|
2004/02/14(土)
開き直った。
|
|
|
最大級の驚きと賞賛の意味で、馬鹿馬鹿しい、馬鹿げている、という言葉をよく使う。人間が珍重する「有意味なもの」で捉えきれない、ぶっ飛んだもので世の中はできている。それに引き換え「有意味なもの」は頭をぶっ叩かれる様な衝撃を与えてはくれない。そもそも意味なんか無いくせに「有意味だ」と言い張って価値があるみたいにみんなで思い込むなんて、わけが分からない。
最近気付いたのは、意味なんか無いくせに、と思っていたところにも、どうも意味があることがあるらしい、ということ。私の受容体は、それら「意味」の刺激には励起させられずにスルーしているらしい。 見えないものに目を凝らしても見えないので、見えるものを観察して、「意味」の軌跡を推測する。
元々は人間がかかるはずの無い病気が、豚を介してうつることがあるように、または、ただでは付いて行き難い神様に、キリストに仲介してもらうように、私は私が好きになった人達を介して、現代の今生きている社会に踏みとどまろうと試みる。 自分が踏みとどまっていたいから、好きな人を見つけるのか、それとも、好きな人たちが増えたから、踏みとどまってみようと思うのか、本当のところはわからないけれど、そんなこと別にどっちだっていい。
そして、最近の迷走から、やっとまたスタート地点まで戻ってきた。 私はここ10何年かの自分の行動を、誰のせいにもできないことを誰よりも知っている。過去を振り返るのはやめて、今の矛盾に充ちた境遇(自分の都合で実家に戻って、楽している)は、明るい明日の為にあるのよ、と開き直って、できることをやっていくのだ。のだ。
|
|
|