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2004/01/09(金)
心が慌てると身体も慌てるよね。の3
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本屋さんで、やたらと古武術の甲野さんの著作を目にするようになった。みんないろんな形で体験することなのだろうけれど、人間の知覚、そして認識って本当に面白い。でも、最初に手にとったのが別の本だったら、買ったかどうか疑わしい。そして、その後件の本と出会ったとしても、手にとることはなかったであろう。甲野さんの他の本は、私にはまだ早い。 ついでに、以前投げ出した、養老さんの「人の見方」も読み返してみた。「古武術の発見」中、甲野さんの言葉は、勿論追体験なんてかなわないのだけれど、しっかりしていてすっと入ってくる。それに引き換え、養老さんの言葉はなんかつまづくのだ。ふわふわしていて気分が落ち着かないのだ。それが何故なのか知りたくなったので。
読後の感想。「人の見方」すごく面白かった。内容もさながら、読むこと自体が。最初はやはり、読みづらかったのだ。文と文のつながりにすごく違和感があって、読み進むのにすごく時間がかかった。 ところが、解剖学的な見方による顔の見方について、『ここでは見方を紹介するだけであるから、結論はない。話題はあちこちに飛ぶ。それはどうかお許しいただきたい。』とことわりがはいって、書かれだした部分に入った途端、ガンガン読めるのだ。面白くてしょうがない。 なんでかな、不思議だな、それまでの文とどこが違うのかな、と思って、巻頭部分から読み直してみた。すると、なんとちゃんと読めるではないか。 私は読みながら何をしたのか。考えられるのは3つ。 「同じ部分を2回読んだことで、理解が深まった。」 「関心を共有できる部分を読むことで、養老さんの物の見方に慣れた。」 「普段からの慣れでエッセイみたいな部分と自然科学的な記述とを別々の文法で読んでいたが、『ここでは…』のことわり書き以前の部分も、そういう読み方をしたほうがよく分かるのであった。つまりそれが養老さんのものの見方である。」 「人の見方」の内容は、そういう私固有な見方というのは絶対あって、それで何をどのように見るか、ということであった。まさか意図したわけではなかろうが、すごい構成の本だ!!
そんなことを考えたりしているところに、「あなたの人生の物語」を買ってきた。満を持して。なんてことだろう。
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