++Diary++
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2003年10月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新の絵日記ダイジェスト
2006/08/29 SERUちゃん
2006/08/28 夏季保育
2006/08/26 wanpod
2006/08/25 目ばちこ・・・
2006/08/23 物忘れ・・・

直接移動: 20068 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 8 7 4 3 2 1 月  20019 月 

2003/10/29(水) 30日に書いています
この日記は、30日に書いています。
何故かと言うと、29日はおじいちゃんの病院へ行っていたからです。
おばぁちゃんと私の母親が、少し看護疲れのように思えたので
3時間くらいなら、私が交代するからと言って
おじいちゃんと2人で病室に居ました。
初めは、おじいちゃんも沢山話をしていたのですが
あんまり夜寝ていないらしく、途中でウトウトとし出しました。
「眠たくなってきたんやったら、ちょっと横になって寝てや」と
私が言うと、「そうやなぁ、横になろうか・・・」とおじいちゃんが言いました。
そして、5分もしないうちに「やっぱり腰が痛いから起きる」と言って
ベットの上に座っていました。
これの繰り返しになってきたので、ちょっと気分転換に
ベットから降りて、背中を伸ばすように促しました。
すると、トイレに行ってくるというので
トイレの前まで着いていきました。
手術してから、歩く事が少ないのと、絶食なのとで足元がフラフラとしているのです。
それでも、自分でトイレに行って用を足して出てきました。
ここまでは、何もなかったのですが、この後くらいから
少しわからないことを言い出しました。
病室のドアの方を見て、「ほら、また来てる。日が暮れてきたらあ〜やって毎日覗きに来よるねん。なんでやろうな〜。」と言いました。
私は初め、誰もいてないよ。と言おうとしましたが
ちょっと考えて何も言わずにおじいちゃんの言う方向をじっと見ました。
おじいちゃんが痴呆老人みたいな事を言うと聞いていたのを、思い出したからでした。
確かに、誰もいてないのに「コラッ!」と言ったり
私に「見てきてくれへんか」と言ったりしてきたのです。
どう対応しようかと思いましたが、考えた結果・・・。
「廊下まで見に行ってくるわ。」と言い見に行きました。
そして、「私が見に行ったら、おらんようになったやろ?逃げていったわ」と伝えました。
それでも、また少し時間が経ったら「また来た!」と言うのです。
仕方ないので、少し寒かったけれど「おじいちゃん、ドアもカーテンも開けとこうか。そしたら、私が見てるから来えへんで。」と言ってみました。
おじいちゃんも「そうやな。開けといて。」と言いその後はドアの方のことは言わなくなりました。
けれども、今後は窓の方を見て「こっちがあかんかったら、今度は窓か。また覗いとる」と言い出したのです。
今度は何て言おうか・・・・・。
何か安心するような言葉はないか・・・。考えました。結果・・・。
「おじいちゃんには毎日誰かが着いてくれてるやろ?それが羨ましいんとちゃうかな?
寂しくて、おじいちゃんの所に来てるんちゃうかな・・・。」と言ってみました。
そうしたら、おじいちゃんの反応が良い感じだったのです。
「そうかなぁ、羨ましいんかなぁ。」とちょっと笑顔になりました。
そして、そのまま面会時間ギリギリまで病室に居ました。

痴呆なのかなぁ〜。
確かに私たちには見えていない、何かがおじいちゃんには見えているようです。
食事が出来るようになったら、また元に戻るような気もするんですが・・・。

2003/10/26(日) 先週は・・・
先週、1週間は、心身ともに疲れました。
おじいちゃんの入院・手術から始まり、調停、そして、父親が尿管結石になりました。
今、家には父親と祖母とまーくんと私しか居ません。
母親はおじいちゃんの看病をしに行ってます。
弟は就職して近くにはいません。
そんな時に、父親の尿管結石・・・。
何もかもがおじいちゃんの手術の日に重なってしまったのです。
父親曰く、「おじいちゃんと同じ日に重なったのは痛みわけやねんで」と言っていました。
納得、、、しておきましょう!!

それにしても、あの尿管結石ってすごく痛いらしいのです。
まだ、腎臓から出た所で初めの痛みはもう終わったらしいのですが
後、2回耐えられないほどの痛みがあるらしいのです。
私の父親は、意外と我慢強いタイプで1回目の痛かったときも
我慢しながら、仕事をしていたみたいなのですが
一段落したところで、一気に痛くなって病院へ連れて行かれたそうです。
今は、痛み止めの薬と結石を尿と一緒に出すよう促す薬を飲んで
1日1日が過ぎていっています。
それでも、痛みがひどい時は病院に行って痛み止めの注射を受けようとしています。
実際にはまだ、病院に注射を受けに行ってないんですけど
いつでも行けるように準備だけはしています。

そんなこんなで、勉強どころではなく
忙しく動き回っていました。
ちょっと疲れてしまったかな・・・(^^;)
明日からは、はりきって勉強に励みます。
次回調停までにやらないといけないことも、いっぱいあるんですよ・・・。
私は病気とかしてる暇はないようです・・・。

2003/10/25(土) 昨日の続き
昨日の続きです。

まず、生活費は一応これから私の口座へ振り込まれる事になりました。
ただ、金額は請求していた金額の半分です。
それから、親権のことですが、これには驚くような答えが返ってきました。
今まで、自分では育てられないから、親権は私に。と言っていた主人。
それが、調停員の前では「離婚したら親権は自分にある」と言い出したのです。
子供がまだ2歳だという事と(子供が小さい場合母親の方に親権を持たすのが多いらしいです)
主人の仕事は夜勤が約半月間あります。主人の両親は働いていて、仕事を辞める気はありません。
そして、何より「自分の子供は可愛いけれど、孫は可愛くない」と言った義母・・・。
こんな状態を知っていて親権を譲れるわけがありません。
それから、主人の離婚の意思は全くないという事。
まだ、自分は愛情があるのだから、離婚はしないらしい。
そして、TVの事と言うのは、嫁入り時に持っていった家具を持って帰っても良いと主人が言ったので
自分たちで運べる物は実家へ運んでいました。
その中で、私が気に入った物を自分で選んで買ったTVを主人は返してほしいというのです。
「あれは私が持っていたもので、自分の持っていたTVがあるはずなのに・・・返してって・・・。」
そう思いました。
主人の言い分はこうです。「自分が使うTVやオーブンレンジは持って帰って、使わないタンスは置いていってる」だそうです。
そして、こうも言っていました。「結納金で買ったものは返せ」と・・・。
結納金で何を買ったかは主人は知りません。
結納金で買ったのは、タンス、鏡台、食器棚でした。
それ以外の、電化製品や食器類、その他に必要な小物類は全て自分の貯金で買いました。
ということで、結納金で買ったものは置いてきているのです。
私が買ったTVを返せと言われても・・・・・。
けれども、TV1台と他の物全てと交換で良いのであれば
TVは渡すということで話は進めることになりました。
TV1台でまたごねられるのも、腹が立ちますしね。
そして、調停の途中で気分が悪く帰った理由ですが、これがまた呆れました。
こちらがこの調停で話が進まなければ、不調にして裁判に持っていきます。ということを
調停員から主人に伝えてもらいました。
1番初めに主人が顔を見せた時は、意気揚揚としていたそうです。
「今日はお金も持ってきたし、文句はないやろ!」という感じだったそうです。
けれども、「裁判に・・・。」という事を聞いてから一気に気落ちしたらしく
気分が悪くなったそうです。そして、帰りました。
また、苦しい事から逃げたのです。
何回繰り返せば気が済むのでしょう。
しかも、公的な機関に来てまでも、まだそんなことを言っている主人がわかりません。
普通の考え方ってどうなんでしょう・・・。一般常識的にはどうなんでしょう。
私の考え方は、常識では通らないんでしょうか・・・。
弁護士は私の気持ちを重視してくれます。だから常識じゃなくても
「貴方の考え方はおかしいです」とは言いません。
私の考え方は、おかしいのでしょうか・・・・・。
とりあえず、次回の調停では調停員のほかにもう1人入って調停をしていくようです。
その人の文章があれば、裁判になったとき判決が早く出るらしい。
もう早くなんとかしてほしい気持ちでいっぱいです。

2003/10/24(金) 第2回調停
今日は2回目の調停の日でした。
弁護士の計らいで、主人とは顔を会わせないようになっています。
まず、家庭裁判所に着いて弁護士と会い、私の名前を裁判所に届けました。
それから、調停をする部屋番号と待合室の場所を聞きます。
待合室で待っていると、調停員が呼びに来て調停の部屋に入りました。
まず、こちら側に前回の調停から変わったことはないか聞かれ
すぐに、部屋を出て主人と変わりました。
それから、20分くらい待合室で待っていると今度は私の番です。
調停の部屋に入って、前回の話し合いした事をおさらいします。
今日はまた主人が変わった行動をしました。
調停員に婚費(今までの生活費)として、自分で勝手に決めた金額を持参していたのです。
その金額はこちら側が請求している額の約半分。
それ以上は出せないらしいのです。
でも、源泉徴収表を提出していたので主人の年間収入がわかっていました。
こちら側の弁護士と調停員とで、法律上決められた金額を見れば
私の請求していた金額は妥当な所なのです。
それなのに、主人はその半分しか払わないと言っているのです。
しかも、その持ってきていたお金は財産分与にあたるお金から持ってきているのです。
こちら側がそれで納得するはずがありません。
更に、前回の調停で弁護士会に行って相談するように言われていたはずの主人は
弁護士を付けるでもなく、相談すら行っていないのです。
それで言った言葉は、
「こうなった理由がわからない。相手の言うとおりに協力はしてるのに、自分の言い分が通らないのがわからない。」と・・・・・。
調停員も弁護士も呆れて声が出ないというよりも、笑いが出ていました。
まぁ、弁護士と調停員の間で話を詰めてもらって主人に聞いてほしいことを伝え、
こちら側の考えも伝えてもらうことになりました。
そして、また調停の部屋を出て、次は主人の番です。
また待合室で待っている間、弁護士と色々と打ち合わせをして
次の番を待っていました。
ところが、今度はかなり時間がかかっているようでした。
そうしたら、調停員が弁護士だけを呼びに来ました。
次回の調停日を決めていたのですが、話し合っていないのにおかしいなぁと思っていました。
それから、弁護士が待合室に戻ってきて「気分が悪くなったから帰るらしい」と言うのです。
「はぁ?」と思いましたが、主人はそのまま帰りました。
こちら側は、その後で調停の部屋に入って、こちら側の言い分を伝えて
どのような返答だったか聞きました。
まず、これからの生活費のこと。それから、主人の離婚の意思。
そして、親権のこと。TVのこと。そして、今気分が悪くて帰った理由。を聞きました。

長くなるので続きはまた明日書きます。

2003/10/22(水) 23日に書いてます
この日記は23日に書いてます。
22日は、母方のおじいちゃんのお見舞いに行ってきました。
70歳を越えても、わりと体格の良いおじいちゃん。
毎日の散歩は暑い日でも寒い日でも、必ず行っていました。
そのおじいちゃんが、入院してから食事は重湯らしいのです。
だから、必然的に体が少し小さくなっていました。
そして、煙草とお酒が大好きなのに禁止されています。
まーくんの顔を見てパッとおじいちゃんの顔も明るくなりましたが
いつもは、なんだか落ち込んでしまっているらしいのです。
手術は24日です。
手術が終わってからは、チビさんを連れてお見舞いに行けそうに無いので
今度は退院したら、元気な顔が見れると思っています。

2003/10/21(火) 調停の日と同じ日
おじいちゃんの手術の日が決まりました。
24日の金曜日です。
その日は、私の第2回調停日でもあるのです。
その調停のことでかなり緊張して毎日を送っています。
勉強にも身が入らない状態・・・。
調停で上手く話が出来るか、思っていることの7割くらいは話せるだろうか・・・。
もしかしたら、全く話せないかもしれない・・・。
こんな事を考えていたら、勉強にも身は入りませんよね(^^;)
でも、調停が済めば気持ちは楽になると思っていました。
ところが、その日の午後からおじいちゃんの手術です。
午前中に調停だから、結局は一日中緊張していそうです。

実は24日は大切な知り合いの誕生日でもあるのです。
お祝いとかはしないけれど、今年の24日は私にとって
かなり忙しく、緊張した日になりそうです。

2003/10/20(月) 思いもよらぬ事
今日は母方のおばあちゃんから電話がありました。
おじいちゃんが、検査入院したから伝えとこうと思ってとのこと。
まぁ、年齢もいってることだからとそんなに気にならなかったのです。
そして、電話を切ってから知らされたことがありました。
おじいちゃんの検査入院は3日前くらいからだったこと。
そして、大腸癌だと診断されていて、手術のための検査入院だという事。
おじいちゃん自身は大腸癌だと告知されているという事。

何もかも初めて聞きました。
ショックでした。
少し前に、まーくんを連れて遊びに行った時、一言も言っていなかった。
そんな素振りすらしていなかった・・・。
今日、何も聞かなければそのままわからないくらい元気だった。

すっと昔、とても大切な人が亡くなったときも同じような感じでした。
亡くなったと聞くまで、そんな素振りも見せなかったのです。
いつもそうなんです。
私の周りの大切な人が亡くなっていく時、体が悪いような素振りを見せないまま、遠い所へ逝ってしまうのです。
いつも後になって、体が悪かったと知らされるのです。

おじいちゃんはとっても私やまーくんを大事にしてくれました。
これからも、まーくんといっぱい遊んだり会話をしたりして
ずっと居てくれるような感じがしていました。
手術が成功しますように。
そう祈る事だけが今の私にできることです。

心の中で、人間は生まれたときから死に向っているとわかっているのですが
やっぱり直面すると、ダメですね。
おじいちゃん、手術ができるかどうかわからないけど
出来るのであれば、成功しますように。
手術できないくらい、癌が進行していたら・・・・・。
考えないようにします。

2003/10/17(金) 我慢できず
今日は目のかゆみが我慢できずに、眼科へ行ってきました。
目ばちこでしょうと思いながら、診察してもらい
見事にビンゴ!
まだ、切って膿を出すまでひどくなってないから
点眼薬と内服薬で治す事になりました。
それにしても、何年ぶりに眼科へ行ったんだろう〜・・・。
中学生の頃に行った覚えが(^^;)
小さい時は、目ばちこが両目に出来て(合わせて7箇所に目ばちこ)
切ったなぁと思い出しました。
麻酔をしていても、目は見えていたので、メスが近づいてくるのが怖かったのを
今でも鮮明に覚えています。
また、あの時のようになると思っていたので、切らなくて良いと聞いた時
ホッとしました。
でも、内服薬で治らなかったら切って膿を出すそうです。
薬で治って〜〜〜〜〜。

2003/10/16(木) 結婚祝
今日は、親戚の結婚祝を持っていってきました。
親戚の中で数少ない女性の1人が来月結婚します。
小さい頃から仲良しで、いつも2人で遊んでいました。
私の結婚祝は何がいいか聞いてくれたのですが、親戚に何が良いか聞く時間がなく
結局、耐熱タンブラーと小物入れ、コースターにしました。
食器類はもう揃えているかもしれないと思ったのですが
持って行ったら、グラス類は揃えてないとのこと。
喜んでくれました。
結婚式には行かないけれど、とっても綺麗なお嫁さんになるだろうなぁと
思いながら、色んな話をして帰ってきました。
私が言うのもおかしいかもしれないけれど、幸せになってほしいです。

2003/10/15(水) 精神安定剤
昨日の日記に書けなかったことを書きます。
昨日は、1ヶ月ぶりくらいに心療内科を受診しました。
朝のラッシュと重なってしまって、電車は混み混み・・・。
2本くらい電車を見送って、我慢できなくなって精神安定剤を飲みました。
少し眠かったのもあったのですが、ボケーとしていて
なんと、薬の量を間違えて飲んでしまったのです。
いつもなら、飲んでから15分くらいしてくると落ち着いてくるんですが
昨日は、5分くらいで目眩がしていました。
自分では、薬の量を間違った事に気付かず「おかしいなぁ」と思うくらいでした。
そして、2時間の待ち時間と15分の診察時間を終えて家に帰りました。
家に着いても、眠気がひどく目眩も治っておらずそのまま次の日まで爆睡。
時々トイレに起きて、そして、昨日の日記に書いていた、友達との電話をしたくらいです。
それから、朝まで寝て起きたら、今度は右目が異常に痛くて
何があったのか?と思っていました。
するとみるみるうちに右目が腫れてきて目ばちこになっていたんです。
疲れ目かなぁと思い目薬をさしても痛みは取れず、結局痛み止めを飲みました。
これがまた良く効いて今日も頭の中はボケーとしていました。
散歩に行けないのが気がかり・・・・・。

10月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.