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2009/02/08 <覚せい剤>高知の漁港に120キロ 中国籍の3容疑者逮捕
2009/02/07 モンゴルで日本語教師の女性遺体、強盗殺人か…北海道出身
2009/02/06 <殺人>23歳女性死亡 ストーカー相談直後 埼玉・草加
2009/02/05 円天事件 波容疑者、逮捕直前ビール飲み熱弁「冤罪だ」
2009/02/04 <窃盗>どうやって?たった1メートルのすき間から壁に穴 銀座の宝飾店強盗

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2006/03/31(金) 巨人 開幕戦、大勝スタート 横浜、三浦が制球に苦しむ
エースが意地の完投勝利だ。球団最多となる7年連続開幕投手を務めた上原が、横浜打線を相手に8安打されながらも粘り強い投球を見せて2失点完投勝ち。2001年以来、自身5年ぶりの開幕戦白星を手にした。WBCで王JAPANを世界一へ導いた右腕が、原巨人の日本一奪回へ向けて全力投球する。息を大きく吐き出し、ミットをにらむ。9回2死二塁。集中力は途切れない。115球目、上原が躍動感あふれるフォームから、渾身(こんしん)のストレートを投げ込んだ。村田の打球は力なく左翼に浮いた。清水が捕球し、ゲームセット。19番は両手を突き上げ、大歓声に応えた。球団史上最多、セ・リーグ最多タイとなる7年連続開幕投手の栄誉。8安打2失点での完投勝利で、大役を見事に果たした。

 波乱の出だしだった。初回、佐伯のライナーが右ひざを直撃。苦痛の表情を一瞬浮かべるエースに、ベンチの不安がよぎった。さらに2回2死三塁、打者・三浦の場面で、まさかのボークを犯し失点を許してしまう。エースはマウンド上でほえ、怒りをあらわにした。「自分に対しての怒り。本当にもったいなかったから。明らかにボークだからね」だが、その後を修正できるのが19番の実力だ。115球のうちボール球はわずか25球と、抜群の制球力でテンポ良く打者を追い込んだ。特にインコースを果敢に突き、凡打の山を築いていった。「幅広くいかないとね。作戦通りかな、と」今季のG投の重要課題となる内角攻めで結果を残し、確かな手応えを口にした。

 新しい家族の存在が、背中を後押ししてくれた。3月20日の深夜、第1子となる長男が誕生した。上原が一報を受けたのは、米サンディエゴの宿舎。7回無失点の快投で、王JAPANを決勝に導いたWBC準決勝・韓国戦の翌朝のことだった。連絡が入った時は、まだ就寝中。寝ぼけて受話器をとったが、電話口で泣き声を聞き、熱い思いがこみ上げてきた。帰国するとすぐに病院に直行し、感激の対面を果たした。父親となって初めて迎えた開幕のマウンド。「いいお土産ができました」白星は赤ちゃんにささげる1勝となった。

 WBCを経て、あわただしく迎えたセの開幕。調整が難しい中での安定感は、精神力の成果だろう。「勝てて気持ちいい。それだけです」強いエースがその右腕で、強い巨人を先導していく。


■ヤクルト 古田新監督の初戦は白星 阪神は好機で打てず
こぶしを2度、大きく突き上げた。「ハラハラドキドキ。うれしさ倍増です!」。開幕戦での“兼任”初白星の味を聞かれ、ヤクルト・古田監督の声が上ずった。
 選手、監督としてチームを引っ張った。7番捕手で先発。石川の緩急を使った投球を引き出し、剛速球を持つ木田、五十嵐の2人には強気に内角を要求した。ラロッカが2度目の死球を受けると、厳しい表情でコーチと一緒にベンチを飛び出す場面もあった。
 「優勝目指して、積極的にいこう!」。試合前の監督のゲキに選手も燃えた。二回に主砲・ラミレスが先制弾で口火を切り、「(兼任をやるには)古田さんしかいない」と話す宮本は二塁にヘッドスライディングする適時二塁打。ケガでスタメン落ちした岩村も八回に代打で左前打を放ち、監督をもり立てた。
 29年ぶりの兼任監督。呼び名も“フルさん”から“監督”に変わった。監督としての重圧、孤独感があったのか、親しい選手に「(球場を離れたら)フルさんでいい」と漏らしたこともあったというが、初白星で肩の力も少しは抜けたはずだ。
 2000本安打達成のときは外野席に投げ入れた記念ボールだが「ファンにね。その方がいいんじゃないですか」と、メールマガジン会員にプレゼントすることを明かした。「今日は今日で忘れて、強い気持ちを持って頑張りたい」。まだ1勝。古田監督を中心に結束を固めた新生ヤクルトの戦いは、始まったばかりだ。

2006/03/30(木) 村岡元官房長官に無罪判決…1億円ヤミ献金事件
日本歯科医師会(日歯)側から自民党旧橋本派への1億円ヤミ献金事件で、政治資金規正法違反(不記載)の罪に問われた村岡兼造元官房長官(74)の判決が30日、東京地裁であり、川口政明裁判長は無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。

 村岡被告が不記載を決めたとする同派政治団体「平成研究会」(平成研)の滝川俊行・元会計責任者(57)(有罪確定)の証言について、川口裁判長は「不自然で到底信用できない」と述べた。

 国会議員経験者の無罪判決は、リクルート事件で受託収賄罪に問われた藤波孝生元官房長官に対する1994年の東京地裁判決(最高裁で有罪確定)以来。

 判決は、2001年7月、東京都内の料亭で日歯側から1億円の小切手が提供された際、橋本竜太郎元首相(68)、青木幹雄・自民党参院議員会長(71)、野中広務・元同党幹事長(80)が同席していたことや、翌年、滝川元責任者が1億円を記載しない収支報告書を総務相に提出したことを認定した。

 その上で、村岡被告と滝川元責任者の共謀が成立するかどうかを検討。検察側立証の柱で、「村岡被告が02年3月13日の派閥幹部会で、1億円の領収書を発行しないとの意見をとりまとめた」とした滝川元責任者の証言について、「無視できない変遷が見られ、虚偽を述べている可能性がある」と、信用性を否定した。

2006/03/29(水) オリエンタルランド申告漏れ 総額12億円 会社側は異議
元暴力団幹部の関連会社に清掃業務を委託していた東京ディズニーリゾートの運営会社「オリエンタルランド」(OLC)が、東京国税局の税務調査を受け、昨年3月期までの7年間に約3億7000万円の所得隠しを指摘されたことが29日分かった。

 同国税局は、OLCが、関連会社への業務委託を仮装して元暴力団幹部側に不当な利益を提供していたと判断。関連会社がこの取引で得た利益すべてを交際費と認定し、重加算税を含め追徴課税(更正処分)した。OLCと闇社会との癒着が税務調査でも裏付けられた。

 このほか、自社の役員やマスコミなどに配ったディズニーリゾートの入場優待券の経理処理を巡って、9億数千万円の申告漏れも見つかり、追徴税額は計4億7000万円に上った。

 OLCは「更正処分は、到底承服できるものではなく、不服審査を申し立てる」としている。

 問題となったのは、千葉県浦安市の不動産会社「中央興発」への清掃業務の委託費。中央興発は、指定暴力団松葉会の元最高顧問で、全国の右翼団体で組織する「全日本愛国者団体会議」の名誉議長でもある志賀三郎氏(80)と妻に対し、相談役や顧問の報酬として、一昨年までの7年間に計約4200万円を支払っていた。また、志賀氏の実兄や長男も中央興発の役員に就任していた。

 OLCは中央興発に本社屋の清掃業務を委託、費用として昨年3月期までの7年間に計約8億6000万円を支払っていた。一方、中央興発は都内のビルメンテナンス会社に約4億9000万円で業務を丸投げし、全委託費の43%にあたる約3億7000万円の利益を得た形になっている。

 本社屋の清掃業務は、東京ディズニーランド開園直前の1983年2月、同園内の夜間清掃業務などとともに別のビルメンテナンス会社に一括して委託されていた。しかし、半年後に本社屋分だけが切り離されて元暴力団組員の関連会社に委託され、さらに1年後、この関連会社の推薦で中央興発に発注されたという。

 関係者によると、東京国税局は〈1〉実績のない中央興発が委託を受けた経緯が不自然〈2〉業務を仲介しただけの中央興発の取り分が多すぎる〈3〉志賀氏はOLC元幹部らと深い親交がある――ことなどから、業務委託は、志賀氏側に利益を与えるための仮装行為と判断したとみられる。

2006/03/28(火) 割りばし死亡事故 「なぜ無罪に」と両親
 「適切な治療をしなかった医師がなぜ無罪なのか」。99年に東京都杉並区で杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が割りばしをのどに刺して死亡した事故で、東京地裁が28日の判決で、当時の担当医の過失を認定しながら、救命の可能性がなく過失と死亡が結びつかないと判断したことに、遺族は悔しさをあらわにした。一方、判決で「医師として基本的な作業を怠った」と指摘された元担当医は、法廷で硬い表情のままだった。
 無罪が言い渡された瞬間、隼三ちゃんの父正雄さん(54)は「頭が真っ白」になり、母文栄さん(49)は「凍りつき、体中の血が止まったように感じた」という。隣に座った長男(18)は「頑張れ」と母の手に自分の手を重ねた。
 会見した正雄さんは「裁判長が救命は難しかったと判断した理由は、私たちが理解出来る内容とは到底思えない。直ちに控訴してほしい」と目を真っ赤にして話した。文栄さんも「過失があってカルテ改ざんも認められたのにおとがめなしでは、重い病気の人はどんな治療をされても刑事責任を問えなくなる。隼三の死が無駄にならなかったとは言えない」と声を絞り出した。
 会見場の机には、隼三ちゃんがほほ笑む小さな遺影が置かれた。文栄さんは「隼三には『力が足りなくてごめんね。お父さんもお母さんもあきらめないでもう一回頑張るから見守って』と伝えたい」と話した。
 事故が起きたのは、ウルトラマンが大好きだった隼三ちゃんが七夕の短冊に「正義の味方になって悪と戦いたい」と文栄さんに書いてもらった後だった。救急車で病院に運ばれたが、塗り薬を塗られただけで帰宅。翌朝、容体が急変した。
 自宅の玄関には今も隼三ちゃんの小さな靴が、2人の兄たちの靴と一緒に並ぶ。「今でも5人家族」との思いからだ。
 一方、被告の根本英樹医師(37)は判決後、弁護人に「無罪となったのは満足だが、過失が認定された点は残念」と話し、判決で指摘されたカルテの改ざんは否定したという。

2006/03/27(月) 森昌子 20年ぶり新曲で再デビュー
歌手の森昌子(47)が27日、都内で会見を行い、4月から歌手活動を再開し、今夏にも20年ぶりの新曲をリリースすることを発表した。昨年3月28日の森進一(58)との離婚成立から丸1年。歌手としての再出発を決意した昌子は「やはり私には歌しかありません」と涙。森からの財産分与や慰謝料については「すべていただきません」と語った。

 純白のスーツの昌子は「とても晴れやかな気持ちであります」と、すっきりとした表情。

 「昨年暮れごろから健康になり、日々過ごしているうちに自然に歌を口ずさめるようになった。やっぱり歌が好きなんですね」と語った。

 一時は歌うことがつらかった。引退して主婦業に専念していたが、02年から森の意向で夫婦ジョイントコンサートを開催。「ジョイントコンサートが、月日を追うごとに苦痛に変わっていった。ステージを終わって、また主婦に戻る生活が大変でした」と、歌から離れ、離婚に向かった心境を振り返った。

 昨年3月に3人の息子とともに自宅を出て離婚。「やはり両親も子どももおりますし、生活がありますから」「歌は私のいまのすべて」と人生の転機を乗り越えたことが、再び歌うことを決意させた。

 同席したホリプロの堀威夫取締役ファウンダーによると、復帰の話が出たのは昨年の9月ごろ。三男の中学受験、卒業式を経て4月からの活動再開が決まった。

 新曲は、81年の紅白歌合戦で初のトリを務めた思い出の曲「哀しみ本線日本海」も手がけている浜圭介氏が作曲、作詞はなかにし礼氏。「女1人が別離を乗り越え、子どもを抱えてたくましく自立していくような歌」(堀氏)と昌子の自伝的な曲になる。

 新曲は86年8月の引退記念曲「さよなら」以来。4月上旬にレコーディングを行う予定。

 「結婚生活はとっても幸せでした」「一番の支えは子どもたち。本当に親ばかなんですが、良くできた子どもたちで」と語り、涙を流す場面も。 「今の私を、作っていない私を見てほしい」と再出発に挑む。

 ◆森 昌子(もり・まさこ)1958年(昭33)10月13日、栃木県生まれ。中学2年で「スター誕生」の初代チャンピオンとなり、72年「せんせい」で歌手デビュー。山口百恵、桜田淳子とともに「花の中3トリオ」として人気に。本格派歌手として「哀しみ本線日本海」「立待岬」などがヒット。83年「越冬つばめ」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞。85年紅白歌合戦では紅組司会とともに、「愛傷歌」で2度目のトリを務めた。

2006/03/26(日) 事故を謝罪すると言いつつ再び事故を起こしたロッテワールド
ソウルのロッテワールドに26日朝、10万人の来場者が一気に押し寄せ、数十人が倒れて怪我をするという事故が発生した。この日ロッテワールドでは、今月6日に乗り物に乗っていた客が墜落して死亡した事件に関連し、謝罪の意味を込めて、無料入場イベントを行っていた。

 ロッテワールドと連結している地下鉄の蚕室駅周辺には、未明から人出が押し寄せ、午前9時に入場が始まってから、わずか40分で受容限度の2万人を超えてしまったという。まかり間違えば、大きな事故につながりかねないところだった。

 26日は、ほとんどの学校で前日の土曜日が休みだったため連休となった児童も多かった。無料開放のイベントを行えば、たくさんの市民が集まることは容易に予想できた。

 警察も事故が起こる可能性に備えて、徹底的な準備を求める公文書をロッテワールド側に送ったという。ロッテワールド側も、新聞に出した公告で「快適な環境に向け入場者を制限することもありうる」と但し書きをつけた。来場者が殺到するという予想はしていたのだ。

 同日、ロッテワールドを訪問した10万人のうち、入場できた客は2万2000人だった。残りの8万に近い市民たちは、身動きの取れない混雑のなかで、失望と苛立ちを抱いて帰っていった。

 ようやく入場した人々にとっても、楽しい休日とはいえなかっただろう。ロッテワールドのアトラクションは37台。各乗り物ごとにおよそ500人が列を作ったことになる。果たしてこの状態で来場客が楽しむことが出来るだろうか。乗り物が過熱し、頻繁に作動が停止することも起きたという。

 無料イベントを行うなら、インターネットによる抽選などで、チケットを予め配る方法を選ぶべきだった。そうしてこそ、事故も予防できた上、市民に不便をもたらすことも防ぐことができただろう。

 しかしロッテワールドは、先着順で無料入場客を受け入れるという発想で臨んだ。市民たちが列を作って待とうが待つまいが、初めから関心はなかったに違いない。無料招待客を呼び込んでにぎやかになると、乗り物墜落事故で失墜したイメージや入場客の減少を挽回できるという浅はかな商魂が垣間見える。入場客が怪我をした同日の事故が、大参事につながらなかったのが幸いだったと言わざるを得ない。

2006/03/25(土) <尊厳死疑惑>殺人容疑も視野、慎重に捜査 富山県警
 富山県射水(いみず)市朴木、射水市民病院(麻野井英次院長、200床)の外科部長(50)が00〜05年、がんなどで意識不明になった入院患者7人の人工呼吸器を病院側に告げず独断で外し、その後、7人が死亡していたことが25日、分かった。
 昨年10月、別の入院患者の人工呼吸器を外そうとしているのを知った看護師長が院長に報告し、病院側が内部調査して発覚した。外科部長は「患者のための尊厳死だった」と病院側に説明したが、いずれも家族が同意した書面はなく、少なくとも6人については本人の生前の意思を確認していなかった。 
 専門家は「尊厳死にも安楽死にも当たらない」としており、県警は殺人容疑などでの立件も視野に関係者から事情聴取し、慎重に捜査を進めている。
 病院の説明では、昨年10月上旬、富山県在住の男性患者(78)がこん睡状態で病院に運び込まれた。外科部長がこの患者の人工呼吸器を外すように指示しているのを知った看護師長が同12日、院長に相談。院長は指示を中止させ、同日、病院内に調査委員会を設置した。
 調査委は過去10年間にさかのぼって、院内で同様の事例がなかったかを調査。その結果、50歳代から90歳代の患者7人(男性4人、女性3人)が人工呼吸器を外されていたことが分かった。当時、いずれも富山県内に在住。7人とも末期症状で意識がなく、5人はがん患者だった。
 家族の同意について病院側はカルテに記載があったというが、外科部長は同意書を求めるなど文書での確認はしていなかった。7人のうち1人については、家族が生前、延命治療の中止に同意していたと話したというが、調査委は7人の家族に再度、確認作業をしていない。
 外科では外科部長を含む医師4人と看護師が複数で患者の治療に当たっており、病院側は、他の医師や看護師は以前から、7人の人工呼吸器を外した行為を知っていたのではないか、としている。
 昨年10月に男性患者が入院した時は外科病棟のベッドが満床で、内科病棟に搬送した。そのため内科の看護師長が、人工呼吸器を外そうとしていることを知って院長に報告した。麻野井院長は、「外科の他の医師や看護師は部長の指示に逆らえなかったのではないか」としている。
 また麻野井院長は会見で、尊厳死には、複数の医師が繰り返し患者が末期状態にあることを確認し、患者本人の意志を確認する作業が必要と説明。外科部長の行為について、「こうした手続きをしておらず問題」と話した。
 病院は問題発覚直後の昨年10月16日、射水市と県、県警に事案を報告。また、外科部長は同14日から1カ月の自宅待機処分とし、11月25日から金沢大医学部に研修に出した。同医学部では治療行為には従事していない。
 外科部長は岐阜大医学部卒。95年、射水市民病院(当時は新湊市民病院)の医長に就任。97年に同病院の外科部長に就任した。外科部長は3月6日に市民病院に辞表を提出しており、3月末で退職予定。
 外科部長は25日午後、自宅前で「今はコメントを差し控えたい」などと語った。
 ◇事情聴取し慎重捜査
 富山県警の安村隆司本部長は「関係者から事情聴取等を行い、慎重に捜査を進めている。現時点において、詳細なコメントは差し控えさせていただきたい」との談話を出した。
 ▽医事評論家の水野肇さんの話 医師は「尊厳死だった」と説明しているようだが、尊厳死の規定はあいまいとはいえ、本人が健康な時に延命治療を拒否する意思を示していることが大前提だ。家族の了承を取ったというが、患者本人から同意を取ることなく、医師が治療中止を決めるのはおかしい。殺人容疑を視野に入れた捜査が行われても仕方がない。また、最近はがんの薬物療法が発達しており、手の施しようのない患者は少なくなっている。本当に治療を打ち切らなければならなかったのだろうか。
 ◇安楽死と尊厳死
 安楽死は薬剤などを投与し、積極的に生命を縮める行為。横浜地裁が95年に東海大病院事件の判決で合法となりうる4要件として、(1)肉体的に耐え難い苦痛(2)死期が迫っている(3)苦痛を和らげる方法がない(4)患者の明らかな意思表示――を示した。
 一方、尊厳死は人工呼吸器を外す行為などを含む延命治療の中止を指す。同地裁判決の中で、合法となる治療中止(尊厳死)の3要件として、(1)死が不可避な末期状態(2)患者の意思表示(家族による推定も含む)(3)自然の死を迎えさせる目的に沿って中止を決める――ことを挙げた。

2006/03/24(金) <PSE>マークなしでも販売認める 経産省が4月以降も
国の安全基準に適合していることを示す「PSE」マークがない一部家電製品の販売が4月から禁止される問題で、経済産業省は24日、4月以降も当分の間はPSEマークがない中古家電製品の販売を事実上認めることを決めた。リサイクル業者などが中古品を販売した後、自主検査でマークを付けるまでの間について、同マークを義務づけた電気用品安全法の対象外となっている「レンタル」とみなすことで従来方針を転換する。
 経産省は、リサイクル業者などの強い反発を受け、漏電の有無など安全性の自主検査体制が全国で整うまでの暫定的な措置として、PSEマークのない中古品の販売を容認せざるをえないと判断。同日行われた全国の中古品販売業者で作る「PSE問題を考える会」(小川浩一郎代表)との会談で説明した。
 マークなしで販売した中古家電について、経産省は「検査機器が行き渡った段階で安全性を業者が点検してPSEマークを付ける」と説明。業者は検査機器を持参して販売先を訪ねたり、販売先から中古品を持ち込んでもらって検査する手間がかかる。このため、検査体制が整っても負担を嫌って自主検査をせずマークを付けない業者が出てくる可能性もあり、安全対策が骨抜きになる懸念もある。マークなしの販売を容認する期間についても、経産省は「数カ月程度」と明確には定めていない。
 同会は「経産省の周知不足で、4月までにPSEマークを付ける余裕がない」などとし、同法見直しや4月以降もPSEマークがない中古家電を販売できるよう猶予期間を延長することを求めていた。経産省は当初、漏電などの検査機器を全国で無料で貸し出したり、検査代行などを請け負う対策を公表していた。しかし、検査機器が全国的に不足していることを重視し、同法の対象外であるレンタルの形式が整っていればPSEマークがなくても事実上の販売を認めることにした。
 同会の小川代表は同日、経産省とともに会見し、「実質的に猶予期間の延長を勝ち取ったと理解している。法自体の見直しは引き続き求める」と述べた。経産省消費経済政策課の福田秀敬課長は「(暫定措置は)あくまで検査機器が行き渡るまでの間のこと」と、同法改正などは考えていないことを強調した。

 【PSEマーク】 家電製品などの安全確保のための電気用品安全法(01年4月施行)で、メーカーや販売業者が製品に付けることを義務づけられた、国の安全基準に適合していることを示すマーク。マークのない製品の販売を禁止したが、品目ごとに法律の施行から5年、7年、10年の猶予期間を設けた。テレビや冷蔵庫、洗濯機など259品目については、マークのない製品販売を認めた猶予期間が31日で切れる。

2006/03/23(木) 全日空 ストで国内線115便欠航
全日空グループの4労組は23日、春闘の諸要求を巡る会社側との交渉が決裂し、ストライキに突入した。全日空の国内線115便(全体の約13%)が欠航し、7600人に影響する。また40便(同約5%)が遅延する。全日空でストによる欠航が発生したのは96年12月以来10年ぶり。
 ストに入ったのは、いずれもパイロットで組織する「エアーニッポン乗員組合」「エアーニッポンネットワーク乗員組合」「エアーネクスト乗員組合」「エアーセントラル乗員組合」の4労組。22日に断続的に会社側と交渉を続けたが、23日未明に決裂した。
 ストにより、午前6時40分発予定だった羽田発石垣行きNH117便から欠航が続き、九州や中部地方を中心に同日いっぱい続く見通し。
 一方、日航でストを通告していた4労組は23日未明までにストを回避し、通常通りの運航となった。

    ◇

 羽田空港(東京都大田区)の出発便では午前6時半すぎの関西空港、石垣行きの2便が欠航。午後にも1便が欠航する予定。全日空は臨時の搭乗カウンターを設けてスタッフ十数人が対応した。搭乗手続きが始まった午前6時ごろには約30人が列をなしたが、次便に搭乗を変更するなどして、混乱はなかったという。カウンター前には欠航・遅延を陳謝する全日空グループ5社連名の「おわび文」も掲示された。

2006/03/22(水) 王ジャパンが凱旋帰国 WBC初代王者の日本代表
米大リーグのトップ選手が初参加した野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で初代王者に輝いた日本代表が22日夜、成田空港着のチャーター機で約2週間ぶりに帰国した。
 強豪キューバとの決勝から一夜明けた米国時間21日午後(日本時間22日早朝)に米サンディエゴを出発。アリゾナ州のキャンプ地へ移動したイチロー外野手(マリナーズ)と大塚晶則投手(レンジャーズ)のメジャーリーガー2人を除き、王貞治監督(ソフトバンク)や最優秀選手(MVP)に輝いた松坂大輔投手(西武)ら「王ジャパン」のメンバーが元気な勇姿を見せた。


■国別対抗野球 帰国の日本代表と別れ惜しむ イチロー

野球の国・地域別対抗戦、第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で頂点に上り詰めた決勝戦から一夜明けた21日、チームのけん引役となったイチロー(マリナーズ)は、帰国の途に就く他の日本代表メンバーと、当地の空港で最後まで別れを惜しんだ。
 戦いを終えたイチローは、大塚(レンジャーズ)とともに米国に残り、オープン戦期間中のチームに合流する。空港では、帰国してシーズン開幕に備えるスーツ姿の王監督を前に握手を求め、固いきずなを確認した。
 殊勲打を放った今江(ロッテ)ら共に戦ったナインに感謝の言葉をかける一方、キューバとの乱戦のきっかけになる失策をした川崎(ソフトバンク)には「油断しただろ」とジョークを交えてたしなめるなど、日本代表メンバーに一言ずつ添えた。イチローは一夜明けの会見で「喜びは、まだ続いている。一緒に日本に帰ってから(キャンプ地の)アリゾナに行きたいぐらいだ」と話した。

≪歓喜の瞬間 視聴率56%≫
 ワールド・ベースボール・クラシックの決勝、日本−キューバ戦を二十一日昼に生中継した読売テレビ系番組の平均視聴率が、関西地区で40・3%(関東43・4%)だったことが二十二日、ビデオリサーチの調べで分かった。関東では過去五年間のスポーツ中継で、サッカーのW杯日韓大会の試合などに次ぐ十一位。近年、プロ野球・巨人戦の視聴率低迷が話題となるなか、久しぶりの高視聴率で、野球人気の再浮上への期待が高まった。
 WBCの今大会で最も高い視聴率となり、国民的関心を集めた決勝戦。キューバの最後の打者が三振に倒れて日本の優勝が決まった直後、関東で瞬間最高視聴率56・0%。関西地区でもマウンド上で選手らがバンザイを繰り返す感動的なシーンが中継された瞬間に52・8%を記録した。国民の半数強が“世界一”の喜びを分かち合った計算になる。
 昨年、プロ野球・巨人戦ナイターの関東の平均視聴率が過去最低の10・2%を記録するなど、人気の低下が心配されていた野球。しかし、日の丸を背負った選手たちの奮闘は、多くの人々をテレビにくぎ付けにした。
 熱狂ぶりは数字にも反映され、過去五年間のスポーツ中継では、サッカー以外のスポーツで唯一40%超をはたし、昭和五十二年以降の野球中継で歴代三位となるなど、野球の可能性を改めて感じさせる結果となった。
≪世界一効果で関連銘柄上昇≫
 野球のワールド・ベースボール・クラシックで、日本が世界一になったことが好感され、二十二日午前の東京株式市場では、日本代表のユニホームを扱っているミズノなど関連銘柄の株価が上昇した。
 ユニホームや応援用Tシャツなどを販売するミズノは一時、前営業日比三一円高の八七七円、日本代表のユニホームの肩に社名が出ているアサヒビールも同三八円高の一七三四円をつけた。また、イチロー選手がテレビCMに出演している日興コーディアルグループは同五円高だった。
≪スポーツ功労者 顕彰を政府検討≫
 小坂憲次文部科学相は二十二日の閣議後記者会見で、ワールド・ベースボール・クラシックで日本が優勝したことについて「堂々たる戦いぶりだった。王(貞治)監督や選手に対し、(国際大会で活躍した選手に贈る)スポーツ功労者として顕彰することを前向きに検討したい」と語った。
 これに先立つ閣僚懇談会で、小坂文科相は「イチロー選手は特別な働きがあった。既に二回、国民栄誉賞を辞退しているが、匹敵する活躍だった」と発言した。安倍晋三官房長官は同日の記者会見で、「(イチロー選手が)『まだ早い』と考えているわけで、そのことは勘案しなければならない」と述べた。
 一方、小泉純一郎首相は同日昼、記者団に「いやすごいね。興奮しながらテレビを見た。多くの人に興奮と感動を与えてくれた」と述べ、日本代表の活躍をたたえた。

3月絵日記の続き


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