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2007/05/28(月)
坂井泉水さん 闘病中の病院で転落死
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「負けないで」などのヒットで知られる人気ユニット「ZARD」の坂井泉水(さかい・いずみ、本名蒲池幸子=かまち・さちこ)さんが27日午後3時10分、脳挫傷のため東京・新宿区の慶応大病院で死去したと、所属事務所が28日発表した。40歳だった。警視庁四谷署によると、坂井さんは26日早朝に同病院の非常階段から転落し、後頭部を強打した。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんを患い闘病生活を送っていた。一時は回復に向かっていたが、今年3月に肺への転移が見つかり、再び入院生活を送っていた。 坂井さんは26日早朝に非常階段の約3メートルの高さから転落し、後頭部を強打。集中治療室に入ったものの27日午後3時10分、両親や親族が見守る中、帰らぬ人となった。所属事務所は「日課にしていた早朝の散歩を終えて病室に戻る途中に足を滑らせた」と説明。一方、四谷署は事故と自殺の両面で調べを進めている。 坂井さんは昨年6月に子宮頸がんを患い、闘病を続けていた。周囲に気を使い、人の気持ちを大切にする人柄でもあったため、所属事務所やレコード会社のスタッフでもごく一部しか病状を知らなかった。最近のファンクラブの会報にも「体調が思わしくないけど、頑張っています」と極力心配をかけないようにしていた。 入院中もまくら元にメモ帳を置いて詞を書きとめるなど常に創作には前向き。スタッフが「退院したらコンサートをやろうよ」と励ますと、「頑張るよ」と意欲を見せていたという。 摘出手術は成功し、通院しながら病状を見守っていた。次回作のためのジャケット撮影の準備をしていた矢先の今年3月に肺への転移が見つかり、4月に再入院。それでも放射線、抗がん剤での治療が行われ、回復の兆しも見られていた。 秋にはアルバム発売を予定し、3年ぶりとなるツアーも計画していた最中の訃報。所属事務所は「16年歩んできたZARD坂井泉水が、いつまでも皆様の心の中に生き続けることを願ってやまないと同時に、ファンの方々にも深く感謝いたします」とコメントした。多くのファンが所属事務所に花束を持って訪れ、事務所側も、急きょ記帳所と祭壇を設けた。 坂井さんの通夜、葬儀は親族だけの密葬で行われる。後日「お別れの会」が催されることになっている。 シングル3作、アルバム9作でミリオンヒットを飛ばした坂井さん。記憶だけでなく、記録にも残るアーティストのあまりに早すぎる死だった。
■松岡農相 首をつって自殺 議員宿舎で
28日午後0時18分ごろ、東京都港区の衆院赤坂議員宿舎の自室で松岡利勝農相(62)が倒れているのを迎えに行った秘書官らが見つけ、警察に通報した。首つりによる自殺を図ったもので、救急隊員らが現場で応急処置をした後、午後1時に東京・慶応大病院に運んだが同2時死亡が確認された。松岡農相は自らの事務所の政治資金問題や、官製談合事件が告発された農水省所管の「緑資源機構」の関連団体からの献金問題で野党から追及され、世論からも批判を浴びていた。 警察が詳しい状況を調べているが、農相はリビングのドアのちょうつがいに犬の散歩用のひもをひっかけて首をつっていたという。また午前10時に農相の警護の警察官(SP)と話していたことが分かっており、その後自殺を図ったとみられる。 松岡農相は自らの資金管理団体が事務所の光熱水費をめぐる不明朗な処理で世論批判を受け、野党から追及されていた。安倍晋三首相は「法的な責任を果たしている」と擁護していた。しかし、官製談合事件で刑事事件に発展した緑資源機構の関連団体から献金を受けていたことも発覚。自民党内からも辞任を求める声が出ていた。 松岡農相は衆院熊本3区選出。1990年、衆院選に立候補し初当選。05年に6選を果たし、昨年9月の安倍内閣発足時に農相に就任した。 農林水産省によると、松岡農相は28日午後1時40分から、国会内で開かれる参院決算委員会に出席する予定で、午前中に東京・霞が関の農水省内で同省幹部と事前の打ち合わせをするはずだったが、姿を見せなかったという。
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