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2006/03/11(土) パラリンピック 小林が金、太田は銅 バイアスロン女子
第9回冬季パラリンピック・トリノ大会第2日の11日、バイアスロン(12.5キロ)女子視覚障害の小林深雪(東京)が日本選手大会1号となる金メダル、女子立位の太田渉子(山形)は銅メダルを獲得した。日本女子は、競技初日だけで前回ソルトレークシティー大会の女子獲得メダル数(銅2個)に並ぶ幸先のいいスタートを切った。
 男子は座位の長田弘幸(北海道)が13位、立位の伝田寛(長野)は17位だった。アルペンスキーは滑降(立位)男子でメダル候補だった東海将彦(東京)は日本選手最高の7位にとどまり、女子の佐々木如美(秋田)は13位だった。アイススレッジホッケーの日本は、1次リーグ初戦にスウェーデンと対戦。
 ▽小林深雪選手 (涙ながらに)今日は練習通りやることができた。ここまで支えてくれた方々に感謝したい。長野の金とは別物。本当に練習してきたことの成果を出せた。
 ◇恩師を表彰台に導き、満面の笑み…小林
 圧勝だった。2位に大差をつけての金メダル。小林は「練習してきたことがそのまま出せた」と振り返ったように、重点的に取り組んできた射撃がものを言った。
 1回に五つの的を狙い、これを4回繰り返しす。小林は3回目まですべてミスは0。そして、2位に2分近い差をつけて迎えた4回目の射撃。1発目を外したが、落ち着いて以降は四つの標的を射止めると、勝利をほぼ手中にした。
 「昔のようにがむしゃらに走れなくなった」。98年長野大会は24歳で金メダルを獲得。近年は年齢から来る限界を感じていた。そこでライフル射撃の日本代表のコーチ歴もある香西俊輔氏の指導も受け、欧米勢との距離でのタイム差を、射撃の精度で詰める戦術を追及。距離だけの成績は4位だが、射撃の的中率は1位。大舞台では見事に結果を出した。
 高校教諭の小林卓司さんは視覚障害スキーヤーのガイド(伴走者)をやっていたのが縁で、02年大会からコンビを組むようになった。「走りはよくなかった。勝因は射撃」と総括。だが、ガイドもメダルを手にするパラリンピック。「小林さんにやっとこれで『ありがとうございます』と言えます」。恩師を表彰台に導き、満面の笑みを浮かべた。
 ○…バイアスロン女子12.5キロ立位で銅メダルを獲得した太田は日本選手団最年少。山形・北村山高1年の16歳は「今まで支えてくれた方々にメダルを掛けてあげたい」と笑顔をはじけさせた。射撃は、ミスを各回1度ずつにとどめて手堅くまとめた。ペナルティーは全選手で2番目に少ない4に抑え、初出場のパラリンピックでの最初の競技での表彰台につなげた。「今までにないくらい準備もしていたので緊張はなかった。レース中も普段と同じ」。大舞台にも強心臓ぶりを発揮して初陣を見事に飾った。

2006/03/10(金) 真央負けた2位 フィギュアスケート世界ジュニア選手権
女子フリーを行い、ショートプログラム(SP)2位から逆転Vを狙った浅田真央(15)=グランプリ東海ク=は、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が1回転半となるなどジャンプの失敗が響き97・25点と得点が伸びず、合計153・35点で2位だった。2003年の太田由希奈(同大)、04年の安藤美姫(中京大中京高)、昨年の浅田と続いた日本勢の連覇は3でストップ。SP1位の金妍兒(キム・ヨナ、15)=韓国=が177・54点で初優勝し、シニアを含めて韓国初の世界女王となった。

 直前の演技で完ぺきな演技を見せた金妍兒の幻影に、真央が押された。最初の見せ場だった大技のトリプルアクセルが1回転半に。中盤で立て直したが、後半の3回転フリップ―3回転ループ―2回転ループなども回転不足の失敗。「いつもより緊張したかもしれない。今季一番悪いデキ」。得意のジャンプでミスを連発。天真らんまんな笑顔は見られなかった。

 今季前半はシニアのグランプリ(GP)2戦で2位と優勝。GPファイナルでは女王・スルツカヤ(ロシア)を抑えて世界一になった。追われる立場で臨んだジュニアの大会。負けるわけにはいかないプレッシャーが、天才少女に金縛りをかけたのか。「シニアの方が伸び伸びできた」と打ち明けた。

 同じ15歳の金に24・19点もの大差をつけられたが、本来のプログラム通りにジャンプを決めれば、約25点が加算されていた。それがわずか3点止まり。ジャンプが決まらないと…。弱点が浮き彫りになった。「真央はジャンプだけ。失敗したら負けちゃうけど、向こうはスケーティングが上手で表現力があって滑りが優雅。ジャンプも高く軸がピーンとしている」素直にライバルの力を認めた。

 12歳で3―3―3回転連続ジャンプを跳んだ。14歳でトリプルアクセルも成功した。怖いもの知らずで突っ走ってきた15歳が、初めて味わう屈辱。「誰でも通る道。これをいい試練にしたい」と山田満知子コーチ(64)。アルベールビル五輪銀メダルの伊藤みどり(36)にもスランプはあった。トリノ五輪金メダルの荒川も、16歳で出場した1998年長野五輪から8年かかっている。

 「近ごろ悔しい思いをしたことがなかった。(金妍兒は)いいライバルだと思う。一緒にやっていくだろうし、お互い頑張ればいい」。バンクーバー五輪まで、あと4年。15歳同士のガチンコ勝負が、真央の進化を加速させる。

 ◆2人の今後 ともに1990年9月生まれの浅田真央(25日)と金妍兒(5日)は、来季(2006〜07年)から舞台をシニアに移して激突する。第1弾は全6戦中最大2戦にエントリーできるGPシリーズ。6月ごろには選手が発表される。もう一つは来年3月の世界選手権。舞台は東京で、激しい日韓バトルが見られそうだ。

◆“同級生”金圧勝!韓国初の栄冠

 韓国のスーパー少女が、歴史を変えた。シニア、ジュニア問わず同国で初の世界女王に輝いた金は「ジャンプで少しミスがあったけど、高い得点が出てうれしい」。昨年2位の雪辱を見事に果たし、照れくさそうに笑みを浮かべた。

 161センチの細みの体で優雅に舞った。演技直前の練習で3回転ループが不調とみると、本番では確実なダブルアクセルに。さらに予定していた3連続ジャンプの3つ目を跳び損ねると、その後のジャンプに付け加えて3連続にする機転も利かせ、自己最高点をマークした。

 同国連盟が定める強化選手は日本の約40人に対し8人。リンク数は日本の約150か所に対し40か所と少ない。金は“大リーグボール養成ギプス”に似た強化ベルトを体に巻きつけてジャンプ練習に取り組み、一躍シンデレラガールとなった。来季からはシニアの世界で真央の前に立ちはだかる。

2006/03/09(木) 「父に恨み」東京・世田谷の放火、14歳長男を逮捕
東京都世田谷区のマンションで9日未明、2階1室から出火し、同室に住む男性(40)と妻(40)が重傷、生後2か月の長女が死亡した事件で、警視庁少年事件課は同日夜、同区立中学2年の長男(14)を現住建造物等放火の疑いで逮捕した。

 調べに対し、長男は容疑を認めたうえで、「日ごろから学校に行けと言われたので、父親が嫌いだった。恨みを晴らすために、火を付けた」などと供述しており、同課で、放火に至った詳しい経緯などを調べている。

 調べによると、長男は同日午前1時30分ごろ、自分の部屋にあったマンガ本に火を付け、その上に毛布をかぶせるなどして、同室を約30平方メートル焼失させた疑い。

 同課の調べでは、長男は父親と前妻(38)との間の子どもで、昨年末までは実母と都内で生活していたが、不登校の状態で家庭内で暴れることもあった。今年1月に父親に引き取られ、世田谷のマンションに転居後、転校したが、朝起きられずに、父親から「学校へ行け」としかられることがあったという。

 長男は8日朝も寝過ごして、父親からしっ責され、いったん外に出た後に昼ごろ帰宅して、再び怒られた。昼過ぎ、自宅近くのコンビニエンスストアでライターを購入した後、登校したといい、「9日未明に3人が寝ている姿を見て(放火を)決意した」という。

 また、長男は「(事態が)大きくなったが、特に思うことはない」などとも話している。

 近くの住民によると、出火直後、外に逃げ出した母親は焼けただれたパジャマ姿のまま、燃えている部屋を指さし、「子供が中にいる」と叫んでいたという。

2006/03/08(水) <ボクシング>亀田興毅が六回KO勝ち、10戦10勝
見たか! これが亀田のケンカKOや! プロボクシングWBA世界フライ級4位“浪速の闘拳”亀田興毅(19)=協栄=が8日、東京・両国国技館でWBC世界フライ級13位のカルロス・ボウチャン(25)=メキシコ=に6回2分20秒、KO勝ちし、9月にも世界へ挑戦する可能性が急浮上した。ローブロー気味の反則スレスレのケンカボディーで相手を倒し、6戦連続KOでデビュー10連勝(9KO)。5月下旬の次戦を突破すれば、いよいよ世界ベルトに挑む。(観衆8000)

 亀田は怒とうのボディーでボウチャンの胃袋をえぐった。6回だ。体が「くの字」になった敵に牙をむいて襲いかかり、反則スレスレのケンカパンチを下腹部へ3連発。トドメは左ボディーだ。プロアマ通算151戦で一度もダウンのないメキシカンに、初めての10カウントを聞かせた。

 ゴング直後、ボウチャン陣営は「ローブローだ」と猛抗議。父・史郎さん(40)も飛び出し、リング上は混乱した。闘拳は「反則やったら立って来いや!!」と抗議を完全に無視し、堂々と勝ち名乗りを受けた。

 試合後はマイクを手に「ストレスたまっとる人もいると思うし、景気も悪いから一緒に叫んでスッキリしようや」と観衆8000人を総立ちにさせ「ヨッシャー! オラァ!」の雄たけび。「気持ち良かったわぁ」。尊敬する横綱・朝青龍が陣取る東支度部屋の奥座敷。九重親方に贈られた大座布団に腰を下ろし、2006年の初陣を笑顔で締めくくった。

 世界戦以上の舞台設定に、心臓が高鳴っていた。あこがれの両国国技館で歌手の大友康平さんがリングアナウンサーを務めた。しかも初のゴールデンタイムでテレビ中継。「プレッシャーあったな」。2月26日に弟・大毅(17)が23秒KOの鮮烈デビュー。「兄貴として負けてられへん」。長男の重みも硬さとなった。

 手数で圧倒され、時折クリーンヒットする左は単発。うまくいなしてくる相手にてこずり、試合で初めて顔を腫らした。普通は焦りで空回りするが、この19歳は違った。KOを予告していた5回。突如、ノーガードに出て強烈なジャブを2発受けた。「今まで試合でパンチもらったことないやろ。自分がどれだけ打たれ強いんか見たかったんや」この戦法に真価が隠されていた。

 「これが亀田家のボクシングや」有効打で敵を圧倒した内容に、史郎さんは合格点。当初は慎重だった年内の世界挑戦に「5月に良ければ9月に行こうか」とゴーサインを出した。照準はフライとライトフライ級の2階級。「世界王者になって最高の年にするよ。亀田の年や」大相撲の聖地に横綱級の雄たけびが響いた。

 ◆亀田 興毅(かめだ・こうき)1986年11月17日、大阪市西成区生まれ。19歳。小学4年で空手を始め、同学年で全国優勝。6年生からボクシングを始める。03年全日本社会人選手権フライ級で優勝。アマ戦績は16勝12KO・RSC1敗。03年12月にGツダジムからプロデビュー。05年4月に破格の移籍金3000万円で協栄ジムに移籍。同年8月に東洋太平洋フライ級王座を獲得。身長166センチの左ファイター。

◆ボウチャン激怒「意図的なローブロー」

 敗れたボウチャンは、亀田が放った反則スレスレのフィニッシュブローを「意図的なローブローだ」と激怒。トレーナーで父のバルガスさん(51)も「WBCに提訴したい」と怒りをあらわにした。初回から足を使ってジャブを放ち、手数では上回った。だが、有効打に乏しく、アマプロを通じた152戦目で初のKO負けという屈辱を喫した。亀田と同じように父がトレーナーを務め、兄弟がボクサーで家族対決とも騒がれたが、結果は敗戦。「調子は良かった。次はメキシコで戦いたい」とホームでの再戦を訴えていた。

◆打倒バスケスに照準

 亀田興毅に9月の世界戦が急浮上したが、ターゲットはWBA、WBCのフライ、ライトフライ級の全部で5人の世界王者となる。

 中でも注目は、WBAライトフライ級王者のロベルト・バスケス(22)=パナマ=だ。4月29日にパナマで予定する3度目の防衛戦の相手は、亀田が昨年11月26日にTKOで倒したノエル・アランブレット(31)=ベネズエラ=。亀田親子は、アランブレットが勝てば「一気に挑戦したる」と掲げている。

 フライ級はWBC王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(28)=タイ=が6月にタイで14度目の防衛を計画。同暫定王者のホルヘ・アルセ(26)=メキシコ=は4月8日に米ラスベガスで防衛戦が決定。ただ、両者は統一戦が義務づけられており、WBA王者ロレンソ・パーラ(27)=ベネズエラ=は進退が不透明。王者たちの今後が見えないため、現時点で亀田の世界初挑戦はライトフライ級で行われる公算が高い。

2006/03/07(火) 漂流の豪人女性、尿飲んで5日間生き延びる
海難事故で遭難していたオーストラリア人女性が7日、海を漂流中の5日間に自分の尿だけを飲んで生き延びていたことが明らかになった。
 奇跡的な生還を果たしたのは、タイのリペ島近くで行方不明になり、3月2日に捜索願いが出されていたドミニク・クルテーユさん(57)。碇泊中のヨットに戻ろうとして岸から小型ボートを漕いでいたところ、高波にさらわれたという。
 タイおよびマレーシア当局が航空機などを使った捜査を行ったが発見されず、その後、小型ボートにつかまっているクルテーユさんを台湾船籍の漁船が見つけ保護した。
 クルテールさんは病院関係者に対し「日光を避けるために日中はボートにつかまって泳いでいた。自分の尿を飲まざるを得なかった」などと語った。 
 病院関係者はロイターに対し、クルテーユさんの健康状態は良好だとと述べた。

2006/03/06(月) 森繁「みんなオレより先に…」
「七人の孫」「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などのヒットドラマを手がけ、2日に虚血性心不全で亡くなった演出家で作家の久世光彦さん(享年70)の通夜が6日、東京・文京区の護国寺でしめやかに営まれ、俳優・森繁久彌(92)ら生前に親交のあった各界の関係者1100人が別れを惜しんだ。息子同然だった久世さんとの別れに森繁は2度も焼香するという悲しみぶりだった。
 たばこをくゆらす久世さんの遺影を見上げ、92歳の森繁久彌が顔をゆがめた。久世さんは両切りのピースが好きだった。その姿に触発され「みんな、オレより先に逝っちゃうよ」と漏らしたという。右手につえを持ち、2人の関係者に体を支えられながら焼香台に向かった。そして葬儀委員長と並び俳優代表として焼香した。
 久世さんの代表作「七人の孫」(64年)に主演してから、その親交は40年以上にも及ぶ。週刊新潮誌上では森繁さんの語りを久世さんが文章化した「大遺言書」を連載してきた。92歳と70歳といいながら、その付き合いは実の親子のようだった。その“息子”が突然亡くなった。まだ信じられない。それとも別れが短すぎたのか―。会場を去ったはずの森繁が再び車いす姿で参列者の列に並んでいる。再び関係者に抱きかかえられ2度目の焼香。またもたばこをくゆらす久世さんを見つめ、深く合掌した。
 「息子のように愛したこんな大事な人が、久世ちゃんが、なぜ。私より先に逝くのだろうか…。早すぎるし、もったいない」。高齢による体調面もあるだろうが、森繁は取材に応ぜず、コメントを発表した。それが精いっぱいの“父”としての振る舞いだろう。
 遺影は1月20日に雑誌の取材で写真家・荒木経惟氏が撮影したもの。そのとき久世さんは「オレの遺影は、荒木さんに撮ってもらおう」と話していたという。悲しいかなそれが現実となってしまった。


■獅童&竹内夫妻も参列

歌舞伎俳優の中村獅童(33)と女優・竹内結子(25)夫妻も通夜に参列し、久世さんをしのんだ。獅童は舞台「ご存じ浅草パラダイス」、竹内は98年にTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家98秋」で久世作品に出演している。実は昨年6月の入籍後これが公の場で初のツーショット。焼香の際には獅童が20秒近く手を合わせるなど、別れを惜しんでいた。

2006/03/05(日) <国別対抗野球>日本、韓国に敗れ2位で通過 アジアR
 野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の1次リーグA組アジアラウンドは最終日の5日、東京ドームで2試合が行われた。日本は2―3で韓国に敗れ、2勝1敗で2位が決まった。3戦全勝の韓国が1位。日本は一回の松中(ソフトバンク)の先制打などで序盤に主導権を握ったが、八回に石井弘(ヤクルト)が李(巨人)に逆転2ランを浴びた。台湾は12―3で中国に大勝し、初勝利を挙げた。中国は3戦全敗。
 日本と韓国は12日(日本時間13日)から米カリフォルニア州・アナハイムで開催される2次リーグ1組で、1次リーグB組(カナダ、メキシコ、南アフリカ、米国)の上位2チームを加えた4チームで準決勝進出を懸けて戦う。
 ○韓国3−2日本●
 日本が競り負けた。1点リードした八回から救援した石井弘が、1死一塁から李に逆転の右越え2ランを浴びた。打線は一回に松中の適時内野安打で先制し、二回に川崎のソロで加点したが、五回以降は無安打に封じられた。韓国は四回2死満塁のピンチで飛び出した右翼・李晋暎のダイビングキャッチが光った。
 ▽韓国・金寅植監督 勝因は投手陣の好投と李晋暎の好守。(九回は)ほかにもリリーフはいたが、重要な試合だけに朴賛浩に任せた。
 ▽日本・王監督 韓国の投手が本当に良かった。(李の本塁打は)打った選手をホメるべき。この厳しい試合を(2次リーグに)生かしたい。
 ○…来日3年目、日本球界に精通している李のクレバーさが、韓国に勝利をもたらした。1点を追う八回1死一塁、カウントは1―3。李は「これまでの経験からすれば、日本の投手は打者有利のカウントなら、変化球で来ることが多い」と狙いを変化球一本にしぼった。ここで石井弘が投じたのは李の読み通り。スライダーでしかも高く甘い球。軽やかに振りぬいて右翼席中段に運んだ。
 ロッテに在籍していた昨年もセ・パ交流戦の首位を決する試合で本塁打を放つなど、ここぞという場面で勝負強さを発揮してきた李。2次リーグでも「アジアの大砲」の活躍が期待できそうだ。
 ○…中国、台湾戦で猛威を振るった日本・西岡が、勝負の厳しさを味わった。2点リードの四回2死満塁で放った右翼への痛烈なライナーは、韓国の右翼手にダイビングキャッチされ、大量点のチャンスを阻まれた。さらに七回、イチローの死球で無死の走者を出した場面ではバントが成功せず、結局は三振に倒れた。過去2試合では能弁に試合の感想を語った西岡だが、この夜ばかりは「向こうでも試合があるんで、もう一回、練習します」と一言を発しただけだった。
 ○…救援登板した八回に痛恨の逆転2ランを浴びた日本・石井弘(ヤクルト)は試合後、こわ張った表情でダッグアウトを出てきた。先頭打者を空振り三振に打ち取ったが、次打者に中前打されて迎えた李。すっぽ抜けた変化球をジャストミートされ、捕手の里崎は「投げてはいけないところに投げただけ。(石井弘の調子は)普通だった」と青ざめた顔で悔しがった。報道陣の質問には「失投というのは許されないですから……」とだけ言い残し、足早に球場を去った。
 ○…脳梗塞(こうそく)からリハビリ中の長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が東京ドームを訪れ、皇太子夫妻らとともに日本・韓国戦を観戦した。同席した巨人・滝鼻オーナーによると、皇太子夫妻とは長時間話し合い、雅子さまから「順調に回復してますか」と話しかけられていたという。アテネ五輪で日本代表監督を務めるなど、野球の国際化に尽力した長嶋氏だけに、WBCの実現には感慨も深く、広報を通じて「プロ野球の国際化に向けて第一歩を踏み出したことは喜ばしいことです。イチローや長嶋ジャパンのメンバー、旧友である王監督の活躍を間近に見ることができてうれしく思いました」とコメントした。
 ○…渡辺俊が滑りやすいWBC公式球に翻ろうされた。象徴的だったのが三回に一つ、五回に二つと計3個の死球を出したことだ。すべてシンカーが抜けた。制球がよくテンポのよい投球が特長の渡辺俊。王監督も「ずいぶん(パ・リーグ)で対戦してますけど、三つも出すとは……」と驚いていたが、「でも独特の緊張感もあったろうし、よく投げてくれた」とかばった。渡辺俊は「何球も続けて同じ失敗をしてしまった」と不本意極まりない様子。「(2次リーグまでに)どうにかします」と力強く言い切って球場を後にした。
 ○台湾12−3中国●
 投打のかみ合った台湾が初白星。三回に2連打で1点を先制すると、四回に陳が満塁本塁打を放った。六回に2点を追加し、八回には計4安打に敵失なども絡めて4点を挙げて突き放した。中国は守備の乱れが響き3戦全敗。
 ○…3戦全敗に終わった中国。「国に戻ったら、それぞれの試合を分析する。分析、研究し、日本や韓国などのレベルで戦えるようになりたい」とラフィーバー監督。08年北京五輪が控える中国にとっては、さらなるレベルアップが至上命題。ラフィーバー監督は「五輪のために、必死に準備を進める。やることはたくさんある」と力を込めた。
 ○…台湾の陳(マリーナーズ傘下)が6打数4安打5打点の大活躍。三回1死から二塁打で出塁して先制のホームを踏むと、四回には左翼席に満塁本塁打をたたき込んだ。「平常心で試合に臨んだ。よく出来たと思う」。六、九回にも二塁打を放ち、記念すべき初勝利に貢献。「今後もこの場に立てるとは限らないので、よい思い出になった」と笑顔を見せた。

2006/03/04(土) 荒川 魅せた凱旋イナバウアー
トリノ五輪フィギュア女子金メダルの荒川静香(24=プリンスホテル)らが参加するアイスショー「シアター・オン・アイス」が4日、東京・有明コロシアムで開幕した。当日券400枚が急きょ販売されるなど、荒川の五輪後初の凱旋演技となった開幕公演は、満員の9800人の観衆で大盛況。金メダル効果で、5日も当日券が販売されることになった。

 すでに日本で知らない人がいなくなった荒川の代名詞、イナバウアーの体勢に入っただけで、満員の観衆がどよめいた。ショーのラストに登場した荒川の演技は、トリノ五輪のエキシビションと同じ「ユー・レイズ・ミー・アップ」。大満足の9800人からは大きな拍手が送られた。

 「誰に聞いても(イナバウアーを)ご存じでびっくりした。ふだんは目立たない技なのに、知ってもらえてうれしい」と反応の大きさに荒川も驚く。日本をメダルゼロの危機から救い、数々の快挙に彩られた金メダル。その威力は、チケット売り上げにも表れた。

 伸び悩んでいた売り上げが、2月21日のトリノ五輪のショートプログラム後にSS席(1万5750円)から完売し始めた。わずかに残った当日券を求めて、この日朝9時半から購入希望者が殺到したため、急きょ予定のなかった400席の当日券を販売した。5日も当日券を販売する予定で、荒川人気のすさまじさを物語っていた。

 五輪男子金のプルシェンコ(ロシア)ら他のメダリスト1人2組を従える形で主役を張った荒川だが、2月28日の帰国後もテレビ出演などの過密日程が続き「疲れがとれていない」とさすがに疲労は隠せない。五輪では3回転フリップだったジャンプもダブルアクセル(2回転半)に難度を落とし、会見中も眠そうな目を見せた。

 それでも「メダリストというより、1つのショーの参加者として滑ることが楽しい」と喜んだ。20日開幕の世界選手権(カナダ・カルガリー)出場については「今、考えています」と話したが、凱旋公演の反響の大きさに、プロ転向の意欲も膨らんだようだった。

 ≪本田プロ転向宣言≫長く日本の男子を支えてきた本田武史(24)がリンク上で引退とプロ転向を宣言した。演技後にマイクを取った本田は「きょうが初めてのプロとしての演技。これまでたくさんの人に応援していただいて幸せだった」と話した。02年ソルトレークシティー五輪4位、02、03年世界選手権銅などの実績を残した男子の前エースは、92年アルベールビル五輪男子金のペトレンコ(ウクライナ)から「プロの世界へようこそ」と歓迎されていた。

2006/03/03(金) <国別対抗野球>日本、中国に圧勝 18―2でコールド勝ち
野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」1次リーグのアジアラウンドが3日、東京ドームで開幕し、王監督率いる日本は中国に18―2で八回コールド勝ちした。韓国は2―0で台湾を降した。
 アジアラウンドは4チームの総当たりリーグ戦で行われ、上位2チームが12日(日本時間13日)から米カリフォルニア州・アナハイムでの2次リーグ1組に進む。4日は日本―台湾、韓国―中国の2試合が行われる。
 ▽日本・西岡 (五回に勝ち越し3ラン)犠飛でも1点取るつもりで振った。自分はホームランバッターではないので、まさかこんな結果になるとは。最高の結果です。
 ▽日本代表・福留 (五回にソロ本塁打)出塁することだけを考えている。西岡が(勝ち越し3ランを)打っていたので、楽な気持ちで打てた。
 ◇試合の主導権を奪った松中
 王監督が気にしていたのは初戦の入り方。実力では劣る中国が相手とはいえ、気合が空回りすることも考えられるし、重圧もかかる。一回の攻撃は三者凡退に打ち取られ、先発の上原は2死一、二塁のピンチを招いた。そんな中で試合の主導権を奪ったのは松中のバットと足だった。
 二回だ。先頭の松中は、カウント0―1からの真ん中内寄りの直球に、体を鋭く回転させ、右翼右を襲う二塁打。1死後、三塁に進み、岩村の浅い左飛で、決して早いとは言えない足をフル回転して本塁に突入。先取点をもぎ取った。
 3月21日からスタートした福岡合宿では調子がなかなか上がらなかった。日本代表の掲げる「スモール・ベースボール」を意識し過ぎたのか、体の回転が鈍くなり、スイングが小さくなっていったのが原因だった。それでも王監督は「4番はみんなから信頼されていること、一か八かの勝負ができること。松中はそれを示してきた」と、4番で起用し続けた。
 主砲は言う。「(1日の巨人戦の3打席目の右前安打で)体をうまく回転して打つことができた」。開幕直前に不振脱出への光が差してきていた。四回にも左翼へ2打席連続となる二塁打を放った。
 中国に四回、一度は同点とされたが、五回に西岡の3ランと福留のソロで突き放した王ジャパン。不安視されていた長打力不足も解消されつつある。【田中義郎】
 ○…日本代表の初打点を記録したのは、背番号1を付けた岩村(ヤクルト)。二回1死三塁から左翼に犠飛を打ち上げ、走者の松中(ソフトバンク)を本塁に迎え入れた。「とにかくランナーを返すことだけに集中していた。最低限の仕事が出来た」と岩村。福岡での合宿期間中から今江(ロッテ)と三塁のポジション争いを繰り広げていたが、大事な開幕戦で6番に起用され、結果を残した。
 ○…王監督が満を持して初戦の先発を任せた上原が、やや苦しんだ。象徴的だったのは2点リードで迎えた四回に、同点2ランを許した場面。1死一塁、カウント2―1から投じた変化球は高めで、投手有利のカウントだったことを考えれば不用意といわざるを得ない投球。王偉はこれを見逃さず右翼席にたたき込んだ。試合前、初戦の重圧をたずねられて「慣れてますから」と笑顔で答えていた上原。しかし、国際舞台で、やはり硬くなったのかもしれない。

2006/03/02(木) 久世光彦さん急死 2日朝に突然倒れる 70歳、虚血性心不全
テレビドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの演出で知られる一方、1994年には山本周五郎賞も受賞した作家で演出家の久世光彦さんが2日午前、虚血性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去した。70歳だった。久世氏は1日も普段通り仕事をこなしていたが、この日朝になって体調が急変したという。関係者は突然の訃報(ふほう)に深い悲しみに包まれた。通夜は6日、葬儀・告別式は7日に営まれる。

 故向田邦子さんとのコンビで「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など幾多の名作を送り出してきた演出家の旅立ちは、あまりにも突然だった。

 関係者によると、久世さんは1日もいつも通り仕事場へ向かったという。夜には女優・田中裕子(50)らと次回作の打ち合わせをして帰宅した。特に体調不良を訴えることはなかったが、朝になって急変。家族が倒れている久世さんを見つけたが、既に手遅れだった。

 酒はほとんどたしなまず、大病を患ったことはないが、一日に70〜80本を吸う愛煙家。両切りたばこの「ピース」をこよなく愛し、手元から離さなかった。

 最近はろれつが回らないことがあり、入院を勧められていたが、仕事への意欲は旺盛。俳優・森繁久彌とコンビを組んだ週刊新潮の人気連載「大遺言書」は最新号で189回を数え、入院も仕事を理由に断っていたという。

 今秋公開予定のオムニバス映画「ユメ十夜」の第1話のシナリオを執筆した後は、エッセイスト、リリー・フランキーさん(42)の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の映像化に奔走。昨年、女優として2人目の文化勲章受章者になった森光子(85)との代表作「時間ですよ」の平成版の構想も着々と練っていた。

 「時間ですよ」ではお茶の間に女湯を初めて登場させ、ヌードシーンは番組の名物に。「ムー一族」ではドラマに生放送を織り込んだ。それまでのテレビの常識を打ち破る斬新なアイデアで一時代を築き、樹木希林(63)、岸本加世子(45)、浅田美代子(50)、天地真理(54)らを人気者に育てた。

 自他ともに認める「盟友」の向田さんが飛行機事故で亡くなった後は、向田さんの世界観を継承する唯一の存在として向田作品を次々と映像化。「書くと撮りたくなる。撮ると書きたくなる」と小説やエッセーも精力的に発表し、直木賞候補に挙げられたこともあった。

 この日、都内の自宅に弔問に訪れた俳優の左とん平(68)は「いい顔をしてました。本人も死んだことを気付いてないんじゃないかな」とつぶやいた。希代の演出家は、その気配を誰にも知らせることなく、そっと天国へ旅立った。

 ◆久世 光彦(くぜ・てるひこ)1935年4月19日、東京都生まれ。東大文学部美術史学科卒。60年にTBSに入社。「時間ですよ」「ムー」「寺内貫太郎一家」などを手掛けた。名物プロデューサーと言われた。79年に独立し制作会社「カノックス」を設立。テレビだけでなく舞台演出にも活動の場を広げた。文筆家としても知られ、小説「一九三四年冬―乱歩」で94年に山本周五郎賞を受賞。98年には紫綬褒章を受章した。

◆森繁悲し…盟友また逝く

 久世さんと親交の深い俳優の森繁久彌(92)には、まだ久世さんの死は知らされていない様子。関係者によると、この日は自宅で一日を過ごしたそうで、久世さんの死を知るとショックを受けることは間違いなく、体調を考えて事実関係を伝える意向だという。森繁が語り、久世さんが文章をまとめていた週刊新潮の連載「大遺言書」は3月9日号で189回。同誌は「今後のことは未定」としている。

 また「寺内貫太郎一家」に出演した女優の加藤治子(83)も、ショックを受けているようで、関係者は「混乱してコメントできない」と話していた。

3月絵日記の続き


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