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2006/05/15(月)
高倉天皇と清盛様
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春のおどりが終わって約二週間。世界館までも約二週間。もうずいぶんOSKに接していない気がします。実際はルシアスもあったし、あと奈良に住んでる分週一で奈良テレビもあるんですが。ふと自分のサイトを開けてみて、この人が私のご贔屓なのか。と思ったりします(何だそれは)こう長い間会ってないと、桐生さんが実在の人物なのかも怪しいと思えてきたりするのですが(ええ・・Σ(゜д゜;)えーと・・実在しますよね?桐生さーん(当たり前だ!)早く次の予定が欲しいものです。
ところで、また平家物語を読んでいたのですが、これにはやはり常磐親子助命の辺りの記述はないのですね。清盛様もさっさと出家しています。
ところで、平家物語における桐生キャラとしまして、六條山縁起の高倉天皇があります。ちょうど去年の今頃は、私は高倉天皇を愛しまくっていました。(もうすぐフランツお兄様愛に変わる頃ですが)そんなことを思い出しつつ「小督」以外にも、いくつか高倉天皇についての記述がある章を読んだのですが、ええ・・・これは、あれですね。
高倉天皇の8割は作者の萌えでできていると思いました。 (↑何てことを
去年の六條の後、小督の章を読んで、高倉天皇のあまりの可愛らしさに転がったものですが、ここだけじゃなかったんだなー。 「紅葉」という章があるのですが、そこのエピソードでは、
「10歳の頃、紅葉が好きで色々な落葉樹を植えて楽しんでいたところ、ある日落ち葉がひどいからと掃除の下役人が落ち葉を掃き集めて燃やし、酒を温めるのに使ってしまった。役人はひどく罪科に問われるかとびくびくしていたが、高倉天皇は「林間に酒を暖めて紅葉を焚く」(白楽天の詩でそういうのがあるらしい)という詩の心を誰が教えたのだろう。風流なことをしたものだなあと賞賛した」
とか、
「夜中に路上で叫び声を聞いて家来が駆けつけたところ、それは女主人の着物を強盗に奪われた女の子で、「(このような世の中であるのは)為政者である私のせいだから」と、徳子の着物を女の子にあげて、護衛もつけてあげた」
ということでした。(私の適当な訳なので読み取りエラーかもしれませんが)あと小さい頃から病気がちで優しい子だったって!なんだそのエンジェルぶり!!結局は清盛様に振り回され心労で亡くなってしまうのですが、このとき21歳だったそうです。21・・・。ちくしょーかわいいなあ(そういうこと?
一方の清盛様ですが、こちらは・・・ええと・・かなり困ったおじーちゃんですねえ(汗)と思いました。祇王のあたりとか「うっわ清盛様最悪・・・!!」とさえ思いましたし(笑)仏御前が元気ないからちょっと来て慰めてあげてーと祇王に言うのですよ!アンタどれだけ無神経なんじゃ(笑)うちの孫に何するの!!と、相手をボコったこともあるみたいでした。(孫の方が悪かったようなのですが)(実際は清盛様でなく息子の重盛がやったと言う説も) 清盛様が亡くなったのは熱病だったそうなのですが、
「身の熱さは火が燃えているよう」で、「部屋に入ると耐え難いほど」「水風呂に入れば水が湯になった」「体に水をかければ炎と煙が出た」
そうです。さすが清盛様です。病気するのさえダイナミックです。最後のはいくらなんでもあんまりだと思いますが。墓いいから頼朝の首をもってこいー!という辺りもさすがです。
まあそんな感じで春のおどりが終わった寂しさを何とか埋めようとしているわけですが、そうは言ってもそうそう埋まるものではないですね・・・。はー。清盛様見たいわー。まあ要するに私は和物の桐生さんがすきなのです。よく桐生さんは和物合わんとか言われますけど。いいの。(ていうか別に合わんことないと思うんですが・・・)(こういうのが身贔屓なんだろーか;)
ところで、今ジャズのネット番組を流しながら書いてるんですが、さっきから知ってる曲がいっぱい流れます。ジャズとミュージカルに使う曲は重なるものなのでしょうか。よう知らんけど。ブギウギの一幕で使われてた曲も流れてました。どこの辺りの曲だったかな。道頓堀の辺りかな?「On The Sunny Side Of Street」っていうのか。遥かのシェリーの歌ってた「Basin Street Blues」も流れました。今はボールゲームの曲が流れています。この曲は、小学校の時「瀬戸内少年野球団のテーマ」と習ったのですが、イン・ザ・ムードというのか。ああ・・ラグビー部が花道から出てきた(笑)あさや君も戻ってきました。
ボールゲームは奈良テレビでは後半になりそうですね。というわけであさや君に再会できるのはまだまだ先か。とりあえず亀さんを楽しみに待ちたいと思います。ってまだ月曜ですけど・・・(今週も長いな・・
きりゅーさん(補給)
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