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2006/05/31(水) サッカーW杯 日本代表、強豪ドイツと2−2引き分け
6月9日に開幕するサッカーのワールドカップ(W杯)に向けてドイツで合宿中の日本代表は30日(日本時間31日)、当地で優勝候補にも挙げられている開催国のドイツ代表と国際親善試合を戦い、2−2で引き分けた。
 日本は前半、堅い守りでドイツの攻撃をしのぐと、後半12分と20分に高原直泰(ハンブルガーSV)がゴールを奪い、2点を先行。しかし31分と35分に相次いで失点し、リードを守り切れなかった。目標とする1次リーグ突破(16強)に向け、決定力不足解消に光明を見いだす一方で、セットプレーでの守りに依然として課題を残した。
 日本は6月4日にデュッセルドルフでW杯出場を逃しているマルタ代表と大会前最後の国際親善試合を行い、オーストラリアとのW杯1次リーグ初戦(12日、カイザースラウテルン)に備える。
 ▽日本代表・ジーコ監督 今の時点としては内容に満足している。チャンスを作った割には2点しか決められなかった。フィニッシュの精度は繰り返し反復練習したい。
 ◇ジーコ監督「次につながる戦い」と評価
 目前に迫るW杯に向け、日本代表が成果と克服すべき課題を、ともに示した一戦となった。
 地元開催に向け勢いの出てきた強豪ドイツと互角の戦いを演じた。大きな理由は、チームの核である中田英(ボルトン)や中村(セルティック)ら海外組の合流にある。
 先取点は自陣からのカウンター。中村のパスを中田英がスルーし、柳沢(鹿島)がワンタッチで高原へ。DFの裏をとった高原がフリーになり、冷静に決めた。流れるような攻撃だった。「パス回しができれば、いいサッカーができることが分かった」と中田英は話す。
 「勝負は5月」と強調していたジーコ監督。しかし、日本国内最後の試合となったキリンカップは、W杯を逃したブルガリア(5月9日)に1−2で敗れ、同じくスコットランド(同13日)に0−0で引き分け。
 15日に代表23選手が決まった直後の福島合宿から、合流した海外組と国内組で、チームの熟成を模索する作業が始まった。ドイツ入り後の紅白戦では、中田英と主将の宮本(ガ大阪)らがプレーを止め、「いかに守るか」で意見を戦わせた。この試合中も、ドイツの猛攻をしのいだ前半終了後、後半をどう戦うかで激論を交わした。
 2点を奪ってリードするまでがその成果だとしたら、後半30分過ぎ、セットプレーで2失点した不注意は大きな課題だ。ゴール前でファウルを犯してFKを与え、マークを外されてシュートを決められる。しかも立て続け。これまでも、何度も見てきた日本の失点シーンだ。これが本番なら勝ち点3が、1に減る。宮本が反省したとおり、「あそこでFKを与えたことがよくない」。
 ジーコ監督は「次につながる戦いだった」と評価した。最後まで勝ち切る、守り切る戦いをできるか。残されたわずかな時間、模索は続く。

2006/05/30(火) <訃報>今村昌平さん79歳=映画監督
「楢山節考」「うなぎ」で、カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを2度受賞したほか、「にっぽん昆虫記」「黒い雨」などバイタリティーあふれる作品で知られる映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)さんが30日午後3時49分、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため東京都渋谷区の病院で死去した。79歳だった。葬儀は6月6日午前10時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。後日、お別れの会を開く予定。自宅は同区代々木3の39の4の406。喪主は妻昭子(あきこ)さん。葬儀委員長は俳優の北村和夫さん。
 東京生まれ。早稲田大卒業後、1951年松竹に入社し、小津安二郎監督の助監督を務めた。日活に移り、58年「盗まれた欲情」で監督デビュー。「豚と軍艦」(61年)や「にっぽん昆虫記」(63年)、「『エロ事師たち』より・人類学入門」(66年)など「重喜劇」と称した作品で人間の欲望と愚かさ、たくましさをユーモアを交えて力強く描いた。
 83年の「楢山節考」で最初のパルムドールを受賞。原爆後遺症に苦しむ人々を追った「黒い雨」(89年)では毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞した。
 97年、「うなぎ」で2度目のパルムドールに輝き、同映画祭史上4人目の快挙を達成した。9・11テロをテーマに世界の映画監督が競作したオムニバス「110901/セプテンバー11」(02年)で撮った短編が遺作となった。
 75年、日本映画学校の前身となった横浜放送映画専門学院を設立して、初代校長に就任するなど後進育成にも力を入れた。長男は映画監督、脚本家の天願大介さん。
 ◇欲望とモラル表現
 ▽映画評論家、佐藤忠男さんの話 戦後の日本人がどん底からはい上がってきたエネルギーを「欲望」という形でとらえた。戦後日本映画を代表する監督だった。「楢山節考」や「うなぎ」では、人間の内側から発するモラルを表現したことが国際的にも評価された。日本の映画界が後進育成の役割を果たせなくなった時に、映画学校を設立した功績も大きい。


■福薗昭男氏が死去 もろ差し名人の元鶴ケ嶺

大相撲でもろ差しの名人といわれた元関脇鶴ケ嶺で前井筒親方の福薗昭男(ふくぞの・あきお)氏が29日午後6時6分、敗血症のため大分県別府市の病院で死去した。77歳。鹿児島県出身。近親者で密葬を行い、後日東京でしのぶ会を行う予定。
 1947年に初土俵を踏み、53年春場所新入幕。最高位は関脇で、67年名古屋場所で引退するまで幕内を77場所務めた。巻き替えがうまく、もろ差しから肩を揺さぶりながら出る、独特の寄りで人気を集め、技能賞を10回受賞した。
 引退後、君ケ浜部屋を創設して独立。後に井筒となり大関霧島(現陸奥親方)らを育て、鶴嶺山、逆鉾(現井筒親方)、寺尾(現錣山親方)の3人の息子も関取にした。94年に日本相撲協会を定年退職し、二男の現井筒親方が部屋を継承した。

2006/05/29(月) 俳優の岡田真澄さんが死去−映画、舞台で活躍の二枚目
映画、テレビ、ミュージカルと幅広く活躍し、「ファンファン」の愛称で親しまれた二枚目俳優、岡田真澄(おかだ・ますみ)さんが29日午前4時5分、食道がんのため東京都内の病院で死去した。70歳。フランス・ニース生まれ。キリスト教の通夜にあたる前夜式が同日、港区の教会で近親者のみで営まれた。お別れの会は6月2日午前10時から港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻の恵子(けいこ)さん。

 岡田さんは、昨年6月に食道がんが判明し、入院。9時間もの手術でがんを摘出し、1カ月後の7月23日に「発見が早く、落ち着いて治療に専念できました」とコメントし、8月に退院。9月には1968年から続けるミス・インターナショナル世界大会レセプションの仕事で復帰したが、直後にリンパ節への転移が判明した。

 今年1月にはミュージカル「グランドホテル」を降板したが、入院することなく普段どおりの生活をしながら療養を続けていた。2月27日には、親交のあった俳優の藤木悠さん(昨年12月死去)を偲ぶ会に出席。「ひどくやせた印象があり、足元がふらついているようでもあったが、言葉もしっかりしていた」(出席した関係者)といい、病と闘いながら、3月中旬までテレビ出演をこなしていた。そして、29日未明、家族に見守られながら安らかに息を引き取った。

 この日の前夜式では、兄の故E・H・エリックさんの娘で、めいにあたるタレント、岡田美里(44)も参列。憔悴した様子で、報道陣に一礼はしたが、終始無言だった。

 岡田さんは1952年に日劇ミュージックホールで初舞台。同年、第6期東宝ニューフェイスに合格し、2年後に日活に移籍して「初恋カナリヤ娘」で映画デビュー。

 石原裕次郎主演の「狂った果実」や「幕末太陽伝」「嵐を呼ぶ男」など100本以上の映画に出演する一方で、鳳蘭(60)と共演した「ファニー・ガール」(80年)などのミュージカルも高評価を得た。最近では、クイズバラエティー「サルヂエ」でもサルの特殊メーク姿でクイズを出題し、人気となった。

2006/05/28(日) “雪解け”か?若貴 会食で兄弟同席
“タカ”が座った!!昨年5月30日に他界した大相撲の二子山親方(元大関貴ノ花、本名・花田満、享年55)の一周忌法要が28日、都内で営まれ、遺産相続などをめぐって骨肉の争いを繰り広げた長男・花田勝氏(35)=元横綱3代目若乃花=と、二男・貴乃花親方(33)=元横綱貴乃花=が昨年7月3日の三十五日法要(納骨式)から329日ぶりに再会した。会話こそなかったものの、貴乃花親方が昨年拒否した会食に出席。親族から兄弟の“冷戦”終結を期待する言葉も聞かれた。
 昨年、世間を騒がせた若貴兄弟の確執バトル。修復不可能とみられている冷戦だが、この日、サプライズが起こった。
 東京・杉並区の天桂寺で営まれた法要。午前10時半に勝氏夫妻、10分余り遅れて貴乃花親方夫妻、故人の兄・花田勝治氏(78)=元初代横綱若乃花=が到着。読経の際には兄弟2人並んで故人の冥福を祈った。そして、同11時40分から始まった親族だけの会食で衝撃的なシーンが現出した。
 貴乃花親方がイスに座ったのだ。昨年の納骨式は欠席して勝氏との溝の深さを浮き立たせたが、末席とはいえ同席し、黙々とはしを動かした。
 会食を終えた貴乃花親方は無言で帰路に就き、勝氏も騒動再燃を懸念してテレビカメラ14台を含む約100人の報道陣に「ありがとうございました」と一言残して車に乗った。兄弟の間に会話はなかったが、親族は「昨年は光司が会食をせずにすぐ帰ったが、今年は一緒。わだかまりはいい方向へ向かっている。来年の三回忌ではもっとよくなるのでは」と、和解に期待を込めた。
 一周忌の30日には故人に縁の深かった親方衆による「しのぶ会」が催される。貴乃花親方は午後になって報道陣の電話取材に「花田勝さんが施主ということで花田家の一員として出席させていただきました。式も滞りなく終了しました。感謝の気持ちでいっぱいです」と穏便なコメント。確執は“雪解け”に向かうのか。先行きは不透明だが、わずかながらも動きが見えたことだけは確かだ。

2006/05/27(土) <ジャワ島地震>2700人超える死者 増える可能性
インドネシア・ジャワ島中部で27日早朝に発生した強い地震による被害は、同国社会省の同日夕までのまとめで死者2700人以上、負傷者数千人となった。被災地のジョクジャカルタ特別州では発生直後、津波を恐れる住民らが高台に殺到し、一時パニック状態となった。被災者らは当時、睡眠中か建物内におり、多くが下敷きになったまま救出されていないという。同省は犠牲者はさらに増える可能性が高いとみている。
 米地質調査所によると、地震は同日午前5時54分(日本時間同7時54分)ごろに発生。地震の規模はマグニチュード(M)6.2。震源はジョクジャカルタの南約25キロで、震源の深さは約17キロ。地震による津波は確認されていない。
 ユドヨノ大統領は地震直後、国軍に建物の下敷きになっている負傷者や避難者の早期救助に当たるように指示。27日夕には被災地入りし、陣頭指揮に当たっている。またインドネシア赤新月社は「死者は3000人を超える」と予測、医療チームが緊急治療を始めた。
 一方、ジャカルタの日本大使館は、ジョクジャカルタ特別州在住の日本人91人や旅行者などについての安否を確認しているが、現在のところ死傷者は確認されていない。
 被害は震源周辺では最大都市で人口約50万人のジョクジャカルタのほか、震源に近いバントゥールなど。多くの住民がレンガ造りの簡易な建物に居住しており、倒壊した建物の下敷きになっている。各地で水道や電気の供給が停止しており、空港も滑走路や建物が損傷して閉鎖された。
 ジョクジャカルタはジャワの古都として知られ、ジャワ島最大の観光地。近くには世界遺産の仏教遺跡ボロブドゥールやヒンズー教寺院群プランバナンなどがあり、世界から多くの観光客が訪れる。今回の地震でプランバナンの多くの建造物に被害が出ているとの情報もある。
 また、近郊には3月末から火山活動を活発化させているムラピ山(2911メートル)があり、今月に入って火砕流もしばしば観測されている。ロイター通信によると、地震後、火山性ガスが噴出し、噴煙も立ち上っているが、地震との関連は不明。
 インドネシアでは04年12月、スマトラ沖大地震による大津波が発生。被災国全体で約23万人が死亡・行方不明になったほか、05年3月にはニアス島を襲った地震津波で約1300人が死亡したばかり。

2006/05/26(金) <火災>子ども3人死亡 大阪・和泉の市営住宅で
26日午後4時50分ごろ、大阪府和泉市繁和町(はんわちょう)、市営繁和第2住宅3号棟6階602号室、会社員、坂口正登さん(40)方から出火、約30平方メートルを焼き、長男樹喜矢(じゅきや)君(7)=市立国府小2年=と二男亜夢瑠(あむる)ちゃん(4)、長女真衣(まい)ちゃん(1)の3人が煙を吸い込むなどして病院に運ばれたが死亡した。出火当時、3人だけで留守番をしており、府警和泉署が出火原因を調べている。
 調べによると、坂口さん方は3LDKで消防隊員が到着した際、玄関西側の子ども部屋とみられる洋室から煙が出ていた。洋室内のハンガーに掛けられた衣服がよく焼け、火元とみられる。消防隊員は、ベランダに面した和室で寄り添って倒れている3人を発見したが、意識はなく、一酸化炭素中毒で死亡したとみられる。
 坂口さんは妻朱美さん(26)と子ども3人の5人家族だが共働きで、当時、坂口さん夫妻は不在だった。出火直後、朱美さんの携帯電話に樹喜矢君から「家が燃えている。怖いよ」と連絡があり、朱美さんは「隣のおばさんのところに逃げなさい」と伝えたが、逃げ遅れたらしい。
 坂口さんは普段夕方に帰宅し、朱美さんは夕方から近くの店にパート勤めをしていた。2人が入れ替わる時間帯に子ども3人だけが自宅にいることがあったという。
     ◇
 市営住宅5階の無職女性(48)が犬の鳴き声に気づき、ベランダから見上げると黒煙が出ていた。坂口さん方の玄関を開けたが煙が充満し、子どもの声は聞こえなかった。若い男性が隣室ベランダから消火器を持って入ろうとしたが、手の施しようがなかった。母朱美さん(26)が、パート先の店から駆け付けたが、住民に「今行ったらあかん」と止められた。消防隊員が子ども3人を救出したが布団をかぶっていた子どももいたといい、可愛がっていた飼い犬もベランダで死んでいた。
 坂口さん夫婦が不在の時、樹喜矢君が亜夢瑠ちゃんと真衣ちゃんの面倒を見ていた。出火の約40分前、5階の女性が共益費の集金のために訪問すると、亜夢瑠ちゃんは「お母ちゃんは居てない。犬が逃げるから」と答え、樹喜矢君は居間付近で遊んでいたという。
 市立国府小の藤原重雄教頭によると、樹喜矢君は明るく面倒見のいい児童。真衣ちゃんをおもちゃであやす姿もよく見かけられたという。近所の男性は「小2に進級してしっかりしてきた。最近は『おっちゃん、おはよう』とあいさつしてくれたのに」とうなだれた。国府小は、子どもが犠牲になる事件が全国で相次いだことから放課後は定時に児童を帰宅させていた。




■もこみちショック!AV女優との純愛報道「ほとんどウソ」

俳優、速水もこみち(21)が26日発売の「フライデー」に純愛交際と報じられた件で同日、TBS系「きょう発プラス!」にVTRで出演し、恋愛関係を否定した。

 同誌は「人気AV女優と純情・通い愛」との見出しで、マンションから出てきたもこみちとロングヘアの女性のそれぞれ別々の写真を掲載。もこみちは「内容がほどんどウソに近いので、それを見てショックでした」と前置きし、「彼女とは学生時代に友達の紹介で知り合った大切な友達」と説明。昨年秋に女性が働いていたキャバクラで知り合ったという同誌の記述を否定した。

 また、親も“公認”の交際と書かれた点には「彼女を両親に紹介したことはない」と重ねて否定。さらに、女性がAV女優であることを今回の報道で初めて知り、「僕が有名人だったせいで、彼女が友達にも言えないことが分かってしまった。彼女は本当に大事な友達なので辛いです」と相手を思いやった。

 ファンには「軽率な行動をとって申し訳ない」と頭を下げ、「AV女優だったことが分かったからとか、写真誌に撮られたからと言って、彼女との友達関係をやめることはないです」と強い口調で語った。

2006/05/25(木) ヤクルト ガトームソンが無安打無得点試合 楽天35敗目
師弟対決第5ラウンドで古田ヤクルトが偉業を達成した。来日2年目のリック・ガトームソン投手(29)が楽天5回戦で史上72人目のノーヒットノーランを達成した。許した走者は四球と失策の2人で、チームでは97年石井一以来7人、8度目。交流戦では初。古田兼任監督にとって就任1年目でのサプライズで、楽天野村監督の前でメモリアル勝利を飾った。交流戦11勝3敗と「首位」を走る古田ヤクルトは待望の貯金1とし、本拠地でお祭りゲームを演じた。
 お立ち台でヒーローインタビューを終えたガトームソンの横に、古田監督も並んだ。自らウイニングボールを手渡し、2人でカメラのフラッシュを浴びた。相手に有無を言わせない、ノーヒッターの快勝劇で待望の貯金生活。しかも、恩師率いる楽天相手の5連勝に、本拠地神宮のスタンドの興奮は、照明が消えるまで冷めなかった。
 周囲の注目は「古田−野村」の師弟対決。だが、そんな因縁など、来日2年目のガトームソンには無関係だった。最速152キロの速球を主体に、スライダー、さらに今季から覚えた速いフォークで淡々と27個のアウトを重ねた。許した走者は失策、四球の2人だけ。こん身の139球で、米ワシントン州の高校時代以来、プロ人生では初の快投を演じた。「それまではみんな話していたのに、6回ぐらいから誰も声を掛けなくなっていたからね。でもナーバスになったのは試合が終わってからだよ」。
 年俸4800万円の格安外国人が、これまでに脚光を浴びることはなかった。01年オフ、当時在籍していたパドレスから、右腕痛を理由に突然解雇された。「そんなに大したケガではなかったのに…」。翌年は、米独立リーグに所属しながらリハビリに専念。その後、マリナーズ傘下の3Aタコマでメジャー昇格を目指すうちに、ヤクルトからオファーを受け、日本行きを決意した。昨オフには、同郷のミッシェル夫人と結婚。今年2月には子宝にも恵まれた。「きちんと仕事をしなきゃいけないからね」。来日2年目の余裕とパパとなった自覚が、安定感にもつながった。
 29年ぶりの兼任監督としてスタートした古田ヤクルトも、ここまでは苦戦続きだった。一時は最多借金7まで膨れ上がり、沈滞ムードが漂った。だが交流戦開始と同時に快進撃が始まった。この日も「選手・古田」を7試合連続スタメンから外し、好調の米野を起用。自らは采配に徹した。「米野がいいのは、監督としてうれしいこと。今年は育てながらやるわけですから」。1回裏の好機にはエンドラン、2盗塁と積極的に仕掛けた。貯金への強い意志の表れだった。
 そんな中での快記録。「本人もうれしいだろうけど、チームにとっては勢いの付く勝ち方だったね」。古田監督は絶賛する一方で、ゴンザレスに登板機会を与えるために、26日には予定通り登録抹消する。ガトームソンは「ノーヒットノーランの翌日に登録を外れる初めての投手になるかもね」とおどけたが、長期戦を見据えた姿勢は変わらない。今後は巨人、阪神、中日との「4強」ムード。古田ヤクルトが最高の形で、混セに乱入してきた。

2006/05/24(水) 関東南部激しい雨、浸水や道路冠水…鉄道の運休も
関東地方南部は24日夕方から夜にかけ、1時間当たり60ミリ前後の激しい雨が降り、東京都や埼玉、神奈川両県では浸水や道路冠水などの被害が相次いだ。

 気象庁によると、関東地方上空に強い寒気が流れ込み、大気の状態が非常に不安定になったため、24日午後5時30分からの1時間に、東村山市で61ミリ、練馬区で57ミリの雨量を記録。

 警視庁や東京消防庁などによると、この雨で24日午後7時45分ごろ、練馬区大泉学園町の区道を走行中の乗用車6台の下半分が水没し、うち1台の運転席から、自力で出られなくなった女性(62)が消防隊員によって救出された。けが人はなかった。

 外環道の和光IC〜大泉IC間も一時、冠水の恐れがあるとして通行止めとなった。鉄道ではJR青梅線の上下計10本が運休、2本が最大2時間45分遅れて約1600人に影響が出た。



■<佐賀男児ひき逃げ>指名手配中の土木作業員を逮捕


佐賀県唐津市の小5男児ひき逃げ・連れ去り事件で、同県警は24日夜、指名手配していた同市船宮町、土木作業員、坂口三之治(さのじ)容疑者(53)を同市浜玉町で発見、午後8時53分に業務上過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)容疑で逮捕した。容疑を認めているという。坂口容疑者は事件発生翌日の21日午後、同市内で警察官から職務質問を受けたが、すきを見て逃走していた。
 坂口容疑者が勤務する土木会社社長が24日午後8時半ごろ、捜査員の携帯電話に「一緒にいる」と通報してきた。捜査員が現場に向かい、同市浜玉町の国道323号で発見した。
 調べでは、坂口容疑者は20日午後5時過ぎ、唐津市厳木(きゅうらぎ)町の県道で、勤務先の会社が所有する青色の2トントラックを運転中、近くの農業、家原定生さん(48)の三男、毅(つよし)君(11)=厳木小広川分校5年=を自転車ごとはね、頭部骨折や脳挫傷など1カ月の重傷を負わせ、警察へ通報せずに逃走した疑い。
 坂口容疑者は、毅君をトラックに乗せて連れ去り、3キロ離れた山中に放置したとみられる。毅君は事故から約8時間後の21日未明、林道であおむけになって倒れているところを、捜索中の家族に発見された。
 唐津署は坂口容疑者が事件に関与したと断定、23日に全国指名手配していた。

2006/05/23(火) 変死 小4女児、マンションから転落死 仙台市
23日午後5時ごろ、仙台市宮城野区苦竹(にがたけ)1のマンション「エクレール原町東」(11階建て)の建物東のアスファルト上に、8階に住む陸上自衛官(49)の三女(9)=市立原町小4年=が頭から血を流して倒れているのを女性管理人(55)が発見し、119番通報した。市内の病院に搬送されたが約50分後、脳挫傷などで死亡が確認された。防犯カメラに落下する女児が写っており、県警仙台東署は映像を詳しく分析し、事件・事故の両面で調べている。
 調べでは、女児は午後3時過ぎに帰宅して宿題をした後、母親(44)に「出かけてくる」と言い残して外出。約10分後に倒れているのが見つかった。建物東側を写す1階の防犯カメラに、足を下にして落ち、うつぶせに倒れた姿が写っていた。
 マンションは1階が駐車場で、2階から上が居住部分。女児は、部屋のドアが並ぶ各階東側の外通路から転落したとみられ、同署は付近の手すりなどを調べている。通路には高さ約1.2メートルの壁がある。マンションの玄関はオートロックで、1階には防犯カメラが5台あるという。
 女児は両親と姉2人、兄1人の6人家族の末っ子。通っている原町小によると明るく元気で、この日も放課後校庭で遊んでいたが、雨が降ってきたため午後3時ごろ、担任に促されて帰宅した。隣のマンションに住む無職女性(49)によると、マンション付近は子供の遊び場になっており、この日も午後4時半ごろまで子供の笑い声が聞こえていたという。
 現場はJR仙台駅から東に約3キロ。交通量の多い国道45号に面し、マンションや飲食店ビルなどが建ち並んでいる。

2006/05/22(月) 木村郁美アナ 年上実業家とスピード婚
TBSの木村郁美(いくみ)アナウンサー(33)が22日、結婚したことを発表した。相手は元プロテニスコーチでスポーツマネジメント会社社長の杉澤修一氏(38)。19日に婚姻届を提出した。今年1月に共通の知人を通じて知り合った。木村アナは幸せのゴールに「この出会いは私の大きな財産」と喜びを表現している。

 TBSの情報番組「2時ピタッ!」などでお茶の間でも人気の木村アナ。交際わずか4カ月での“スピード婚”に、周囲は「慎重派のイメージだけにとても意外だった」(テレビ局関係者)と仰天。そのハートを射止めたのはスポーツマンでやり手の実業家だった。

 木村アナはこの日、マスコミ各社にファクスで婚姻届を提出したことを報告。知人の紹介で1月に出会ってから、とんとん拍子でゴールインしたことに「縁あって知り合い、とても自然な流れで今回の運びとなりました。報告できることをうれしく思います」と喜んでいる。既に同居しており、挙式は今秋の予定。仕事は続ける。

 相手の杉澤氏は日大桜ケ丘高卒業後、渡米し、テニスプレーヤーからプロのコーチに転向。00年6月に当時五輪代表の宮城ナナ選手らが所属するテニスチーム「チームスカンヂナビア」のマネジメントやネット事業などを行う会社を立ち上げた。昨年11月には長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督がアテネ五輪予選で着たジャンパーのオークションに参加し、410万円の超高値で競り落としている。

 木村アナは「心から尊敬し、信頼できる人と出会えたことは大きな財産」と幸せいっぱいの様子。この日、杉澤氏は親交のある歌手の川中美幸(50)に結婚を報告。川中は「自分自身に厳し過ぎるところがある杉澤さんに、やっと訪れた春。2人でいつまでも“二輪草”の花を咲かせ続けて」と祝福した。

 ◆木村 郁美(きむら・いくみ)1973年(昭48)1月19日、東京都生まれ。父親の仕事の関係で2歳から6歳までドイツ、16歳から18歳まで米国で生活。学習院大卒業後の96年4月にTBS入社。「王様のブランチ」「チューボーですよ!」などを経て、現在は「2時ピタッ!」担当。特技は英会話。趣味は料理、読書、ゲテモノ食い。1メートル60。血液型A。

 ◆杉澤 修一(すぎさわ・しゅういち)1967年(昭42)11月19日、東京都生まれ。高校卒業後、単身渡米。ウィンチェンドンハイスクールなどを経て、99年からテンプル大ジャパン在学中。社長業との両立にも「卒業するつもり」。著書に「プライド高き挑戦」など。1メートル76、74キロ。血液型AB。

5月絵日記の続き


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