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2006/04/25(火)
尼崎脱線事故 発生から1年 追悼慰霊式で再発防止誓う
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兵庫県尼崎市でカーブに入った快速電車が脱線、マンションに衝突し、乗客106人と運転士が死亡したJR福知山線脱線事故は25日、発生1年を迎えた。555人の負傷者のうち女性1人が入院(14日現在)、被害者の心身に刻まれた傷は今なお深い。事故は大幅な速度超過が主因とされるが、その理由と背景は未解明のままだ。「安全神話」を崩壊させたJR最悪の惨事の後も鉄道や航空機の事故、トラブルは後を絶たない。この日、発生時刻の午前9時18分には、現場などで犠牲者への黙とうがささげられ、尼崎市で営まれた追悼慰霊式でJR西日本は改めて再発防止を誓い、国も事故原因の徹底究明に強い姿勢を示した。 追悼慰霊式は尼崎市総合文化センターで午前9時すぎ、報道陣の入場を制限して始まり、犠牲者92人の遺族577人と負傷者や国の関係者ら計1886人が参列。しかし、JR西日本への不信感から出席を拒否する遺族もいた。 9時18分、花やろうそくを並べ、六甲山をイメージした祭壇に向かって全員が黙とう。続いて、政府代表の北側一雄国土交通相が「二度と事故を繰り返さないよう鉄道事業者への監視監督を強化したい」と追悼のことばを述べ、山崎正夫・JR西日本社長は「4月25日を忘れず、全社員が心を一つに安全第一に取り組む」と誓った。 遺族、負傷者家族の「慰霊のことば」が続き、妻博子さん(当時54歳)を亡くした同県川西市の山田冨士雄さん(56)は「不幸な家族で終わりたくない」とメッセージを送った。母陽子さん(同62歳)と叔母阪本ちづ子さん(同55歳)が犠牲になり、自らも大けがをした同県宝塚市の浅野奈穂さん(33)は「命を運んでいることを胸に刻んで電車を動かしてほしい」と涙ながらに訴え、一時意識不明の重体に陥りながら食べ物を口にするまでに回復した鈴木順子さん(31)の母もも子さん(58)=同県西宮市=も「(順子さんが)きっと立てる日が来ることを信じる」と話した。会場では参列者による献花の後、一般献花も始まった。 現場近くの献花台には早朝から遺族ら多くの人が訪れ、午前7時ごろには山崎社長が訪れ、深々と頭を下げた。福知山線各駅などでは負傷者やボランティアが追悼のための青いリボンを配り、JR西日本は大阪駅など7駅に記帳所を設置。学生が犠牲となった同志社大や近畿大などでも追悼行事が行われた。 北側国交相は式典後、報道陣に対し、国交省航空・鉄道事故調査委員会が今秋に開く意見聴取会に、事故被害者の参加を求める意向を表明。「被害者の方からも意見をうかがったうえで事実関係を解析したい」と話し、「新しい事実関係が分かり次第被害者の方に説明したい」と述べた。 ◇山崎正夫・JR西日本社長の「お詫(わ)びと追悼のことば」 昨年4月25日、当社は106人の尊い命を奪う極めて重大な事故を起こしました。かけがえのないお父様、お母様、最愛の夫や妻、いとしいお子様、仲のいい兄弟姉妹、平穏で幸せな暮らしをしていた皆様です。そのような幸せな人生を私たちが一瞬にして奪いました。満開の桜を見てみなさんを思い出し、涙されるご遺族。心の傷は深くなるばかりとの声もうかがいます。お詫びしてもお詫びしてもご納得していただけないことは十分承知しておりますが、申し訳ございませんという言葉以外、私には言葉が見つかりません。お客様の尊い命をお預かりしている責任を自覚し、安全で信頼される鉄道を築くため、4月25日を決して忘れず、全社員が心を一つに安全第一に取り組むことを約束します。
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