がてんこ、Dig Your Own Hole
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最新の絵日記ダイジェスト
2004/03/11 UFOのこと。
2004/03/10 ああ、そうか。
2004/03/08 正しい人々。
2004/03/07 恵み。
2004/03/06 猫のこと。

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2003/12/26(金) 心が慌てると身体も慌てるよね。の1
 桑田真澄を指導したことでちょっと知られているらしい古武術家・甲野善紀さんの言う「身体感覚を組み直す」ということが最近気になっている。
 新しいことはいつも思いもよらない方角からやってくる。何年か前、「シベリア」というお菓子のことを調べたくて「シベリア 菓子」で検索を書けたところ、いくつかヒットした中に玉川さんという方の「ずくなし日記」があった。結局“シベリア”は冬に飛来する渡り鳥の記述、“菓子”は仕事の合間につまんだものの記録で、私の知りたかったシベリアではなかったのだけれど。「ずくなし日記」は面白いので、それ以来読んでいる。
 玉川さんは忍者が好きなのだ。忍者関係の古書を集めたり、忍術大会の話題も時々載っている。
 ある日、私は本屋さんで本を探していた。この夏か秋頃、微塵が紹介していた短編集。かもめちゃんも読んだって言ってたやつ。題名も作者も出版社も覚えていなかったので、端から端まで背表紙を見て廻っていた。その本はわからなかったのだけれど、「古武術の発見」というタイトルの本が目にとまった。それを手に取ったのは、前述の玉川さんの影響であった。古武術って単語、初めて目にしたけど、忍術と関係あるのかなって。手裏剣術についても語られているけれど、トータルでは玉川さんが最近写真をUPしていた「涙を流す少女くのいち」が表紙の本等とはおよそ関係なかった。
 その本のサブタイトルは“日本人にとって「身体」とは何か”。甲野善紀さんと養老孟司さんの対談集であった。ずっと前、養老さんの「ヒトの見方」という本を読みきれずに投げ出したことがあって以来、「バカの壁」すら手にとっていない。
 けれど、パラパラとめくってみたとき「身体感覚を組み直す」というフレーズが目に飛び込んできて、その本を買うことになっていた。

 フセインさんが捕まった次の夜のことである。そのニュースに押されて、いつも英語の勉強に使っている番組が深夜に移動になった。だから予約録画することにした。たまたま予約時間前にビデオが不思議な勝手な作動をしたりしたので、ちゃんと録画できるか気になっていたのだろう。ビデオの作動音で深夜目が覚めた。ちゃんと録画できていた。安心。そして目が覚めたついでに、何気なく各局の番組チェックをしてみたところ、甲野善紀さんが出ていた。NHKの人間講座の再放送で、古武術の講義をしていたのだ。
 本の記述や写真では、具体的な身体の動きがわからないな、と思っていた矢先で、とても驚いた。

2003/12/21(日) 急激に寒くなりましたねえ。
 忘れてたけど、年末なんだものなあ。
 そういえば、年が明けると34歳になる。奇数も偶数も同じくらい好きだから、歳をとるのが結構好き。ちょうど33歳に飽きてきた頃に34歳になれる。でも、今回、「寒くなったなあ」→「ああ、そろそろ年末だったか」→「もうじき34歳か」と早々と思ってしまったので、ジャンプスタートでもう34歳のような気になってしまった。35歳の誕生日まで飽きずにいられるだろうか、ちょっと心配。
 学年でいうと1つ上の友人が多い。私が28歳の時、彼らは次々と30歳になっていった。そのため、私もつられて勘違いして、自分が次は30歳になると思い込み、結構長い間自分の歳を間違えていた。まだ29歳だったと気付いた時、1年得したような、損したような、まっこと妙な気分だった。実は損も得もしていないのに。
 400ccのバイクを持っていたときには、2年ごとに車検があった。だから過去のことを思い出すときに、それが何年前のことであったか、「あれはバイクを買った年だから○年前、2回目の車検の年だったから○年前」とすぐに分かったのに、そのバイクを手放してしまった今ではすごく苦労する。或いはみんな一括で昔になったということかもしれないな。
 
 外国語ヲタのマイ・ママンが国際交流づいている関係で、この3日間、韓国からの留学生の方が泊まりにきてくれていた。いろんなことを話して、新鮮な知識や考え方ももたらされて、すごく楽しかった。
 今日の午前中も、彼と、母と、母同様ハングルにはまっている母の友人とで雑談をした。それから、以前からの母の計画通り、この辺りの観光を兼ねてお昼ごはんを食べに出かけることになった。
 私には両親または一方の親と一緒に外出する習慣が無い。兄一家が訪ねてきたり、弟が戻ってきたりして、みんなで外食にいくときもついてはいかない。たぶん、みんなと一緒に行動するのが面倒くさくもありストレスでもあるからだが。
 そんな訳で今日も最初からついていかないと当然のごとく決めていた。母の友人の「え〜?行きましょうよ。」という誘いも、留学生の方の「全員で行くよ。ほら早く準備して。」という再度の誘いかけも、頑なに断ってしまった。「うちが好きだから」という理由で。
 でもよく考えたら一緒に行ってもよかったのだ。みんなと話しているのはとても楽しかったし、きっと外出も楽しいものだったことだろう。
 「でも、ひとりでいるのも楽しい。」と私は言う。しかし、あの人なつっこい人や心底誘ってくれる人の好意を結果的にであれ拒絶するほどのことではなかろうに。
 反射的に断りはしたけれど、「やっぱり行く。」と何故言えなかった?誘ってくれた人の肩透かしをくらったような顔を見たのに。
 自分の行動原理を壊すたやすさはよく知っていると思っているのに、あのとき何が働いてこんなことになった?
 

2003/12/13(土) 今がアメリカ離れの好機だと思うわけ。
 イラク問題には、世界の国々がそれぞれの思惑から関わっており、いろいろな立場を取っている。日本が平和憲法を堅持する立場からアメリカの軍事行動に距離をおくと表明したとしても、アメリカは「日本の決定を残念に思う。」という声明を出す程度に留め、反米の烙印をおすことはしなかったであろう。アメリカにしても、この苦しい状況で味方を一国でも減らすのはつらいはずだ。
 今後まだ北朝鮮問題もあるし。日本は北朝鮮問題があるから、アメリカを繋ぎとめたいと思っている。でも、それはアメリカも同様なのだ。
 
 日本は外交下手だと思っていたけれど、そうでもないらしい。対外援助は無駄もあるには違いないが、着実に実を結んでいる。ただ、政府の大きな判断がいつも後手後手にまわってブレーキにしかならないのだ。

 日本がアメリカに何を負っているのか、よくわからない。経済のグローバル化がますます進み、幾多もの利害が交錯する今の世界で、ただ日米の安全保障のみを大きく捉えすぎる意味がわからない。小泉さんが大国の大統領に憧れているのはすごくよくわかるけれども。

 例えば、日本は情報収集衛星の打ち上げに失敗した。だから相変わらず情報はアメリカ頼りになるのであろう。でも、アメリカがくれる情報にはアメリカの意図が組み込まれてくる。情報っていうのは、信頼できなければ価値が無い。自ら得られる、より少ない事実から判断する方がましなくらいだ。

 世界の変化のスピードはますます速くなっていく。勢いにのっている国はちょっと前の日本のように、どんどん先に行こうとする。せっかく失速中の日本はそろそろ、ただお金の流れに翻弄されるだけでなく、既存のものにしがみつくのではなく、どうしていきたいのかこの際ちゃんと考えてみる方がいいと思う。いよいよゆきづまってしまう前に。

2003/12/12(金) 興奮の中身。
 ハンガリーは知れば知るほど面白い。ハンガリー人は自国のことを“マジャル”と言う。マジャル人の名前は、日本人と同じで、苗字、名前の順。多数のノーベル賞受賞者、有能な科学者、数学者、企業人を輩出している。ブダペシュトには多数の日本人が音楽留学している。デンソー、SUZUKIなど、現地に工場のある日本企業も多い。

 奇しくもハンガリーに関心を持ったこの年、名古屋国際センターで「名古屋民間大使」を努めていたのがハンガリーの女の人、ヘディーさんだった。奇しくも同じ年だったのも楽しい偶然。
 彼女が企画したハンガリーを知るための「ハンガリー講座」を受講した。第1回目、元ハンガリー駐在大使で社会主義からの移行をみてきた人が講師だった。
 1956年、ソ連の権威に後ろ盾された恐怖政治を行っていた独裁政権に対して、密かに西側から流されていたレジスタンス的なラジオ放送に勇気付けられもした民衆が蜂起した。
 結局ソ連から鎮圧部隊が送られ、多数の市民の犠牲を払って「ハンガリー革命」は終わった。けれど、その後、ハンガリーを治めるのに強制統治は不向きであるとソ連は考え、当時のソ連傘下の国としては異例に、独自の政策による政治がある程度認められた。そして要因はそれだけでないにしろ冷戦終結後、確かに深刻な経済危機に直面はしたけれど、他国に較べればずっとスムーズに経済を立て直すことができた。
 初めて聞いた話だった。聞いたことがあったとしても、遠い国の過去の話として聞き流していたのかもしれないけれど。
 「ハンガリー革命」と、眼前のバイタリティー溢れるヘディーさんが重なって、「やってみる気」が触発された。
 教科としての社会科に全然関心が無く、史実をほとんど知らない私には、まだ考える材料がすごくいっぱいあって、知ってみて考えてみて、そんでどこに行くのかは分からないけれど、とにかく「やってみる気」になった。
 これまで自分の事だけを考えてきたし、今だって自分のためであることに変わりはない。でも、少なくとも世界とちゃんと関わっていこうというスタンスの限りにおいて、世界の現況がどうだからってあきらめる気は更々無くなってしまった。

 最近、謎がひとつ解けた。なんとなく???だったのに、放っておいてあったことなのだけれど、同じ疑問を持っていた人が調べて教えてくれた。それは、重力を利用して宇宙の探査機などの軌道や速度を変えるスイングバイのことだ。軌道が変わるのは理解できるけれど、エネルギー保存の法則から考えると、なんで重力圏を離脱する加速が得られるんだよ?ってこと。確かに、重力のエネルギーだけでは無理で、公転のエネルギーをちょっともらっていっているんだって。ってことは、ほんとに僅かすぎてわかんないけど、地球の軌道も変わってるはずなんだ。

2003/12/08(月) 生きるってこと。
 ずっと余生をおくっていた。
目的があるとすれば、天命をまっとうするまで生きながらえること。
それと、そのときまでにちょっとでも釈然としてたらな、ということ。
 つまり、その時その時の自分のあり方だけだった。

 今は人生を再開しつつある。といっても去年の秋からだ。
冬が近づくとそわそわしてしまう。前回の分岐点で結果として選びとれなかったけれど、ずっと気になったままの道を象徴している流氷が押し寄せてくるのだ。
 去年の秋、いつまでも気にしたままためらっていても仕方が無いので、賭けてみようとか思った。流氷を観に行こう。満足して、または流氷はただ流氷であることを確認して、今生きている場所に足をつけて立つことができるかもしれない。もしくはもう帰ってこないかもしれないけれど。
 とは思ったけれど、行く決心がなかなかつかない。本当に帰りたくなくなってしまった時に、以前の自分ならともかく、今の自分がその選択に耐えられるのかが不安でたまらない。またはそう思わせてしまう程に現時点で愛着をもっているもの達を、その時になったら平気で切り捨てる自分を予感して不安でたまらない。
 
 と、流氷が来ないうちからずっと迷っていたのだけれど、突然に「大学行こう!社会復帰しよう!」と1にも2にも迷うことない決心をさせた興奮と出会ってしまった。
 逆に流氷に対する迷いをとりあえず棚上げできるアイデアだったから、飛びつけたのかもしれなかったけれど。

 そんなことはどちらでもいいのだ。きっかけはいつでもそんなものだ。
へタレでもいいのだ。
明日をも知れないわが身だし、明日をも知れない世界なのだから。
言い訳しなければいけない相手なんて、そのうち1人もいなくなる。

2003/12/07(日) おっさんバンドのライブ観に行った。
 夏と冬と、年2回ある、恒例のおっさんバンドのライブを観に行った。ドリンク2杯付、フリーフードといえども、¥2,500払ってくる客は、知り合いしかいない。
 1組め、7、8年前、片田舎の、マスターが趣味でやっているそのちっこいライブハウスで、でも一番人気でファンも付いていたフォーク・デュオの2人も、結婚して子供ができて、月毎の定期ライブもやめ、年々輝きが失せていっている(気がする)。
 2組め、本格的なブルースを演る2人組はかなり上手い。1人はこの夏、福井に引っ越してしまったのだけれど、定期ライブや今回の恒例ライブには、高速を通って来る程、まだ熱い。でも、なかなか客はつかない。ブルースはコードが少ないため、似たような曲ばかりになるからかな。スライドギターの超絶技やすっごい早弾きが間近でみられてワクワクなんだけどな。
 3組め、マスターともう1人のおじさんのギター・デュオ。
もう1人のおじさんの自己紹介から始まった。
「2年前まで、別のトリオでバンドやっていたんですが、1人欠けて活動やめてしまっていて、いつもここに出ている友人が、見かねてマスターを紹介してくれて、初めての参加です。」
思い出した。2年前、このおじさんのバンドのメンバーの1人が交通事故で死んだ。知人の結婚式で演奏して、そのまま2次会3次会と朝まで飲んで、車で帰る途中の単独事故だったって聞いた。
マスターのクラプトンは下手糞で、5曲もやられると苦行なんだけれど、相棒が加わったからってそれは変わらないのだけれども、ちょっとだけジンときた。
 おじさんもいろんな人生を背負って、でも、音楽が好きだから、やめられないのだな。「くるみ」もいっかい見てみようかな。

 んで、トリが友人達のバンド。バイク屋さん、車屋さん、SE、測量屋さん。今回は電気屋さんが欠席。たぶん、地上波デジタル放送が始まったので、仕事をぬけれないのだろう。いいことだ。
今はすっかりツルッパゲの車屋さんだが、学生時代は長髪だったらしい。その頃はモテてね、ファンだった子の1人がうちのかみさん、と過去の栄光を語る。その栄光の時代のバンド仲間が、最近の客筋の主流を占める。遠慮ないヤジがとぶので、おかしい。
 それにしても、曲数多すぎ。練習してないのに、新たに難しい曲、アレンジにチャレンジしすぎ。7、8年前から演っている曲がやっと安心して聴けるようになってきた。ギターとか機材はすごくいいもの揃えているらしいのだけれど、全然ありがたみがわからない。本人達が好きでやってるんだから別にいいけど。
 

2003/12/06(土) 大きすぎて消化できない。
アフガニスタンは未だに瓦礫の中だ。
防衛庁長官が「国益」という単語を口にした。
日本は石油のおよそ9割を中東地域に依存しており、中東の平和は、日本の国益に直結するのだ、というような発言だった。
本気かな?本気のような気もする。

蒔いた種を刈り取らないと、新しい種は蒔けない。
力でテロを押さえ込むことはできないことは愈々わかってきていても、始めてしまった戦争を終わらせなければいけない。
開戦を許してしまったことで、既に世界中が関わっている。
どうしたらいいんだろう。何ができるんだろう。

2003/12/03(水) 占いは、信じないけれど、時々驚く。
あなたは現代ドイツの哲学者 ニーチェ です。

非常に現代的な感覚を持ったあなたは,うわべの表面的な
ものを嫌い,自分の感性を強く信じるところがあります。
自信を持って行動するあなたに惹かれる人も多くいますが,
自分の感性に合わないものを激しく拒絶してしまうので,
あとで後悔したり悩んだりすることがあります。

特徴:  現実的でシビア。
適職:  企業家,カリスマ店員
相性良: エピクロス,マルクス,ドゥルーズ
相性悪: ソクラテス,カント,フロイト
ラッキーワード:
『神は死んだ』『ルサンチマン』『奴隷道徳』

精神レベル:A 思考レベル:A 実践レベル:B

まさに、昨日今日の私。ラッキーワード:『ルサンチマン』『奴隷道徳』って見てたんかよ、予言者かよ・・・!
と驚いたものの、他のみんなの結果に自分を当て嵌めてみて、全てに思い当たるふしが あったので、原因は自分にありかよ、とちょっとわらった。
だったらニーチェはちょっとやだな。今時、かっこ悪い。
せめてもの抵抗で、勝手ながらラッキーワードは『善悪の彼岸』に変更します。

2003/12/01(月) これでいよいよ言い訳ができなくなった。
いつも説教する人に、また説教された。たいていは素直に聞けるし、納得もするのだ。それは私達が話す内容が、圧倒的に彼の得意分野であることが多いのもある。それに、どんな問題においても彼の豊富な知識と、明晰な分析力と、説明を展開するときの説得力には一目を置かざるを得ない。でも、今日は私の生活態度についてつっこまれたので、つい反論してしまい、言い合いになってしまった。

私の友人達に、生活に余裕のある人はほとんどいない。ただただ身を粉にして働いて、少ない休日を自分のしたいことに充てる。
彼らの前では現況の自分の考えを語れない。本当に自分が現実離れしたふわふわした者に思えるのだ。
私が行きたいのは名古屋大学の法学部。地元で国際政治を勉強するにはそこしかないし、授業料等の経費を考えると他に選択肢はない。この春はスルーして、次の春の合格を目指している。
自分の中ではこのように明確に決めているのだけれど、とりわけ男性の友人達にはある種の後ろめたさと、ちゃんと説明することの面倒臭さから、曖昧にしか表明できない。
彼らはきっと「女だからできる選択だ」「いい身分だよな」と感じ、そういった見地から発せられる質問に対して、私がなんて返答しようとずっとお互い平行線をたどる構図が目に見えてしまうのだ。そしてその構図は今までも何回も体験してきたし、その見地から他の女性がけちょんけちょんに言われるのも、何回も目撃してきた。
彼らは、自分達の人生に誇りをもっているし、もって然るべきだと私も思う。私はもう不毛な摩擦は避けたいのだ。私の生き方を許すことが、彼らの誇りの一角を崩すというのなら、自分は自分でその分野はこっそりやるからいいのだ。

「仕事やめて何してるの?家事手伝い?」「ううん、受験生。大学行こうと思って。」「じゃあ、うちの息子と同級生になるんだ。」「ううん、今回は見送って、次回チャレンジするの。」「どこ受けるの?」「・・・」「県外?」「県内。経済的に県内しか無理だもん。」「考古学?(わりと長いこと発掘の仕事をしていたので)」「ううん、別のこと。」「ずっと仕事しないの?」「うん。最初の受験までは。合格できなかったら、とりあえず仕事探さないとやっていけないけど。」「永久就職すればいいんじゃない?」「いや、それは経済的にもっと困難。今、親元だからこんなことできる。光熱費浮くし、食べさせてもらえるし。」

ここで冒頭の「いつも説教する人」のつっこみがはいったのでした。「それは駄目だろう。生活費くらいは入れるのが当たり前じゃない?いくら無職といっても。それもできないくらいなら、働くべきだし。」「うん。でも、親と話し合った結果だから。働きながら勉強してみたけれど、無理だったし、最短距離を考えると、ここは親に甘えるのが一番の近道という結論なの。」「働きながらは勉強できないってそれは最大の甘えだろ?夜学行って勉強する人だっているんだぞ。」「そうだけど、例えば、お金持ちのボンボンが、親のお金で好きなことをするでしょ?それは許されているし、勝手だよね。うちもそんなに裕福とはいえないけれど、私のわがままが聞き入られられるだけの余裕は今のところある。後ろめたさがないわけじゃないけれど、この環境を利用する選択を私はしたの。」「甘えとしか思えない。とにかく自分の食い扶持くらいは入れて当然だ。だいたいお前、今回は見送る、次回も受かるとは限らないって何?そんなんでなんかやれるつもりなわけ?」
私もそう思う。だから少なすぎる申し訳ないと思いながら、月3万円づつは入れている。でも、たかが月3万円なのだ。胸を張って生活費入れてますとはとても言えない。そんなの黙っていた方がずっとましなのだ。今のこの環境がなければ、大学行くなんてとてもできないことは私が一番知っている。
だいたい、受験しようと決めて、絶対受けとるつもりのなかった、親が積み立てた私名義の保険の満期になったものを、私がやりたいことをやるために下さい、と頭を下げた。うしろめたいに決まっている。一度は4年分の学費と仕送りを出させたのだ。でも、いいの。屁理屈をこねてでも、私はこの道を行くの。
決めたの。そして自分の中では一回の受験で合格することを勿論目標にしている。逃げ場をあらかじめ作っているつもりはない。でも、現実問題として今は実力が及ばないので、一度で合格しなかった場合の覚悟もせざるを得ないのだ。また、いつまでも親に甘えるつもりかこいつ?という無駄な反感を買わないためのプロパガンダでもあったのに、逆に作用してしまった。
思わずムキになってしまっていた。黙っていればいいことを、洗いざらいぶちまけてしまった。毎度のことながら、自分の立場を主張しすぎた後はすごく滅入ってしまう。だって、そこは自分の弱点なのだ。つっこまれたくないから過剰防衛してしまうのだ。最悪だ。


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