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2006/11/05(日) <フセイン元大統領>死刑判決 住民殺害、人道に対する罪で
反体制派の弾圧・迫害で人道に対する罪などに問われたイラクのフセイン元大統領(69)の判決公判が5日、バグダッドのイラク高等法廷で開かれ、アブドルラフマン裁判長が求刑通り死刑(絞首刑)を言い渡した。イラク戦争での政権崩壊まで24年にわたりイラクを独裁支配した元大統領への判決は初めて。イラク政府は判決を機に反米武装勢力の封じ込めを図りたい考えだが、武装勢力が攻撃の手を緩める可能性は望めず、旧政権を支えたイスラム教スンニ派と抑圧されたシーア派の宗派間抗争に判決が拍車をかける恐れもある。
 判決が出たのはイラク中部ドジャイルで82年に起きたイスラム教シーア派住民殺害事件。事件では元大統領暗殺未遂への報復として148人が殺害されたとされる。起訴された8被告中、元大統領、イブラヒム元ジュネーブ国連代表部大使、バンダル元革命裁判所長官の3被告が死刑、ラマダン元副大統領が終身刑の判決を受けた。
 イスラム教の聖典コーランを手に公判に臨んだ元大統領は裁判長から絞首刑が宣告されると人さし指を立てた右手を高く掲げ、「神は偉大なり」と繰り返した。さらに裁判長に向かって「人道の敵だ」「侵略者に死を」「スパイに死を」「国家の敵に死を」と叫んだ。
 高等法廷は2審制。死刑・終身刑判決の場合は自動的に控訴審で1審判決の妥当性が審理されるため刑は5日の判決では確定しない。控訴審が1審判決を妥当と判断すれば30日以内に刑が執行される。イラク北部クルド人居住区で18万人が虐殺されたとされるアンファル作戦(88年)の審理が継続中の上、10件の追起訴が見込まれている。
 国家指導者の戦争犯罪は故ミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領を裁いた旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)のように国際法廷が審理にあたるのが一般的だが、フセイン元大統領の場合はイラク人が自らの手で裁く形を取った。国内法廷となった背景には、国際刑事裁判所の規定に署名していない米政府や、旧政権幹部を厳罰に処したいイスラム教シーア派、クルド人勢力の意向などがあったとされる。
 フセイン元大統領の弁護団は判決公判が米中間選挙の投票2日前にあたることから「政治利用」と非難、延期を求めていた。イラク政府は妨害テロなどを警戒、バグダッドなどに外出禁止令を発令する厳戒下での判決公判となった。
 ◇イラク高等法廷が言い渡した各被告に対する判決
フセイン元大統領=死刑(絞首刑)▽イブラヒム元ジュネーブ国連代表部大使=死刑(絞首刑)▽バンダル元革命裁判所長官=死刑(絞首刑)▽ラマダン元副大統領=終身刑▽アブドラ・カディム・ルワイエド、マズハル・アブドラ・ルワイエド、アリ・ダイーフ・アリの元バース党員3被告=禁固15年▽モハメド・アザウィ・アリ元バース党員=無罪(証拠不十分)
 ◇イラク高等法廷 イラクの旧フセイン政権の犯罪を裁くため03年12月に米英占領当局とイラク統治評議会によって「特別法廷」として設置され、後に名称が「高等法廷」に変更された。イラク国内法に基づき5人の判事によって審理が進められ、2審制。04年7月に予備的な審理が開始され、05年10月にドジャイル事件の初公判を開いた。米英占領下で設置されたためフセイン元大統領や弁護団は法廷の正当性に異議を唱えている。
 ◇サダム・フセイン元大統領 1937年4月、イラク中部ティクリート近郊生まれ。57年、アラブ統一を掲げる「バース党」入党。一時、同党を追放されたが、68年のクーデターで指導的役割を果たし、翌69年11月、革命指導評議会(RCC)副議長に就任。政敵を次々に倒し、79年7月にはバクル大統領を辞任に追い込んで大統領兼RCC議長となり、独裁体制を完成させた。03年4月9日、イラク戦争で政権が崩壊。同年12月13日、米軍に拘束された。


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