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2007/10/18(木) 日本ハム球団初、2年連続日本シリーズへ
ダルビッシュで決めた! パ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)第2ステージ第5戦で日本ハムが6−2でロッテを下し、球団初の2年連続日本シリーズ進出を果たした。今季初の中4日で先発したダルビッシュ有投手(21)が、7回途中5安打1失点と好投。大一番で今季パ相手に不敗だったロッテ成瀬とのエース対決に投げ勝ち、第2ステージMVPを獲得した。27日からは巨人、中日の勝者との日本シリーズ。92年の西武以来となる連続日本一を目指す。
 ダルビッシュが、第2ステージMVPのお立ち台で言葉に力を込めた。「最高の気分です!」。呼応して超満員の本拠地札幌ドームのスタンドから、地鳴りのような大歓声が響いた。7回2死で降板したが、5安打1失点。今季初の中4日のマウンドでも、エースの重責は果たした。
 リーグ奪三振王も、この日はわずか2個。実は風邪をひき、目は充血。「最後は力が入らなくて頭が痛かった。2、3日前から風邪気味で、だるさとしんどさがあった」。体調は最悪だったが、鼻孔の通りをよくするテープを張りながら力投した。降板を告げられた時は拒否する姿勢で、ボールをグラウンドに投げつけた。「回の終わりまで投げたかった」。途中降板に怒りをあらわにしたが、それほど充実した気力でカバーした。
 大一番でのエース対決で負けられなかった。ロッテ成瀬は今季パ・リーグ相手に不敗で、防御率のタイトルを争ったライバル。心理戦も展開した。「向こうは多少、自分の投球ができないけど自分はできる。勝てると思います」。前日に挑発的に言い放ったが、「あれは(成瀬の)心の乱れを引き出そうと、あえて言った」と、涼しい顔で振り返った。
 17日の練習後、珍しく帰るのが遅かった。登板前日はすぐに帰宅するが、ロッカー室で卓球を楽しんだ。1時間以上も鶴岡らと対決。あるスタッフは「寮に帰っても試合のことを考えるからでしょう」。強気発言の裏で、いつもとは違う緊張感を隠せなかった。
 それでもこの日は朝から勝利の確信があった。寮から札幌ドームへのタクシーで、女性運転手と約1年ぶりに偶然再会した。「日本一になった時と一緒だった。絶対勝つと思った」。試合前、ブルペンのホワイトボードには、1安打完封勝利の予想スコアが記されていた。先輩投手らの激励メッセージにも、奮い立った。
 球団初の2年連続日本シリーズ進出。ダルビッシュは「まだやらなきゃいけないことがあるので、日本一に突き進みたい」とキッパリ。2年連続日本一となれば90年から3連覇した西武以来だ。「小笠原さんのいる巨人でも、井端さんとかがいて、いやらしい中日でもいい。監督にもうちょっと付き合ってもらいます」と再び頂点を目指す。

2007/10/16(火) 女児死亡 閑静な住宅街に突然の悲鳴…衝撃広がる
また、幼い命が凶刃の犠牲になった。兵庫県加古川市で起きた小学2年の女児刺殺事件。閑静な住宅街に、何者かに胸や腹部を刺された同市別府町新野辺の鵜瀬柚希(うのせゆずき)ちゃん(7)の悲鳴が響き渡った。なぜ、最も安全なはずの自宅前でこんな悲劇が起きるのか。近所、学校、同級生らの間に衝撃が広がった。
 ■現場
 「キャー」。柚希ちゃん宅の向かい側に住む男性会社員(35)は、体調を崩して自宅で寝ていたが、子どもの叫び声で目が覚めた。窓から外をのぞくと、玄関先で女の子が倒れていた。祖母とみられる女性が「大丈夫。救急車が来るからね」と励ましていた。男性会社員は「4歳の娘や2歳の息子とも一緒に遊んでくれるやさしい子だったのに……。恐ろしい」と声を震わせた。
 近所の女性(46)には事件直後、柚希ちゃんの祖母から電話があった。祖母は柚希ちゃんが刺されたことを伝えた後、「悔しい」と声を振り絞ったという。
 近所の人の話では、柚希ちゃん宅は祖父母と母親、3人姉妹、母親の兄弟2人の計8人暮らしで、父親とは一緒に住んでいなかったという。
 柚希ちゃんは明るくて愛想がよく、あいさつがきちんとできる子どもだった。毎朝、母親や祖母が自転車で柚希ちゃんら3姉妹を学校まで送り、夕方には迎えに行っていたという。
 柚希ちゃんの同級生の母親(37)は「活発で明るい、身長120センチくらいの可愛らしい子だった。先月の運動会では柚希ちゃんとうちの娘が一緒にダンスをした。子どもを持つ親としてショック。明日、娘も事件を知ってショックを受けるだろう……」と言葉を失った。
 ■不審者?
 近所に住む小学2年の男児は事件の直前、柚希ちゃんの自宅近くの交差点で上下とも作業服姿の太った若い男を目撃した。午後5時前から少なくとも30分以上はウロウロしていたため、不審に思ったという。
 一方、近所のお年寄りたちは「普段は静かなところで、不審者の話は聞いたことがない」と口をそろえる。加古川市防犯協会の池田正信・別府支部長(79)も「小学校の登下校の際にPTAや地域の人たちが見守り活動をしているが、事件が発生した午後6時には終わっていた」と話した。
 事件を受け、加古川署は今後の防犯体制として、市教委や各学校に当分の間の集団登下校や、PTAによる警戒、地域のパトロールなどを要請する方針を明らかにした。同署は、不審者情報などを市教委に提供したり、署員を重点的に通学路に動員して警戒を強めるという。
 ■学校は
 柚希ちゃんが通っていた市立別府小学校では、校舎2階に電灯がともり、教師らが慌ただしく出入りした。また、乗用車や自転車で数人の保護者らが駆け付け、こわばった表情で校内に入るなど、緊迫した雰囲気に包まれた。電話で応対した同小職員は「一切話せない」と答えた。

2007/10/15(月) 亀田一家に厳罰!大毅は1年、史郎氏は無期限の資格停止
厳罰だ! 日本ボクシングコミッション(JBC)は15日、都内で緊急倫理委員会を開き、11日のWBC(世界ボクシング評議会)世界フライ級タイトルマッチで反則行為を繰り返した「亀田3兄弟」の二男・大毅(18)=協栄=に、1年間の出場停止処分を科すことを決めた。父・史郎トレーナー(42)には無期限のセコンド資格停止処分、父とともに試合でセコンドについた長男・興毅(20)=協栄=は厳重戒告処分とされた。

 聖域のリングを汚した代償は、あまりに大きかった。愚行を重ねた大毅以下、亀田一家に厳罰が下された。

 この日、JBC倫理委員会が開かれ、亀田家の処分について協議がなされ、斉藤慎一委員長(社団法人日本経済研究協会専務理事)が処分を発表した。「世界選手権において、ボクシングを冒涜(ぼうとく)し、日本ボクシング界にダメージを与え、ファンの信頼を損なった」。

 二男・大毅 「ボクサーライセンスの1年間停止」

 父・史郎トレーナー 「セコンドライセンス無期限停止」

 長男・興毅 「厳重戒告処分」

 大毅は度重なる反則行為がとがめられ、史郎トレーナーは過去2度、セコンドとして不穏当な行動に対して「厳重注意」を受けていた経緯もあり、試合直前のレフェリーのルール説明時にみせた威嚇行為などが問題視された。

 11回の開始前には、史郎トレーナーが「玉打ってええから」と、興毅は「ひじでいいから目に入れろ」と大毅に反則行為を促した発言がテレビ中継の音声に残っていたことも処分の対象となり、今後、3人の息子に対して、ジムで指導することができなくなった。史郎トレーナーはこの日夜、「18歳の大毅にとって1年間はあまりにも長い」と不満を示すコメントを出した。

 倫理委員会は5人の関係者が集まり、当日のビデオを検証するなど2時間以上をかけて、3人の処分を検討。事務局長になって約1年半、実務を取り仕切る安河内剛事務局長は「反則行為は明白だった」として、亀田家3人への事情聴取を行わず、“問答無用”の処分となった。協栄ジム・金平桂一郎会長(41)は監督責任を問われ、実質的な損害はないが、オーナーライセンスの3カ月停止処分となった。


 大毅は初の世界挑戦で、12回に王者・内藤大助(33)=宮田=を抱え上げて2度投げ飛ばし異例の3点減点をされたほか、(1)ローブロー(2)ホールド(3)頭突き行為(4)レスリング行為(5)サミング(6)スリップダウン後の加撃−を犯している。

 JBCはこれまで、窃盗で逮捕されたボクサーが「3カ月」、詐欺などで逮捕されたボクサーが「6カ月」のライセンス停止、殺人未遂で「無期限停止」などの処分を下してきた。リング内の反則行為などに対しては極めて重い処分となったが、斉藤委員長は「前途のある選手。1年間やれなくても、まだ19歳。苦労を今後に生かしてほしい」と再起も期待した。

 練習は可能だが、1年間のブランクは重い。60年代後半、当時全勝だった世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)が徴兵忌避、ベトナム戦争批判、公民権運動を通して米国の政敵となり、ライセンスと王座をはく奪。25歳2カ月から28歳9カ月までブランクを余儀なくされた。この3年7カ月の空白がなかったら、アリのキャリアもさらに輝いたといわれている。

 大毅の1年間も、同じだ。3試合は消化できる期間で、軽量級のSフライ級(リミット52.1キロ)を主戦場とするだけに、スピードが生命線。貴重な時間を失うことになる。亀田家がいま、崩壊の危機に直面した。

2007/10/14(日) さくら、残り3ホール4打差から大逆転!…富士通レディース最終日
さくら、3度目の正直で桃子に勝った−。1打差の2位で出た横峯さくら(21)=エプソン=が、15番を終え4打差あった上田桃子(21)=加賀電子=に最終18番で追いつき、プレーオフを制して逆転V。今季3勝目、通算8勝目を挙げ、史上6人目の年間獲得賞金1億円を突破した。桃子は、1打リードで迎えた18番で約80センチのパーパットを外す痛恨のミス。2戦連続プレーオフで敗れた。

 さくらが桃子との最終組対決を劇的な逆転Vで飾った。15番を終え、桃子に4打差まで離された。「16番でバーディーチャンスを作ろう。2位をキープしよう」狙い通り右4メートルを沈めると、17番でも約6メートルをねじ込み連続バーディー。そして1打ビハインドで迎えた最終18番。半ば優勝をあきらめかけた、その瞬間だった。桃子が約80センチのパーパットを外す。想定外の状況に「えっ、うそ…」言葉を失った。今季、2度直接対決で敗れた天敵に勝つ好機が、土壇場で巡ってきた。

 「チャンスが来た」気持ちを切り替え、今季3戦3敗だったプレーオフに挑んだ。18番を使用した1ホール目は、お互いバーディーで分けた。続く2ホール目。両者ともにティーショットをミスしたが、「セカンドショットがピンに絡んでくれた」と右4メートルに2オン成功。一方、桃子はグリーンを狙えない悪条件。フェアウエーに出すのも失敗すると、3打目もあごの高いバンカーに入れるなどミスを重ねた。結局6オンで万事休す。激闘に決着だ。

 「賞金女王をあきらめたくない気持ちが後押ししてくれた」これまでは、負けても悔しさを感じなかったが、今季の“鬼門”となっているプレーオフと、最終日最終組対決で2戦2敗の桃子に勝ちたい気持ちが勝因だ。これで年間獲得賞金も1億円を突破。賞金ランクも全美貞を抜いて2位に浮上した。21歳305日での達成は、宮里藍、桃子に続いて史上3番目の若さ。「6試合残しての突破は成長したかなと思う」と自らを褒めた。

 女王争いトップ・桃子とは約1270万円差にまで迫った。欠場予定だった伊藤園レディス(11月9〜11日、千葉・グレートアイランドG)も「桃子が休まず出ると言うから出ることにした」と父・良郎さん(47)。残り6試合、「今季の目標の4勝目を達成すれば夢ではない」逆転女王の座へ、さくらが突き進む。

2007/10/06(土) 村田“フクザツ”キング弾!涙で走った36号…佐々岡まさかのラス投
両手に残った感触が逆につらすぎた。静まりかえった球場の中央を、村田が泣きながら走った。「打つのはつらかった。(本塁打を)打ってつらいのは生涯初めてです」佐々岡の引退試合登板で前代未聞の本塁打。皮肉にも、これが単独キングとなる36号ソロとなった。

 試合は0−10。敗戦濃厚な場面の9回2死から佐々岡が登場した。球場は「佐々岡コール」一色。そこへ、本塁打争い35本で中日・ウッズ、巨人・高橋由とトップで並んでいる村田が打席に入った。

 大矢監督「(打席に向かう村田に)ふつうに打ってほしい」

 カウント1−3。5球目の高めボール気味の直球を、横浜の4番がフルスイングで左中間席に運んだ。

 村田「四球じゃ面白くない。ホームランか三振でいいと思っていた」

 4日のヤクルト戦(神宮)では、同じく引退試合だった鈴木健の三塁ファウルフライをわざと落球。今回は村田なりに佐々岡へ敬意を表したのだが、ベンチ裏でも涙は止まらないほど、心の中はせつなかった。

 試合後、ファンのために場内を一周していた佐々岡と、三塁ファウルグラウンドで遭遇。笑顔で肩をたたかれた。

 村田「すみません」

 佐々岡「真剣勝負。打たれて吹っ切れたよ」

 報道陣に囲まれた25番は、「良い経験になりました」と目をはらしながら言った。赤一色で埋まった三塁側のファンからも「村田、ありがとう。ナイスバッティングだったぞ」の声がかかると、村田の瞳からまた涙があふれ出た。

2007/10/05(金) とかげのしっぽ切り…時津風親方解雇
「亡くなった斉藤さんのご家族、ご遺族を悲しませたことを深くおわび申し上げます」

 17歳の序ノ口力士、斉藤俊(たかし)さんがけいこ中に急死してから約3カ月。日本相撲協会が5日、師匠の時津風親方(57)=元小結・双津竜、本名・山本順一=に下した処分は角界追放だった。1925年の協会発足以来、部屋を預かる師匠の解雇は初めてという異例の事態に発展した。ようやく決断した協会トップの北の湖理事長、数分間の弁明にとどまった時津風親方の胸中はいかに。一方、協会を監督する文部科学省も対応に追われた。


東京・両国国技館内で午後1時から始まった理事会は、時津風親方に解雇処分を言い渡して1時間ほどで終了。午後2時過ぎから記者会見した北の湖理事長は冒頭、武蔵川事業部長(元横綱・三重ノ海)、伊勢ノ海生活指導部長(元関脇・藤ノ川)らとともに深々と頭を下げた。

 北の湖理事長は、横綱・朝青龍の一連の騒動では一度も会見を開かずに説明責任を果たしたとはいえなかった。だが、今回の力士急死問題では、1日の時津風親方への事情聴取後に続いて3度目の会見となった。しかし、当初は「(時津風親方は)相撲部屋の監督者としての安全配慮義務を怠った」と手にした文書を棒読み。処分を言い渡された時津風親方の様子については「神妙」を「慎重」と、何度も言い違えるなど顔をこわ張らせていた。

 時津風親方の処分理由については「協会の信用を失墜させた」との一点張り。自らを含めた役員全員の減俸は「自主的な判断」と主張し、連帯責任であるとの認識を示さなかった。具体的な暴行の事実を問われても「警察が捜査中なので私からは言えない」と慎重な物言いも忘れなかった。


 先月28日に文部科学省から、協会独自に真相究明や関係者に必要な処分を行うことなど異例の指導を受けてから1週間。北の湖理事長は「我々の判断で(早期の処分決定に)した」。協会の自主判断であることを強調した。

 理事会は午後1時に始まり、同25分に時津風親方が室内に入って最後の弁明。同28分に退席し、再び同46分に入室し、そこで解雇処分を通告された。北の湖理事長は「1回目は本人が説明し、出てもらった後に決議した。(処分を聞いた)本人は『まことに申し訳ありません』と言った」と状況を説明した。
 時津風親方に厳罰処分を科す一方、斉藤さんへの暴行に関与したとされる数人の兄弟子への処分は保留。「暴行を加えた力士は警察が捜査中ということで処分を保留した。結果が明らかになれば改めて判断する。将来のある力士だから」と今後の更生に期待した。
 事前に監督官庁の文部科学省から指導を受けたことで、理事長以下役員も責任を負う。「役員のみなさんが自主的に申し出た」と自身に4カ月50%、理事、監事、役員待遇に3カ月30%の減俸処分を科した。遺族への謝罪は近々行う予定だ。
 相撲協会の根幹を揺るがした大問題に一応の決着をつけたことで、今後は再発防止が至上命題となる。既に文科省の指導で「力士の指導に関する検討委員会」を発足。「けいこ以外に生活面や体を休めることも大事。そういうことを踏まえて、2度とこういうことが起こらないようにしたい」。若い力士の死を無駄にしない努力が望まれる。


 ◇時津風親方は無言 

 時津風親方は5日午後1時過ぎに、東京都墨田区の両国国技館を訪れた。理事会が開かれている室内に途中で一度入ったが、数分でいったん退席。この際に報道陣に取り囲まれたが、無言を貫いた。テレビカメラが額付近に当たって眼鏡が外れ、うずくまる場面もあった。

 約20分後に再び理事会の席に入り、そこで解雇処分を通告された。北の湖理事長によると、「『申し訳ない』と謝罪し、神妙な表情だった」という。時津風親方は数分で退席。そのまま車に乗り込み、国技館近くの時津風部屋へ帰宅。無表情のまま、最後まで言葉を発することはなかった。

 北海道出身の時津風親方は、現役時代に185センチ、170キロを超す巨体を利した相撲で79年名古屋場所では小結に昇進した。82年九州場所限りで引退。02年に先代(元大関・豊山)の定年に伴い、時津風部屋を継承し、協会では審判委員などの役職を務めた。

2007/10/04(木) ヤクルト ラミレス、史上3人目の年間200本安打達成
東京ヤクルトスワローズのアレックス・ラミレス外野手(33)は4日、神宮球場で行われた横浜21回戦で、プロ野球史上3人目となる年間200安打を記録した。外国人選手や右打者での達成は初めて。
 記録にあと1本と迫っていたラミレスは五回の第3打席、横浜の先発・三橋から三塁内野安打を放った。今季は144試合あり、139試合目での記録到達だった。
 年間200安打は、94年(130試合)にイチロー(当時オリックス)が122試合目に日本球界で初めて達成。年間最多記録となる210安打まで伸ばした。05年(146試合)には青木宣親(ヤクルト)が145試合目にセ・リーグで初めて達成、最終的に202安打とした。【村田隆和】
 ◇イチロー、青木の安打数にトライ
 鋭い打球が三塁手の横浜・村田のグラブをはじいた。一塁を駆け抜けたラミレスがスコアボードを見つめる。安打を表す「H」が点灯した。クリーンヒットではないが、「安打は安打」。たどり着いた200という数字をラミレスは喜んだ。
 史上3人目といえども、一塁へのスタートが左打者より不利な右打ちで、足が速くないことを考えると、偉業と言っていい。ラミレス自身「開幕前は打てるとは思っていなかっただけに大きな意味を持つ」と話した。
 記録を伸ばせたのはフォーム改造と中堅から右方向を意識した打撃にある。昨季ではバットの先を投手方向に倒していたが、速球への対応が遅れるため、かつぐような構えに修正をした。無理に引っ張る意識も捨てた。外野への安打のうち中堅から右が60%以上を占めていることからも、その変化は明らかだ。打線のつながりを考え、4番から3番に打順変更を志願した。「本塁打より、当てることを考えるようになった」。それも安打数の増加につながった。
 通算200本塁打、同1000安打、5年連続100打点と今季のラミレスは記録ラッシュ。その中でも200安打が一番うれしい。だが、まだシーズンは終わっていない。残り5試合、目を光らせた。「青木の202本にイチローの210本。チャンスがある以上、トライするよ」

 ◇シーズン200安打ランキング◇
   安打  名前   所属    年  出場試合数
(1)210 イチロー オリックス 94 130
(2)202 青木宣親 ヤクルト  05 144
(3)200 ラミレス ヤクルト  07 139
※ラミレスの記録は4日現在

2007/10/03(水) 中田は日本ハム、佐藤ヤクルトに ドラフト 広島に京都すばる中村
プロ野球の新人選択会議(ドラフト会議)の高校生ドラフトが3日、東京都内のホテルで行われ、5球団が競合した佐藤由規投手(宮城・仙台育英)はヤクルト、4球団の中田翔外野手(大阪・大阪桐蔭)は日本ハム、2球団の唐川侑己投手(千葉・成田)はロッテがそれぞれ交渉権を獲得した。
 1巡目の最初の指名は”ビッグ3“だけ。快速球で今夏の甲子園大会を沸かせた佐藤にはヤクルトのほか、楽天、横浜、中日、巨人の指名が重なった。5球団の指名は、高校生では1995年の福留孝介外野手(中日)の7球団(近鉄が交渉権獲得したが入団拒否)以来。
 京滋関係では、京都すばるの中村憲(けん)投手が広島から4巡目指名を受けた。
 ■中村「直球で勝負だ」
 「よーし、やった。よーし」。ドラフト会議開始から約2時間、ようやく広島に4巡目指名されると、京都すばるの中村憲は両手を突き上げガッツポーズを繰り返した。入学時には思ってもみなかった歓喜。着実に成長を続けた大型左腕がプロへのチケットを勝ち取り、「黒田投手を見習ってストレートで押していく投手になりたい」と意気込みを話した。
 入学理由は「就職に有利だと思ったから」と笑ったが、好チームをつくる卯瀧逸夫・現立命館宇治監督、稲川孝幸監督の指導体制にひかれたとも話す。高校1年夏までは外野手。部活動に打ち込むものの卒業後は就職を、と考える普通の高校生だった。だが186センチ、80キロの恵まれた体格に秘めた才能は、すぐに「普通」の枠を超えた。
 2年時からエースとなり、最速140キロの直球を武器に昨夏の京都大会で同高初の8強入り、今夏は甲子園にあと一歩と迫る準優勝。大会後に相次いだプロ球団の打診に自信を深め、挑戦したい思いは大きくなった。「好きだった巨人と対戦してみたい。小笠原さんを三振に取りたい」と素朴な笑顔を見せた。
 宇治市出身。小学3年で野球を始め、同高1年の秋に投手に転向した。稲川監督は「あれだけの体。高校で終わる選手じゃない」と、故障しないフォームつくりを最優先に指導。大きなけがも経験せず、プロに挑む逸材が育った。
 甲子園出場経験のない同高初のプロ選手として期待が集まる。だが中村は周囲の視線を自覚しながらも冷静だ。目標は「しっかりと体を作り、一日も早く一軍に」。淡々と話す。

2007/10/02(火) 巨人逆転サヨナラでV奪回
巨人が02年以来31度目のセ・リーグ優勝を飾った。優勝マジック1で迎えたヤクルト戦。1点を追う9回2死満塁で清水が遊撃に内野安打。ヤクルト宮本の悪送球を誘って5−4と逆転サヨナラ勝ちし、V奪回を果たした。03年に辞任した原監督が、屈辱をバネに監督として2度目の優勝。歓喜の輪の中で宙を3度舞った。さあ、次は日本シリーズ出場権をかけたクライマックスシリーズ。日本一の目標へ原巨人が突き進む。
 不器用な胴上げが、すべてを物語っていた。1点差の9回2死満塁の土壇場で清水が内野安打。相手失策を誘って逆転サヨナラ勝ちを見届けた原監督が、ベンチ前でコーチ陣と抱き合った。体をねじるようにして3度宙を舞い、崩れ落ちるように着地した。勝利の儀式は、わずかな時間で終わった。それでも、久しぶりの優勝の喜びは色あせない。涙はない。興奮した原監督は、いつものように目を充血させていた。
 原監督「今年のゲームを象徴するように粘り強く戦ってくれた。ここまで、選手も苦しかった。私も悔しかった。ファンも悔しかったでしょう。みんなそういう気持ちで戦ってきた。優勝の喜びをファンと分かち合えることが、一番の喜びです」。
 グラウンドの真ん中に用意されたお立ち台で、叫ぶようにしゃべり続けた。まだ日本シリーズ出場をかけたクライマックスシリーズが控えているが「クライマックスシリーズのことは考えず、今日は酔いたいと思います」。素直な気持ちを言葉にするだけだった。
 昨年の反省点を生かすことが、V奪回へのスタートだった。1番打者とストッパーの課題。「この弱点をどうするかが、今季を占う最大のカギ」。1番打者には開幕から高橋由を起用。守護神上原の誕生は、下半身のケガで、開幕から1カ月たった後だった。当初、出遅れた右腕を効率よく戦力に組み込むため、期間限定の構想だった。しかし、先発志向の強い上原を口説き落とした。

 横浜との開幕戦で新1番に抜てきした高橋由は、狙い通りに初打席の初球を本塁打した。肉体面の弱さに不安があったが、ペナント終盤まで本塁打争いを繰り広げ、期待以上の働きをした。上原は、9月11日のヤクルト戦で絶対的なストッパーとして最大の危機を救った。豪雨に見舞われ、試合再開となった9回裏1死一、三塁のピンチに連続三振に抑え、1点リードを死守。自力Vを復活させた試合だった。原監督は「あの試合が今季を象徴する一番の試合だった。どうしても勝ちたい、というオレの気持ちを上原がかなえてくれた」。投打の生え抜きの同学年コンビが、V奪回への“難関”を突破させた。
 絶妙なタイミングでのスパートが必要だった。「自分の勝ちたい気持ちが強すぎると、選手にプレッシャーを与えすぎる。ラストスパートのタイミングも間違ってしまう。チームの弱点は持久力。早くても失速するし、遅くても間に合わない。スパートのタイミングが明暗を分ける」とVへの道のりを探った。
 ムチを入れたのは9月4日の中日戦だった。主力投手の先発間隔を狭め、中継ぎにも待機させた。そんな起用を中日落合監督、阪神岡田監督とも批判するようなコメントがあったが、原監督は「焦っている証拠。相手も苦しいんだよ。相手の大将がこれなら何とかなる」と優勝を確信したかのような不敵な笑みを浮かべていた。
 空白の2年間が埋まった。03年9月、当時のフロントとの確執から辞表を出し、監督を辞任した。土井前球団社長に、原監督は「これからのジャイアンツは大変ですよ。本当に辞めていいんですね」と辞表を出しながらも、最後に確認した。監督という立場に未練を残したのではなく、チームを愛する気持ちの強さからくる未練だった。「もう決まっているから」という答えには寂しさを感じた。その屈辱からの歓喜。監督に再就任直後は「情熱」で、今年は「奪回」をモットーに掲げた。強い情熱で強い巨人の姿を取り戻す。屈辱にまみれた自らのプライドも奪回した。

2007/10/01(月) 郵政民営化 4新会社の行方 各業界でどう戦うのか
1日の郵政民営化で誕生したゆうちょ銀行、かんぽ生命保険、郵便事業会社、郵便局会社。巨大さが際立つ4会社だが、官の体質から民間企業へと脱皮し、収益力を高めながら、サービスの質も向上させることができるのか。これから始まる大競争の行方を探った。

ゆうちょ銀の預金残高は187兆円。これまで国内最大だった三菱東京UFJ銀行の1.8倍以上もある。かんぽ生命保険の総資産も112兆円で最大手の日本生命保険の2倍以上だ。
 ともにこれだけの資金を抱えながら、収益力となるとライバルに遠く及ばない。ゆうちょ銀の07年度下半期の最終(当期)利益見通しは1300億円で、単純に2倍にした年間換算で比べると、みずほの07年度見通しの半分にもならない。リスクが相対的に高い代わりに、もうけも大きい融資業務などが禁じられ、これまで低利の国債を中心に運用してきたためだ。
 かんぽ生命も民間で売れ筋の変額年金保険などを扱っておらず、利益は少なかった。
 このため、ゆうちょ銀は住宅ローンに、かんぽ生命は第3分野商品の発売に、と新規業務への参入を急いでいる。ただ、その手足として期待する全国の郵便局ネットワークは、ゆうちょ銀やかんぽ生命と直接競争する銀行や生損保の商品も1日から取り扱うことができるようになった。
 しかも、持ち株会社の日本郵政がゆうちょ銀とかんぽ生命の株式を全部売却する17年10月以降は、両社の商品を取り扱う義務がなくなる。「他の金融機関と郵便局会社が提携すれば、逆にゆうちょ銀の脅威になる可能性もある」(アナリスト)
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 公社から郵便事業を引き継いだ郵便事業会社の業務は、収益の8割程度を占める封書やハガキなどの非競争分野と、「ゆうパック」などの競争分野に分かれる。封書やハガキは、電子メールの普及などで市場が縮小しているため、民間の宅配業者などと競合する「ゆうパック」など、競争分野の商品の取り扱いを伸ばすしかない。しかし、他の宅配業者との競争はし烈だ。
 この分野での、日本郵政公社の06年度のシェアは8.4%で、ヤマト運輸(36.6%)、佐川急便(32.4%)、日本通運(10.7%)につぐ4位。木川眞・ヤマト運輸社長は「ゆうパックは将来、宅急便と大きく競合する」と予想する。
 郵便事業会社の強みは全国に郵便局をベースとする集配ネットワーク。ただ、そのネットワークが使っている集配車は、主に封書やハガキを運ぶ仕様になっており、大きな荷物の輸送には必ずしも適していない。百貨店などから要望が多いクール設備がついた集配車の数も足りず、サービスの質はまだまだ。「ネットワークは広いが、細かい機能がついていない」(物流アナリスト)との指摘も少なくない。
 郵便局会社の業務は当面、他の3社からの委託が主力となる。全国網を維持することが義務づけられており、過疎地などで不採算局が増えれば、収益の大きな足かせになりかねない。リストラが簡単でない以上、利用者のニーズを積極的にくみ上げ、コンビニエンスストアなどと提携したり、金融機関の商品を幅広く取り扱うなど、収益を拡大することが不可欠だ。


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