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2006/07/13(木) 元巨人投手「8時半の男」宮田征典氏死去
巨人にまた悲しみに包まれた。現役時代にリリーフ投手の代名詞“8時半の男”と呼ばれ、引退後も巨人など4球団で投手コーチを務めた宮田征典(みやた・ゆきのり)氏が13日午後2時11分、肝不全のため群馬県前橋市内の病院で死去した。66歳。65年にリリーフ投手として初めて20勝を達成。登板時刻が午後8時半前後だったことから“8時半の男”の異名が付けられ、巨人9連覇の初年度を支えた。75年に巨人コーチとなって以降、01年に巨人を退団するまでに4球団で指導者としても活躍。2月に元監督の藤田元司氏(享年74)の死去に続き、往年の巨人を支えた功労者がまたしても世を去った。葬儀・告別式の日程は未定。
 巨人の黄金時代を支えた功労者がまた1人、この世を去った。2月9日の藤田元司氏の死去からわずか5カ月。今度は“8時半の男”の異名で親しまれ、引退後も通算15年間、巨人で投手コーチを務めた宮田氏の悲報。8連敗中でリーグ5位に低迷する巨人にはショックを一層かき立てる悲しい知らせとなった。
 訃報(ふほう)を知った長嶋終身名誉監督からは「数日前に体調が良くないとは聞いていましたが…。まだ若いのに早すぎますよ」と悲しみのコメントが出された。宮田氏の現役時代には三塁を守り、75年の第1次長嶋政権では投手コーチとして招へい。それだけに「現役時代、当時は珍しかった抑えの専門ピッチャーをして、V9に貢献しましたね。監督時代もチームを助けていただきましたよ。残念ですし悲しいね」と、悲痛な思いをつづった。
 宮田氏は62年に日大から入団。内臓が弱く、長いイニングを投げることに不向きな点を見抜いた当時の藤田投手コーチが「抑え専門」の新しい形の投手分業制を構想。制球力の良さと「ミヤボール」と呼ばれたシンカーを武器に65年には69試合に登板。リリーフで19勝を含む20勝5敗の活躍で異名が定着した。宮田氏の活躍で、今では常識となったクローザーの役割が確立されるようになった。
 ただ現役時代から病気がちだったこともあり、翌66年に肝機能障害を患い3カ月入院するなど実働8年間45勝で終わった。投手として短命に終わったが“8時半の男”という代名詞は語り継がれた。
 原監督も現役時代から親交が深く大きなショックを受けていた。「尊敬する偉大な先輩でした。非常に躍動的な姿は今も脳裏に焼き付いています」と悼んだ。桑田は入団当時の86年に2軍コーチだった宮田氏と出会い、「壁にぶつかったときマンツーマンで指導してくれました。そのトレーニングがあったから今の僕があると思います」。エース上原も「お世話になった方ですし…」とつらい心境を口にした。巨人コーチとして15年間で長嶋、王、藤田政権下で7度のリーグ優勝に貢献。功労者の訃報に球団関係者もショックは大きかった。
 巨人以外にも日本ハム、西武、中日でも投手コーチを歴任。85年から2年間在籍した西武では工藤、渡辺久らを中心とした投手王国づくりに尽力。98年中日では当時ルーキーだった川上も指導した。巨人、そして球界に多大な功績を残した功労者を、また失った。


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