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2008/06/07(土)
植田日本、16年ぶり五輪 男子バレーボール
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北京五輪男子世界最終予選日本ラウンド第6日(7日、東京体育館、観衆=1万)男、植田が泣いた! 世界ランキング12位の日本は同6位のアルゼンチンを3−2で撃破。通算成績を5勝1敗とし、五輪出場権が与えられるアジア5カ国の1位が確定。植田辰哉監督(43)が主将を務めたバルセロナ大会以来、16年ぶり8度目の五輪出場が決まった。女子とのアベック出場も4大会ぶり。北京では、金メダルに輝いたミュンヘン大会以来36年ぶりのメダル獲得を目指す。
整髪料で固めた髪形とこわもての表情が、くしゃくしゃになった。7連続失点で落とした悪夢のイタリア戦以来のフルセット。19−18のマッチポイントで、荻野正二主将(サントリー)のスパイクが相手ブロックをはじくと、植田監督は選手の汗と涙がしみこんだコート上に、大の字になってうつぶせに倒れ込んだ。
絶叫のような歓声の中、選手も涙を流しながら抱き合う。「尊敬しているおじいちゃんのような松平名誉会長、お父さんのような大古さんにやさしく厳しく育ててもらった。そのイズムを引き継いで勝てたことがうれしい」。立ち上がった指揮官はコートサイドの看板をまたぐと、2人の恩師の元へ駆け寄った。
主将を務めた16年前は、当時の大古誠司監督と意見の衝突を繰り返した。それでも最後はチームをまとめ上げ、五輪切符を手に入れた。そして全日本監督に就任した05年、真っ先に主将に指名したのが当時35歳だった荻野だ。バルセロナ以来の五輪を狙うには、同じコートに立ち、その経験を知る男が必要だった。
だからこそ、キャプテンにも妥協は許さない。2年前のVリーグで優勝し、昨年11月のW杯前はモチベーションを失っていたベテランにあえて無休のトレーニングを課した。そして北京への扉を切り開いたのが、まな弟子の一打だった。
「メンバー入りできなかった選手を含めてみんなで取った切符。はっきりいいますがメダル、狙います」と、指揮官は高らかに宣言した。
口癖は「五輪に行けば人生が変わる」。強化合宿中、ホワイトボードにこのフレーズを書き込んだ。監督自身が実証した言葉だ。99年にVリーグの名門・新日鉄(現在は堺)、03年には全日本ジュニアの監督を任された。バルセロナに出場しなければ、指導者として日の丸を背負う大役は回ってこなかった。そして16年のときがたち、主将から指揮官に立場を変えて夢舞台へ戻った植田辰哉。今度の五輪は、「行っただけ」では終わらせない。
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