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2006/05/11(木)
<2000本安打>横浜・石井が達成 プロ野球34人目
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プロ野球・横浜の石井琢朗内野手(35)は11日、横浜スタジアムで行われた楽天戦の一回、愛敬尚史投手から中前打を放ち、通算2000安打を達成した。05年6月23日の野村謙二郎(元広島)に次ぎ、プロ野球34人目(日米通算で達成したマリナーズのイチロー外野手を除く)。横浜では松原誠(当時大洋)、駒田徳広に次ぎ3人目 プロ18年目の石井は新人だった89年10月10日、ヤクルト戦(神宮)でプロ初打席初安打をマーク。当時は投手で、この試合に初先発し初勝利も挙げたが、4年目から打者に専念した。勝利投手を経験し、野手に転向した選手の記録達成は、川上哲治(元巨人)以来50年ぶり2人目。投手時代の3年間はわずか3安打で、実質15年目での大台到達となった。 ▽横浜・石井 本当にほっとしました。打球がピッチャーの足元を抜けてセンター前に転がったところで、ヒットだと確信しました。イメージ通りに打てたし、あとはファンの皆さんの声援がセンターに抜けさせてくれました。これで自分のことは一区切りつくので、チームのことに集中できます。 ▽元広島の野村謙二郎氏 (自身も05年に達成)おめでとうございます。私が2000本打てたのも、石井選手という素晴らしいライバルに負けまいという気持ちがそうさせてくれたのだと思っています。まだまだ全力プレーを見せてください。 ▽ヤクルト・古田監督 (2000安打は)僕の次ですかね。投手から野手に転向して積み重ねてきたことに、投手時代に対戦したことのある現役の数少ない1人として、すごい記録。名球会に入ると思うが、現役同士として、切磋琢磨(せっさたくま)してやっていきたい。(自身は昨年4月、遠征先の松山で達成)地元で打ったのか。うれしいだろうなぁ。いいなぁ。 ◇カウント1―1、しぶとく中前に転がす 横浜ファンで埋まったスタンドからひときわ大きな歓声が起こった。横浜・石井は「打席を重ねれば焦ると思い」、第1打席に全神経を集中させた。カウント1―1から、楽天先発・愛敬の変化球をしぶとく中前に転がし大台到達。打球の行方を確かめると、ガッツポーズが出た。 不振でファーム落ちした03年に「引退が頭をよぎった」という。02年に1500安打達成後、目標にしていた2000安打をあきらめかけたこともあった。そこからはい上がってつかんだ栄冠。さすがに感極まったのだろう。ヒーローインタビューでは言葉を詰まらせ、「今は安堵(あんど)感でいっぱい。ほっとした」と率直に語った。 巧みなバットコントロールで安打を積み上げてきた。得意なのは流し打ちだが、広角に打ち分ける技術も兼ね備える。174センチ、75キロと恵まれた体格ではないが、若手に負けない練習量で体を維持。大きな故障がなかったことも記録到達を後押しした。04年の途中からは連続全イニング出場も続ける。 記念すべき日にチームは敗れ、自身も第2打席以降は凡退。牛島監督は「プレッシャーはなくなったと思う。どんどん塁に出て走り回ってほしい」と期待する。寝付けない夜が多かったという石井も「これでチームのことに集中できる」。気持ちを切り替え、まずはチームの最下位脱出を目指す。 ○…プロ野球史上2位の通算2901安打の記録を持つ楽天・野村監督は、三塁側ベンチで石井の2000本安打達成を見届けた。70年10月18日に2000本安打を記録したが、「覚えてないなあ。花束をもらった記憶もないわ」と、試合前にボソリ。 ◇横浜・石井、喜びの一問一答 ――記録達成の率直な感想は 安堵(あんど)感でいっぱい。ここ何日かは、夢の中でもヒットを打っていたので疲れました。注目されることに慣れてないんで。 ――昨日の夜は眠れたか。 なかなか眠れなかった。毎日、その日のゲームのビデオを見ているが、最後の2打席でどうして打てんかったかなと、ちょっと悔しい思いがあった。でも、昨日の(最後の打席の押し出し)四球があったんで、今日のヒットがあったと思う。ファンの皆さんの気持ちが乗り移った。 ――お立ち台では涙が光っていた。 いろんな人に支えられてここまで来られたことが、頭をよぎった。2000本は通過点だけど、通過することが恩返しと思っていたので、胸がいっぱいになった。 ――自分自身にかけたい言葉は。 「よくやった」、ということと、どこかで聞いたセリフですけど、「自分をほめてやりたい」
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