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2006/04/03(月)
松本竜助さんしめやかに告別式…解散後人生対照的
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脳出血で1日に49歳で死去した元漫才師の松本竜助さん(本名・松本稔=まつもと・みのる)の告別式が3日午後、大阪市北区長柄西の玉泉院で営まれた。漫才コンビ「紳助・竜介」で昭和55年の漫才ブームを牽引したが、芸能界の頂点に立った島田紳助さん(50)に対し、竜助さんは自己破産するなど解散後の人生は対照的だった−。
この日、会場には友人や関係者、ファンらが参列。B&Bの島田洋七さん(56)が友人代表として弔辞を読んだ。
前日2日の通夜には西川きよし、明石家さんま、B&B、オール阪神・巨人といった大物も参列したが、紳助さんは「葬式が終わってから、ゆっくり会いに行く」として通夜、この日の告別式とも欠席した。
通夜の後、竜助さんの兄弟子にあたる島田洋七さんは会見し、「こうやれ、ああやれ言うてもできんヤツでね。たまに会うても、『大丈夫や、大丈夫や』としか言わん。アイツの気持ちはみんな知ってた。アホです」と涙をこらえながらその人柄をしのんだ。
竜助さんは昭和52年3月、「島田紳助・松本竜介」でデビュー。ツッパリ漫才を武器に、55年の漫才ブームで全国区に。改名した竜助さんは、ビートきよし、島田洋八と「うなずきトリオ」を結成するなどもしたが、60年にコンビを解消した。
その後、紳助さんが司会やキャスターで成功、副業の貸ビル・飲食業収入含め、「年に10億円は下らない」(関係者)羽振りのよさに対し、竜助さんは平成9年に吉本興業を離れた後は、居酒屋やアダルトビデオ制作に携わるが、いずれも失敗。10年には1億3000万円の負債を抱えて自己破産。最近は、大阪市内で風俗案内店の責任者をしていた。
1日、紳助さんは東京で会見し、涙ながらに「50歳での再結成」などのエピソードを明かしたが、「竜助さんの中には『あいつが力を貸してくれたら』という気持ちもあったのでは…」(竜助さんに近い関係者)。
漫才コンビの裏側を見てきた放送作家の古川嘉一郎氏は、「漫才界に新風を吹き込んだコンビだけに、あまりに対照的で辛い最期だ」と話している。
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