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2008/01/21(月) 早すぎたスーパーカー 加藤博一氏逝く
大洋、阪神などで外野手として活躍した加藤博一(かとう・ひろかず)氏が21日午後0時54分、肺がんのため神奈川県横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。俊足巧打を武器に大洋では高木豊、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成し話題を呼んだ。現役引退後は野球解説者として軽妙なトークなどでお茶の間の人気者となり、バラエティー番組などでも活躍。一昨年から闘病生活を続けてきたが、今月になり容体が急変。帰らぬ人となった。

  加藤氏は家族に見守られながら息を引きとった。遺体が戻った逗子市内の自宅で取材に応じた二男の眞一さんは「一昨年から体を悪くして…」と語るのが精いっぱいだった。

 加藤氏の所属事務所によると、06年冬に肺がんが見つかり、昨年2月に手術。それでも、その後は野球解説の仕事に復帰。7月に左太腿にがんが転移していたことが発見されたが、手術はせず、放射線治療や抗がん剤による治療で入退院を繰り返した。病床にはオリックス・清原からサイン入りバットとサイン色紙が激励のため届けられたという。生前、加藤氏が現場に駆けつけた時は抗がん剤の影響で髪の毛は抜けて帽子姿だったが周囲には「髪が抜けちゃったよ」と気丈に振る舞っていた。最後まで持ち前の明るさを失わずがんと闘ってきたが、ついに力尽きた。「現場に戻りたい。グラウンドに戻って野球を見たい」が口癖だった。

 多久工(現多久)から70年にドラフト外で西鉄(現西武)に入団。76年に阪神に移籍してレギュラーに定着。79年に江川から初本塁打を放つなど“江川キラー”として活躍した。83年に移籍した大洋では2番に定着。85年には48盗塁とリーグトップの39犠打をマーク。高木豊、屋鋪要と3人で148盗塁を記録し「スーパーカートリオ」として話題を呼んだ。髪形はパンチパーマ。ユニークで明るい性格から人気者となり、打席でのテーマ曲「蒲田行進曲」が元になったスタンドからの「ヒロカズコール」はハマスタ名物となった。86年にはプロ17年目で初のオールスターにも出場した。

 90年の現役引退後は、テレビのスポーツニュースで巧みな話術と持ち前の明るい性格を発揮。解説にバラエティーの要素を加えた野球キャスターの草分け的存在となり、一躍お茶の間の人気者になった。解説者の後輩には「グラウンドに誰よりも早く行って、選手の話を聞くんだ」と指導。自らが苦労して定位置をつかんだ経験から、現場では選手の話を親身になって聞くなど、現役選手からの信望も厚かった。金本(阪神)、松井稼(アストロズ)らも加藤氏を慕っていた。誰よりも野球を愛し、野球を熱く語ってきた。スーパーカーのごとく56年の人生を走り抜けた加藤氏の“ヒロカズ節”はもう聞けない。


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