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2009/02/05 円天事件 波容疑者、逮捕直前ビール飲み熱弁「冤罪だ」
2009/02/04 <窃盗>どうやって?たった1メートルのすき間から壁に穴 銀座の宝飾店強盗

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2006/02/18(土) <レイテ島地滑り>死者3000人? 米海兵部隊も救援に
フィリピン中部レイテ島の南レイテ州で17日朝発生した大規模な地滑りから一夜明けた18日朝、比国軍による行方不明者の本格的な捜索が始まった。しかし被災地はこの日も朝から激しい風雨に見舞われており、二次災害の懸念が高まるなど捜索活動は難航している。AFP通信によると、これまでに109人の遺体が収容され、57人が救助された。
 AP通信によると、現地の軍幹部は18日、被災地のギンサウゴン村の人口は「1857人」で、死者数は1800人近くに達する可能性があると語った。一方、AFP通信は政府当局者の見方として死者は3000人に達すると報じた。地元当局者によると、死者の中に現地居住の英国人男性1人が含まれているという。
 米政府は比政府の要請を受け17日、比軍との合同演習に参加していた沖縄駐留の第31海兵遠征部隊(約5500人)を現地に派遣。アロヨ大統領は同日午後、地元テレビに出演し「救援隊は空、陸、海の各方面から被災地に向かった」と述べ、救助活動に全力を挙げていると強調した。比海軍艦船は現場付近に停泊し、負傷者の治療や救援・救助の司令所として使われる見通しだ。

2006/02/17(金) 滋賀園児殺害 5歳児2人刺され死亡、別の母親逮捕
17日午前9時5分ごろ、滋賀県長浜市相撲(すまい)町の路上などで、男女2人の子供が血を流して倒れていると、県警長浜署に通報があった。ともに市内の神照(かみてる)幼稚園児で、腹部などに鋭利な刃物で刺されたとみられる傷が多数あり、ともに搬送先の病院で間もなく死亡した。県警は2人を車で園に送っていた別の園児の母親で同市新庄寺町、中国籍の鄭永善<日本名・谷口充恵(みえ)>容疑者(34)を殺人容疑で緊急逮捕し、動機などを調べている。
 調べでは、死亡したのは同市新庄寺町、会社員、武友利光さん(29)の二女若奈ちゃん(5)と同、会社員、佐野正和さん(33)の長男迅(じん)ちゃん(5)。若奈ちゃんは路上にうつぶせで、迅ちゃんは道路脇の溝の中に倒れていた。病院によると、2人とも胸や腹、背中を約20カ所刺されていた。現場は自宅や園から約1.5キロ離れており、通園路ではないという。
 県警によると、武友さんらは近所の4家族交代で、子供を車で園に送っていた。この日朝、鄭容疑者は2人と自分の5歳の長女を車に乗せ、園に向かっていたという。
 事件後、鄭容疑者と娘の行方が分からなくなったため、県警が緊急配備して捜していた。午前11時過ぎ、大津市内で車を見つけ、事情を聴いたところ、「子供を刺した」と認めたという。車内に凶器とみられる刃物と血痕があった。容疑者の子供は無事だった。
 鄭容疑者の自宅は被害園児2人の自宅のほぼ中間にあり、それぞれ約50〜70メートルの距離だった。現場はJR北陸線長浜駅の北約1キロの田園地帯。
 鄭容疑者は日本人の夫と長女の3人家族、逮捕後、放心状態になっているという。容疑者の自宅近くの女性(45)は「容疑者は、日本人の夫と結婚したが、日本語はあまり得意ではなく、さみしそうにしていた」と話した。また、別の主婦(53)は「日本語があまりうまくなく、周囲となじんでいないように見えた」、別の女性も「夫が中国出張で知り合った女性で、日本語はうまくない」と話した。

2006/02/16(木) スピードスケート 泣く大津を仲間が笑顔で抱きしめる
一瞬の出来事が、夢を遠のかせた−−。16日、トリノ冬季五輪・スピードスケート団体追い抜き女子3位決定戦。大津広美選手(21)が転倒し、ロシアに敗退した。泣きじゃくる大津選手を、チームメートらは笑顔で抱きしめ、慰めた。
 ゴールまで残り約900メートル。日本がわずかにリードして迎えた1500メートル地点のカーブだった。3人一組、縦1列で滑る競技で、先頭からチームの最後尾に位置を替えようとした大津選手の体がグラッと傾いた。バランスを取り戻そうとするが間に合わない。尻もちをついて倒れ、あおむけでサイドのマットに打ち付けられた。氷上で、大粒の涙が大津選手の目からあふれた。
 レースは序盤から日本がリード。ロシアが徐々に追い上げて接戦になった。だが、リードしていたことすら知らずに、必死で滑っていた大津選手は交代のことで、「焦ったんだと思う。もしかしたら、あそこ(表彰台)に立てたかもしれない……。自分の責任です」と唇をかんだ。
 ライバルが相次いで転倒する幸運に恵まれて4強入りを果たした日本も、最後の最後で転倒に泣いた。団体追い抜きはトリノ五輪で初めて実施された新種目で、先頭交代の仕方にはまだ慣れない選手が多い。若さが出たレースだった。
 だが、日本がメダルを争う戦いができたのは、大津選手の力によるところが大きい。今季前半戦のワールドカップ(W杯)で不振だった主力選手の穴を埋め、五輪出場枠をもたらした立役者だ。
 今大会でも予選から4レース中3レースに起用され、コーチ陣や、同僚から厚い信頼を得ていた。頑張りを知るチームメートはリンク内で大津選手を囲み、肩を抱いて慰めた。大津選手と交代して控えに回った根本奈美選手(30)は「大津が転ばなくても、誰かが転んだかもしれないんだから」と五輪初代表の後輩をいたわった。
 まだ、大津選手には22日の1500メートルがある。レース後、仲間に励まされ落ち着きを取り戻した大津選手に、もう涙はなかった。「4年後もある。ここまで来られて自信になった」と前を向いた。

2006/02/15(水) 山田孝之、隠し子発覚…出産も結婚せずで合意
TBSドラマ「白夜行」(木曜後9・00)に主演している人気俳優山田孝之(22)に隠し子がいることが14日、分かった。交際していた女性(22)が昨年10月に男の子を出産、実家で育てている。昨年春に妊娠が分かった際、2人で話し合い、結婚はせずに、子供を産むことで合意した。山田は生活費、養育費などすべて負担している。

 ドラマと映画の主演作が次々とヒットし“さわやか系”イケメンとして人気の山田の衝撃的な事実が明らかになった。

 スポニチ本紙の取材によると、昨年春、交際していた同じ年の女性から妊娠したことを告げられた。

 ちょうど映画「電車男」が公開され、興収37億円の大ヒットを記録するタイミング。結婚することを含め、2人で何度も話し合った結果、子供を産み、女性が育てていくことで合意した。

 出産したのは昨年10月。元気な男の子で、山田は認知。子供は山田に似ていて、とてもかわいらしい顔をしているという。

 2人はきわめて円満な話し合いをしたため、関係は良好。専門家に生活費や子供が成人するまでの養育費を試算してもらい、すべて山田が負担している。結婚に至らなかったという意味での“慰謝料”も支払っているようで、最大限の誠意をはらっている。

 若い芸能人の間で“できちゃった婚”が相次いでいる中、結婚という選択をしなかった珍しいケース。山田は中学卒業後に芸能界入りし、コツコツと演技の勉強を重ねながら、地道な努力で主演の座を獲得してきた。そのことは交際していた女性が「一番よく分かっていた」(親しい知人)という。役者として一番大事な時期であることを理解し、2人で出した結論だった。

 子供の母親であるかつての恋人の願いは、「家庭」を捨てるという犠牲をはらってまで選んだ道で成功すること。山田は、役者として、より大きく成長していく姿を母子に見せていくしかない。

 ◆山田 孝之(やまだ・たかゆき)1983年(昭58)10月20日生まれの22歳。鹿児島県出身。99年に日本テレビのドラマ「サイコメトラーEIJI2」でデビュー。01年にNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で主人公の弟を演じ、注目を集める。03年にフジテレビ「ウォーターボーイズ」でドラマに初主演し、ブレーク。昨年「電車男」で映画初主演。主な出演作はドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」「H2〜君といた日々〜」、映画「ドラゴンヘッド」など。

2006/02/14(火) バレンタイン一緒に過ごしたい芸能人に金城武&林志玲
台湾で、2月14日の「情人節(バレンタインデー)」を一緒に過ごしたい芸能人の名を挙げてもらうという調査が行われ、女性からは金城武、男性からは林志玲(リン・チーリン)に人気が集まった。14日付で華夏経緯網が伝えた。

 サラリーマンが選ぶ、バレンタインを一緒に過ごしたい女性芸能人はリン・チーリンがトップで38.20%。第2位は日本でも知名度の高い徐若〓(ビビアン・スー)で15.66%。第3位は周杰倫(ジェイ・チョウ)の恋人、侯佩岑(パティ・ホウ)で13.78%。第4位以下には劉若英(レネ・リュウ)、楊丞琳(レイニー・ヤン)、林蔡依林(ジョリン・ツァイ)などがランクインした。(〓は王へんに宣)

 OLが選ぶ、バレンタインを一緒に過ごしたい男性芸能人は、日本でも人気の金城武が20.25%でトップ。第2位は甘い声が魅力の王力宏(ワン・リーホン)で12.73%、第3位は梁朝偉(トニー・レオン)で11.69%。第4位以下には、劉徳華(アンディ・ラウ)など大御所俳優のほか、韓国のピやぺ・ヨンジュン、日本の木村拓哉などもランクイン。バレンタインデーというワールドワイドなイベントだけに、一緒に過ごしたい人もボーダーレス!?

 ちなみに台湾のサラリーマン、OLに聞いたところ、男女の出会いでは「仕事を通じて知り合った」という人が67.9%で最も多く、「友人の紹介」は48.15%、「チャット」は43.62%(複数回答)。また遠距離恋愛については、「問題ない」とした人が59.92%だった。(

2006/02/13(月) ユーミンの父死去していた…悲しみ乗り越えライブ“完走”
歌手松任谷由実(52)の父で、東京都八王子市の「荒井呉服店」の会長、荒井末男(あらい・すえお)さんが、2日に心肺腎不全のため同市内の病院で死去していたことが13日、分かった。93歳。毎冬恒例の新潟・苗場公演中に悲報を聞いたユーミンはステージ後に駆けつけ、無言の父と対面。思い出を胸に秘め、この日の最終公演まで休まずに歌い続けた。

 通夜は5日、葬儀は6日に、いずれも自宅のある八王子市内で親族だけで執り行われた。公演中でみとることはできなかったユーミンだが、苗場から駆けつけ、手を合わせた。近所の人たちによると、1年ほど前に体調を崩してから、ユーミンは「たびたび実家を訪れていた」という。1月30日に開幕した苗場公演がスキー場でのパーティーであることを考慮し、観客には父の死は伏せた。13日の最終公演も悲しみをひとり胸に秘め、女王“Yuming”として明るく歌い続けた。

 末男さんは1912年(明45)、現在の東京都あきる野市で生まれた。親しい人の話によると、織物関係の仕事をした後、呉服店を八王子に構え、市内屈指の大店(だな)に成長させた。温厚で明るく、話し上手。気さくでおちゃめな性格から、町の実力者であるだけでなく、人気者だった。

 ユーミンが最初のアルバム「ひこうき雲」を発表した時には、地元の八日町商店街に「アーケードで流してほしい」と頼んで回った。新作CDが送られてくるたび「由実のCDが来た。再生してくれ」と隣家を訪れ、うれしそうに聴いていた。昨年6月には、八王子で行われた全国ツアー公演に訪れ、娘の生歌に酔いしれた。

 八王子市議時代に末男さんと親交のあったタレントで会社社長の佐野美和さんは「お会いするたび“由実は昔から勉強ができた”“中央ハイウェイ(実際は中央フリーウェイ)はいい曲だ”と話されていた。“マーちゃん(夫の正隆氏)は本当にいい人なんだ、由実は幸せ者だ”ともおっしゃっていた」と話した。初めて会ったのは市議に立候補した時。つじ立ちの際「私は由実の父親だ!」と突然言われて驚いたという。「地域貢献にも尽くされ、商人のかがみのような方でした」と故人をしのんだ。

 社葬は3月1日午後1時から、東京都八王子市上野町32の1、八王子市民会館=(電)0426(22)8251=で。葬儀委員長は樫崎彰男八王子商工会議所会頭。喪主は長男邦彦(くにひこ)氏。

2006/02/12(日) 上村5位、メダルに届かず=ジャンプの原田は予選失格
第2日の11日は、フリースタイルスキー・モーグル女子決勝で上村愛子(北野建設)が5位に入り、98年長野大会7位、02年ソルトレークシティー6位からさらに順位を上げ、五輪3大会連続入賞を果たした。3大会連続のメダル獲得がかかった里谷多英(フジテレビ)は15位、18歳の伊藤みき(滋賀・近江兄弟社高)は20位だった。前回4位のジェニファー・ハイル(カナダ)が優勝した。
 ノルディックスキーのジャンプはノーマルヒル予選で、葛西紀明、伊東大貴(ともに土屋ホーム)が、予選免除の岡部孝信(雪印)とともに12日夜(日本時間13日未明)の決勝に進んだ。
 しかし、5大会連続出場の37歳・原田雅彦(雪印)は95メートルを飛んだものの、体重に比べてスキー板が長すぎる規則違反で失格となった。253センチの板を使う原田は体重が61キロ以上なければならなかったが、60.8キロで200グラム足りなかった。
 スピードスケート男子5000メートルはチャド・ヘドリック(米国)が優勝し、宮崎今佐人(緑陽会)は21位、牛山貴広(エムウエーブ)は27位だった。フィギュアスケートはペアのショートプログラム(SP)で、井上怜奈がジョン・ボルドウィンと組んで米国から出場し、6位につけた。29歳の井上は日本代表として過去2度の五輪出場経験があり、今回が12年ぶりの出場。SPでトップに立ったのは、世界選手権2連覇のタチアナ・トトミアニナ、マキシム・マリニン組(ロシア)。フリーは13日夜(日本時間14日未明)に行われる。

◇得意の大技でわずかにミス

報道陣の前に姿を見せると、少しの間、背を向け、涙をこらえた。「何でなんだろ、メダルは遠い」。すべてを懸けたトリノの舞台。しかし、五輪の女神はまた、上村にはほほ笑まなかった。
 「気持ち良く立てた」という決勝のスタート。だが、小さなミスが命取りになった。第2エア。得意のコークスクリューを決め着地した後、体がわずかに前に流れた。
 その時点で2位の24.01点でフィニッシュ。3位の選手までが座るコース脇のいすで後続の滑りを見守った。「メダルをすごくお願いした」。祈りは通じなかった。
 不振の上村を再び世界のトップに引き上げた3Dの大技コークスクリュー。「ほかにも3Dをする人はいるけど、ちゃんとできるのは自分だけ」。その一言に悔しさがにじんだ。
 中学1年で一度はスキーをやめ、陸上部に籍を置いた。しかし、中学2年で母・圭子さんと行った旅行先のカナダでW杯モーグルを観戦。「あんな風に滑りたい」。上村の挑戦は、そこから始まった。
 7、6、5位。3度の五輪で一つずつ順位を上げてきた。地道に歩を進める、上村らしい結果とも言える。「(2010年)バンクーバー五輪? 出られるなら出たい」。少女のときに抱いた夢は、まだ終わりではない。


◇成田ら日本勢が予選落ち=男子ハーフパイプ

トリノ五輪の第3日目の12日、イタリア・バルドネッキアで男子ハーフパイプ予選が行われ、国母和宏(北海道・登別大谷高)、中井孝治(アメリカン)、成田童夢(キスマーク)、村上史行(クルーズ)らの日本勢全員が予選落ちした。

 中井は1本目に36.0点で9位につけ、2本目には36.8点をマークしたが、あと1.1点及ばなかった。期待の成田も1本目31.5点、2本目14.7点と得点が伸びず、期待された男子ハーフパイプ陣は一人も決勝に進出できなかった。

2006/02/11(土) トリノ冬季五輪が開幕、開会式は「情熱のスパーク」
第20回冬季オリンピック大会が10日、当地で開幕。コムナーレ競技場で華々しい開会セレモニーが行われた。
 注目の開会式のアトラクションのテーマは、お国柄を感じさせる「情熱のスパーク」。ヘルメットから炎を出しながら疾走するローラーブレーダー、火花とともに現れる五輪マークなどで、会場に詰め掛けた大勢の観客や選手たちを盛り上げた。
 式では、国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長のあいさつの後、イタリアのチャンピ大統領が開会を宣言。アルペンスキー男子回転の優勝候補ジョルジ・ロッカが選手宣誓をし、聖火リレーの最終走者を務めた、ノルディックスキー距離で五輪10個のメダル獲得実績を持つステファーニア・ベルモンドさんが聖火台に火をともした。
 今大会は冬季としてはこれまでで最高の80カ国・地域から約5000人の選手と関係者が参加している。
 日本代表は過去最多の238人の選手団を編成し、史上最多のメダル獲得を目指す。


■表参道ヒルズがオープン 約千人が来店

東京・表参道の同潤会青山アパート跡地を再開発した住宅・商業施設「表参道ヒルズ」が11日、オープンした。ファッションの街・表参道の新たな名所として開業後1年で来館者1000万人、売り上げ150億円を見込んでいる。表参道沿いには開店前から約1000人の客が並び、予定より15分早い午前10時45分に開店すると、人気ブランドの限定商品などを求めて、一斉に店内に駆け込んだ。その後も入場制限が長く続き、周辺は入店を待つ客でにぎわった。
 青山アパートは関東大震災後の1927年に完成し、当時は日本の最先端の建築といわれた。老朽化により建て替えが決まり、森ビルが中心となって開発。2003年8月から工事を始め、総事業費は189億円。

2006/02/10(金) 藤田元司巨人元監督、74歳で死去
ONを支え、常勝巨人の伝統を守り続けた名将が逝った。元巨人監督で、OB会会長も務めた藤田元司氏が9日午後6時40分、心不全のため都内の病院で死去した。享年74歳。通算119勝を挙げ、エースとして巨人を支えた藤田氏は、監督としても長嶋、王の後を受けて2度の「登板」を果たした。4度のリーグ優勝、2度の日本一に輝き、江川、西本の両エース、桑田、槙原、斎藤の3本柱など投手王国を築いた。96年に野球殿堂入り。正力賞、沢村賞選考委員も務めた。昨年12月、巨人OB総会で姿を見せたのが公の場では最後となった。昨年12月の仰木氏に続き、球界はまたも悲報につつまれた。葬儀・告別式は未定。
 巨人の危機を救い続けた名将が、静かに息を引き取った。午後9時20分、遺体を乗せた車が都内の自宅に戻る。同乗していた妻節子さん(70)と娘婿の岩井美樹・国際武道大監督が気丈に応対した。節子さんは「前から何となく分かってたから覚悟はできていたんですけど。心不全でしょう。内臓が全部弱っていたんで。今日は午前中は普通に話をしていたんですが…」。昨年12月22日に人工透析中に目まいがして入院。胆石も患い、容体がこの日急変した。巨人激動の歴史とともに歩んできた藤田氏の野球人生は幕を下ろした。
 社会人でも巨人でも、エースとしてマウンドを死守した。そして最初の監督就任は80年秋だった。
 列島激震となった「長嶋解任劇」を受けて緊急登板。巨人の使命である「常勝」の2文字を背負い、就任1年目の81年、西本、江川の両エースを軸に、打線も新人原を起用して、リーグ制覇、日本一を果たした。見事な手腕でチームを再建した。
 2度目の「登板」も巨人が危機的状況に陥っている時だった。88年9月29日。V逸の責任を取る形で解任された王監督(現ソフトバンク監督)と同席で就任会見を行った。「ワンちゃんが疲れたというので、いったんリフレッシュしてもらうことに」。
 当時、心臓に持病を抱え、いつ発作がおきてもおかしくないほど体調がすぐれなかった。最初の監督時代の81年7月1日の阪神戦(甲子園)で体調不良を訴え、王助監督(当時)が代行を務めた。そのころから、薬のニトログリセリンを携帯するようになっていた。岩井氏によれば「2回目の監督を受ける時に医者に『死にますよ』と言われたらしい。そういう時代じゃないですか。自分の命をね。ジャイアンツに世話になったからって」。節子さんも「2度目の監督をやった時、相当体を痛めてますから」と振り返った。
 それでも指揮を執り、89年リーグV。日本シリーズの相手は、昨年12月に逝去した仰木彬監督率いる近鉄。これも何かの因縁だろうか…。球界は名将を相次いで失った。
 92年秋、長嶋監督にバトンを譲り、その後は球界発展に尽力していた。96年に野球殿堂入り。何度も体調不良が伝えられたが、人工透析などを行い、昨秋は沢村賞、正力賞の選考委員として姿を見せていた。
 先日、原監督からも連絡が入っていた。だが入院中だった藤田氏との面会はかなわなかった。岩井氏によれば「辰徳が(監督を)やれば大丈夫だろうと言ってました。辰徳から“あいさつしたい”とキャンプに行く前に連絡があったんですが。だから野球界では一番先に第一報を入れました」。57年、巨人のユニホームに袖を通して半世紀。巨人に命をささげた名将が惜しまれながら、逝った。

■原監督悲痛 「恩師以上の恩人」 ずっと見守っていて欲しかった


奪回に向け、厳しいキャンプを送っている原監督のもとへ、突然の悲報が舞い込んだ。恩師の藤田元監督が死去。第一報を伝え聞いた指揮官は、号泣したという。その後、球団広報を通じてコメントを寄せた。

 「なんとコメントしていいか分からず、戸惑っています。容体が悪いことは聞いていました。それでも心の奥底で『藤田監督が亡くなるわけないだろう。オレをずっと見守ってくれる人なんだ』というお願いに近い妄想を抱いていました。だから今になっても信じられない気持ちです。私にとって恩師という言葉以上の恩人であり、かけがえのない人でした。今、こうしてあるのも藤田監督あってのことです。しっかりしたコメントを残さなければいけないのでしょうが、今はこれだけ話すのが精いっぱいです」

 藤田監督がいなければ「巨人・原辰徳」は誕生しなかった。子供のころから大好きだったジャイアンツに、自分を引き入れてくれたのが藤田さんだった。1980年11月26日、運命のドラフト会議。東海大の原辰徳に4球団が競合、クジ引きとなったが、藤田監督(当時)の右手が原を引き当てた。

 その時、熱っぽく藤田監督に語られたという。「朝起きて風呂に入って爪を切った。爪を切っていたがために、違う紙(外れクジ)を取らずに違うものを取った。それがお前だったんだ」

 巨人入団後は、延べ7年間にわたって監督と4番打者として師弟関係を築き、その後も公私にわたって人生の「師」と仰いできた。

 昨年12月4日に行われた巨人軍OB総会では、体調が悪いにもかかわらず、わざわざ原監督を激励に訪れた。「(原は)いい時も悪い時も心得ているから大丈夫」とエールを送った。帰り際には、原監督がつえをつき歩く藤田さんの傍らに付き添い、車に乗り込んだ後も、頭を深々と下げて見送った。

 原監督は10日午前に宮崎を離れ、桑田ともに藤田さんの弔問に駆けつけ霊前にV奪回を誓った。

2006/02/09(木) 18歳の加護ちゃん喫煙 「自覚のない行動」謹慎処分
人気アイドルユニット「W(ダブルユー)」の加護亜依(18)が喫煙していたことが9日、明らかになった。10日発売の写真誌「フライデー」が報じている。加護の所属事務所では事実を認め、謝罪。加護を当面の間、謹慎処分に決めた。未成年メンバーによる飲酒疑惑が発覚した人気グループ「NEWS」が活動休止を発表した直後に、またも未成年タレントによる法律違反が発覚した。

 7日に18歳の誕生日を迎えたばかりの、未成年アイドルの喫煙の代償は、謹慎処分という重いものだった。「フライデー」によると、加護の喫煙シーンがキャッチされたのは先月27日。深夜のカフェレストランで、メンソールたばこをくわえるショットを巻頭トップで掲載し、店内での会話などを詳報している。

 加護が所属する「アップフロントエージェンシー」ではこの日、本人を含めた関係者に事実関係を調査。その結果、ほぼ報道通りであることを確認。本人もたばこを吸ったことを認めたという。

 同社はこの日夜、加護を謹慎処分にすることを発表。同時に「エンターテインメントの世界でタレントとして活動している以上、健全な行動を常とするのが責任であり、全く自覚のない行動。未成年者の喫煙行為は法に触れることであり、決して許されることではありません」とした上で、「マネジメント管理・指導に不足があった、と猛省しており、これを重く受け止め、謝罪します」とのコメントを発表した。

 謹慎は9日付から期間については未定。「W」も事実上の活動停止となる。収録済みのテレビ番組については、各局に処分内容を伝えた上で、対応を委ねるという。また3月にはシングルとアルバムが発売される予定だが、これについてはこれから関係者と話し合うことになる。

 「モーニング娘。」出身では、安倍なつみ(24)が2004年、フォトエッセー集で他のアーティストのフレーズを盗用していたことが分かり、2か月間、活動自粛した。加護の今後については、「二度とこのような不祥事を起こさない」ことを大前提に、本人、家族、スタッフの間で話し合い、結論を出す方針だ。

 ◆加護 亜依(かご・あい)1988年2月7日、奈良県生まれ。18歳。2000年4月、アイドルユニット「モーニング娘。」の追加オーディションで2万5000人の応募者の中から石川梨華、吉澤ひとみらとともに第4期メンバーとして加入。同年、NHK紅白歌合戦に紅組最年少出場。04年5月に辻希美とデュオ「W」を結成し、同8月にモー娘を卒業した。血液型AB。

2月絵日記の続き


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