|
2008/04/22(火)
光母子殺害 死刑判決…元少年、遺族に一礼
|
|
|
「被告人を死刑に処する」。22日午後0時2分、広島高裁302号法廷に、楢崎康英裁判長の静かな声が響いた。99年4月に起きた山口県光市・母子殺害事件の差し戻し控訴審判決。被告席の元少年(27)は裁判長や遺族らに一礼して退廷した。最愛の妻子を奪われた本村洋さん(32)は閉廷後、「適切な判断を下した判決だと思う」と力を込めた。事件発生から9年。4度目の法廷で、司法は極刑を選択した。
判決の言い渡しは午前10時過ぎに始まった。本村さんは約20分前に黒のスーツ姿で入廷。ひざに2人の遺影を置き、遺族席で聴き入った。
元少年は、楢崎裁判長の極刑の言い渡しを証言台に立って静かに聴き、終了後、裁判長や検察官、弁護団、本村さんらに一礼した。本村さんは身動きせず、退廷する際に一瞬笑顔を見せた。
本村さんは判決後、広島市中区で記者会見。「遺族として、この重い判決を受け止めて生きていかねばならない」と語った。9年間の裁判について「元少年が差し戻し審で証言を覆したことが一番悔しかった。反省の弁を述べてほしかった」と声をつまらせ、「娘の誕生日前に(墓に)報告に行きたいが、気持ちの整理がつかないので、かける言葉が思いつかない」と話した。
本村さんは事件後、全国犯罪被害者の会(あすの会)幹事に就任。「遺族の思いをかなえるには、法律を変える必要がある」と独学で刑法を学び、被害者の権利を求める活動の先頭に立った。
元少年の死刑を求めたのは「死と向き合い、償いの形を示すことが彼の役割だ」と思うからだ。それが正しいことなのか、葛藤(かっとう)は常にある。ただ、裁判や報道を通じて被害者や加害者の気持ちを伝え続けることが、犯罪抑止につながると信じてきた。
05年4月に犯罪被害者基本法が施行されるなど、裁判に被害者の視点が多く取り入れられるようになった。年内には被害者や遺族が法廷で、直接被告に質問できるようになる。新たな制度の多くは被害者が声を上げて具体化させたものだ。
「あの日」から9年を迎えた14日、3人が暮らしたアパートのドアの前には明るいオレンジ色のカーネーションが飾られていた。そばには「対象年齢6歳以上」と書かれたトトロの小さなキーホルダー。生きていれば、夕夏ちゃんはもうすぐ10歳になる。
「いつになっても妻と娘を守れなかった罪は消えない」。いつも自分を責めてしまう。だが、自分が元気に生きることが、天国の2人の望みだとも思う。
「パパは、自分の人生を一生懸命生きるからね」。判決文を聞きながら本村さんは大きく息を吐き、2人の遺影を抱きしめた。
■「主張の全否定はショック」と元弁護人
22日に死刑判決が出された山口県光市母子殺害事件差し戻し控訴審では、被告の元少年についた20人を超える弁護団の言動が常に注目されていた。強姦の計画性や殺意そのものを否定する主張は世論から猛烈に非難されたし、弁護団に死刑廃止論者が多かったことから「死刑廃止運動のために事件を利用しているだけ」と批判もされた。
今回の判決を、事件に関わった弁護士はどう受け止めたのか。
「判決は予想できたが、理由においては予想以上にきびしいものだった。内容自体がおかしい、信用できないと『全否定』。門前払いみたいな扱い。そういう意味でショックだった」
|
|
|
|