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2008/08/10(日)
内柴、日本を救う金1号…親父の仕事、しっかりやった
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日本を救った!! 10日、柔道男子66キロ級で内柴正人(30)が五輪連覇を達成した。「日本勢第1号」「日本柔道史上初の30代の五輪金メダリスト」などの形容詞がついたが、この日は大逆転あり、“幻の一本負け”ありで、勝負強さと幸運を日本勢に示した。内柴の「仕事」は、なでしこジャパンに始まり谷亮子の敗戦へと続く日本勢の悪い流れを断ち切り、メダルラッシュに勢いをつける価値のあるものとなりそうだ。
「あかりー」、「ひかるー」。
日本柔道史上、4人目となる五輪連覇を決めた決勝の畳を下りてすぐ、内柴は観客席に向かって何度も妻のあかりさん(28)と長男の輝君(4)に声をかけた。「家族のため」と公言して戦ってきた男が、喜びと誇りに満ちあふれた瞬間だった。
決勝戦の相手は、合宿でも顔なじみのフランスのダルベレ。縦四方固めに持ち込んで1分8秒でタップを奪っての快勝だったが、ヒヤッとする瞬間が。
寝技に入る直前、ダルベレと内柴が絡み合うように倒れ、内柴が背中から畳に落ちた。シドニー五輪柔道100キロ超級決勝で同じく日仏対決だった、篠原信一Vsドイエの試合の記憶がある日本の応援団には「あれ? もしかして一本負け?」と思った人もいたようだが、主審のコールはなく、内柴が勝った。
内柴は「どうやって勝ったのか覚えていない」というが「確かに背中に衝撃を感じた」とポツリ。投げられたといえば、投げられたという自覚もあるようだ。ただ、試合後、ダルベレは異議を唱えておらず、全日本柔道連盟関係者は「ダルベレが投げの動作をしていない。内柴が引き込んだ『引き込み返し』では」と分析した。
内柴は4回戦でリードされながら、残り30秒を切ってから大逆転する粘りを発揮。「親父なんで、親父の仕事をしっかりやりました」と胸を張った内柴だが、柔道チームの主将としても、これ以上ない仕事をした。
連盟関係者によれば、柔道五輪には「いつも最初に結果が出る谷が負けると雪崩を打つ」というジンクスがあるという。谷が銀メダルに終わったバルセロナでは金2個、アトランタでは金3個。金を取ったシドニーが4個、同じくアテネは8個に増えた。
これは他の競技にも波及し、それぞれ日本の金メダルの数は3、3、5、16だった。2006年のトリノ五輪では、前半で日本に勢いがつかず、メダルは最終日フィギュアスケートで荒川静香の金だけだった。
その谷は3連覇に失敗して銅メダル。柔道男子60キロ級の平岡拓晃は初戦で敗退した。この日以降も「金メダルの可能性は日に日に下がる。1個も取れないかも」(連盟関係者)と嘆く声も。なでしこジャパンは格下と引き分けて米国に敗戦、反町ジャパンは2連敗で1次リーグ敗退が決まった。流れは最悪だった。
これを覆すのに、内柴以上の適役はなかった。小学校3年生のとき「兄にケンカで勝ちたい」と柔道を始め、五輪連覇に上りつめた内柴だが、何度も逆境を跳ね返してきた経緯があるからだ。
アテネ五輪前年の体重別選手権では、前代未聞の体重オーバー。代表となったものの周囲のメダルへの期待は低く、地元・熊本で応援団長になってくれる人を探すのにも苦労した。しかし結果はオール1本勝ち。
その後は成績が低迷し、代表を若手に奪われる時期が続いた。それでも、「社長」と呼び尊敬する野村忠宏に昨年12月、「オレが敬意を払う価値があると思えるのは、頂点からどん底に落ちたときに、踏ん張る姿を見せられる選手。お前はどうか見てるぞ」と言われて発奮し、逆転で代表の座をつかんだ。
内柴は国士舘大柔道部、あかりさんは帝京大柔道部で、男女交際は御法度。これも逆境だったが、今は五輪で喜び合える、最高の家族になっている。
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