がてんこ、Dig Your Own Hole
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最新の絵日記ダイジェスト
2004/03/11 UFOのこと。
2004/03/10 ああ、そうか。
2004/03/08 正しい人々。
2004/03/07 恵み。
2004/03/06 猫のこと。

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2004/01/30(金) 複雑。
 件の「いさぶろう・しんぺい」は新車両に変わり全席指定になるけれども、廃止にはならないらしい。とりあえず、ホッとするとともに、ではここ数ヶ月の気持ちの盛り上がりはなんだったのだとも思う。辻褄を合わせる為に、現行車両のうちに意地でも乗りに行こうかなどとも考えてみる。
 いやいや、誤った情報を今まで確認もせず鵜呑みにしていたのがいけないのだ。

2004/01/26(月) やばい。
 新聞の書評を読んでて、2冊も欲しい本ができちゃった。しばらく本を買うのはやめようと思っているのに。
どうしようかな。
 
 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9977759707

 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9977771731

2004/01/22(木) エマちゃんに。自分に。
 この歳になっても、新たな絶望に出会うことがあるので、感心してしまう。小さな絶望の数々から絶対的に思える絶望までのどれからも予測し得なかった、安心しきっていたところに不意に喰らう絶望。
 
 でも、私は慣れたもんだ。見出しをつけて、絶望ファイルのだいたいこの辺り、というところにしまい込む。
 天気のいい日には、「かな〜しく〜て、かなしくて、とて〜もや〜り〜きれ〜ない」と歌いながら散歩して、私を勝手に産み落としたコトモノ達に、分相応の負担をしてもらう。

 希望は(各々様々なアプローチでも)共有できないこともないけれど、絶望は共有できないね。それを承知の上で、親しい人に説明するべきか、黙っておいてもいいのか、すごく迷う。今も迷っている。

2004/01/17(土) がっかり。
 19,20日に予定していた、JR肥薩線人吉−吉松を走る「しんぺい・いさぶろう(上りと下りで名前が違うけど、実は同じ車両の進行方向が変わるだけ。)」が、新幹線開通に伴って廃止される前に乗りに行こう企画が、相棒(つまるところステディー)の都合により中止になっちゃった。3月までになんとか行けるといいんだけれど。
 いや、「いさぶろう・しんぺい」に乗りに行くのは、受験を志すよりずっと前からの夢だったからね。って誰に言い訳してるんだか。

 岡山の下津井電鉄の鷲羽山駅で下車してちょっと歩くと、トンネルから出た瞬間すぐ瀬戸大橋が始まるところの、すぐ真上に行けた。岩の上に寝そべって、山腹から海へと電車が飛び出して向こうの島へ渡って行くのを見るのが楽しくてよく行った。レール幅の狭いおもちゃの様な下津井電鉄、運転手さんが近所の人から届け物をことづかったり、面白かったのに好きだったのに、とうに廃線になってしまった。
 
 利用客の少ない路線がどんどん廃線になって行く。私は私の立場で残念だ。南海の貴志川線も廃線になるのかしら。今のうちに乗りに行っておいた方がいいのかしら。廃線にならなければ一生乗ることがないかもしれない路線に、わざわざ乗りに行くのも変な話だけれども。

2004/01/16(金) 新しい感じ。
 おとつい、「お祝い届いたよ。(子供の写真の年賀状は)そんなつもりなかったんだけどな。ありがとう。」とTちゃんから電話がきた。
お店から同時に発送してもらった別の友人へのものと入れ違いがなかったか確認すると、大丈夫だったのでホッとした。
 「(もうすぐ1歳になる)今でもな、本当にこの子が自分のおなかに入っていたなんて、信じられないんよ。この前もこの子が以前は缶詰めの中に入っていたなあって思い起こす夢を見てな。」

 昨日はNちゃんにこちらから電話した。年賀状の返事も出さずに、いきなりお祝いを贈りつけたのと、住所からするとアパートを引き払って旦那さんの実家にでも移ったようで、お祝いはそこに送ったけれど、まだ出産後1ヶ月も経っていないのでひょっとして実家にいるかもしれない、荷物が届いたかどうかだけ確認しておきたいと思って。
 Nちゃんが出て「電話しようと思っていたところ。」と。よかった。届いていて。
 「あのな、訳わからないんよ。なんで泣きよんのかとか。母親になった実感とかないしなあ。」

 子供は好きじゃない。今のところ欲しいとは思えない。「自分の子供は特別だよ。産んでみ。絶対可愛いと思えるって。」とよく言われるけれど、ふーん、としか思えない。
 でも、TちゃんやNちゃんと話して、ちょっとだけ子供も面白いかもって思った。

 
 NちゃんからYちゃんの消息を聞いた。元気に看護婦を続けているらしい。ならいいね。よかった。
 Yちゃんは美人でしっかり者で、でもうっかり者で甘えっこなのだ。駄目な男にしょっちゅうつまづいた。
 病院とも家族ともトラブルがあって、借金を抱えたまま正看の資格をとるために通っていた学校もやめちゃって、どうしているかと思っていた。本当に、手に職があるって、すごくいい。

2004/01/13(火) 軌道を修正する。(まだしてない。)
 昨日、欲しかったCDを2枚も手に入れた。2枚ともすごくいいので上機嫌。
Marc Ribot の「SoundtracksU」  http://www.marcribot.com/disco.jsp
と、COURTNEY PINE の「DEVOTION」 http://www.courtney-pine.com/

 他に欲しいCDが4枚+1組ある。
 Screaming Headless Torsos リマスタード盤が1枚、新たな曲を加えたレリリースド盤が1枚。
 日本人で1番好きなベーシスト水野正敏が、いろんな人と組んでいろんな名義で1年に2枚ずつくらいCDを出すので、そして私が好きになったユニットをいつもさっさと解散してしまうので、欲しいのだけれどずっと買わないままにしてあるのが2枚。
 あとマイルス・デイビスのBoxが1組。今更故人のCDを買うのもいかがなものかとも思いつつ、一番好きなアルバム「Jack Johnson」の音源集なのだもの。やっぱり欲しい。

 友達2人から、年賀状で出産のお知らせをもらった。若かった頃、激しい感情も見せあったことのある、特別な思いのある2人だ。でも遠くに住んでいるので、もうそれぞれ4年と7年会っていない。お祝いあげたいな、という気持ちと、送料も入れると馬鹿にならないな、3月に身近なところでまた3人産まれるのに、という気持ちが交錯する。
 
 本当はCDやら、本やら、買っている場合ではないのだ。収入が無いということは、貯金は減るばかりで増えないということだ。
 しかも今度、九州に電車乗りに行くし。何考えてるんだろう。何やってるんだろう。
 
 気持ちを入れ替えよう。やりたいことをやりたいようにやる、のではなく、やりたいことの為に死にものぐるいになろう。一生にいっぺんぐらい集中して頑張ってみよう。そして大事な順に物事を進めよう。

 友人2人の赤ちゃんに服を選んで送ってきた。気に入ってもらえるといいのだけれど。彼女達がママになったことを知って、幸せな気持ちになったことが伝わるといいけれど。

2004/01/11(日) 「あなたの人生の物語」を読んだ。
 まず、「ゼロで割る」を読んだ。ゼロで割ることを思い浮かべるのが大好きなので。他の人が「ゼロで割ること」をどう感じているのか、すごく興味がある。
 意外だな。私はゲーデルの証明を見たとき、がっかりした。
不完全性定理の導いた結論だけを先に初めて知ったとき、つまり、論理的な正しさと「本当の正しさ」とは論理的に繋がっていないと知ったとき、自分の直感が世界の姿にヒットした気がして、すごく大きな自由を手にした気がして、解放感が満ち溢れた。
 でも、実際後で目にしたゲーデルが見つけ出した不完全性についての証明は、鮮やかではあるけれど、ひどくテクニカルに思えて、ひとつひとつ追っていけば確かにそうなのであるけれど、先に感じたあの解放感とは程遠いものに感じられ、途方にくれた。
 その気持ちを何乗かしたものが、主人公達の気持ちかなあ。私とレネーとはまったく逆だけれど。

 そして、理解→顔の美醜について→かもめちゃんの感想→あなたの人生の物語→バビロンの塔→七十二文字→人類科学の進化→地獄とは神の不在なり、の順で読み終えた。短編といえども1篇1篇が長いので、全部読むのはけっこう骨が折れた。間に他の事を挟みながら、3日かかった。
 とりわけ面白かったのは「七十二文字」と「地獄とは神の不在なり」。もう一度じっくり読みたいのが「理解」。自己の同一性はどこにあるものとして描かれているのか。
 

2004/01/09(金) 心が慌てると身体も慌てるよね。の3
 本屋さんで、やたらと古武術の甲野さんの著作を目にするようになった。みんないろんな形で体験することなのだろうけれど、人間の知覚、そして認識って本当に面白い。でも、最初に手にとったのが別の本だったら、買ったかどうか疑わしい。そして、その後件の本と出会ったとしても、手にとることはなかったであろう。甲野さんの他の本は、私にはまだ早い。
 ついでに、以前投げ出した、養老さんの「人の見方」も読み返してみた。「古武術の発見」中、甲野さんの言葉は、勿論追体験なんてかなわないのだけれど、しっかりしていてすっと入ってくる。それに引き換え、養老さんの言葉はなんかつまづくのだ。ふわふわしていて気分が落ち着かないのだ。それが何故なのか知りたくなったので。

 読後の感想。「人の見方」すごく面白かった。内容もさながら、読むこと自体が。最初はやはり、読みづらかったのだ。文と文のつながりにすごく違和感があって、読み進むのにすごく時間がかかった。
 ところが、解剖学的な見方による顔の見方について、『ここでは見方を紹介するだけであるから、結論はない。話題はあちこちに飛ぶ。それはどうかお許しいただきたい。』とことわりがはいって、書かれだした部分に入った途端、ガンガン読めるのだ。面白くてしょうがない。
 なんでかな、不思議だな、それまでの文とどこが違うのかな、と思って、巻頭部分から読み直してみた。すると、なんとちゃんと読めるではないか。
 私は読みながら何をしたのか。考えられるのは3つ。
「同じ部分を2回読んだことで、理解が深まった。」
「関心を共有できる部分を読むことで、養老さんの物の見方に慣れた。」
「普段からの慣れでエッセイみたいな部分と自然科学的な記述とを別々の文法で読んでいたが、『ここでは…』のことわり書き以前の部分も、そういう読み方をしたほうがよく分かるのであった。つまりそれが養老さんのものの見方である。」
 「人の見方」の内容は、そういう私固有な見方というのは絶対あって、それで何をどのように見るか、ということであった。まさか意図したわけではなかろうが、すごい構成の本だ!!

 そんなことを考えたりしているところに、「あなたの人生の物語」を買ってきた。満を持して。なんてことだろう。

2004/01/08(木) 心が慌てると身体も慌てるよね。の2
 1を書いてからずいぶんと時間がたってしまった。続けて書きたかったけれど長くなりすぎるので日付を改めて書くつもりだった内容とは違ってしまうだろう。

 不必要にあわてまくる時がある。
初めて海中でウミヘビに出会ったとき、そっと離れれば大丈夫と教えられていたのに、予期せず動揺してしまった。元々泳げない上に、頭が飛んでしまって上手く手足が制御できないのでますます前に進まない。そのことでまた動揺する。動揺を増幅させるループが完成してしまった。ウミヘビの関わり知らないところで。

 自分の意思で心拍数をコントロールする、リラックスした身体状況を自ら作り出すために意識して体温調節をする、そういう技術を人間は身につけることができるらしい。その技術を取得するトレーニングで、ループを断ち切ることができるだろうか?
 頭による身体の制御。特殊な技能のようで、実はいつもやっていることの延長線上にある。頭が指令を出すと、身体は働くのと同時に自らの状況をフィードバックする。それを受けて、頭は身体への指令を修正する。フィードバックされる情報をシャットアウトする、又は改変するやり方を覚えると、経験に逆らった指令を出せるようになるらしい。
 結局、わたしが少々の動揺に引きずられないほどに泳げるようになることと、同じなのだ。そして、たぶん、泳ぎを覚える方がたやすい。

 パソコンに詳しくない。でも、そのことをなんとも思っていない。
 電卓の王様のような兄のポケコンで、単純なゲームに興じていたことがある。ちびっこいカセットテープで毎回プログラムを読み込んだ。
 学校の授業で、BASICで10行程度のプログラムを組んだことがある。作成者として自分の名前を表示させる為には、日本語ソフトのフロッピーを入れなければならなかった。
 その貧弱な体験だけで、どんなにパソコンの用途が多様化しても、入力・演算・出力の延長線上である限り、私は慌てない。使い方は知るだけでいいからだ。

 けれども、それは違うと気付いた。システムを知ることと、システム内にどっぷり浸かることは、質が全然違うのだ。現在のパソコンの用途の多様化に関心を示すことができないことにおいて、既に私は立派な旧人類なのかもしれない。
 そして、システムにどっぷり浸かった故の変化が、システムを構築したものそれ自体を超える可能性をもつことだってあるかもしれない。

2004/01/05(月) こんなこと考えてる場合ではないのですが。
 楽しかったお正月も過ぎ、勉強再開!と思いきや、雑念が〜沸き起こる〜!日記にでも書いて、できれば昇華いたしますように。

 3日、高校の同窓会だった。大好きなO君も来ていた。O君もバイクに乗るのだ。
 前回、6年前の同窓会のとき、連絡先を教えてもらって、1回一緒にツーリングに行った。その数ヶ月後、別の友人から、O君が結婚した子供もできたと聞いたので、さすがによその旦那様を面識の無い女が誘っては悪かろと、それ以来誘ってはいなかった。
 1男1女のパパだというのに、O君は相変わらずかっこよく、面白かった。例に漏れず、最近はツーリングに行く頻度が減っているらしいが。2台持っていたバイクも1台にしたそうだし。
 縁の無かったいい男に未練があるわけではないのだが、別れ際に一応、「でも、もう一緒にツーリングに行ったりはできないよね。」なんて言ってみた。そしたらあっさりと「いいよ。行けるよ。俺の携帯番号知ってたでしょ。電話してよ。」と言う。結婚したって聞いたから、番号廃棄しちゃったよって言ったら、改めて教えてくれた。
 その上、「あ、でも俺の携帯今壊れてるんだ。そのうち直るから、かけてよ。」と言われ、私の携帯の番号は教えさせてくれなかった。じゃあ、暖かくなったらかけるかもって言って別れた。

 1次会が3時開始、2次会は5時半〜だったので、ステディーには8時には解散になると思うと伝えて出かけた。なのに10時になってしまっており、メールも届いていたので慌てて電話した。怒っていた。私が戻ったら食べに行くのに付き合わせようと、おなかがペコペコの状態で待っていたのだ。
 平謝りに謝った。時間を忘念していたこと、携帯を手荷物置き場にほったらかしにしていたのでメールに気付かなかったこと、自分のおなかが満たされていたので他人の空腹に思いが及ばなかったこと。2日かけて謝ったら、すっかり機嫌を直してもらえた。性懲りも無く私は、彼に相談無く、友達夫妻宅での新年会に2人でお邪魔する約束をしてきてしまったのにも、つきあってくれた。
 振り返ってみるに、私はたぶんすごく自分勝手だ。もちろん、他の人の意向を慮ったり尊重したりもするけれども、意識的にそうしたってしすぎることのないくらい、自分で気付いている以上に。

 同窓会で、男性陣から「こいつの離婚原因を女の目からジャッジして、今後のためにアドバイスしてやってくれ。」と友人が頼まれていたので、一緒になって聞いていた。
 奥さんは彼に度々不満を言ったらしい。彼は自分は悪気からそうしているのではないが、それで奥さんに嫌な思いをさせるなら、謝りもし行動も改めた。しかし、ケンカになる度に奥さんがその済んだはずの昔のことを持ち出すので、フォローがだんだん辛くなり、徐々に険悪になったのだそうである。
 けんかの原因は、聞くとたわいも無いことばかりだった。
 
 また、別の男性に、結婚はしているの?家庭は円満ですか?と聞いてみた。「家庭は円満になるようにしている。そのためにお互いが我慢したり努力したりするのは当たり前だと思っている。」「鬱憤は仕事を上手くいかせるのに力を注ぐことによって晴らす。家庭にイライラは持ち込まない。」と言われた。さすがキーパーでキャプテンだった人だ。

 で、迷っている。妻子持ちのいい男O君とツーリングに行っていいものか。行くとして、ステディーにちゃんと話して、許可をもらって行くべきか、こっそり行くべきか。話したとして、ステディーはどう思うのだろうか。
 あの人は時々ぼそっと「俺はずいぶん我慢している。」って言う。
 今までは「これこれこういう人とどこどこへ行ってきます。その人はこういう風に信頼できる人なので心配しないで下さい。」と言うと「ふーん。いいねえ。あんたは。ひまがいっぱいあって。」って感じだったので、それを「了解」と読んでいた。
 でも、もし、やっぱりちょっとづつは嫌なんだったら、何回も何回もちょっとづつ我慢してて、だんだん満水位に近づいているのなら、うかつに「高校のときの友達とツーリングに行ってきます。」なんて言ってしまってよいものか。言ってしまえば彼のつっこみは詳細にわたる。彼は記憶力もいい。察しもいい。自分をほったらかして、同窓会ではツーリングの話に夢中だったんだなって思うような気がする。
 それとも深読みしすぎだろうか。

 ああ、やっぱり書いているうちに馬鹿馬鹿しくなってきた。暖かくなるのはまだ先だ。春までほっておこう。勉強しよ。
 

 

1月絵日記の続き


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