋子さんは、ちょっと付き合ってと言って、私の手をひっぱって公衆電話の前まで連れて行った。娘さんに電話をしたいので、そばにいて欲しかったらしい。どうしても声が聞きたくなって、様子が知りたくなって、出てきてしまってからも旦那がいなさそうな時間を見計らって、頻繁とは言えないまでも電話はしていたそうだ。でも、かける度に相当な勇気がいるのだろう。上の娘さんが私よりひとつ下だった。
 電話が終わって、洋子さんが言った。「旦那が出て、帰って来いって。娘ももうすぐ嫁に行くだろう。両親そろって結婚式に出てやりたいじゃないかって。」私は帰ったほうがいいと思うと言った。洋子さんがいなくなっちゃったらすごく寂しいけれど、それでも帰って欲しいと思った。「帰れるわけがない。」と洋子さんは言った。

2004/03/01(月) 自画像。
玉川さんの「ずくなし日記」を見に行ったら、似顔絵と似顔絵を作れるサイトが載っていたのでやってみたのだ。少々若作りでかわいくしすぎてしまったのだ。

http://www.nikki-site.com/index.pl?id=609;nid=14645
(2月25日の日記の[その他]の似顔絵イラストレーターをクリック!)


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