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2008/08/12(火) 野口みずきが五輪欠場 女子マラソン・アテネ金メダリスト
北京五輪女子マラソンで史上初の連覇を狙う野口みずき(30)=シスメックス=が欠場を決めたことが12日分かった。野口側は欠場の意思を日本オリンピック委員会(JOC)側に伝えた。


10日に記者会見した藤田信之監督によると、野口はスイスで合宿中の7月25日午後の練習後に左足付け根部分に痛みを訴えた。
 局部注射などの処置を行ったが、痛みが取れないため予定より3日早い8月4日に帰国。5日と9日にMRI(磁気共鳴画像装置)検査を受けた。
 入院はしておらず、医師の所見では快方に向かっており、野口もジョギングなどの練習をしている、としていた。
 野口は「最後まであきらめずに出たいと思っている」とのコメントを発表。藤田監督は「本人の出ようとする意思は変わりない。2、3日の間に判断する」と語っていた。
 アテネ五輪では2000年シドニー五輪の高橋尚子(ファイテン、当時積水化学)に続く日本勢2連覇を達成。翌年のベルリンでは2時間19分12秒の日本記録を樹立した。その後は故障でレースを欠場することがあったが、北京五輪代表選考会を兼ねた昨年の東京国際女子で圧勝し、北京での連続金メダルが期待されていた。





■谷本が連覇 すべて一本勝ち 女子63キロ級

北京五輪第5日の12日、柔道女子63キロ級の谷本歩実(コマツ)は決勝で、フランスのリュシ・ドコスに一本勝ち。決勝までオール一本勝ちした。アテネ大会に続き、2連覇を果たした。


▽谷本歩実の話 うれしいの言葉に尽きる。ここまで来られたのは私一人の力ではないと思っている。(オール一本での優勝に)一本を取る柔道を教わってきてずっと貫いてきた。それをまた子どもたちにも教えたい。(五輪連覇は)びっくりです。

2008/08/11(月) 北島涙の連続金、世界新で決めた
北島康介(25=日本コカ・コーラ)が、世界新の金メダルに涙を流した。男子100メートル平泳ぎ決勝で、ハンセン(米国)の世界記録を0秒22秒更新する58秒91で優勝した。前半で余力を残す作戦が的中。予選から五輪新記録を連発したダーレオーエン(ノルウェー)を後半に逆転。日本人36年ぶりの世界新記録で金メダルを獲得した。同種目の2連覇は史上初で、競泳2大会連続金メダルは日本人76年ぶり。前回アテネ五輪で2冠達成後、故障などで不振が続いたが、原点からの再出発で、再び世界の頂点に立った。
 しばらく言葉が出なかった。レース直後のインタビュー。北島はタオルで顔を覆って、おえつを漏らした。涙を流し、声を詰まらせながら「うれしいです…。何も言えない」。もがき、苦しんだ末につかんだ世界新での金メダル。第一声で「チョー、気持ちいい」と叫んだ4年前とは、まるで違った感激が込み上げてきた。「アテネより気持ちいい」。泣きながら笑った。
 「完ぺきな理想の泳ぎだった」。北島は決勝レースをそう振り返った。前半の50メートルは3番目に折り返した。ストロークは準決勝より3回も少ない16回。水の抵抗をおさえる大きな泳ぎで、体力を温存した。ターン直後に一気に加速してハンセン、ダーレオーエンを抜いた。スピードは最後まで衰えなかった。史上初めて59秒の壁を突破する58秒91の世界新記録。両手でガッツポーズをつくり、何度も絶叫した。
 予選、準決勝で新鋭ダーレオーエンが五輪新記録を連発した。北島はともに2位通過。「驚異的だった。彼の記録がプレッシャーをかけた」。しかし、決勝は自分の泳ぎに集中する冷静さがあった。平井コーチから3つの作戦を伝授された。(1)スタートを思い切り良く飛ぶ(2)ストロークのテンポを落として大きな泳ぎをする(3)ラスト10メートルからはタッチをイメージしてタイミングを計る。そのすべてを完ぺきに遂行した。
 「よくあれだけ度胸よく指示通りやってくれた。普通は準決勝で0秒4も差があると逆転は難しい。でも飛び込んで、浮き上がった時点で勝ったと思った。完ぺきなレース」。12年以上も指導してきた平井コーチは、愛弟子の集中力と勝負強さに今さらながら驚いていた。
 長く、苦しい4年間だった。アテネで五輪2冠の夢を実現させてプロ活動を本格化させたが、以前のような競技への意欲がわいてこなかった。ひじやひざの故障も続いた。アテネ以降、宿敵ハンセンに直接対決で4連敗。200メートルでは日本選手権でも05年3位、06年4位と惨敗した。「五輪選考会前に、やる気がなくなってしまうかと思った」と平井コーチは振り返る。
 06年8月、パンパシフィック選手権で転機が訪れた。200メートル決勝。隣で泳いだ宿敵ハンセンが世界記録を樹立した。2秒以上の大差をつけられての屈辱的な惨敗に、北島の目が覚めた。「隣で出されて悔しくないわけがない。記録に挑戦したいと思うようになった」。ずっと勝てなかったライバルを追い続けた中学時代の自分を思い出した。「負けを知ったとき、初めて勝つことが出きる」と文集に書いた原点に戻った。
 昨春の世界選手権200メートルで金メダルを獲得して長い苦境を脱した。同夏にはプールの中で左脚の肉離れをするほど練習に打ち込んだ。ひざのバネを利かせたキックで勝ってきたが、今季は上半身のストロークの強化に努め「4輪駆動」の泳ぎに進化させた。
 アテネでは2冠を達成したが、泳ぎも記録もベストを出せなかった。「4年前にできなかったことができた。進化を見せられた。もちろん200メートルも勝負したい」。14日の200メートル決勝で五輪連続2冠を再び世界新記録で達成するために、まだ歩みを止めるつもりはない。

2008/08/10(日) 内柴、日本を救う金1号…親父の仕事、しっかりやった
日本を救った!! 10日、柔道男子66キロ級で内柴正人(30)が五輪連覇を達成した。「日本勢第1号」「日本柔道史上初の30代の五輪金メダリスト」などの形容詞がついたが、この日は大逆転あり、“幻の一本負け”ありで、勝負強さと幸運を日本勢に示した。内柴の「仕事」は、なでしこジャパンに始まり谷亮子の敗戦へと続く日本勢の悪い流れを断ち切り、メダルラッシュに勢いをつける価値のあるものとなりそうだ。

 「あかりー」、「ひかるー」。

 日本柔道史上、4人目となる五輪連覇を決めた決勝の畳を下りてすぐ、内柴は観客席に向かって何度も妻のあかりさん(28)と長男の輝君(4)に声をかけた。「家族のため」と公言して戦ってきた男が、喜びと誇りに満ちあふれた瞬間だった。

 決勝戦の相手は、合宿でも顔なじみのフランスのダルベレ。縦四方固めに持ち込んで1分8秒でタップを奪っての快勝だったが、ヒヤッとする瞬間が。

 寝技に入る直前、ダルベレと内柴が絡み合うように倒れ、内柴が背中から畳に落ちた。シドニー五輪柔道100キロ超級決勝で同じく日仏対決だった、篠原信一Vsドイエの試合の記憶がある日本の応援団には「あれ? もしかして一本負け?」と思った人もいたようだが、主審のコールはなく、内柴が勝った。

 内柴は「どうやって勝ったのか覚えていない」というが「確かに背中に衝撃を感じた」とポツリ。投げられたといえば、投げられたという自覚もあるようだ。ただ、試合後、ダルベレは異議を唱えておらず、全日本柔道連盟関係者は「ダルベレが投げの動作をしていない。内柴が引き込んだ『引き込み返し』では」と分析した。

 内柴は4回戦でリードされながら、残り30秒を切ってから大逆転する粘りを発揮。「親父なんで、親父の仕事をしっかりやりました」と胸を張った内柴だが、柔道チームの主将としても、これ以上ない仕事をした。

 連盟関係者によれば、柔道五輪には「いつも最初に結果が出る谷が負けると雪崩を打つ」というジンクスがあるという。谷が銀メダルに終わったバルセロナでは金2個、アトランタでは金3個。金を取ったシドニーが4個、同じくアテネは8個に増えた。

 これは他の競技にも波及し、それぞれ日本の金メダルの数は3、3、5、16だった。2006年のトリノ五輪では、前半で日本に勢いがつかず、メダルは最終日フィギュアスケートで荒川静香の金だけだった。

 その谷は3連覇に失敗して銅メダル。柔道男子60キロ級の平岡拓晃は初戦で敗退した。この日以降も「金メダルの可能性は日に日に下がる。1個も取れないかも」(連盟関係者)と嘆く声も。なでしこジャパンは格下と引き分けて米国に敗戦、反町ジャパンは2連敗で1次リーグ敗退が決まった。流れは最悪だった。

 これを覆すのに、内柴以上の適役はなかった。小学校3年生のとき「兄にケンカで勝ちたい」と柔道を始め、五輪連覇に上りつめた内柴だが、何度も逆境を跳ね返してきた経緯があるからだ。

 アテネ五輪前年の体重別選手権では、前代未聞の体重オーバー。代表となったものの周囲のメダルへの期待は低く、地元・熊本で応援団長になってくれる人を探すのにも苦労した。しかし結果はオール1本勝ち。

 その後は成績が低迷し、代表を若手に奪われる時期が続いた。それでも、「社長」と呼び尊敬する野村忠宏に昨年12月、「オレが敬意を払う価値があると思えるのは、頂点からどん底に落ちたときに、踏ん張る姿を見せられる選手。お前はどうか見てるぞ」と言われて発奮し、逆転で代表の座をつかんだ。

 内柴は国士舘大柔道部、あかりさんは帝京大柔道部で、男女交際は御法度。これも逆境だったが、今は五輪で喜び合える、最高の家族になっている。

2008/08/09(土) 女子柔道の谷は銅メダル、「全力を出し切った」と笑顔
北京五輪女子柔道48キロ級の試合が9日、北京科技大学体育館で行われ、谷亮子は準決勝でアリナ・ドゥミトル(ルーマニア)に指導ひとつの差で敗れたが、3位決定戦でロシアの選手に一本勝ちし銅メダルを獲得した。
 目標の3大会連続の金メダル獲得は果たせなかったが、5大会連続のメダルを獲得。 「全力を出し切った」と最後は笑顔だった。今後については家族など周囲と相談すると述べ明言しなかった。
 <残り30秒の指導、「審判の判定に従う」と谷>
 ドゥミトルとの準決勝。07年世界選手権の準決勝で勝つなど手の内を知っている相手であり、両者に指導2つが与えられた後も谷の表情は落ち着いていた。だが、両者攻め手を欠くなか残り30秒、谷だけに消極的姿勢による指導が与えれ、試合はそのままドゥミトルに逃げ切られた。
 準決勝後は厳しい表情をし無言で控え室に消えた谷だったが、約30分後の3位決定戦では落ち着きを取り戻し、2分27秒で一本勝ちをおさめた。
 谷は試合後、「5大会連続のメダル獲得。自分自身のなかでは全力を出し切った結果なのでうれしく思う。日本で応援してくれた人や会場で応援してくれたファンに感謝の気持ちいっぱい」といつもの笑顔に戻り答えた。記者団から準決勝の「指導」について質問が飛んだが「審判の先生の判断なので自分ではどうしようもない。その辺は結果をしっかり受け止めている」と冷静だった。
 今回で5大会連続の五輪出場。バルセロナとアトランタの決勝において2回連続で敗れた後、「最低でも金」と臨んだシドニー大会で金メダル、結婚後のアテネでは「田村(旧姓)で金、谷で金」を掲げ連覇を果たした。2005年末に長男を出産した後、初めて出場した国際大会の07年世界選手権では「ママでも金」を達成。今大会目標にしていた五輪3連覇はかなわなかったが、5大会連続のメダル獲得という偉業を成し遂げた。
 <周囲が舌を巻く豊富な練習量>
 谷(当時は田村)が15歳で福岡国際で優勝したのは1990年。まだ日本がバブルの余韻にひたっているときだった。それから17年と少し。今年4月に開催された体重別選手権で昨年に続き決勝で敗退したことで力の衰えを指摘する声もあがったが、2007年の世界柔道で優勝。批判を跳ね返した。
 出産を経験しながらトップレベルのアスリートの身体に戻れた要因のひとつは、その豊富な練習量だ。谷が出身の帝京大学で出稽古したときのことについて同校の穴井さやかは「やらなくちゃいけないと思っても、(今は)いいかなと思うことがあるものだが、谷さんはそういうことがない。学生に混じっても一番練習しているのではないかと思うくらい練習している」と語っていた。
 五輪三連覇の目標が途切れたことから、試合後記者団からは2012年のロンドン五輪への出場について質問が相次いだが、「家族のサポートなくしては新しいチャレンジは出来なかった。感謝の気持ちでいっぱい。また主婦をしたい」としたうえで「終わったばかりであるし、自分ひとりの気持ちだけで決めることは出来ない。周りと話し合いながらになると思う」と明言を避けた。
 谷は以前、自分の限界について「限界を決めるのは自分の気持ち。限界を突き抜けるイメージがないと目標を立ててもブレーキがかかってしまう」とし。「どこまで行っても道は続いている感じだ」と話していた。
 とはいえ、谷にとっての北京五輪は終わった。勝負師の顔から母の顔に戻り、北京に来ているという息子のもとに帰る。

2008/08/08(金) <北京五輪>開会式の打ち上げ花火は過去最多の12万発、ギネス更新
2008年8月8日午後8時(現地時間)、北京の夜空を彩る鮮やかな花火ともに、第29回夏季オリンピック北京大会が華々しく開幕した。開会式で打ち上げられた花火は12万発余り。過去28回のオリンピックで打ち上げられた総数の4倍に達し、ギネス世界記録を更新した。9日付で中国新聞社(電子版)が伝えた。

開閉会式の花火演出を担当するのは、「花火の里」として知られる湖南省長沙市の管轄市、瀏陽市の花炮(花火・爆竹)局。同局の徐強国(シュー・チアングオ)局長によると、打ち上げ数だけでなく、その範囲の広さもギネス世界記録を更新したという。打ち上げ地点は国家体育場(愛称「鳥の巣」)から万里の頂上に至る市内約100平方キロメートルの範囲に設けられた。また、同局は今回のために世界の最高技術を集約したという。


笑顔のマーク、全長3.5kmにおよぶ牡丹と龍、ギリシャから北京へのオリンピック到来を表した足跡――。独創的な花火が会場の観客を魅了した。開会式での打ち上げ時間は、トータルにして約20分間。打ち上げ地点は、国家体育場、オリンピック中心区、オリンピック森林公園、永定門、前門、天安門など30か所余り、花火の種類は1200種余りにのぼった。

2008/08/07(木) 倖田來未、“大切な人”を連れて花火大会で熱唱
「2008神宮外苑花火大会」(日刊スポーツ新聞社主催)が7日、東京・神宮球場などで開催された。歌手の倖田来未(25)、Berryz工房、℃−ute、BAHOら多彩な出演者が、都会の夜空を彩る1万発の花火と共演した。今年で29回目を迎える夏の風物詩の迫力に、4会場の来場者16万8000人が酔いしれた。
 「夏女」を自認する倖田が、神宮球場で猛暑や花火の熱気に負けない熱いパフォーマンスを繰り広げた。4曲目の「girls」では、タオルを大きく振り回しながら「一緒に踊ろう!」「みんなも声を出して!」と何度も絶叫。「ファンと一緒に盛り上がりたい」と開演前に話していたとおり、オールスタンディングの会場との一体感を楽しんだ。
 夏とは恋の季節。ラストに「girls」を選んだのは、歌詞の世界観にもある熱い大きな恋をしようと訴えたかったからだ。「線香花火のような小さな火種じゃない 打ち上げ花火のような大きな音がなった」。浴衣姿で見つめる多くの女性ファンへの熱いメッセージを届けた。ライブの後はお待ちかねの花火だ。「みんなで最高の打ち上げ花火を楽しもう!」。倖田の声を合図に、「ドカーン」と特大の花火が一斉に夜空を彩り始めた。
 スタンドには、京都から呼び寄せた母と祖母の姿があった。「たまには親孝行とおばあちゃん孝行をしないと」。パフォーマンスと同じように華麗な花火を3人で見つめた。短い休息でエネルギーを充電したクウちゃん。「大きなホールもいいけど、もっとファンの人たちを身近に感じたい」と、秋からはライブ活動に力を入れていく。

2008/08/06(水) 中国でも毒ギョーザ!回収製品食べて中毒に
中国製ギョーザ中毒事件で、製造元の天洋食品(中国河北省)が中国国内で回収した冷凍ギョーザが流通し、これを食べた中国人が有機リン系殺虫剤「メタミドホス」による中毒症状を訴えていたことが6日までに分かった。中国側はこれまで、中国国内での殺虫剤混入を否定してきたが、中国外務省は同日、「中国国内で6月中旬に中毒事件が起きていた」と認め、中国での混入が確定的な状況となった。また、日本政府が7月の北海道洞爺湖サミット前に中国側から連絡を受けていたものの、公表していなかったことも明らかになった。

 中国製ギョーザ中毒事件の発覚から半年。殺虫剤入りの冷凍ギョーザは日本への輸出品だけでなく、中国国内でも流通したことが判明した。6日、日本の関係筋が明らかにした。

 関係筋によると、中国国内で今年6月、天洋食品がいったん回収した冷凍ギョーザの一部を食べた中国人が、有機リン系殺虫剤によるとみられる中毒症状を訴えた。その後の調査でメタミドホスが検出され、原因と断定されたという。被害を受けた人数や詳しい症状は不明。

 中国外務省は6日、国内での中毒事件を認めた上で、「中国政府は事件を極めて重視している。公安省が全力を挙げて捜査を展開している」と表明。一方、輸出食品の安全管理を担当する中国国家品質監督検査検疫総局の報道課は「日本からの報道で初めて知った。事実関係を確認中だ」と述べ、事件発生の確認を避けた。

 日本側は外交ルートを通じ、中国側に事実関係の確認を要請する方針。首相周辺は「日本国内での混入の可能性は極めて低いと中国政府には伝えた。あとは中国がどう判断するかだ」と述べた。中国側は北京五輪終了後、捜査を本格化させる意向を日本側に示したが、「本格化」の具体的な意味は不明という。

 中国側は経緯について、7月の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)前に外交ルートを通じて日本政府に連絡したが、政府は公表していなかった。これに対して、事件の被害者からは「なぜ今まで公表されなかったのか」と、日本政府の対応に不満の声も上がっている。

 警察庁は2月、鑑定や実験の結果、メタミドホスは日本で製造されたものではなく、中国の製造段階で混入されたことが確定的との捜査結果を中国公安省に伝えた。公安省は同月、記者会見で中国での混入を否定するなど、日中双方の見解が対立していた。

 ◆中国製ギョーザ中毒事件 昨年12月から今年1月にかけて、中国の天洋食品が製造し、日本たばこ産業(JT)子会社のジェイティフーズと日本生活協同組合連合会が販売した、冷凍ギョーザを食べた千葉、兵庫両県の3家族計10人が有機リン系中毒になった。原因となった商品からアブラムシなどの駆除に使われ、日本で使用が禁止されている有機リン系の殺虫剤メタミドホスが検出された。濃度は最大で残留農薬基準の10万3000倍に上り、故意に混入された可能性が高いとみられている。

2008/08/05(火) <河野澄子さん死去>義行さん「妻が頑張ったから、私も…」
松本サリン事件被害者で長野県松本市の河野義行さん(58)は5日、サリンを吸って意識不明のままだった妻澄子さん(60)が亡くなったのを受け、自宅前で記者団の取材に応じた。「家族にとって事件が終わるのは妻が完治する日か、亡くなる日だと思い、闘い続けてきた。今日が一段落となる」と淡々と語った。

 5日午前3時4分、澄子さんの14年余りに及ぶ闘病生活が終わった。自宅に連れ帰った遺体に真新しいピンク色のパジャマを着せ、「この曲で送ろう」と決めていたバッハのミサ曲を流しているという。

 医師から「余命3カ月」の宣告を受けたのは6月。「それまで回復後の生活を考えてきたが、逝くまでどんな準備が必要なのか考えるようになった」という。以来、病院を訪れるたびに澄子さんの好きな曲をヘッドホンで聴かせてきた。

 義行さんは「子供を大切にする良い母親で、私にとっては良き親友だった。『パパァ』と呼ぶ声が耳に残る。7年前から遺影を用意していたが、妻の死はやはりつらい」と胸中を語った。

 今後については「支えがなくなり、自分がどうなってしまうか不安だが、妻が頑張ったんだから、私も頑張っていく」と話し、執筆や講演活動を続けていく意向を示した。

2008/08/04(月) 米俳優のモーガン・フリーマンさん、交通事故で重傷
米アカデミー賞受賞俳優、モーガン・フリーマンさん(71)が3日夜ミシシッピ州内で交通事故に遭い、テネシー州の病院に空路で搬送された。米メディアが4日報じた。

 CNNなどによると、フリーマンさんが乗っていた車はミシシッピ州ルールビルの幹線道路を猛スピードで走行中、路肩に飛び出し数回横転したという。居眠り運転の可能性も指摘されている。フリーマンさんは命に別条はないものの、複数の部位を骨折したとみられ重傷。

 フリーマンさんの意識は事故直後もはっきりしていたといい、携帯電話のカメラで現場写真を撮ろうとしたやじ馬に「ただではだめだよ」と冗談を飛ばしたという。 

 フリーマンさんは「ドライビング・ミス・デイジー」(1989年)、「ショーシャンクの空に」(94年)などで実力派俳優としての評価を確立。女性ボクサーとトレーナーのきずなを描いた米映画「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)でアカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。現在公開中の大ヒット作「ダークナイト」にも出演している。

2008/08/03(日) エスカレーター急停止、逆走 東京ビッグサイト 乗客転倒、10人けが
3日午前10時ごろ、東京都江東区有明の国際展示場「東京ビッグサイト」西ホールで、上りエスカレーターが突然停止し、乗客約120人の一部が転倒した。警視庁東京湾岸署と東京消防庁によると、19〜54歳の男女10人が段差に足を打つなどして軽傷を負った。

 エスカレーターは1階から4階まで直通運転で、長さは約30メートルある。先頭が3階付近まで進んだところで急停止。直後に逆走したため、乗客がバランスを崩し転倒したとみられる。警視庁は一度に大勢が乗り、何らかの故障が発生した可能性があるとみて駆動部分を取り外し、原因を調べている。

 西ホールでは、フィギュア展示販売会「ワンダーフェスティバル2008夏」を開催。開場と同時に警備員が先導し、一斉にエスカレーターに乗り込んだ。

 事故機は、製造メーカー大手の「日本オーチス・エレベータ」(東京)社製で平成8年4月から稼働。7月29日に月1回の定期点検を行ったが、異常はなかったという。

 同社製エスカレーターをめぐっては、5月にも名古屋市の市営地下鉄の駅で急停止し、11人が負傷する事故が発生。乗客が立つステップ部分の下のボルト3本が破断していた。

 今回の事故でオーチス社は「ボルト破断の報告は受けていない」としている。


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