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2006/05/01(月)
きっとまた会える
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松竹座の千秋楽の日、如何に清盛様が素晴らしかったかという手紙を、場面の解釈も交えつつ桐生さんに書いたところ、後日「膨らませ方がスゴイなーと思った」と言う感想を頂きました。・・・つまり、あれだけの出番でよくそこまで書けるよね;ということだと思うのですが、そして私にしたって、まあやる側や作る側はここまで考えてないかもなあと思う一方で「これってこういうこと?すごい!」と思ってるわけですが。作者や演者の意図にあってるか確認してるわけでもなんでもないので、これまで書いてきたこともそこまで深い意味は設定してなかったり読み取りエラーだったりするかもなのですが、まあそれはそれとして、この「義経桜絵巻」のいいところは、
こっちの心構え次第でいくらでも美しい解釈が出来る
ことでして、一見切り貼りの場面集に見えても(見えてもと言うかその通りなんですが)、美しいものがいっぱい隠されている(と感じられる)この作品が、私は大好きだと思いましたということでした。一回目見たときは、長い・・眠い・・てか清盛さん少ないし・・・なんかいい人だし・・折さんたち花の精かよ・・木乃香ちゃん少ないし(へたに序列が上なだけに割をくった感じ)・・ボレロはきれいだったけどなーとかその程度だったのですが、すっごいなーめちゃはまってるよなー;去年の晴明も、一回目に「う、これはぁ〜;」と思いつつ複数回マジックで「楽しいー!」に変わって大好きだったのですが、どうかな、去年と今年とでは今年の方が深く好きかも知れません。去年のは、ぱぁーっっと楽しい感じでしたが、今年のは、終始だれかの悲しみや死の影があります。暗いスポットの中ではもちろんですが、それが明るい春の光や満開の桜を背景にすると余計に切なくて、美しい。
まあ死にネタは泣けて当然の禁じ手ではあるんですけど、それを「さあ泣いてくれ!!」とダイレクトにしなかったのも良かったな。むしろどこで泣けるのかと不思議がられるくらいですし(笑)しかしそこに死や愛情や大事な人との約束があると分かると急にくる・・という。
私が好きな場面の一つとして、義朝の都落ちがあるのですが(まあごく一般的な意見だと思う)(萌ちゃんがすごくいいから)、そこで、「子等を頼む」と言って刀を渡しますよね。そして「また必ず会える」と言って去る。その刀を、後に常磐が牛若に渡します。
「生きていよ牛若。生きてさえいれば、またいつの日か、逢い見えることも。」
子等を頼むとの大好きな人の願いを守り続けた常磐が、あの時義朝が刀を託したように今度は牛若に託す。そのとき渡したのは刀だけでなく、「生きていればまた会える」という大好きな人からの言葉もなわけです。ああ、この場面と冒頭の義朝との別れの場面はこんな風に繋がっていたのか、と思うと、そこでまたぐっときます。
義朝の方は結局二度と会うことは叶わなかったわけですが、好きな人との約束だったからこそ、常磐は清盛に身を捧げてまで助命嘆願したのだなと思うと、それもまた切なくて美しい。(まあ清盛様好きーとしては、常磐は清盛様は情のある方だと信頼したからこそ、自分と子供達の命を任せたわけで、何も牛若の言うような「幼いわれらを生き延びさせんがための母上の捨て身の生き方であった」が全てじゃないだろーと解釈したいところです)(だって常磐と子供達が焼け落ちた都に放り出されたところでどうしようもないだろうから)(どこかに保護してもらうしかないじゃないか)
話はそれますが、形見グッズ二点、笛と刀。 笛を牛若が
「大事な笛を失いました。母の形見でした。」
と言うとき、母死んでないよー!と思ったものですが、形見とは何も遺品だけを指すものじゃないんですね・・。(さっき調べた)別れた人や過去を思い出すものも形見なんだね。いや、それにしたって「笛失くすの早えぇーーーー!!」と思いましたが(笑)(渡された次の景で早速投げとる;;)
刀は、
「覚えがあろう。亡き父君の形見じゃ。」
は、いや!さすがに覚えてないだろ!!と思ったなあと思い出したのですが、(清盛に助命嘆願したとき、牛若はその年に生まれたばかりだった)あとで何度か刀を見せて話をしたことがあったのかなあと思いました。て言うかそれが普通だ。しかしこの芝居だとうっかり「子等を頼む」の場面をさして覚えがあろうと言ってるのかと思っちゃうなあ(思わないよ!
はー。早く金曜にならないかなー。というのは奈良テレビが春のおどりだからです。清盛様みたいよ orz とりあえず義経記と平家物語を読んで補給してますが、私の好きなのは桐生さんの清盛様だしなあー。うー。しばらくは義経桜絵巻話が続くかと思います。
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