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2007/05/26(土)
大相撲夏場所 白鵬、2場所連続3度目の優勝 横綱昇進へ
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夏場所14日目(26日、東京・両国国技館)綱とりをめざして全勝を続けていた大関白鵬(22)が大関千代大海(31)を寄り切って14連勝とし、2場所連続3度目の優勝を決めた。横綱審議委員会の推薦内規「2場所連続優勝」をクリアし、横綱昇進を決定的にした。30日の番付編成会議と理事会の承認を経て、「第69代横綱・白鵬」が誕生。モンゴル出身の先輩横綱、朝青龍(26)とともに『青白時代』を築く。(観衆=11000)
受け止めた。踏ん張った。白鵬は千代大海の“伝家の宝刀”突っ張りを耐え抜いた。もろ差しからつり落としを敢行し、腰を落として寄り切った。優勝だ。連覇だ。勝ち名乗りを受けて土俵から下りると、天を仰いだ。あふれ出そうになる涙を、懸命にこらえているかのようだった。
「うれしいです。涙はなかった? 弱いところを見せちゃダメ。涙は隠れてね。あ〜、言葉にできない」。前日まで支度部屋では笑顔を封印してきたが、大願を成就し、ついにほおを緩めた。
文句なし、だ。横審の海老沢勝二委員長は「品格と力量が抜群。無条件で推薦することになる」と明言した。昭和25年に横審が設置されてから、大関で連覇して横綱昇進を逃した例はない。日本相撲協会の北の湖理事長(元横綱)も「14勝での優勝は相当評価できる。これで(昇進の)話題が出てくる」とした。綱とりは決定的となった。
平成12年10月25日、15歳で大相撲入りを希望して初来日。大阪の実業団・摂津倉庫でけいこしていたが、1メートル75、68キロの細身で声がかからず、滞在ビザが切れてモンゴルに帰る前日の12月24日に、当時の宮城野親方(現熊ケ谷親方=元幕内竹葉山)から電話があった。奇跡の大逆転で、力士生活が始まった。
この日の朝げいこでも当時を振り返った。「夜の10時ごろ電話をもらった。何時間か電話が遅れていたら、モンゴルに帰っていたし、日本に2度と来ることはなかったでしょう」。綱とりを決める朝に、入門時の苦難が頭に浮かんでいた。
入門時と同様に、綱とりでも“産みの苦しみ”を味わった。昨年夏場所に優勝し、名古屋と秋場所で綱とりに挑戦したが失敗した。昨年11月には左足親指を骨折して九州場所を全休し、今年初場所ではカド番となった。けいこに身が入らず、熊ケ谷親方がテレビのゲスト解説で「白鵬はけいこ不足」と発言された。痛いところをつかれた思いで、親方とは1週間以上も口をきかなかった。
そんな経験も心身の幅を広げることにつながった。今場所は、朝げいこを欠かさなかった。「白鵬はけいこをする横綱と思ってもらうことが大事だ」。熊ケ谷親方のこの言葉を胸に、10日に生まれた長女・ユンレンツォー愛美羽(あみう)ちゃんの夜泣きで寝不足になる中でも、早起きして毎日土俵に降りた。
「この1年間、いい経験をして自分でも強くなったと思う」。苦難にもめげず、ついに横綱を勝ち取った。来場所からは、22場所ぶりの2横綱となり、朝青龍とともに東西の横綱を張る。奇跡の入門劇から所要38場所で最高位へ到達した白鵬は、「青白時代」の主役として日本の国技を盛り上げる。
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