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2007/09/01(土)
広島 前田智、2000安打を達成
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広島・前田智徳外野手(36)は1日、中日戦(広島)の八回に久本祐一投手(28)から右前打を放ち、この試合まであと1本に迫っていた史上36人目の通算2000安打を達成した。1990年6月6日のヤクルト戦で初安打を放ってから、プロ18年目、1895試合目での大台到達。広島の生え抜き選手では衣笠祥雄、山本浩二、野村謙二郎に続いて4人目の偉業となる。
孤高の天才、前田智が幾多のけがを乗り越え、2000安打に到達した。八回二死満塁で回ってきた第5打席。地元・広島市民球場に沸き起こる「マエダ」コールの中、カウント1−1から左腕・久本の投げた真ん中直球をフルスイング。右前へ痛烈に弾き返す2点適時打を放った。
「いろんなことがあったが、ここまでよく頑張ってきたと思う。きょうという日は、一生忘れることはありません」
長男・浩由(ひろよし)くん(5)と二男・晃宏くん(4)から花束を照れ臭そうに受け取った。日ごろ、活躍しても口数の少ないクールな職人が、お立ち台で、声を震わせ、封じ込めてきた胸の中の思いを吐きだした。
「けがをしてチームの足を引っ張ってきた。こんな選手を応援していただいてありがとうございます」。華やかな舞台で、“悔し涙”を浮かべ、チーム低迷の責任を主将としてわびた。人柄がにじみ出るヒーローインタビューに、大きな拍手が送られた。
95年5月23日のヤクルト戦(神宮)で右アキレス腱を断裂。00年夏には左アキレス腱も手術を受けた。やり切れなさに「金で買えるなら、足を買いたい」とこぼした。リハビリに関する本を読みあさり、ひたすら走り続ける毎日だった。
「逃げるのは簡単。ただ、生まれ持って授かった物を、けがでダメにしたくはなかった」
できることはすべてやった。スパイクはマラソンの高橋尚子らのシューズを手掛けたアシックスの三村仁司氏に製作を依頼。ミリ単位で足のサイズを計測し、左右で靴底の厚さを変えるなど、負担を減らすために工夫した。夫人の英美さん(32)の協力で食事療法にも取り組み、好物の甘い物や脂物を断った。
「記録を達成したが、ファンには十分な配慮ができなかった。何らかの形、いいプレーで応えたい。これからも応援してくれたらうれしい」
苦しみ抜き、球史にその名を刻んだ前田智。2000安打は、通過点に過ぎない。
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