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2007/06/30(土) 羽賀研二を恐喝容疑で逮捕…元世界王者・渡辺二郎らと共謀
約4億円の債務を1000万円に減額させようと債権者を脅迫したとして、大阪府警は6月30日、タレントでジュエリーデザイナーの羽賀研二(本名・當眞美喜男)容疑者(45)を恐喝容疑で逮捕した。暴力団幹部やプロボクシング元世界王者、渡辺二郎容疑者(52)=同容疑で逮捕=らと共謀し、犯行に及んでいた。羽賀容疑者は昨年10月に結婚したばかりだった。

 タレントの梅宮アンナ(34)との交際中に自ら「誠意大将軍」と名乗り、約2億4000万円もの借金を抱えるなどした、あの「お騒がせ男」が逮捕された。

 羽賀容疑者=東京都目黒区=は同月30日午後5時45分ごろ、香川県丸亀市内で宝石の展示販売をするため降り立った高松空港で、府警捜査員に逮捕された。「弁護士を通して被害者側に1000万円渡し、済んだ話」などと容疑を否認している。

 羽賀容疑者のほかに、恐喝容疑で逮捕されたのは、指定暴力団山口組系極心連合会関係者で、プロボクシング元世界王者の渡辺二郎=大阪市天王寺区、同会幹部の川喜田敏和(69)=同市中央区、同会関係者の初鹿勇二(57)の4容疑者。初鹿容疑者以外は容疑を否認している。

 捜査四課などの調べによると、羽賀容疑者は大阪市内の不動産賃貸業の男性(51)から負っていた総額約4億円の債務をめぐり、渡辺容疑者ら3人と共謀。債務額の40分の1にあたる1000万円の支払いで残りの債権を踏み倒そうと計画し、昨年6月7日午後、同市天王寺区のホテルに男性を呼び出した。

 そして羽賀容疑者から依頼を受けた3容疑者が、1000万円で債権を放棄する確認書を示し、「署名せなんだら連れて行かれるで」「どないするんじゃい」などと脅迫、無理やり署名させた疑い。羽賀容疑者はホテルに行かず、渡辺容疑者から電話で「署名させた」と連絡を受けた。

 羽賀容疑者と男性は、平成6年ごろに知人を介して知り合った。13年6〜10月、羽賀容疑者は上場予定の医療関連会社の未公開株購入名目で約3億7000万円を借入。その際、男性も羽賀容疑者に同株購入を依頼し、「株価が上がらなければ返却する」との確認書を交わしていた。

 しかし、同社はその直後に倒産。男性は、13年2月に貸していた8000万円のうち、未回収だった約3000万円をあわせた計約4億円の返済を再三、電話などで求めていたが、羽賀容疑者は拒否し続けた。

 羽賀容疑者は男性をホテルに呼び出す約1カ月前、こまめに連絡を取り合うなど、親密な間柄だった渡辺容疑者に相談。渡辺容疑者や川喜田容疑者らが脅迫する計画を立てたという。

 府警は巨額債務を負った羽賀容疑者が、元世界王者や暴力団幹部に犯行を依頼したとみて、厳しく追及する。

2007/06/29(金) 朋ちゃん引退へ…収録すっぽかし音信不通、事務所から解雇通告
歌手、華原朋美(32)が所属事務所から契約解除され、事実上の引退に追い込またことが29日、分かった。自らを「朋ちゃん」と呼ぶ天然キャラが人気を呼んだが、平成10年に音楽プロデユーサー、小室哲哉(48)と破局してからは3度にわたって休業するなど、精神的に不安定な状態が続いていた。19日に出演番組のリハーサルをドタキャンし連絡がつかなくなったため、28日付で解雇を通告された。

 入院や休業など、数々の騒動を引き起こしたトラブルメーカー、朋ちゃんが、ついに事務所からさじを投げられた。

 所属する「プロダクション尾木」によると、華原は今月19日に行われた7月1日生放送のフジテレビ系バラエティー番組「新堂本兄弟」(日曜後11・15)のリハーサルを無断で欠席。今月21日にはニッポン放送「テリー伊藤 のってけラジオ」(月〜金曜後1・0)のゲスト出演をドタキャンした。

 その前後から深夜の繁華街に出没するなど“奇行”も目立ち始め、マネジャーとの連絡も取れなくなった。同事務所は「これ以上、芸能活動を支えることは不可能と判断した」と28日付で契約解除の文書を送付した。

 昨年末に急性気管支炎でミュージカル「ガールフレンズ」を一部休演。今年1〜4月の休業を経て、仕事復帰を果たした矢先の背信行為。5月12日には三重・伊勢神宮の大祭に参加し神前で再起を誓い、同22日収録分の「新堂本兄弟」で復帰したものの、“心の平穏”はわずか1カ月で破れた。

 平成11年の移籍以降、8年にわたって根気よく見守り続けてきた事務所に見放されたことで、本人が望んでも芸能活動を続けることはほぼ不可能な状況だ。

 華原は平成7年に「keep yourself alive」で歌手デビュー。音楽プロデューサーの小室と公私ともに“二人三脚”でヒット曲を連発したが、破局後は精神状態が不安定になり、11年1月から最初の休業。同年5月に復帰したが12年1月には再び休業した。一時的に心身の健康が回復し仕事をするものの長続きしなかった。

 その間、睡眠薬や鎮痛剤などを常時服用。事務所スタッフは服用をやめるよう指導していたが効果がなかったという。今後、予定されていた地方でのコンサートやディナーショーはすべて中止。「新堂本兄弟」も降板し、収録済みの部分もカットする方向で調整している。

 自由奔放な生き方が信条だったとはいえ、ファンや事務所スタッフの信頼を裏切り続けた代償はあまりにも大きなものとなった。

2007/06/28(木) <訃報>宮沢元首相が死去 「55年体制」の幕引き役
「保守リベラリスト」として知られた自民党元衆院議員、宮沢喜一(みやざわ・きいち)元首相が28日午後1時16分、老衰のため東京の自宅で死去した。87歳。通夜・密葬は近親者のみで行い、告別式は内閣・自民党葬などが検討されている。自宅は東京都渋谷区神宮前6の34の1。喪主は妻庸子(ようこ)さん。
 1919年10月、東京生まれ。東京帝大法学部卒業後大蔵省(現財務省)に入省し、池田勇人蔵相(当時)の秘書官に起用され頭角を現した。一貫して保守リベラルの道を歩む一方、経済政策では積極財政路線を取り、高度経済成長の流れを作った。53年4月、衆院議員だった父裕氏の地元・広島から参院議員に初当選。67年に衆院旧広島3区にくら替えし当選12回。
 初入閣は62年、第2次池田再改造内閣の経済企画庁長官。通産相、外相、官房長官、党総務会長などを歴任し86年9月、池田派に連なる「宏池会」を継承、故竹下登元首相、故安倍晋太郎元外相らとともにニューリーダーと呼ばれた。ただ竹下内閣時代の88年12月、リクルートコスモス未公開株取得に関する問題で副総理・蔵相を辞任した。
 91年に首相に就任、1年8カ月間政権を担当した。しかしバブル崩壊後の景気低迷で困難な政権運営を余儀なくされ、金丸信元自民党副総裁の脱税事件に見舞われるなどスキャンダルにも悩まされた。結局、最大テーマだった政治改革の法案取りまとめに失敗。内閣不信任決議案が自民党内の造反で可決されると衆院解散に打って出たが、衆院選に敗北、退陣し、非自民の連立政権が誕生して「55年体制」の幕引き役となった。
 その後、97年7月に小渕内閣の蔵相として再入閣。不況下の経済運営を託されての就任に、昭和恐慌時、首相退任後に蔵相となった高橋是清と重ね「平成の是清」と言われた。03年10月、世代交代を迫る小泉純一郎前首相の要請で政界引退。テレビなどで言論活動を続けていたが昨年6月、出血性胃かいようのため都内の病院に入院、その後療養を続けていた。

 ▽安倍晋三首相の話 バブル崩壊後の不況という極めて困難な時期に内閣総理大臣の重責を担われ、日本経済の立て直しに尽力された。また、国際平和協力法を成立させ、自衛隊による国連平和維持活動への参加に道を開かれた。優れた指導者の訃報(ふほう)に接し、悲しみの念を禁じえない。

 ◇頑固な大正生まれのリベラリスト
 名刺を渡し型どおりのあいさつをする駆け出し政治記者の私。「岡部仁」の名前に目を落とす宮沢喜一さん。
 「あなた、お生まれは戦後?」
 「はあ、(昭和の)21年ですが……」
 「そうだろうなあ……(独り言のように)そんな『間抜け』はいなかったもんなあ」
 (名前だけで戦後生まれとわかるのか? 間抜け!? 誰のことだ)
 なにやらムッとしたことを、覚えている。
 後に親しくなり聞くと、戦前、皇室に遠慮して名前に「仁」の一字を使わない風潮が広がり、役場に出生届を出す際、職員がチェックして名前の仁の字を避けさせたもので「見落とすような『間抜けな役人』は珍しかったはず」という意味だと分かるのだが……。
 自民党が輩出した総理総裁の中で「知性派ナンバーワン」と自他ともに認めた宮沢喜一さんが亡くなって思い出したのが30年前の初対面のこんなエピソードだった。
 政治家には珍しい合理主義者、と言われ続けてきたが、当時は褒め言葉ではない。理詰めの言動や対人折衝に冷たさを感じさせる宮沢さんには心底ほれてくれる子分はいないと評された。
 80年、鈴木内閣発足で官房長官に就任。人脈を広げる夜のつき合いを増やすのかと期待されたが、夕方、公務が終わると姿を消す日が続く。ひそかに仏語の個人教授に通っていたのだ。堪能な英語に加えて仏語もという向学心に驚くのと、それを宣伝しないシャイさ、さらには夜は個人の時間という割り切りこそが宮沢さんの良くも悪くも真骨頂であった。
 首相の座に就いて中曽根康弘元首相ばりのパフォーマンスを求められると、「経済大国となった日本は巨大タンカーで、みんなが協力して動かすもの。船長はブリッジで指揮を執るので、外に出てくるものではない」と首をタテに振らない。頑固な大正生まれのリベラリストであった。
 しかし、首相のリーダーシップは自民党内外の人脈、パイプの太さと、パフォーマンスや実績から来る人気、世論の支持の高さの二本足で支えられるもの。両足が頼りない政権では、政局運営は思うに任せない。最後は政治改革を求める世論と、これに抵抗する自民党内の板ばさみとなり、自民分裂、解散・総選挙に追い込まれて敗北、退陣する。政策には明るいが政局音痴との定評は最後まで覆せなかった。
 小泉前政権時には、イラクへの自衛隊派遣、憲法改正、さらには首相の靖国神社参拝と中国、韓国の反発などアジア外交のつまずきに強い懸念を持ちつづけた。ハト派・リベラル保守の立場から右傾化とみられる潮流に警鐘を鳴らした。宮沢、小泉純一郎両氏をよく知る田中秀征元経企庁長官が2人を対比して「判断力はすごいが決断力は乏しい宮沢さん」「決断力はすごいが判断力はない小泉さん」と評したことがある。その宮沢さんは小泉靖国参拝について「わがままでしかない。おやめなさい」と珍しく強い口調で言い切ったが、小泉氏の決断は変わらなかった。代わった安倍晋三首相も小泉政治を引き継ぐポピュリズム・タカ派路線と見ていて、リベラル穏健な自民党政治が変質しつつある、という憂慮を最後まで持ち続けていたようだった。

2007/06/27(水) 坂井泉水さん 東京で「偲ぶ会」 ファン4万人がお別れ
先月27日に亡くなった人気ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水(さかい・いずみ、本名・蒲池幸子)さん(享年40歳)をしのぶ会が27日、東京・港区の青山葬儀所で行われた。終了予定時刻の午後7時を2時間以上延長し9時過ぎまで4万100人のファンが集まった。同葬儀所では、石原裕次郎さんを超え、美空ひばりさんに次ぐ参列者数を記録した。約20万本の花々で飾られた斎場で、最後はファンが涙で「負けないで」を合唱し、別れを惜しんだ。

献花の行列は早朝から夜遅くまで途絶えることがなかった。ネクタイ姿のサラリーマン、子連れの主婦、涙ぐむOL、学生…。「負けないで」に励まされ、「揺れる想い」に癒やされた全国のファンが、坂井さんとの別れの場所に集まった。

 前日の午後7時に一番乗りした東京・足立区の男性会社員(32)は「昨日と今日は会社を休んできた。あまりに早すぎて信じられない」。兵庫から会社を休んで駆け付けたOLの島沙織さん(26)は「周りのみんなも来たがっていたが、その分も拝みに来た」と涙ぐんだ。

 約2億円を投じ、3日間で作り上げた約20万本の花の斎場。祭壇は暖色系のガーベラ、カーネーションで彩られ、屋外は坂井さんが好んだ青と白のコントラストのあじさい、デルフィニウムが幻想的に飾られた。音楽葬らしく、ZARDのライブ映像が繰り返し流され、「負けないで」や「揺れる想い」などの代表曲では何度も合唱が起こった。

 徹夜組約500人を先頭に早朝から大勢のファンが集まったため、予定を40分早めて午前9時20分に開場。1時間に2000〜3000人のペースでファンが増え、列は一時、祭壇前の献花台まで1時間15分待ちという長さにまで伸びた。当初午後7時終了予定だったが、参列者が後を絶たなかったため、午後9時過ぎまで延長。最後はファン全員で「負けないで」を大合唱、「ありがとう!」の声があちこちで飛んだ。

 主催のビーイングによると、この日の参列者は4万100人に上った。同斎場では、歴代2位の裕次郎さんの約3万3500人を超え、1位のひばりさんの約4万2000人に迫る記録的な人出となった。同社では会葬御礼のメモリアルカードを5万枚用意していたが「想像以上に多くの方に愛されていたのだと実感しました」と関係者。たくさんの花と歌声に囲まれた、「ZARD坂井泉水」が伝説になった。

2007/06/26(火) 『ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会』に織田哲郎、大黒摩希ら「残念」
先月末に亡くなったZARD の坂井泉水さんを偲ぶ音楽葬が6月26日(火)に青山葬儀所で行われ、業界関係者らに交じって大黒摩季や織田哲郎らといったゆかりの著名人が献花に訪れ、心境を語った。

大黒摩季
 号泣しながら「(献花台で)待っててねと言いました。私もいつか行くので、一緒に天国で(音楽を)やりましょう。同じ時代を支えていただき、憧れのアーティストでした。偉大な人だったので残念。私が落ち込んでいる時に『摩希ちゃんといると元気が出るよ。力が出る』と心遣いが良くて、そういう女性になりたいと思った。ゆっくり休んで、大好きな歌を聴いて、奏でてください。素晴らしい音楽をありがとう」

織田哲郎
 最初、あまりのショックに言葉を詰まらせながらもゆっくりと口を開き「もう、本当に作品が作れないかと思うと残念。いつかまた作れるタイミングがあると思っていたので。今は別々にやっているけれど、一緒にやってきた仲間。今はゆっくり休んで下さい。本当に素晴らしい仲間でした。(印象に残っている曲は)やっぱり「負けないで」。メロディを作った人間から言うと、『どんなに離れていても〜』の『は』(の音程)はおかしいだろと思ったけれど、ずっと聴いていてそこが凄いと思った。やられたなと思った」

森友嵐士(T-BOLAN)
 「天国でも素敵な歌を歌ってください。安らかに眠ってください。(ZARDの)武道館ライブに行って、デビューも同期なので、楽屋でも話をして『これからも頑張ろう』と話していたのに。本当に残念です」

リュウ
 「韓国のファンも凄く悲しんでいる。代表して私がその人の代わりに来ました。彼女の声は透明。天国に逝かれても素敵な音楽に囲まれる事を祈っています。坂井さんを亡くした事は国家として大きな事故ですね」

 このほか、DEENの池森秀一や渡辺淳一らも弔問に訪れた。会場は20万本の花が添えられ、祭壇には実際に坂井さんが使用していたマイクやヘッドホン、譜面台、トイピアノ、マグカップなどが置かれた。

2007/06/25(月) 谷幹一さん死去…お笑いトリオ「スリーポケッツ」で活躍
テレビドラマ「月光仮面」の探偵助手役などで知られた俳優でコメディアン、谷幹一(本名・西村昌明)さんが25日午後2時28分、脳出血のため東京都新宿区の病院で死去した。74歳だった。東京・浅草のフランス座時代には故渥美清さん、関敬六さんとトリオ「スリーポケッツ」を組んで活躍。愛妻家としても知られたコメディアンの草分け的存在だった。

 「タニカン」の愛称で親しまれたコメディアンの大ベテランが、静かにこの世を去った。

 谷さんは24日午後7時ごろ、東京・赤坂の自宅で大ファンだったプロ野球巨人戦を観戦中に倒れ、意識不明の状態でいるところを妻のたま子さん(76)が発見。救急車で都内の病院に搬送されたが、意識は戻らず、たま子さんや実妹など親族に見守られる中、息をひきとったという。

 昭和33年、KRテレビ(現TBS)の「月光仮面」の探偵助手、五郎八役でテレビデビュー。故渥美清さん、関敬六さんとトリオ「スリーポケッツ」を結成し、おっちょこちょいなキャラクターで一時代を築いた。

 トレードマークは首をかしげて目をむくポーズ。コメディアン、個性派俳優としてお茶の間に笑いを届け続けたが、笑顔の奥では闘病生活を続けていた。20代から腎臓結石を患い、5、6年前には腎不全と診断された。医師から人工透析を勧められたが、「透析をすると通院のために仕事ができなくなる」と俳優業を優先してきた。

 今年2月下旬には東京都中央区の三越劇場で行われた舞台「TOMORROW〜こころの翼をひろげて〜」で元気な姿を見せていたが、4月に体調が悪化。以降は人工透析を受けていたという。

 昭和35年、元日劇ダンシングチームで「玉川みどり」として活躍していたたま子さんと結婚。子供には恵まれなかったが、無類の愛妻家として知られた。

 たま子さんはサンケイスポーツの取材に「苦しまずに眠っているようでした。天国には渥美さん、関さんがいて、谷も寂しくないんじゃないかな。フランス座時代、3人と一緒にカレーライスを食べていたころを思いだします」と気丈に語った。

 通夜は28日午後6時から、葬儀・告別式は29日午前10時から、東京都品川区西五反田5の5の12、安楽寺別院五雲閣で。喪主は妻、西村たま子さん。

2007/06/24(日) 4000人がカウントダウン、東京タワー消灯
「午後8時ちょうどをお知らせします。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」117の時報とともに、東京のシンボル、東京タワーのライトアップが消えた。

「電気を消し、ロウソクの光だけでスローな夜を過ごそう」と、呼びかけるイベント『100万人のキャンドルナイト』が6月22日から24日の3日間、全国各地で行われた。

 同イベントは2003年にスタート。環境保護団体の大地を守る会(本部・東京都港区)などのNGOが中心になり、環境省の『CO2削減ライトダウンキャンペーン』とも連携して、地球環境や省エネについて考えることを目的とした消灯運動だ。

 今年は、全国で約6万3000箇所の施設が消灯、約900のイベントが開催された。

 東京都港区の芝公園では6月24日に『東京八百夜灯2007』と題したイベントが開かれ、あいにくの雨模様にもかかわらず、約4000人が参加。20時の東京タワーの消灯を声を揃えてカウントダウンした。会場内に用意された約500個のキャンドルは雨でほとんど灯らなかったが、来場者の多くはキャンドルを持参。揺らめく光を楽しみながら、アコースティックライブや絵本の朗読などに耳を傾けていた。

 東京タワーの消灯から1時間後には、韓国のNソウルタワーも消灯。太陽光発電によるLEDビジョンで、その模様もライブ中継された。

 イベントでは、シンガー・ソングライターの加藤登紀子の娘で、歌手のYaeによるミニライブ(ギタリストの越田太郎丸が共演)、木原健太郎(ピアノ)と宮崎隆睦(サックス)のセッション、ピアノ演奏と能楽師、山井綱雄のコラボレーション、女優の中嶋朋子による絵本の朗読、歌手の原田真二とゴスペルグループ、VOJA(ボイスオブジャパン)によるコンサートが行われた。

2007/06/09(土) ダルビッシュ好投も日本ハム連勝止まった
<ヤクルト3−2日本ハム>◇9日◇松山
 ついに止まった。快進撃を続けてきた日本ハムが、ヤクルトに延長10回で2−3のサヨナラ負けを喫し、球団新を更新してきた大型連勝が、14でストップした。先発したエースのダルビッシュ有投手(20)が9回2失点11奪三振の好投も、味方は勝ち越せないまま延長へ。昨季ホールド王のセットアッパー武田久(28)につなぐ盤石リレーだったが、まさかの失敗。交流戦13試合目にして、初黒星がついた。
 これだから野球は分からない。必勝を期したはずのダルビッシュの先発試合でサヨナラ負け。チームの勝ち頭の登板で、15連勝のシナリオはできていたはずだったが、記録的な大型連勝が思いがけずに止まった。「(6回に)本塁打を打たれていなければ展開は変わっていたと思う」。連勝ストップに、ダルビッシュはそう悔しさをにじませた。
 1球をのぞけば「お坊ちゃん」といえる優秀な内容だった。9回まで打たれた安打はわずか3本。初見参の坊っちゃんスタジアムで躍動し、8回の代打武内の3球目には今季最速となる152キロをマークした。「久々に制球が良かったし、直球も切れていた」。今季4度目の2ケタとなる11三振も奪う堂々の投球をみせた。
 6回、ラミレスへの1球に泣いた。内角へ入るツーシームを、あわや場外かという本塁打にされた。「見逃せばボールだったと思うが」。1点リードした直後の被弾にも9回124球を投げ抜き、ヒルマン監督からは「グッジョブ」と肩をたたかれたが、悔しさだけが募った。
 過去11試合で2勝4敗と鬼門の屋外球場で白星を逃した。ズレータに満塁弾を浴びた開幕戦に続き今季2度目の屋根なし球場での登板だったが、昨年5月18日甲子園以来、387日ぶりの白星は付かなかった。苦手意識をほのめかす報道陣の問いに「投球内容を見てもらったら分かると思います」とぶ然とした表情をみせたよう、払しょくするには十分な内容だったが、勝てなかった。
 高卒ルーキー吉川が6回途中まで7安打を浴びながらプロ初勝利を挙げた8日のゲームがあれば、9回裏に相手失策から逆転サヨナラ勝ちという幸運な試合もあった。5月19日から始まり過去11連勝だった球団新を更新した連勝ロードは、エースで止まるという皮肉な結果で終わった。
 今季7勝目はお預けとなったが、6試合ぶり2ケタ奪三振と本領は発揮した。「これからまた勝っていけばいい」。強がりじゃない。次戦の雪辱へ、手応えは感じている。

2007/06/08(金) 再上陸『バーガーキング』がオープン、早朝から並ぶ人も
米国で大人気の『バーガーキング』が満を持して本日8日(金)、日本再上陸。国内1号店となる新宿アイランドイッツ店のグランドオープニングセレモニー式が朝9時から同所で行われた。


オープニングセレモニーでは米国のCMが上映され、『BKマニアックス』クイズ形式イベントが行われるなど、10時のオープン前にもかかわらず目の前の広場は大盛り上がり。朝5時から駆けつけた熱狂的なバーガーキングファンも見られた。

 バーガーキングの定番商品でもある『ワッパー』の特徴は、直火でグリルした大型ビーフパティ。フレッシュなレタスやトマト、大きなバンズで挟むと直径13センチにも及ぶビッグバーガーとなっている。

 再ブレイクが期待される同店チェーンは、6月22日(金)に東京・池袋サンシャインシティに2号店がオープン。日本限定商品として、まろやかな甘みのテリヤキソースが特徴な『テリヤキワッパー』が発売される。グローバル展開するバーガーキングが日本開発のオリジナルメニューを承認するという事は極めて異例の事で、日本市場への期待と成功の自信がうかがえる。

2007/06/07(木) 上岡龍太郎さん、笑いと涙の献杯−横山ノックさん「送る会」
5月3日に中いん頭がんのため亡くなった前大阪府知事でタレント、横山ノック=本名・山田勇=さん(享年75)を「天国へ送る会」が7日、大阪市北区のリーガロイヤルホテルで開かれた。これまで沈黙を貫いてきた元相方の上岡龍太郎さん(65)は笑いあり、涙ありの献杯をささげ、ノックさんと最後に交わした“爆笑会話”も報道陣に明かした。

 「ノックさん、あなたは僕の太陽でした」−。芸能界を引退した上岡さんが、この日、3時間だけ芸人に戻った。漫画トリオ時代の芸名「横山パンチ」として壇上に立ち、ノックさんの死後、初めて肉声を聞かせた。

 「漫才師から参院議員、大阪府知事から最後は被告人に」と話すと、1000人を超える出席者から笑いが起きた。

 さらに「血のしたたるようなTボーンステーキが大好き。マージャンが大好き。女性が大好きだったノックさん。お酒に弱かったノックさん、マージャンも弱かった、女性にも弱かった」と笑わせ、「いつでも、どんなときでも僕の味方をしてくれたノックさん」と振り返ったところで涙声になり、「本当にありがとうございました」「本当に、さようなら」。

 だが、「芸人を送るのに涙は似つかわしくありません。不世出の大ボケ、横山ノックを精いっぱいの笑顔と拍手で天国に送ってください」としめくくり、献杯。白いスーツ姿でほほえむ遺影に深々と一礼した。

 ノックさんが亡くなって1カ月。元相方の上岡さんと青芝フック(70)、落語家の月亭八方(59)らが発起人となり、「送る会」が実現した。

 発起人あいさつでは、フックが、通夜の席で「こんな天然ボケは、これからも出てけえへん。なんとか送ってやろう」と話し合ったことを説明。ノックさんがかわいがっていた孫の祥太郎くん(8)も「横山マゴ」の芸名(?)で壇に上がり、「いまからタコの口をします」。口をとがらせて爆笑を誘った。

 にぎやかにノックさんを天国へ送ると、上岡さんは珍しく報道陣の取材に応じた。最後に会ったのは昨年4月。「抗がん剤は飲んでるの?」「飲んでない」「頭、はげてるやん」「それは昔から」。それが最後の会話になったことを明かした。「きょうは僕のひと言ひと言に照れたり、つっこんだりしてるのがわかりました」「老けてタコやってるのを見たかった」としみじみ。最後は涙を見せず、「なんの努力もせずに…。すごい人でした」と笑わせた。

6月絵日記の続き


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