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2007/11/20(火) 阿部寛が15歳下の28歳元OLと結婚
阿部ちゃん結婚! 俳優の阿部寛(43)が20日、元OLの女性(28)と結婚することを発表した。この日夜、東京・六本木のテレビ朝日で1人で会見。似顔絵を描いたスケッチブックを手に「僕にとってかわいい人。価値観が合って、年齢差を感じない」と話した。映画、ドラマに欠かせない人気俳優とあって、豪華な顔触れから祝福の言葉が寄せられた。
 午後7時半、スケッチブックを手に1人で登場した阿部は、自ら書いた似顔絵見せた。「これじゃ、誰に似てるか分かりませんね。写真を元にテレビ朝日の美術さんに描いてもらいました」と、ロングヘアの美女のもう1枚のデッサンを披露した。「元OLで28歳。一般人なので名前は言えませんが、僕にとってはかわいい人」とのろけた。身長は169センチだという。
 もともとは4、5年前から友人だった。「第一印象は、きれいな人だな。友達の食事会で1年半前に再会して、交際が始まりました。電話番号を知っていたので、電話して、メールして、こういう形になりました。半年くらい前に、そろそろ機が熟したかなと。40歳をすぎて、結婚をしない主義ではないから、彼女に出会ったんだと思う」。プロポーズは、今年8月に都内のレストランで。「月並みに『結婚してください』と言ったら、喜んで『はい』と答えてくれました」と明かした。
 43歳と28歳。15歳の年齢差だ。「話していても価値観が合うし、年齢差を感じたことはない。常に陰ながら支えてくれて、素人なりの意見で『面白かったよ』『つまんなかった』と言ってくれて、一番信頼しています」。40歳をすぎての独身生活に、周囲も気をもんでいた。「おやじに結婚すると電話したら、大きなため息をついて『安心した』と言ってました。30歳をすぎて仕事が順調になり、40すぎて余裕ができたときに、彼女がいた。運命を感じました」と話した。
 ドラマ「トリック」で共演した仲間由紀恵(28)から「自分も同じ28歳なのに誘われなかった」と周囲に話していることを知ると「余計なことを」と苦笑。「すみません」と謝った。すでに、東京・渋谷のマンションで同居中だが婚姻届はタイミングを見て提出。挙式、披露宴は来年、親族だけで予定している。

2007/11/19(月) ミシュラン3つ星「すきや橋 次郎」 「最悪」から「絶賛」までの評判
世界的に有名なレストランの格付け本「ミシュランガイド」の東京版の内容が発表された。最高評価にあたる「3つ星」が、寿司屋2店を含む計8店に与えられ、編集責任者は「東京は世界に燦然(さんぜん)と輝く美食の都」とたたえたが、国内の「口コミサイト」を見ると、その「3つ星」の店でも評価が割れているようなのだ。

■箸でつまむとご飯がぽろぽろ落ちていく!

 2007年11月19日、同書の概要が発表され、「3つ星」の他にも「2つ星」25店、「1つ星」117店の、計150店に星が与えられた。都市別では世界最多の認定数だという。さらに、東京の3つ星8店はパリの10店に次いで多く、今回の8店を加えても、3つ星レストランは世界中で68しかない。

 翌11月20日の朝刊各紙のほとんどが、このニュースを1面で写真入りで取り上げ、特に毎日新聞は、3つ星を獲得した寿司屋「すきや橋 次郎」の店主・小野二郎さん(82)の経歴を社会面トップ項目で取り上げており、同店のことを

  「世界の3つ星店では例のない地下の店で、メニューもなくカードも使えず、トイレも他店と共同という異例づくし」

などと紹介している。

 こう見ていくと、「星」の認定をされた店は、利用者からも好意的な評価を受けていそうなものだが、実態は、かならずしもそうでない可能性がありそうなのだ。

 接待される側として何度も訪れ、最近自費でも食事をした会社役員は、

  「ここが天下の名店とはとても思えないほどのレベルだ」

と言い切る。

 まず、肝心の寿司。

  「実際に寿司を握っているのは、ご主人の二郎さんではなく、息子さんであることがほとんど。箸でつまむとご飯がぽろぽろ落ちていくのには驚いた」

 しかも、この異常事態をアピールしても、従業員も含め誰一人として気にもとめないという。

  「派手な芸能人らしき客とカウンター越しに大声でしゃべりっぱなし。寿司屋として最低だ」

と罵る。

■「常連には優しく、一見客には冷たい」


 「すきや橋 次郎」を飲食店の口コミサイト「Yahoo!グルメ」で見ると、現在44件書き込まれている評価の平均は、5点満点中3.09点。必ずしも「優等生」ではない印象を与える数値だ。コメントの内容を見てみると、

  「一生に一度は行ってほしいとお勧めしたいお店」
  「握りの評価を中心に考えると最高ランクと考えざるを得ません」

と、絶賛する声もある一方、

  「食べる前からマインドコントロールされているためか、これが日本一の寿司だと確信している客が多い店」
  「常連には優しく、一見客には冷たい…そんな印象でした。あの値段であの態度とは、ある意味驚愕に値します」

などという悪評も少なくない。ちなみに、「すきや橋 次郎」は一人当たりコースで2万数千円から。まあ3−5万円といったところだ。

 「3つ星レストラン」の他の7店を見ても、その評価は3.75から5.00と、さまざまだ。

 もっとも、5点満点の評価が付いた2店については、それぞれコメントが1件しか付いておらず、口コミサイトの利用者は、必ずしもミシュランに掲載されるような「超高級店」に出かける機会が多くない、という可能性はありそうだ。

 今回のミシュランの格付けだが、日本人2人とヨーロッパ人3人の「覆面調査員」が1500店を1年半かけて調査した結果なのだという。一般紙以外のメディアでは、例えば日刊ゲンダイが「『和食が分かっていない!』とブーイング」という見出しを立てるなど、懐疑的な声も多い。さらに言えば、「寿司は、やはり日本人が評価すべき」との声も上がりそうだ。

 ただ、同書の広報事務局によると、特に「日本人は日本食を評価する」といった役割分担はないといい

  「調査員は、一貫した価値観・スタンダードを持っており、(調査員が)日本人かヨーロッパ人かどうかで判断が変わることはありません。」

と話している。

2007/11/18(日) <女子マラソン>アテネの女王が北京へ 野口、連覇に意欲
アテネ五輪の女王が来夏の北京五輪に向けて大きく前進した。五輪代表選考会を兼ねて18日に行われた東京国際女子マラソンで、野口みずき選手(29)=シスメックス=が初優勝。大会記録を35秒更新する2時間21分37秒の快走で代表の座を事実上「当確」とし、大舞台にますます意欲を高めた。

 残り5メートルでサングラスを外した野口選手は、晴れやかな笑顔でフィニッシュ。「これで北京への道が開いたかな。うれしいです」。スタンドの大きな歓声に、何度も手を振って応えた。

 フルマラソンは2時間19分12秒の日本記録を樹立した05年9月のベルリン以来2年2カ月ぶり。昨秋は合宿中の転倒、今春はアキレスけん痛の影響で、マラソンを回避した。走れなかった時は落ち込んだが、気持ちを切り替えて猛練習。「2年間我慢したから早く走りたい」と心を躍らせてこの日のレースを迎えた。

 競り合いが予想された渋井陽子選手(28)=三井住友海上=も好調が伝えられていただけに、「闘争心がメラメラわいて、負けられないと意識した」。並走したが、野口選手は29キロ付近でスパート。渋井選手の様子を見極めた判断だったが、「あの辺で出ろ、と何かが(天から)降りてきた」という勘もあった。終盤の上り坂も難なく克服。絶対に負けられない選考会での快勝に「アテネやベルリンよりうれしいかも」と喜んだ。

 女子マラソンの五輪連覇は過去に例がない。代表決定は、残る選考会の大阪国際(来年1月)、名古屋国際(同3月)が終わった後だが、「もし決まったら、北京ではそれ(連覇)を目標にしたい。今まで以上の練習をしていきます」と力強く宣言した。

2007/11/17(土) 連続児童殺害 鈴香被告 「極刑望む」も核心は闇
■「殺意」めぐり激しい応酬

 秋田連続児童殺害事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた無職、畠山鈴香被告(34)の被告人質問が、先月末から今月にかけ計4回にわたって集中的に行われた。自身の不幸な生い立ちなどについては饒舌(じょうぜつ)だったが、核心部分では口を閉ざし、検事に逆ギレする場面もあった。わが子と隣人の子を葬った希代の“鬼母”は「極刑を望む」としながらも、いまだ真実を吐露していないようにみえる。(酒井孝太郎)

 公判での最大の争点は、長女の彩香ちゃん=当時(9)=に対する「殺意」だ。

 昨年4月9日。彩香ちゃんが川をさかのぼる魚が見たいとせがんだため、日が暮れたにもかかわらず、被告は自宅から車で10分ほどの「大沢橋」に連れて行った。

 検察側の主張はこうだ。被告はもともと子供に生理的な嫌悪感を抱いており、彩香ちゃんを邪魔だと感じていた。この日はイラ立ちや嫌悪の念が極限に達し、「橋の上に乗れば? 乗らねば帰るよ」ときつい口調で命令。おびえながら従おうとする彩香ちゃんの尻を持ち上げて欄干の上に乗せ、両足を外側に出した形で座らせ肩の付近を左手で力いっぱい押した。

 「お母さん−」。彩香ちゃんは叫び声を上げながら真っ逆さまに川へ落下し、窒息死した。

 ≪「過失」を強調≫

 対する被告の主張は、「乗らねば帰るよ」の言葉の後が異なる。

 予想に反して彩香ちゃんが欄干に上ってしまい、両足を投げ出して座った。その後、彩香ちゃんは「お母さん、怖い」と言って体を左側にねじり、被告に抱き付こうとした。瞬間、被告は左手で払いのけてしまった−というのだ。

 被告人質問では、弁護側が「過失」を強調すべく被告にこう語らせた。

 「自分で汗がかけないので、汗かきの彩香が急に迫ってくる感じがちょっと怖かった」「(彩香ちゃんが向かってくることは)予想していなかった」

 ただ、弁護側の「ストーリー」にはなじまない言葉を、鈴香被告は法廷で述べている。「イライラして『ここ(欄干)さ上って背を押しつけてやればどうなるべ』と一瞬考えた」。この供述からは、常識的な感覚で「殺意」がうかがわれるとみるのが妥当で、「過失」とは相いれない。


 検察側は供述に飛びついたが、被告は「実際にしようとは思ってなかった」と釈明。さらに「乗らねば帰るよ」の文言をとらえ、「帰らせようというよりは、上らせようとしているように聞こえるけど?」などと一気に攻め込んだ。

 ここは、彩香ちゃん殺害の審理のまさに核心部分だ。だが被告は「覚えていない」を連発した。

 ≪数々の“軽口”≫

 被告は取り調べ段階で「殺意」を認める調書にサインしていることから、「自白の任意性」についても激しい応酬があった。

 弁護側は、厳しい取り調べの実態を被告に語らせた。刑事に言われたのは、こんな言葉だったという。「思いつき、妄想、うそつき」「テレビに出て女優気取りか」。

 検察の調べでも、怒鳴られたり遺体の写真を見せられ「怖かった」と被告は証言。検事に「『とっさに(彩香ちゃんを)押した』という言葉を強調してあげる」と言われ、情状をよくしようという気持ちから調書にサインした−と供述した。

 検察側は猛反発。被告の証言を覆すエピソードを次々とぶつけては黙秘させ、「自己弁護」の意識や「虚言癖」があることを法廷に印象付けた。

 また、被告が周囲に口にした「軽い言葉」の数々を明かした。例えば「検事さんのネクタイが4日間も同じで、笑いをこらえるのに必死だった」「検事さんに『眠いでしょ』と聞かれて、やべーと思った」…。さらに、「そもそも遺体の写真を見たがったのはあなただ」と被告に迫り、「猟奇性」をも浮かび上がらせた。

2007/11/16(金) オシム監督 急性脳梗塞で入院 自宅でTV観戦後に倒れる
サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日未明、千葉県内の自宅で急性脳梗塞(こうそく)で倒れ、同県浦安市内の順天堂大浦安病院に入院した。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンが16日夕、東京・本郷のJFAハウスで緊急会見して明らかにした。集中治療室(ICU)に入り治療中で、病状は不安定という。たとえ回復しても後遺症などが残ることが多く、これまで同様に指揮を執るのは難しいとみられる。来年2月に2010年南アフリカW杯3次予選を控え、日本サッカー界に衝撃が襲った。
 川淵キャプテンによると、オシム監督は16日午前2時ごろ、自宅で英・プレミアリーグの試合をテレビ観戦し、2階へ上がった後にこん倒。アシマ夫人が異常に気づき、息子でJ1千葉のアマル監督が付き添い病院に搬送された。その後は集中治療室に入り、脳神経内科・脳神経外科医師団の田中茂樹教授を中心に、全身管理などの治療にあたった。
 川淵キャプテンは「急性期のため症状は不安定。かなり厳しい状況です」と深刻な状況を説明。「今は代表チームがどうこうよりも、オシム監督に治ってほしい…。命を取り留めてほしい…」と涙ながらに声を絞り出した。会見後はオシム監督を見舞うため病院へ向かったが、本人と面会することはできず病院を後にした。病院前には一時、50人を超える報道陣が集結し、事態の深刻さを物語った。
 オシム監督は14日にアジアチャンピオンズリーグ決勝の浦和-セパハン戦(埼玉)を視察。15日にも習志野市内で行われた千葉と大学生の練習試合を視察するなど、精力的に動いていた矢先だった。
 65歳だった昨年7月、代表監督に就任するに当たって、高齢と心臓に持病を抱える健康面の不安が指摘されていた。日本協会は毎月1回のペースで健康診断を受けてもらうなど体調面を配慮。「100%健康というわけではないが」(田嶋専務理事)、これまでも異常は発見されていなかったという。遠征時などは「投薬についてもドクターや近くにいる者が(薬を)持つなど、万全の準備をしてきた」と、強調した。
 ただプロ野球の長嶋茂雄元巨人監督も04年3月に脳梗塞に倒れ、1カ月半で退院したものの8月のアテネ五輪は断念した。この病気は一般的にまひなどの後遺症が出ることが多いうえ、再発の恐れを常に抱える。このためストレスが多く激務の代表監督に早期に復帰し、これまで同様に指揮を執るのは難しいとみられる。おりしも10年前の11月16日は日本が初めてW杯出場を決めた日。来年2月には南アフリカW杯3次予選がスタートする矢先、日本サッカー界に激震が走った。

2007/11/15(木) 「KY」「オッパッピー」流行語大賞候補発表
今年の流行語大賞の候補60語が出そろった。「KY(空気が読めない)」「鈍感力」「赤ちゃんポスト」「オッパッピー」…。スポーツではゴルフ界の新星、石川遼の代名詞「ハニカミ王子」、ボクシングの亀田大毅戦で注目された反則技「サミング」、バドミントン界の人気ペア「オグシオ」などがエントリーされた。
 角界からの候補語もある。急死した新弟子に前師匠が暴行していたことで社会問題化した時津風部屋騒動で注目されたキーワード「かわいがり」である。本来は強くするために弟弟子に激しいけいこをつけることだが、一連の騒動で「いじめ」同然の言葉となった。
 時津風部屋は、いまだ落ち着きを取り戻していない。捜査対象の力士3人が休場。時津風親方(元幕内時津海)は慣れない親方業務に四苦八苦している。
 逆境に置かれてはいるものの、関取衆は順調に白星を積み重ねている。部屋頭の時天空は白星を先行させ、豊ノ島も4勝と好調。返り入幕を目指す霜鳳は全勝を守り、十両の優勝争いを引っ張っている。
 「部屋のみんなが頑張っていて刺激になる」と笑った豊ノ島は、こう続けた。「白星を少しでも増やし、部屋の雰囲気をよくしたい」。力士は今、歯を食いしばり、土俵で白星をもぎ取るしかない。

2007/11/14(水) ついに悲願のアジア王者だ!浦和、日本勢初のACL制覇!
アジアチャンピオンズリーグ決勝第2戦(14日、埼玉スタジアム)やった!! アジア制覇だ!! 浦和がセパハン(イラン)戦に2−0勝利。2戦合計3−1として、日本のクラブとして初めてACLで頂点に立った。FW永井雄一郎(28)が先制ゴールを決めれば、日本代表MF阿部勇樹(26)が決定的な追加点。浦和はアジア代表として、12月のクラブW杯に出場する。

 ずっと、この瞬間を待ち望んでいた。5万9034観衆が歓喜に酔いしれる−。真っ赤に染まったスタンドには、サポーターが人文字でつくった巨大な白い星が輝く。浦和が一度も負けることなく、悲願のアジア制覇を達成。日本のクラブとして初めて、ACLのタイトルを獲得した。緊張感から解き放たれた阿部の表情は、安堵に満ちていた。

 「この試合にかけていた。なかなか経験できない雰囲気。どう喜んでいいか、喜び方がわからなかった」

 前半22分、永井が先制弾。そして後半26分、阿部がこぼれ球をダメ押しヘッド。「何であそこにいたか、わからない。ラッキーです」と振り返るが、ゴールへの嗅覚が体を突き動かした。シャイな26歳が何度もガッツボーズ。ACL出場に魅力を感じ、新天地・浦和に移籍。6つのポジションをこなす頼れる男が、大舞台でも本領発揮だ。「サイドだと声援が近くに聞こえて、背中を押してもらえる」と、改めてサポーターに感謝した。

 これまでACLでは日本のクラブはすべて1次リーグで敗退。しかし「Jリーグの一番がアジアの一番になれば、日本サッカーの底上げにもなる」(中村GM)。もちろん資金面で負担は増した。アジア各地にスタッフを派遣し、対戦相手や施設などをチェック。その労力や費用を藤口社長は「日本代表以上だと思う」と振り返る。

 イランで行われた決勝第1戦の際にはUAE・ドバイで直前合宿。日本サッカー協会などの協力を得たが、それでもクラブはACLに1億円以上の経費をつぎ込んだ。優勝賞金は60万ドル(約6600万円)。金銭だけの問題でなかった。

 Jリーグとの過密日程にもメンバーを大幅に入れ替えることなく戦った。選手は満身創痍。だがリーグで優勝してこそのアジアのタイトル。99年に年間15位、J2降格の屈辱を味わった浦和は、最後まで“二兎”を追い続ける。

 「ここまで来られたのは、サポーターの力が大きい。きつくても、彼らの力に動かされた。そういう感覚は、やっている選手しかわからない」と主将のMF鈴木。埼玉県民の日ということもあって、今季最多となった観衆の前で、紙吹雪の中、高々とトロフィーを掲げる。

 日本サッカー界に新たな歴史を刻んだ浦和。さあ、次は世界だ。各大陸の王者が集まるクラブW杯。浦和の野望はまだ終わらない。世界で赤い旋風を巻き起こす。

2007/11/13(火) 稲尾和久さん急死…西鉄エースで20連勝、シーズン42勝「鉄腕」数々の記録残し
野球評論家・稲尾和久さんが13日午前1時21分、悪性腫瘍(しゅよう)のため、福岡市内の病院で亡くなった。70歳だった。現役時代、野武士軍団・西鉄のエースとしてシーズン最多の42勝を挙げ、巨人との日本シリーズでは3連敗の後の4連勝で「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれるなど、数々の伝説をつくり、後に西鉄、ロッテなどで監督も務めた。現役時代から日本シリーズで名勝負を演じ、プライベートでも深い親交のあった巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(71)は稲尾さんの急逝に深いショックを受けた。

 伝説の人があっけなく旅立った。現役時代は「鉄腕」の異名で活躍、西鉄、ロッテなどで監督も務め、最近は野球評論家として活躍する一方、マスターズリーグの福岡ドンタクズの監督も務めるなど、精力的に活動していた。

 10月、パ・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージで解説を務めた後、首から肩にかけてしびれを感じたため、福岡市内の病院で検査を受けた。第2ステージ終了後に再度、検査入院した際に内臓も検査してもらったところ、腫瘍が発見された。放射線治療を試みたが、そのかいもなく、短い生涯を閉じた。

 稲尾さんは1956年に大分・別府緑丘高(現芸術緑丘高)から西鉄に入団。子供のころから漁師の父に連れられて櫓(ろ)をこいで鍛えられた強靭(じん)な下半身とスタミナを源に、先輩選手を相手にしたフリー打撃の投手で身につけた正確無比なコントロールで、ルーキーとしていきなり21勝を挙げ新人王を獲得。翌年には20連勝のプロ野球記録を達成するなど、3年連続30勝以上を挙げた。伸びのあるストレート、切れ味鋭いスライダー、シュートを操り、数々の記録をつくり、タイトルを手にした。


 稲尾さんを「伝説の人」にしたのは、58年の巨人との日本シリーズだ。3連敗した西鉄は、第4戦から稲尾さんが4連投。第5戦では延長10回、日本シリーズ史上初のサヨナラホーマーを打つなど、奇跡の4連勝で日本一に輝いた。劇的なホームランを打って、ベンチに凱旋したときに、スタンドから掛かった声が新聞の見出しになり、後世まで伝えられた。「神様、仏様、稲尾様」の伝説だ。現役時代は、南海・野村克也(現楽天監督)と、日本シリーズで会う長嶋茂雄(現巨人軍終身名誉監督)を生涯のライバルとして、2人を抑えることに無上の喜びを感じていた。

 自らの投手寿命を顧みず連投また連投。61年には当時の日本記録となる78試合に登板。スタルヒンに並ぶ42勝を挙げた。「登板するたびに給料が上がるんだから、酷使とは思わなかった」と平然と言ってのけた14年の投手生活と通算8年間の監督生活。その濃密な野球人生に比べ、70年の人生は、あまりにも短すぎた。

 ◆稲尾 和久(いなお・かずひさ)1937年6月10日、大分県生まれ。別府緑丘高から1956年に西鉄入団。1年目に21勝6敗で新人王。61年にはプロ野球タイ記録のシーズン42勝をマーク。通算成績は756試合登板。276勝137敗、防御率1.98。主なタイトルはMVP2度(57、58年)、最優秀防御率5度、ベストナイン5度。69年に現役引退。西鉄、太平洋、ロッテで監督を務めた。93年には野球殿堂入り。

 ◆福岡の自宅ひっそり 福岡市内にある稲尾さんの自宅前には、午前中から報道陣が殺到。同10時過ぎに稲尾さんが代表取締役社長を務めていた個人事務所「稲尾商事」の関係者が「親族もお疲れなので、ここでの取材はご遠慮ください」と説明した。妻の律子さんらも突然の死去にショックも受けたようで、自宅前には取材自粛を要請する張り紙が出された。 午後2時15分過ぎには、福岡大病院から遺体が、長女の庄野多香子さんら親族に付き添われて自宅に運び込まれた。到着後は親族らも駆けつけ、午後5時前には長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督からも生花が届けられたが、終日ひっそりとした様子だった。


■稲尾さん訃報に中日落合監督絶句

中日落合博満監督(53)が、ロッテ時代の監督だった稲尾和久氏(享年70)の訃報(ふほう)に絶句した。13日の正力松太郎賞受賞会見で、言葉を詰まらせ「監督と選手を超えた関係だった」「私の財産だった」と話した。中日監督就任時には投手コーチ要請の夢を持っていたことも明かした。
 まるで泣き笑いのような顔だった。落合監督は「何か変な日ですね、今日は」と話した後、黙り込んだ。晴れの受賞会見後に話した稲尾氏との日々。「いい人というと変ですが、優しい人でした。野球界から大きな星が消えた」と静かに言った。
 訃報に触れたのは昼すぎだった。信子夫人の言葉を聞いて「え、うそ? いつ?」と絶句した。「具合が悪いのも聞いていなくて。最後に会ったのがいつか、記憶がないんです。球場で必ず話をするんだけど、あまり覚えていない。それだけ急だった」と困惑した。

2007/11/12(月) 紅白司会は男同士!紅組中居、白組鶴瓶
大みそかのNHK第58回紅白歌合戦の司会者が12日、東京・渋谷の同局で発表された。紅組にはSMAP中居正広(35)、白組は笑福亭鶴瓶(55)が起用された。男性コンビが司会を務めるのは、1956年の第7回で高橋圭三(享年83)宮田輝(享年68)両アナウンサーが務めて以来、51年ぶりのこと。総合司会は、同局の松本和也アナ(40)と住吉美紀アナ(34)が務める。ラジオは同局の小田切千(38)塚原愛(31)両アナ。
 NHKに集まった大勢の報道陣は一瞬、目の前の状況が把握できなかった。先に紹介された中居が壇上で「相手を紹介させていただきます。ボクより少し背が高く、とても肌のきれいな感じの方です。どうぞ」。ところが、有力候補として話題に上っていた長沢まさみ(20)を思わせるフリで登場したのは、なんと鶴瓶。「???」。拍手をするはずの報道陣は凍り付き、会場は沈黙に包まれた。
 「ものすっごい出にくいわ。ホンマすいません。ギャグでも何でもないですよ。私が司会です」。たまらず鶴瓶が語りかけるように説明したが、それでもしばらくは反応が返ってこなかった。「長沢まさみさんにしては髪が少し薄い気が…」(中居)「いやボクも長沢さんと思ってましたわ」(鶴瓶)。2人が掛け合い始めると、マスコミもようやく現実だと気付いていった。男同士の司会ということは、かなりのサプライズだった。
 2年連続4回目の司会となる中居が、大みそかは毎年ハワイで過ごす鶴瓶に「紅白見てないでしょ?」とやると「いやいや1月2日にハワイで(録画放送を)見てるよ」ととぼけた。公私ともに仲良しなだけに、ボケ(鶴瓶)とツッコミ(中居)は早くも息ピタリだ。
 ただし、一点だけ不安がある。鶴瓶のポロリ癖だ。裸にまつわる生放送のハプニングは枚挙にいとまがない。03年に、くしくも中居と共演したフジテレビ系「27時間テレビ」では泥酔。女性の胸を触り、放送禁止用語を連発し、アソコを露出している。その質問が飛ぶと「何てこと聞くんですか? 前科ものみたいに。お酒ないでしょ。絶対(視聴者を)傷つけないようにします」と約束。NHKも「その過去は問題にしていない」とかばった。
 女っ気なしでしらけムードが漂った会見場を、即興の掛け合いで爆笑に変えた腕は本物。台本を覚える気のない鶴瓶を中居がサポートして、2人にしか生み出せないアドリブの効いた紅白歌合戦をつくり出すつもりだ。

2007/11/11(日) “最速男”佐藤由規がヤクルトと仮契約!登録名は「ヨシノリ」
ヤクルトは11日、高校生ドラフト1巡目指名の佐藤由規投手(17)=仙台育英=と仙台市内のホテルで契約金1億円、年俸1500万円プラス出来高5000万円の最高条件で仮契約を結んだ。157キロの高校最速右腕は、目標を世界最速に設定。存在感のある投手を目指し、自ら登録名も「ヨシノリ」に決めた。

 最速右腕らしく希望も、夢もでっかく、堂々とブチ上げた。

 「まだ球速も上がっているし、これで終わりたくない。持ち味はスピードなので日本最速、最終的には世界最速を目指したいです」

 佐藤由の目に、ドラフト(10月3日)後の会見でみせた涙はもうない。会見場の後方で見つめる家族の前で力強く“プロ第一声”を発した。

 内定している背番号11に加え、11月11日に仮契約を結んだことにも満足げ。そんな晴れの日に新たな希望も口にした。「高校時代から1は縁のある数字。プロ入りしてからも一番目指して貢献したい」と話すと、さらに顔を紅潮させて登録名を『ヨシノリ』とすることを公言した。

 「佐藤は一番多い名字ですから。存在感を十分に出せる投手になりたいという意味で自分が希望しました」

 今後はファンに愛されるためにも、目立つことも大事。そこにはプロで成功するために自分なりの決意も込められた。

 開幕ローテ入り、2ケタ勝利、世界最速…。掲げた目標は大きいが、決して無理な話ではない。たくましく成長した息子の姿に、母・美也さん(48)は「寂しくなるけど、体に気をつけて一生懸命にやってほしい」と背中を押した。

 「次は勝って、自分の結果を出して涙を流したいです」

 目を潤ませていた少年は、『ヨシノリ』となって、勝利の涙を流していく。


■ダルビッシュ有&サエコが入籍発表「二人で幸せな家庭を」

日本ハム・ダルビッシュ有投手と女優のサエコが11日(日)に入籍したことが分かった。お互いのブログで「11月11日に私達は入籍しました」と公表した。
シンプルに「応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。二人で幸せな家庭を築いていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします ダルビッシュ有 サエコ」と2人の連名で綴っている


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