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2006/12/20(水)
芸能ショック!!青島幸男・岸田今日子・カンニング中島死去
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■青島幸男前東京都知事が死去 マルチタレント、参院議員、東京都知事として活躍した青島幸男(あおしま・ゆきお)氏が20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で死去した。74歳だった。東京都出身。 自宅は東京都江東区。告別式は27日正午から港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所で行うよう調整中。喪主などは未定。 1932年東京・日本橋の仕出し弁当店の二男に生まれた江戸っ子。早大商学部卒業後、27歳で放送作家としてデビュー。テレビ番組「シャボン玉ホリデー」の脚本・構成を担当、自らも出演し、「青島だぁー」というギャグでお茶の間の人気者に。 「スーダラ節」「無責任一代男」など反体制ソングを作詞、テレビ番組「意地悪ばあさん」では毒舌の主役を好演した。自ら制作、監督した映画「鐘」がカンヌ映画祭批評家週間で入選、小説「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞するなど、多彩な才能を発揮した。 68年に参院全国区で初当選。故市川房枝氏に師事、金権政治を批判し続け、公報、政見放送以外は選挙運動をしなかったにもかかわらず、連続4回当選した。佐藤栄作首相(当時)を「財界の男メカケ」と呼んで懲罰問題に。自民党による消費税の強行採決に抗議し89年に議員辞職。92年、参院比例代表で5回目の当選を果たし、佐川急便献金事件で金丸信・元自民党副総裁の議員辞職を求め、ハンガーストライキをした。 95年の都知事選に議員を辞職し出馬、無党派層の圧倒的支持を得て知事に当選。世界都市博覧会を公約通り中止した。しかし、指導力を発揮できない場面も目立ち、1期で引退した。
■個性派女優・岸田今日子さん死去 映画「砂の女」や、アニメ「ムーミン」の声などで知られ、演劇でも活躍した個性派女優の岸田今日子さんが17日午後3時33分、脳腫瘍(しゅよう)による呼吸不全のため東京都内の病院で死去していたことが20日、明らかになった。76歳だった。葬儀はこの日、近親者と親しかった関係者のみで行った。年明けに「お別れの会」を開く予定。喪主は長女の西条(さいじょう)まゆさん。 岸田さんは今年の年明けごろから足元がふらつくなどの症状を訴え、検査入院。脳腫瘍と診断された。入院加療を続けたが、亡くなる前日まで見舞い客と話すなどしていたという。11月16日に亡くなった俳優の仲谷昇さんは元夫。訃報(ふほう)に接した際は悲しんだそうだが、体調がすぐれず葬儀には参列しなかった。遺作舞台は昨年10月に東京・シアタートラムで上演された「オリュウノオバ物語」だった。 父は劇作家で文学座創立者の1人である故岸田国士。50年に初舞台に立ち、文学座で「サロメ」などに出演した後脱退、劇団雲を経て演劇集団円の創立に参加した。 主な舞台に「今日子」「更地」など。ミステリアスな雰囲気で喜劇からシリアスな役まで幅広く演じた。映画「砂の女」(64年)や、テレビドラマ「傷だらけの天使」(74年)でも独自の存在感を示した。 60年代から「ムーミン」の主人公の声や、ドラマ「大奥」のナレーションを務め、独特の声質と語り口で人気を集めた。著書「妄想の森」で98年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど執筆活動でも知られた。姉は詩人の岸田衿子さん。
■カンニング・中島さんが急死 急性リンパ球性白血病のため療養していたお笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前11時46分、肺炎を併発して入院中の都内の病院で亡くなった。35歳だった。通夜・告別式などの日程は未定。中島さんは04年12月、病のために療養に専念し、相方の竹山隆範(35)が1人で活動していた。 まさに急変だったという。竹山は5日に都内で会見した際、中島さんの近況について「だいぶ良くなりましたよ。最近は入退院しながら治療していて、僕も外で会いました。来年春かそれ以降には復帰できると思いますよ」と話していたばかりだった。 実際、自宅に戻っていた中島さんは約1週間前、肺炎の症状が見られたため入院。一時は治りかけたが、この日になって容体が急変。所属事務所の社長、関係者らも死に目に立ち会えないほどだった。竹山も相方の最期をみとることはできず、悲報にショックを受けながらもスケジュール通りに仕事をこなしたという。竹山は21日、都内で悲しみの会見を開く。 福岡県の小学校時代からの同級生だった竹山と中島さんは92年にコンビを結成。福岡吉本時代は芽が出ず、その後も何度か事務所を変わった。03年ごろから売れない時代を自虐ネタにして、すぐキレるキャラの竹山に中島さんが突っ込むというパターンで人気者になった。その矢先に中島さんの体は病魔にむしばまれた。ピンの活動でも「カンニング竹山」を名乗り、中島さんとのコンビ名を外すことはなかった竹山。常に忘れることのなかった2人での活動再開はかなわぬ夢となった。
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