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2007/11/13(火) 稲尾和久さん急死…西鉄エースで20連勝、シーズン42勝「鉄腕」数々の記録残し
野球評論家・稲尾和久さんが13日午前1時21分、悪性腫瘍(しゅよう)のため、福岡市内の病院で亡くなった。70歳だった。現役時代、野武士軍団・西鉄のエースとしてシーズン最多の42勝を挙げ、巨人との日本シリーズでは3連敗の後の4連勝で「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれるなど、数々の伝説をつくり、後に西鉄、ロッテなどで監督も務めた。現役時代から日本シリーズで名勝負を演じ、プライベートでも深い親交のあった巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(71)は稲尾さんの急逝に深いショックを受けた。

 伝説の人があっけなく旅立った。現役時代は「鉄腕」の異名で活躍、西鉄、ロッテなどで監督も務め、最近は野球評論家として活躍する一方、マスターズリーグの福岡ドンタクズの監督も務めるなど、精力的に活動していた。

 10月、パ・リーグのクライマックスシリーズ第1ステージで解説を務めた後、首から肩にかけてしびれを感じたため、福岡市内の病院で検査を受けた。第2ステージ終了後に再度、検査入院した際に内臓も検査してもらったところ、腫瘍が発見された。放射線治療を試みたが、そのかいもなく、短い生涯を閉じた。

 稲尾さんは1956年に大分・別府緑丘高(現芸術緑丘高)から西鉄に入団。子供のころから漁師の父に連れられて櫓(ろ)をこいで鍛えられた強靭(じん)な下半身とスタミナを源に、先輩選手を相手にしたフリー打撃の投手で身につけた正確無比なコントロールで、ルーキーとしていきなり21勝を挙げ新人王を獲得。翌年には20連勝のプロ野球記録を達成するなど、3年連続30勝以上を挙げた。伸びのあるストレート、切れ味鋭いスライダー、シュートを操り、数々の記録をつくり、タイトルを手にした。


 稲尾さんを「伝説の人」にしたのは、58年の巨人との日本シリーズだ。3連敗した西鉄は、第4戦から稲尾さんが4連投。第5戦では延長10回、日本シリーズ史上初のサヨナラホーマーを打つなど、奇跡の4連勝で日本一に輝いた。劇的なホームランを打って、ベンチに凱旋したときに、スタンドから掛かった声が新聞の見出しになり、後世まで伝えられた。「神様、仏様、稲尾様」の伝説だ。現役時代は、南海・野村克也(現楽天監督)と、日本シリーズで会う長嶋茂雄(現巨人軍終身名誉監督)を生涯のライバルとして、2人を抑えることに無上の喜びを感じていた。

 自らの投手寿命を顧みず連投また連投。61年には当時の日本記録となる78試合に登板。スタルヒンに並ぶ42勝を挙げた。「登板するたびに給料が上がるんだから、酷使とは思わなかった」と平然と言ってのけた14年の投手生活と通算8年間の監督生活。その濃密な野球人生に比べ、70年の人生は、あまりにも短すぎた。

 ◆稲尾 和久(いなお・かずひさ)1937年6月10日、大分県生まれ。別府緑丘高から1956年に西鉄入団。1年目に21勝6敗で新人王。61年にはプロ野球タイ記録のシーズン42勝をマーク。通算成績は756試合登板。276勝137敗、防御率1.98。主なタイトルはMVP2度(57、58年)、最優秀防御率5度、ベストナイン5度。69年に現役引退。西鉄、太平洋、ロッテで監督を務めた。93年には野球殿堂入り。

 ◆福岡の自宅ひっそり 福岡市内にある稲尾さんの自宅前には、午前中から報道陣が殺到。同10時過ぎに稲尾さんが代表取締役社長を務めていた個人事務所「稲尾商事」の関係者が「親族もお疲れなので、ここでの取材はご遠慮ください」と説明した。妻の律子さんらも突然の死去にショックも受けたようで、自宅前には取材自粛を要請する張り紙が出された。 午後2時15分過ぎには、福岡大病院から遺体が、長女の庄野多香子さんら親族に付き添われて自宅に運び込まれた。到着後は親族らも駆けつけ、午後5時前には長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督からも生花が届けられたが、終日ひっそりとした様子だった。


■稲尾さん訃報に中日落合監督絶句

中日落合博満監督(53)が、ロッテ時代の監督だった稲尾和久氏(享年70)の訃報(ふほう)に絶句した。13日の正力松太郎賞受賞会見で、言葉を詰まらせ「監督と選手を超えた関係だった」「私の財産だった」と話した。中日監督就任時には投手コーチ要請の夢を持っていたことも明かした。
 まるで泣き笑いのような顔だった。落合監督は「何か変な日ですね、今日は」と話した後、黙り込んだ。晴れの受賞会見後に話した稲尾氏との日々。「いい人というと変ですが、優しい人でした。野球界から大きな星が消えた」と静かに言った。
 訃報に触れたのは昼すぎだった。信子夫人の言葉を聞いて「え、うそ? いつ?」と絶句した。「具合が悪いのも聞いていなくて。最後に会ったのがいつか、記憶がないんです。球場で必ず話をするんだけど、あまり覚えていない。それだけ急だった」と困惑した。


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