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2008/08/09(土)
女子柔道の谷は銅メダル、「全力を出し切った」と笑顔
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北京五輪女子柔道48キロ級の試合が9日、北京科技大学体育館で行われ、谷亮子は準決勝でアリナ・ドゥミトル(ルーマニア)に指導ひとつの差で敗れたが、3位決定戦でロシアの選手に一本勝ちし銅メダルを獲得した。 目標の3大会連続の金メダル獲得は果たせなかったが、5大会連続のメダルを獲得。 「全力を出し切った」と最後は笑顔だった。今後については家族など周囲と相談すると述べ明言しなかった。 <残り30秒の指導、「審判の判定に従う」と谷> ドゥミトルとの準決勝。07年世界選手権の準決勝で勝つなど手の内を知っている相手であり、両者に指導2つが与えられた後も谷の表情は落ち着いていた。だが、両者攻め手を欠くなか残り30秒、谷だけに消極的姿勢による指導が与えれ、試合はそのままドゥミトルに逃げ切られた。 準決勝後は厳しい表情をし無言で控え室に消えた谷だったが、約30分後の3位決定戦では落ち着きを取り戻し、2分27秒で一本勝ちをおさめた。 谷は試合後、「5大会連続のメダル獲得。自分自身のなかでは全力を出し切った結果なのでうれしく思う。日本で応援してくれた人や会場で応援してくれたファンに感謝の気持ちいっぱい」といつもの笑顔に戻り答えた。記者団から準決勝の「指導」について質問が飛んだが「審判の先生の判断なので自分ではどうしようもない。その辺は結果をしっかり受け止めている」と冷静だった。 今回で5大会連続の五輪出場。バルセロナとアトランタの決勝において2回連続で敗れた後、「最低でも金」と臨んだシドニー大会で金メダル、結婚後のアテネでは「田村(旧姓)で金、谷で金」を掲げ連覇を果たした。2005年末に長男を出産した後、初めて出場した国際大会の07年世界選手権では「ママでも金」を達成。今大会目標にしていた五輪3連覇はかなわなかったが、5大会連続のメダル獲得という偉業を成し遂げた。 <周囲が舌を巻く豊富な練習量> 谷(当時は田村)が15歳で福岡国際で優勝したのは1990年。まだ日本がバブルの余韻にひたっているときだった。それから17年と少し。今年4月に開催された体重別選手権で昨年に続き決勝で敗退したことで力の衰えを指摘する声もあがったが、2007年の世界柔道で優勝。批判を跳ね返した。 出産を経験しながらトップレベルのアスリートの身体に戻れた要因のひとつは、その豊富な練習量だ。谷が出身の帝京大学で出稽古したときのことについて同校の穴井さやかは「やらなくちゃいけないと思っても、(今は)いいかなと思うことがあるものだが、谷さんはそういうことがない。学生に混じっても一番練習しているのではないかと思うくらい練習している」と語っていた。 五輪三連覇の目標が途切れたことから、試合後記者団からは2012年のロンドン五輪への出場について質問が相次いだが、「家族のサポートなくしては新しいチャレンジは出来なかった。感謝の気持ちでいっぱい。また主婦をしたい」としたうえで「終わったばかりであるし、自分ひとりの気持ちだけで決めることは出来ない。周りと話し合いながらになると思う」と明言を避けた。 谷は以前、自分の限界について「限界を決めるのは自分の気持ち。限界を突き抜けるイメージがないと目標を立ててもブレーキがかかってしまう」とし。「どこまで行っても道は続いている感じだ」と話していた。 とはいえ、谷にとっての北京五輪は終わった。勝負師の顔から母の顔に戻り、北京に来ているという息子のもとに帰る。
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