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2006/07/21(金) オールスター 全セが3−1で全パに逆転勝ち 第1戦
プロ野球の2006サンヨーオールスターゲーム第1戦は21日、神宮球場で行われ、全セが青木、岩村のヤクルト・コンビの本塁打などで逆転勝ちし、昨年から3連勝。対戦成績を64勝73敗8引き分けとした。最優秀選手(MVP)には勝ち越しソロなど2安打の青木が選ばれた。
 第2戦は22日、サンマリンスタジアム宮崎で、全セは内海(巨人)、全パは斉藤(ソフトバンク)の先発で行われる。
 ○全セ3−1全パ●
 全セの地元・ヤクルトコンビが活躍した。1点を追う二回に、四球で歩いた金本を李承スプが右中間二塁打で還して同点。三回に青木が右越えに勝ち越し本塁打、六回に岩村がバックスクリーンにアーチをかけた。全パは二回、里崎のソロで先制したがそこまで。一発を狙った大振りが目立ち、全セの技巧派、剛球派をとりまぜた投手陣の好投に屈した。
◇最後の球宴をファンの脳裏に…新庄
 「お祭り」を「お祭り」らしく盛り上げた。最後の球宴に臨む姿を、新庄はファンの脳裏に刻み込みたかったのだろう。
 仕込みは怠らなかった。虹色に染めた「レインボー・バット」に野ウサギをイメージしたスパイク。そして、第1打席の川上の暴投も偶然ではない。新庄が明かした。「事前に電話して打診したら、ああいうことをしてくれて。うれしかった」
 暴投の直後、まくり上げたユニホームの下から現れたのは、小さな電光掲示板が付いたベルト。「NEVER MIND WHATEVER I DO. FAN IS MY TREASURE(何をしようと、構わないで。ファンは僕の宝物)」。約3カ月前に作製を依頼したというベルトに流れたメッセージは、派手なパフォーマンスが反発を招こうが、ファンの喜ぶ姿が見たい、という強烈なアピールにほかならない。
 球界のエンターテイナーはもちろん、プレーでもきっちりとファンを喜ばせる。川上からは左翼線二塁打。七回の二岡の浅いライナーへのダイビング・キャッチも見事だった。狙うと言っていた「MBP(最も『爆笑』を取る選手)」は間違いなく獲得。それだけでなく、公式の優秀選手にも輝いた。
 帰り際、スタンド最前列にいた11歳の少年に、ベルトをプレゼントした。「本当はヤクルトファンだけど、新庄さんのファンになりそう」。どこまでも、人を引きつける男は、こうも言う。「22日は、地元の九州だから。期待してほしい」。最後の球宴の最後になる試合。仕掛けは、幕が開いてからのお楽しみだそうだ。

○…全パ先発の西武・松坂は、2回で投げた34球のうち真っすぐが32球と、直球勝負に徹した。150キロ台が26球、この日の最速は154キロをマークし、本人も「最近ないくらい、珍しく腕が振れていた」と満足そう。ただ、期待されていた三振は、一回に変化球で仕留めた岩村から奪った1個だけ。「もっと変化球を投げても良かった」とも。賞は逃したが、新庄が使って折れた虹色のバットを手に入れて「楽しめました。イチローさんのバットと一緒に家に飾ります」とご機嫌だった。
 ○…本塁打を含む4打数2安打、1打点の活躍で最優秀選手(MVP)に選ばれたヤクルトの青木。本拠地での球宴だけに「全打席で本塁打を狙っていた。いつもやらないようなプレーをしようと思っていた」。普段はミートを心がけた打撃が目立つが、三回の第2打席、吉井の直球を思いっ切り引っ張り、右翼席に運んだ。一回には右前打で出塁すると、二盗に成功。三回の守備では、新庄の飛球を取り損なう失策をしたが、しっかりと名誉をばん回。22日の第2戦は出身地の宮崎で開催される。プロ3年目の24歳は「明日もMVPを狙います」と宣言していた。
 ○…「ハマの番長」こと横浜の三浦が、「球界の番長」清原(オリックス)と対決。追い込んでから最後は146キロの直球で見事、空振り三振に仕留めたが、三浦はマウンド上で帽子をとって謝罪のポーズ。「最後の球はもう少しストライクゾーンに入れば。申し訳なくて」と苦笑いだった。もっとも、投球の方は二回を投げて無安打と好投。横浜のエースの名に恥じない力投で存在感を見せつけた。
○…四回にヤクルトの兼任監督、古田が代打で登場。パの2番手、オリックス・吉井との“不惑対決”が実現した。かつてはヤクルトでバッテリーを組んだこともある二人の勝負は、41歳・吉井が138キロの直球で40歳・古田を投ゴロに打ち取った。よほどうれしかったか、吉井はボールをベンチに持ち帰った。一方、敗れた古田も「この年になって同級生と戦えるのはうれしい。(吉井は)ボールも生きているし、まだまだいけますよ」とニコニコ。そして「次は涌井君(西武)と20歳差対決がしたいな」。
 ○…広島のベースボール・ドッグ「ミッキー」がオールスターデビューを果たした。五回にボールの入ったかごをくわえ、吉本球審に届けた。スタンドはほぼ満員で大歓声で迎えられたが、興奮してほえたりもせず、きちんと役目を果たした。
 ○…球宴最多本塁打(14本)まであと一本と迫っているオリックスの清原。4番指名打者で先発出場したが、中日・川上の前に二ゴロ、横浜・三浦には空振り三振と、いい所がなかった。「川上と三浦にやられた。きょうは完敗や」とセ・リーグを代表する両右腕の快投に舌を巻いた。2打席でベンチに退いたが、九回には三塁コーチとして登場、仁王立ちで阪神・藤川にプレッシャーをかける場面も。だが、目の前で藤川、そしてクルーンが自慢の速球を披露し、「速かった」。それが、闘志にも火を付けたのか、「明日も第1打席から行くよ」と2戦目の雪辱を期していた。

2006/07/20(木) ジダン頭突き事件、両者に処分下る
FIFAは現地時間20日、2006年W杯決勝でフランス代表MFジネディーヌ・ジダンがイタリア代表DFマルコ・マテラッツィに対して頭突きを見舞った件に関して、両者に処分を科すと発表。一方で、噂されていたジダンのW杯MVPはく奪という処分は下されなかった。

 侮辱的な発言を受けたとして、暴力行為に及んだジダンに対しては、7500スイスフラン(約70万円)の罰金と国際試合3試合の出場停止処分が下されることに。ジダンに対して挑発する言動を投げかけたマテラッツィには5000スイスフラン(約47万円)と国際試合2試合の出場停止処分が科されることとなった。なお、ジダンはW杯後の現役引退をすでに表明しているため、FIFAのプログラムのもとで3日間の社会奉仕活動を行なうことになる。

 また、マテラッツィが人種差別的な発言をしたとして様々な憶測を呼んだが、そのような事実はなかった模様。14日に事情聴取を受けたマテラッツィが主張するように、この日FIFAから事情聴取を受けたジダンも人種差別を受けたことを否定した。


■「欽ちゃん球団存続を」 応援団実行委が署名開始

タレントの萩本欽一さんが監督を務める野球のクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」の存続を求め、チームのつくば応援団実行委員会のメンバーら約20人が20日、茨城県つくば市内の駅周辺で署名活動を始めた。8月4日まで続け、順次球団側に渡す。
 買い物途中の若い女性らを中心に続々と集まり、2時間で約850人が署名した。新妻貞夫副委員長は「球団の活動が茨城に根付いた矢先の出来事。もう少し頑張って続けてほしい」と厳しい表情で語った。
 夫婦で署名した小田嶋一枝さん(32)は「昨日からテレビにくぎ付けです。欽ちゃんは全然悪くない。球団が存続したら是非試合を見に行きたい」と話した。

また、萩本欽一さん(65)は20日朝、テレビの情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)に電話出演し「かわいい選手を一番悲しませちゃったのかもしれない。選手には野球をやってほしい。もう一度何か考えなきゃ」と話し、揺れる心境をのぞかせた。
 萩本さんは19日に報道陣の取材を受け「大好きな野球だけど、やめることにしました」と話した。だが、一夜明けて、その時の気持ちを振り返り「とりあえずごめんなさいというのが、やめますって言っちゃって」と、思わず口にした決断であることを明らかにした。
 「解散」を表明した後は、翻意を促す多くの電話やファクスが来たため、「何かとんでもないことしちゃったのかな(と感じた)。また頭痛くなって、わけわかんなくなった」と話し、何らかの形での活動継続に含みを残した。

2006/07/19(水) 極楽トンボ解散・欽ちゃん球団も解散へ【極楽山本強姦事件】
未成年の少女(17)に対する強姦の疑いで告訴された人気お笑いグループ極楽とんぼの山本圭一(38)。17日に北海道警函館西署が事情聴取したことを受け、所属の吉本興業は18日付で山本との専属芸能家契約を打ち切った。即断とも思えるが、吉本は解雇発表で告訴された事実を伏せたうえ、18日夜には夕刊フジ直撃をかわして山本の逃走を“幇助(ほうじょ)”した。山本が身から出たサビで奈落に落ちたのはともかく、吉本の対応も「?」といえそうだ。

 山本は16日夜、欽ちゃんこと萩本欽一氏が率いる「茨城ゴールデンゴールズ」のメンバーとして函館入りしていたが、知り合った17歳の少女に飲酒をさせたうえ、無理やり男女の関係を持ったとして訴えられた。17日朝、少女が両親と函館西署を訪れて、被害届などを出した。

 山本は函館西署から任意の事情聴取を受けたため、17日午後に函館オーシャンスタジアムで行われた函館オーシャン倶楽部との対戦を欠席した。当日は「(山本は)仕事のため急遽(きゅうきょ)来られなくなった」とされていた。

 17日夜まで続いた事情聴取に対し、山本は少女と性行為を行った事実は認めたが、「合意のうえだった」と強姦容疑は全面否定したとみられる。

 山本は18日午後、吉本興業東京本部(東京・神保町)で事情説明。だが、吉本は「反社会的行為」と判断し、山本はあえなくクビになった。

 山本は平成元年、佐藤B作主催の劇団ヴォードビルショーで、同期だった加藤浩次(37)らと極楽とんぼを結成。後にオーディションを受けて吉本に入った。現在、テレビのレギュラー番組を多数抱えている。

 広島出身の山本は、広島のリトルリーグで金本知憲(現阪神)とチームメートで、大のカープファンとしても知られる。最近は、休日を利用しながらゴールデンゴールズのメンバーとしても活躍していた。

 一方で、業界内では「女癖が悪い」(テレビ局関係者)ことでも知られており、「若手ら芸人らに合コンなどセッティングさせて遊びまくっていた」(同)とも。3年前には、妊娠させた六本木のキャバクラ嬢に「オレの名前が傷つく。そんな子供、生涯会わない」といい放って中絶させ、週刊誌に一部始終を暴露されていた。

また今日午後吉本興業は記者会見をし、山本さんが芸能活動をすべて中止し、コンビは解散することを明らかにした。相方の加藤浩次さん(37)はタレント活動を続ける。 

■極楽とんぼ加藤「凄く腹が立つ」番組で謝罪&号泣

極楽とんぼの山本が吉本興業を解雇された“事件”で、相方の加藤浩次=写真=は19日朝、自ら司会を務める日本テレビのバラエティー番組「スッキリ!!」の冒頭で、何度も涙で声を詰まらせながら「相方の私、加藤としても深くお詫びいたします」と謝罪した。

 「16年付き合った相方が…こういう形で報道されることは凄く腹が立ちますし、情けないし…。ちょっと気持ちの整理がついていない状況で…」

 相方の行為を「けっして許されるものではない」と糾弾した加藤。だが「会社の下した解雇という決断を深く受け止めてもらいたいと思います」と語る表情は困惑の色も隠せなかった。

 ここ数年の加藤は、他局のサッカー番組でもキャスターを務めるなど、単独の仕事が増加。山本が欽ちゃん球団に入るなど野球好きをアピールしはじめたのは、人気面で相方に追いつくためともみられていた。その欽ちゃん球団メンバーとして訪れた函館で、山本は相方も裏切ってしまった。

■「欽ちゃん球団」解散へ…メンバーの事件で泣く泣く

野球の社会人クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」のメンバーでお笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭一さんが未成年者とみだらな行為をしたことに対し、同球団の監督を務めるタレントの萩本欽一さんは19日、都内で会見し、同球団を解散する意向を明らかにした。

 萩本さんは「やっぱり相手の方にも失礼したし、一番野球に失礼したことに責任を感じた。出来ればお客さんに迷惑をかけないようにしたい」と話した。同球団は2005年に創設され、女子選手や元プロ野球選手の入団、選手に企業スポンサーを付け、練習試合でユニホームの背番号の上などに企業名や商品名を表示するなどで話題を集めた。クラブ野球日本一を決める今年8月の全日本クラブ選手権には、2年連続で出場を決めていた。解散時期は未定。

2006/07/18(火) 秋田男児殺害 畠山被告を再逮捕 彩香ちゃん殺人容疑で
秋田県藤里町立藤里小4年、畠山彩香ちゃん(9)が水死した事件で、県警能代署捜査本部は18日午後、母親の無職、畠山鈴香被告(33)を殺人容疑で再逮捕した。畠山容疑者は、2軒隣に住む同小1年、米山豪憲君(7)を絞殺し遺体を遺棄したとして、殺人、死体遺棄罪で起訴されている。捜査本部は、豪憲君殺害の動機には彩香ちゃんの死が深くかかわっているとみて全容解明を進める。
 調べでは、畠山容疑者は4月9日午後6時45分ごろ、自宅から約3キロ離れた藤琴川にかかる大沢橋の欄干(高さ約1メートル15センチ)の上から彩香ちゃんを約8メートル下の川に突き落とし、殺害した疑い。遺体は翌10日午後、大沢橋から約4キロ下流の浅瀬で水死体で見つかった。頭には軽度の骨折があり、体には多数の皮下出血があった。
 調べに対し、畠山容疑者は自宅で彩香ちゃんと2人でサクラマスの描かれた漫画を見ていて、彩香ちゃんに「サクラマスを見に行きたい」とせがまれ、軽乗用車で大沢橋に連れていったという。畠山容疑者は当初「彩香は欄干の上で川を見ていて足を滑らせ転落した」と話していたが、その後「彩香を橋の上から突き落とした」と供述、容疑を認めている。
 動機については「彩香に対して愛情はなかった。疎ましく思った」という内容の供述をしており、「東京に行きたかった」とも話しているという。食事をほとんど作らず、汚れた服を着せていたなど、彩香ちゃんの世話をあまりしていなかったという証言もあり、捜査本部は日ごろから彩香ちゃんを虐待していた可能性もあるとみて調べる。
 畠山容疑者は5月17日午後3時半ごろ、下校途中の豪憲君を自宅玄関に呼び入れ、後ろから腰ひも(長さ約2メートル、幅約3センチ)で首を絞めて窒息死させ、遺体を軽乗用車の荷台に乗せて、同4時5分ごろ、約10キロ離れた能代市の米代川近くの草むらに遺棄したとして、殺人、死体遺棄罪で起訴されている。
 能代署は彩香ちゃんの遺体が見つかった当初、自宅近くの河原で足を滑らせて事故死したとの見方を強めていた。事件とみて捜査を徹底していれば豪憲君殺害事件は起きなかった可能性もあり、県警の初動捜査のミスが指摘されている。


■王監督胃がん、手術成功 10日で退院も


胃の手術を受けたプロ野球ソフトバンクの王貞治監督(66)の容体について、担当した慶応大医学部の北島政樹教授らが18日午前、東京都新宿区の慶応大信濃町メディアセンターで記者会見し、王監督が早期の胃がんだったことを明らかにした上で、手術は成功したと語った。
 がんは胃の上部から中部にかけて約5センチ。医師団は「リンパ節1カ所に転移していたが、切除した。肉眼上は(他の臓器への)転移はない」と説明し、一般的には10日前後で退院可能という。
 王監督は18日朝に集中治療室から病室に戻って室内を歩き、医師の問い掛けに「特に痛みはない」と語るなど、経過は順調という。17日の手術は午前9時40分から始まり、午後6時47分に終了。出血は72ccと少なかったとしている。

2006/07/17(月) 王監督の手術成功 胃を全摘出
ソフトバンクは17日、東京・新宿区の慶応病院に入院している王貞治監督(66)が、腫瘍(しゅよう)ができている胃の全摘手術を受け、成功したと発表した。今後の治療法や見通しなどについては18日午前11時から、主治医が記者会見する。今回の手術は腹腔(ふくくう)鏡(内視鏡の一種)を使用したもので、切開部分は小さく、肉体的な負担は少ない。詳細は18日に明らかになるが、早期復帰の希望も出てきた。

 手術は成功した。すべてがうまくいったことは、午後8時すぎに対応した竹内孝規・球団常務取締役、木村寛・球団広報部長の表情からくみ取ることができた。

 「手術は無事、成功しました。時間をかけて検査しながら、緻密(ちみつ)にやっていただいた。万全のメンバー(医師団)で万全の手術をしていただきました」。術後、王監督は経過観察のために集中治療室(ICU)へ移されたこともあり、その様子は肉親以外の目にはふれていない。竹内常務は付き添った兄・鉄城さんに長女・理香さん、二女・理恵さんからの「(ファンや関係者に)温かい言葉などをいただいた皆さんによろしくお伝えください」とのメッセージも伝えた。

 王監督は家族と球団関係者に「頑張ってくるよ」と話して、自らの足で手術室へ向かった。主治医である北島政樹外科部長(66)を筆頭とした消化器外科チームが選択したのは、内視鏡の一種である腹腔鏡による胃の全摘出手術だった。北島外科部長は腹腔鏡下胃手術と呼ばれる手術法の世界的権威。慶応病院病院長や日本外科学会会長を務めた経歴のある名医である。この手術法は一般的に切開するのは1、2センチで従来のような開腹手術と比べ、出血量が少なく、肉体的負担も少ない。

 今後の治療方針、見通しなどについては18日、北島教授らが記者会見を開くことになっている。ただ、王監督は12日の検査の後、親しい知人に「(胃以外に)転移がなかったんだよ」と喜びのメールを送っている。その後は病室内で「綾小路きみまろ」のDVDを見て声を上げて笑うこともあったという。胃の一部ではなく、全摘出手術だが「(全摘出も)珍しくないと聞いている」と竹内常務。食事などで苦労することは多いものの、転移がなければ再発の可能性は低くなり、見通しは限りなく明るい。

 王監督は手術前、でん部にできた膿瘍(のうよう)のため、福岡市内の病院に入院した松中に慶応病院の医師に聞いた効果的な療法をファクスした。その際「あす(18日)は福岡(のチーム)に連絡できるかな」と話したという。1日も早い現場復帰に向けた王監督の思いは、誰よりも強い。

 ≪オーナー「安心して力が抜けた」≫手術成功の一報は即座に球団幹部、コーチ、選手にも伝えられた。孫正義オーナーに報告した竹内常務によれば「(同オーナーは)安心して力が抜けたとおっしゃっていました。朝から緊張されていたようでした」と胸をなで下ろしていたという。その後、球団関係者を通じ、選手に手術成功が伝えられた。とはいえ、手術の内容、今後のめどなどは家族以外、球団関係者にも伝えられなかったため、松中は「手術についてコメントはできません」と慎重。18日の医師団の記者会見までは発言を控える姿勢だ。竹内常務によれば孫オーナーにも「見通し、内容はあす(18日)伝えます」とのこと。コーチ、選手、スタッフらにも午前11時からの会見後、球団関係者が説明することになる。

2006/07/16(日) 熊田曜子、くまぇりに「めっちゃ迷惑!」
タレント熊田曜子(24)が、自分に似ていると主張する放火容疑者に怒りをあらわにした。16日、生出演したTBS系「アッコにおまかせ!」の中で、車両放火事件で逮捕された平田恵里香容疑者(20)について初めて語った。
 同容疑者は「くまぇり」を名乗り芸能界入りを目指した。10日に逮捕されてから、各メディアで顔写真とともに「熊田曜子にそっくり」と頻繁に紹介されていた。逮捕後、熊田は特にコメントする機会がなかったが、この日は「めっちゃ迷惑ですよ!」と困惑していることを明かした。
 同容疑者の存在は「そっくりな人がいる」という友人からのメールで知った。事件をまったく知らなかった熊田は「何が起こったのだろうと、移動中にテレビを見たら、お堅いニュース番組に熊田曜子という名前が出てきて…。びっくりです。不思議な感じがしました」。その後も報道番組をチェック。「夢中になってしまいました」とやはり人ごとではないようだ。
 番組では、同容疑者の顔写真の横に立ち、似た表情を作らされた。和田アキ子ら共演者から「似てる〜っ!」とからかわれると「関係ないですから!」とほおを膨らませていた。


■中居くん 26時間完走も最後は散々…

SMAPの中居正広(33)が、司会を務めたフジテレビ夏恒例の長時間生番組「FNS26時間テレビ」(7月15日後7・00〜16日後8・54)で“完走”を果たした。 最後のクイズコーナーで不正解が続いたため、白い粉とクリームまみれになって迎えたエンディング。SMAPのメンバーに見守られながら「夜空ノムコウ」を熱唱したが、歌い出しの部分でカネが鳴り演奏がストップ。納得いかない表情?で番組終了を迎えた。

2006/07/15(土) <転落死>橋から8歳娘落とす 母を殺人容疑で逮捕へ 愛知
15日午後3時10分ごろ、愛知県豊田市勘八町の有料道路「猿投グリーンロード」に架かる橋から「女の子が転落した」と110番通報があった。同県警豊田署が調べたところ、同県刈谷市広小路7、市立亀城小2年、畠中優花さん(8)で、病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。橋の上にいた母親(39)が「橋から子供を落とした。自分も死ぬつもりだった」と供述しており、同署は母親が無理心中を図ったとみて、殺人容疑で逮捕する方針。
 調べでは、母親は道路から高さ約22メートルの跨道(こどう)橋の上から突き落としたといい、優花さんは約17メートル下の道路わきのコンクリート製のり面に転落、頭などを強く打ったという。母親はその後、高さ約130センチの欄干を乗り越えようとしたが、近くにいた女性が取り押さえた。かなり興奮した状態だったという。
 母親は優花さんが生まれた直後から精神的に不安定になっていたといい、夫や自身の母親から医者に行くように勧められていた。最近も不調を訴え、自身の母親に相談していたという。母親は夫と優花さんの3人家族で、この日は2人で車で現場に来たらしい。
 母親を取り押さえた女性によると、女性が橋を車で通り掛ったところ、母親が1人で欄干にもたれており、不審に思った女性が約10分後、現場に戻ったところ、飛び降りようとしていた。
 母親の近所の住人は、「(母親宅は)普段から雨戸が閉まっており、自宅の前で近所の子供が遊んでいると怒鳴ることもあった」と話す。一方、母親が優花さんと遊ぶ姿もみられ、優花さんの下校の際、小学校まで迎えに行くこともあったという。亀城小の塚崎千歳校長は「家庭に問題があるとは聞いていない。14日も母親は生活科の発表会に顔を出していたのに」などと驚いていた。

2006/07/14(金) <パロマ>欠陥の瞬間湯沸かし器、20年間で15人死亡
ガス機器メーカーのパロマ工業(名古屋市)製瞬間湯沸かし器4機種の排気ファンの動作不良による一酸化炭素中毒事故が、1985年から05年11月までに全国で17件発生し、15人が死亡し、重症2人、軽症17人が出たと、親会社のパロマが14日発表した。経済産業省は同日、パロマ工業に対し原因調査や点検を指示した。同社は、類似機種を含めた7機種の全台点検を始めるとともに、点検終了まで使用中止を呼びかけている。
 事故が起きた機種は、同社が80年から89年に製造した屋内設置型の「半密閉式瞬間湯沸器」のうち▽PH―81F▽PH―101F▽PH―102F▽PH―131Fの4機種で、一般家庭用。類似製品も含め計26万台が販売され、このうち約10%が現在も使用されているとみられている。パロマはこの日、専用相談窓口(0120・314・552)を設置した。
 同社によると、いずれの機種にも不完全燃焼時や停電時に燃焼を停止する安全装置が設置されている。事故が発生した機器は、コントロールパネル内の端子を針金でつなげるなどして安全装置が作動しないように改造されていた。パロマの小林弘明社長は「製品自体に欠陥はなく、安全装置を不正改造したことが原因」としている。不正改造については「誰が改造したのか分からない」とし、その目的については「長期間の使用で機器が劣化して不完全燃焼が起こっても、使い続けるためではないか」と語った。
 事故は北海道、東京都、大阪府など6都道府県で発生。同社は92年までに4件の事故を把握し、販売店などに不正改造の点検を求めていた。その後、同社は01年までに、さらに数件を把握。今月11日に経産省から未把握分も含めて17件の事故の発生を伝えられたという。一斉点検が遅れた理由について、小林社長は「販売店への指導で再発は防止できると思っていた」と釈明した。89年以降は改造できない仕組みにしたという。
 同社によると、北海道で92年と95年に発生した事故2件について、被害者側がパロマと販売会社に対し損害賠償請求訴訟を札幌地裁に起こした。同地裁は1件は、パロマへの請求は棄却したが、機器点検が不十分だったとして販売会社に5400万円の損害賠償を命じた。もう1件は、2社が4200万円の和解金を支払うが、損害賠償責任は否定する形で和解が成立している。
 ◆パロマ 明治期の1911年、名古屋市で「小林瓦斯電気器具製作所」として創業。ガス器具の生産を行い、終戦後もいち早く生産を再開して業績を上げた。その後ガスストーブ、ガスレンジにまで手を広げ、52年にブランド名「パロマ」を使い、全国展開を始めた。
 80年代後半には米国の大手ガス給湯器メーカーを傘下に収めるなど積極的な海外展開を行い、ガス給湯器部門で世界的に最大級のメーカーに成長した。

2006/07/13(木) 元巨人投手「8時半の男」宮田征典氏死去
巨人にまた悲しみに包まれた。現役時代にリリーフ投手の代名詞“8時半の男”と呼ばれ、引退後も巨人など4球団で投手コーチを務めた宮田征典(みやた・ゆきのり)氏が13日午後2時11分、肝不全のため群馬県前橋市内の病院で死去した。66歳。65年にリリーフ投手として初めて20勝を達成。登板時刻が午後8時半前後だったことから“8時半の男”の異名が付けられ、巨人9連覇の初年度を支えた。75年に巨人コーチとなって以降、01年に巨人を退団するまでに4球団で指導者としても活躍。2月に元監督の藤田元司氏(享年74)の死去に続き、往年の巨人を支えた功労者がまたしても世を去った。葬儀・告別式の日程は未定。
 巨人の黄金時代を支えた功労者がまた1人、この世を去った。2月9日の藤田元司氏の死去からわずか5カ月。今度は“8時半の男”の異名で親しまれ、引退後も通算15年間、巨人で投手コーチを務めた宮田氏の悲報。8連敗中でリーグ5位に低迷する巨人にはショックを一層かき立てる悲しい知らせとなった。
 訃報(ふほう)を知った長嶋終身名誉監督からは「数日前に体調が良くないとは聞いていましたが…。まだ若いのに早すぎますよ」と悲しみのコメントが出された。宮田氏の現役時代には三塁を守り、75年の第1次長嶋政権では投手コーチとして招へい。それだけに「現役時代、当時は珍しかった抑えの専門ピッチャーをして、V9に貢献しましたね。監督時代もチームを助けていただきましたよ。残念ですし悲しいね」と、悲痛な思いをつづった。
 宮田氏は62年に日大から入団。内臓が弱く、長いイニングを投げることに不向きな点を見抜いた当時の藤田投手コーチが「抑え専門」の新しい形の投手分業制を構想。制球力の良さと「ミヤボール」と呼ばれたシンカーを武器に65年には69試合に登板。リリーフで19勝を含む20勝5敗の活躍で異名が定着した。宮田氏の活躍で、今では常識となったクローザーの役割が確立されるようになった。
 ただ現役時代から病気がちだったこともあり、翌66年に肝機能障害を患い3カ月入院するなど実働8年間45勝で終わった。投手として短命に終わったが“8時半の男”という代名詞は語り継がれた。
 原監督も現役時代から親交が深く大きなショックを受けていた。「尊敬する偉大な先輩でした。非常に躍動的な姿は今も脳裏に焼き付いています」と悼んだ。桑田は入団当時の86年に2軍コーチだった宮田氏と出会い、「壁にぶつかったときマンツーマンで指導してくれました。そのトレーニングがあったから今の僕があると思います」。エース上原も「お世話になった方ですし…」とつらい心境を口にした。巨人コーチとして15年間で長嶋、王、藤田政権下で7度のリーグ優勝に貢献。功労者の訃報に球団関係者もショックは大きかった。
 巨人以外にも日本ハム、西武、中日でも投手コーチを歴任。85年から2年間在籍した西武では工藤、渡辺久らを中心とした投手王国づくりに尽力。98年中日では当時ルーキーだった川上も指導した。巨人、そして球界に多大な功績を残した功労者を、また失った。

2006/07/12(水) 元人気アイドル甲斐智枝美さん43歳自殺
10日に急死した80年代の人気アイドル甲斐智枝美さん(本名・長谷部智枝美、享年43)が首つり自殺していたことが12日、分かった。長男を生んだ後から不整脈などの体調不良を訴え、悩んでいたという。この日、千葉県習志野市の斎場で営まれた葬儀には、ホリプロの3年先輩の歌手榊原郁恵(47)ら約100人が参列した。好きだった花に囲まれ旅立った。
 関係者によると、智枝美さんは亡くなる前日の9日に中3の長男と小6の二男が所属するサッカーチームの練習に付き添い、通常より遅めに帰宅。入浴を済ませ就寝したという。翌10日朝になって智枝美さんが起きてこないことから、子供が起こしに行って変わり果てた姿になった智枝美さんを発見した。

 午前6時45分ごろ、智枝美さんの自宅からの119番通報で駆けつけた救急隊員が、智枝美さんの心肺停止を確認。自宅2階の寝室で首をつって亡くなっていた。千葉県警習志野署が自宅で検視を行い、自殺と断定した。
 
近所の人などによると、智枝美さんは91年に長男を出産したころから、不整脈を訴えるようになった。数年前には2〜3週間の入院も経験。普段は笑みを絶やさない智枝美さんだったが、時折、体調のことで悩んでいるような姿が目撃されている。
 この日の葬儀には、生前に親交のあった約100人が参列した。数年前から生花店で働き「いつか店を持ちたいな」と語っていた花の好きの故人のため、祭壇は多くの花で囲まれ、戒名も「花香妙智信女」と「花香」の2文字が刻まれた。
 所属したホリプロの先輩、榊原郁恵も最期の別れに駆けつけた。90年に芸能界を引退した後でも、年賀状のやりとりを欠かさなかった。頼れる先輩に、数年前には仕事復帰を相談していた。「電話で相談を受けました。子どもに手が掛からなくなったからと言って。今思えば、力になれなかったことが残念です…」。榊原はそう言うとキュッと唇をかんだ。
 出棺の際、位牌(いはい)を抱いた夫の徹氏(43)は泣き明かした目を真っ赤にはらしていた。その横で、遺影を持った長男と二男は涙を必死にこらえていた。遺影はメガネをかけたエプロン姿。普段着で気取ることなく、やさしくほほ笑むいつものお母さんの写真だ。
 徹氏は「わが家は、智枝美を中心にして子どもが3人いるような家族でした。智枝美がいなくなって、これから3人でどうやっていくのか。今はパニックで何も言えません」。堀越学園の同級生で、10年来の愛を実らせて結婚してから16年。突然の悲報を、まだ受け入れられない様子だった。


 ◆甲斐 智枝美(かい・ちえみ)本名・長谷部智枝美。1963年6月16日、福岡・大牟田市生まれ。「スター誕生!」で29代チャンピオンに輝いたのを機に80年6月「スタア」で歌手デビュー。「チェミィ」の愛称で人気アイドルとして活躍。女優としては「野々村病院物語」「女7人あつまれば」などのドラマに出演した。

7月絵日記の続き


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