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2006/10/11(水) 競馬 ディープインパクトが年内で引退へ JRA発表
日本中央競馬会(JRA)は11日、ディープインパクト(牡4歳、池江泰郎きゅう舎)の金子真人オーナーの意向として、同馬を年内で引退させるとの連絡を受けたと発表した。


 1日にフランス競馬の凱旋門賞で日本中を沸かせたばかり。11日に発表された、ディープインパクト(牡4歳、栗東・池江泰郎きゅう舎)の年内引退は、パリでの3位の力走に「来年こそ雪辱を」という期待も抱いていたファンには、唐突で残念に感じられるはずだ。
 しかし、名馬であればあるほど、その子への期待が膨らむのが競馬の常。ディープ伝説が最高潮になった時に、元気な体で引退させることも、オーナー側にとっては重要なことだ。惜しまれつつ、破格の51億円のシンジケートが組まれての種牡馬入り。21年ぶり史上2頭目の無敗の3冠馬にふさわしい王道を行くということなのだろう。
 シンジケートは1株8500万円。小柄で見栄えがしなかったというディープの競り市での価格は7000万円だから、これを軽く上回る。ディープの父サンデーサイレンスは、90年に米国から輸入され、95年から11年連続でリーディングサイアー(産駒の最高獲得賞金)の座を守り続けている。日本の競馬界を変えたとされるサンデーも02年に死亡し、現在の3歳が最後の世代。後継種牡馬としても、ディープにかかる期待は大きい。
 高額シンジケートの例では、96年に北海道の生産者らのグループがアラブ首長国連邦のシェイク・モハメド殿下から購入したラムタラが記憶に新しい。3歳時の95年に凱旋門賞など欧州3大レースを無敗のまま制し4戦4勝で引退。奇跡の名馬と呼ばれ、約44億円(1株1億800万円、41株)でシンジケートが組まれたが、産駒成績は不振を極め、今夏、約2750万円で英国に売却された。
 名競走馬が、必ずしも名種牡馬とは限らない。だが、父母から子へ脈々と受け継がれる能力を目の当たりにすることは競馬ならではの魅力だ。驚異的な人気で菊花賞が史上初の単勝「元返し」(配当1・0倍)となったように、ディープは賭け事の対象ではなく、競技者として競走馬を観る楽しみを知らしめた。その走りに魅せられた人々が、ディープの姿に重ねてその子のレースを観る。日本の競馬の奥行きを広げる、ディープの第2ステージに期待したい。


 ◇ディープインパクト 4歳牡馬。父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア。北海道早来町(現安平町)のノーザンファーム生産。馬主は金子真人ホールディングス。栗東・池江泰郎きゅう舎。通算12戦10勝(G15勝)。0歳時、セリ市・セレクトセールで7000万円で落札された。04年12月のデビュー以来、武豊騎手とのコンビで勝利を重ね、05年には3歳牡馬3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を史上2頭目となる無敗で制覇。年末の有馬記念はハーツクライの2着に初めて敗れたが、年度代表馬にも選出された。今年は天皇賞・春、宝塚記念を勝つと、フランス遠征を敢行。しかし、10月の凱旋門賞は3着にとどまった。
 
◇シンジケート 所有希望者が多い種牡馬を、希望者が経費を出し合って共同所有する組織。権利は株式で分割され、主に60口が基本単位と言われている。
 シンジケート会員になれば、毎年1頭の牝馬に種付けする権利が得られる。会員以外からの希望が殺到して、種付けする牝馬の頭数が株数を超えた場合、超過分の種付け料がシンジケート会員に分配される。
 過去、国内最高額のシンジケートは、史上初めて欧州の3大レース(英国ダービー、凱旋門賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスDS)を無敗で制し、1996年に英国から輸入されたラムタラで約44億円。日本調教馬では、04年のダービー馬キングカメハメハの21億円が最高額だった。

2006/10/10(火) 落合監督涙、涙、涙のV「選手は良く泣かせてくれます」
泣いた、舞った。中日・落合博満監督(52)が感涙の胴上げ、東京ドームで4度宙に舞った。2年ぶり7度目のセ・リーグ優勝へ、マジック1としていた中日は、オレ流監督が3年間プレーした巨人と対戦。意地をみせる古巣に苦しめられながらも延長12回、福留が決勝打。ウッズも先制3ランに続き、球団新の47号満塁弾で続き、球団創設70周年を鮮やかに飾った。1954年以来52年ぶり2度目の日本一をかけ、21日、ナゴヤドームで開幕する日本シリーズで、パ・リーグ覇者と戦う。

 緊張の糸から解かれた瞬間、こみ上げる熱いものを抑えられなくなった。福留の中前適時打で、ついに勝ち越した延長12回。球団新となるトドメの47号満塁弾で続いたウッズを出迎え、ベンチ前で抱擁すると、試合中にもかかわらず、落合監督の目から大粒の涙があふれ出た。「すいません。涙もろくて。泣くまいと思っていたけど、泣いたのは私が一番早かった。選手は良く泣かせてくれます」冷静沈着な指揮官が、ベンチに座り白いタオルで何度顔をぬぐっても、涙は止まらなかった。

 4時間20分の激闘を制した3分後、かわいくて仕方がないナインの手で4度宙を舞った。「勝って胴上げ。やっぱりいいですね」2年前は同じ延長12回、久本が広島・緒方に満塁弾を浴びての敗戦後だった。粘る古巣・巨人に引導を渡しての歓喜の瞬間。経験したことのない快感が体を突き抜けた。

 覚悟のシーズンだ。マジックが点灯し、Vへ突き進むだけだった8月下旬。都内の自宅1階リビングで、くつろいでいた落合監督が信子夫人(62)のひと言に不快感をにじませた。来季の契約の話だった。

 「来年も監督はできると思う。でも、契約は1度終わるんだから首は洗っておきなさいよ」愛妻の厳しい言葉が、胸に突き刺さった。珍しくムッとした表情を見せ「ん?」と間を置くしかなかった。

 外様監督への逆風は誰よりも感じていた。阪神に1・5ゲーム差をつけ、首位で折り返した後半戦開幕前日の7月24日。オーナー報告の席で、3年前に監督に指名した白井文吾オーナー(78)から、来季の続投要請がなかった。「今季の成績が左右するかも知れない」待っていたのは最後通告とも取れる言葉だった。

 3年契約の最終年。2年連続のV逸なら−。発言の意味を分かったからこそ、22年間連れ添った夫人にすら触れられたくない話題だった。「いまはそんな時期じゃない」と、会話を終わらせるしかなかった。

 8月12日に球団史上最速でマジック40が点灯。阪神に最大9ゲーム差をつけたが、9月から予想外の粘りにあった。2ゲーム差に詰め寄られること2度。優勝の瞬間まで表向きは余裕を漂わせていたが、快進撃の猛虎が怖かった。「この2か月? 長かった。順調だったけど、阪神の追い込み。逃げる方が楽だと思っていたけど、ここまで追い込まれるとは」宿敵への賛辞は、偽らざる本音だった。

 「首は洗って待っておこう」マジック点灯後、1軍コーチや関係者に、指揮官はこう伝えた。不安な心を埋めてくれたのが選手たち。3年間、手塩にかけたまな弟子が栄光のゴールへ導いてくれた。

 だが、この日の試合後も白井オーナーは「来季どうこうは言えない。10月31日まで契約期間だから、触れないのが礼儀」とV奪回にも続投の明言を避けた。「来年も、おれは(監督を)やるよ」最愛の夫人に誓っている約束。果たすには、52年ぶりの日本一しかない。

 昨年の大みそか。除夜の鐘を聞きながら、落合監督は真っ白な紙に好きなだけ目標を書いた。迷いもなく書いたのは「優勝」と「日本一」。その紙を封筒に入れ、仏壇に供え、手を合わせた。

 「第1ハードルは越えた。(日本シリーズで)みなさんの期待に恥じないように精いっぱい日本一を勝ち取ります」3年間で2度の美酒に酔っても、リーグVは通過点。就任時からファンに誓っている“頂点”。最高の笑顔を見せるのは、忘れ物を取り返した、その瞬間だと決めている。


■巨人史上初の屈辱、東京ドームで目前胴上げ

原巨人が屈辱の本拠地胴上げを許した。二岡、高橋由、小久保の3発でいったんは同点としたが、延長12回にウッズの満塁弾などで一挙6点を奪われ、終わってみれば大敗。東京ドームでは初めて、後楽園時代を含めると75年以来、31年ぶりに、本拠地で敵のリーグV決定の瞬間を迎えた。

 ちょうどマウンド付近で歓喜の輪が出来ようとしていた。東京ドームでは初の「目前胴上げ」が始まるころ、原監督がベンチ裏に姿を見せた。「選手は一生懸命戦いました。(胴上げは)見たくなかったわけだしね。12回の攻守が今年のドラゴンズとジャイアンツの差。今年を象徴したゲームでした」真っ赤な顔でそう言え終えると「もういいかな」と会見場の席を立った。

 あと一歩だった。4回にウッズの3ランで先制を許した。相手はエースの川上で、絶望的な点差にも思えた。しかし、本拠地最終戦で驚異的な粘りを見せた。その裏に二岡が25号ソロで2点差とし、7回には高橋由、小久保の連弾でついに追いついた。死闘は延長戦に突入。延長10回1死では、荒木の左中間を抜ける当たりを、鈴木が超ファインプレーを見せた。絶対に胴上げを見たくない。そんな意地と執念と気迫が、ナインからにじみ出ていた。

 それでも、守護神が力尽きた。延長12回1死満塁から、高橋尚が福留にタイムリー、ウッズにグランドスラムを浴びて万事休す。「目の前での胴上げは見たくない。相手の戦う精神状態は、来年ウチの選手がやらなくてはいけない。いい勉強になるし、糧にして欲しい」原監督はそう話していたが、先取点を許して主導権を握られ、最後の粘りで競り負けた。今季を象徴する試合展開で、2年連続して、目の前で敵の胴上げを見る羽目となった。

2006/10/09(月) 北朝鮮が地下核実験に成功、朝鮮中央通信が報道
北朝鮮の朝鮮中央通信は9日午前、同国の科学研究部門が同日、「地下核実験を安全に成功裏に行った」と報じた。

 実施場所や実験内容には言及していない。

 韓国政府は同日午前10時35分ごろ、北朝鮮北東部の咸鏡北道花台(ファデ)郡付近を震源とする地震波を観測しており、核実験によるものかどうか確認を急いでいる。

 核実験が事実であれば、核兵器保有に必要な技術を完成させたことになり、北朝鮮核問題は重大局面を迎える。

 北朝鮮は国際社会の度重なる自制要求を無視し、予告からわずか6日後に実験に踏み切った。

 朝鮮中央通信は核実験について「科学的計画と綿密な計算によって行われた今回の核実験では、放射能漏れのような危険が全くなかったことが確認された」と強調。


■北朝鮮の核実験、国際社会への挑発的行為=ホワイトハウス

 米ホワイトハウスは9日、北朝鮮の核実験は挑発的行為であり、国連安全保障理事会が早急な行動をとることが予想される、との見解を示した。
 スノー報道官は「米国と韓国の情報機関は9日、北朝鮮の核実験場所とみられる地点で地震性の動きを観測した」との声明を発表。「北朝鮮は地下核実験の実施を発表した。北朝鮮の核実験は、国際社会の意志と、北東アジアの緊張を増大させる行為の自制の呼びかけを無視した挑発的行為である」とし、「国連安保理は、この行為に対して速やかな行動をとるだろう」と述べた。
 北朝鮮はこの日、地下核実験が成功したと発表した。
 さらに同報道官は「米国は状況を注視しており、周辺地域の同盟国の防衛に対するコミットメントを再確認する」と述べた。


■爆発の威力、異なる推計値=韓国「0.8キロトン」、ロは「最大15キロトン」

北朝鮮が9日に実施したと発表した核実験の爆発の威力に関し、異なった推計値が入り乱れている。
 韓国の通信社・聯合ニュースによると、北朝鮮の核実験によるとみられる地震を観測した韓国地質資源研究院は、爆発の規模をTNT火薬に換算して0.8キロトン以上と推測。最大でも5キロトンとされ、核実験としては小規模のものだという。同研究院が観測した地震の規模であるマグニチュード(M)3.58から計算してこうした数値を導き出した。
 1945年に広島と長崎に投下された原爆はそれぞれ15キロトン、22キロトンで、北朝鮮の核兵器はかなり小さいことになる。
 これに対し、ロシアのイワノフ国防相は爆発の威力は「5〜15キロトン」との見方を明らかにした。同国防相はまた、「これが核爆発であったことにいかなる疑いもない」と述べ、核実験が行われた正確な場所も分かっていると付け加えた。
 ロシア側が検知システムで核実験を感知したのは、モスクワ時間の9日午前5時35分26秒(日本時間同10時35分26秒)だった。 


■アジア株価急落、北朝鮮核実験の影響

北朝鮮の核実験を受け、9日のアジア株式市場は、休場の台湾を除き、ソウル、香港、シンガポールで主要株価指数が軒並み急落した。

 特に韓国では総合株価指数(KOSPI)が連休前の4日より2・4%安となったほか、通貨ウォン相場も対米ドルで下落した。

 KOSPIは北朝鮮が核実験をすると宣言した後の4日にも1・6%下落していた。

 香港・ハンセン指数は前週末比1・3%安、シンガポール・ストレーツタイムズ指数は1・1%安で取引を終えた。

2006/10/08(日) <日中首脳会談>共通の課題解決へ「戦略的互恵」構築で合意
安倍晋三首相は8日午後、首相就任後初の外国訪問として中国を公式訪問し、北京の人民大会堂で中国の胡錦濤国家主席と約1時間20分の間、会談した。胡主席が「靖国神社に首相が行って、中国国民の感情を傷つけた」として、靖国参拝の自粛を求めたのに対し、安倍首相は参拝の有無を明言しない方針を表明。そのうえで、「政治的困難を克服し両国の健全な発展を促進する観点から適切に対処していきたい」と語った。安倍首相はまた、国際的課題も含め日中の共通利益を追求する「戦略的互恵」の構築を提起し、胡主席も賛同した。北朝鮮の核実験予告問題では、実験阻止で連携することで一致した。
 靖国問題で、安倍首相は戦後60年の平和国家としての日本の歩みを強調。靖国参拝は追悼と慰霊のためであり、「軍国主義を美化したり、A級戦犯を賛美するものではない」と理解を求めた。「(靖国に)行ったか行かなかったか、言及しないことにしている」という従来の説明を、この日も繰り返した。
 日中双方とも靖国問題での衝突を回避し、小泉政権下での冷却期間を脱して関係改善に踏み出す会談となった。ただ安倍首相の在任中の靖国参拝については互いに都合よく解釈できる玉虫色の内容となっており、火種は残ったままだ。
 安倍首相は胡主席と温家宝首相の訪日を招請、両氏とも原則的に同意した。
 安倍首相は胡主席との会談で、11月にベトナムで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際の再会談に合意。これに先立つ温首相との会談でも、12月にフィリピンで開かれる東アジア首脳会議の際に再会談することで合意した。両首脳はまた、安倍首相の提案を受け、日中両国の有識者による歴史共同研究の年内開始で一致した。
 日中両国はこれらの会談結果をまとめた「日中共同プレス発表」を出した。日中が共同文書をまとめたのは98年の「日中共同宣言」以来。
 北朝鮮の核実験予告問題では、安倍首相は「国際社会への重大な脅威で絶対に容認できない」として、核実験阻止に向け北朝鮮に影響力を持つ中国の一層の働きかけを要請。胡主席は「北朝鮮が核実験を抑制するよう中国としても働きかけていく」と応じた。
 安倍首相と温首相との会談では、ガス田問題で局長級協議を早期に再開し、共同開発に向けた話し合いを加速することで一致した。07年が日中国交正常化35周年にあたり記念行事が予定されていることから、文化やスポーツなど幅広い分野での交流促進を確認した。
 日中首脳会談は昨年4月にジャカルタで開かれて以来で、日本の首相が首脳会談のために中国を訪問したのは01年10月以来約5年ぶり。安倍首相は呉邦国全人代委員長とも会談した。
 ◇会談のポイント
 一、両国の共通利益を追求する「戦略的互恵」関係構築で合意
 一、胡主席は靖国問題で「政治的障害の除去」を求める。安倍首相は参拝の有無を明言しない方針を示す
 一、安倍首相は戦後60年の日本の歩みに「正当な評価」を求める
 一、両首脳は北朝鮮の核実験阻止に向けた協力で一致
 一、安倍首相が中国首脳の訪日を招請、原則合意

2006/10/07(土) 松坂13K完封!西武王手…パ・プレーオフ第1ステージ
◆西武1−0ソフトバンク(7日・インボイス西武) 松坂の気迫のピッチングで、西武がプレーオフ第2ステージ進出に王手をかけた。エース右腕は被安打6、プレーオフ史上最多となる13奪三振で完封。レギュラーシーズンで自己最多の17勝を挙げながら、投手の主要タイトルをすべて奪われた相手先発・斉藤和に見事、投げ勝った。西武は8日の第2戦に勝つか、引き分けるかで、日本ハムとの第2ステージ進出が決定する。

 歓声とともに、松坂がガッツポーズを決めた。締めくくりは、もちろん三振だ。この試合最速となる151キロに、本多のバットは空を切る。マウンドに駆け寄るナインに、笑顔でハイタッチだ。ファンが送った拍手が心地いい。パ・リーグのエースが誰かを証明した6安打、1−0完封。プレーオフ史上最多となる13奪三振の快投で、第1ステージ初戦を勝ち取った。

 試合後、ベンチでしばらく動けなかった。シーズン最後の登板では5回KO。それだけに、重圧を感じていたのだろう。「何が何でも勝たなければいけない試合でした。和巳さんが鬼気迫る投球をしていて、見ていて気持ちが入ったし、非常に刺激を受けました」レギュラーシーズンで勝利数、完封、防御率、奪三振、勝率の5冠王をさらわれたライバルとの壮絶な投げ合いを制した。自己最多の1試合4死球を出したが、これも1点も与えない、という闘争心の表れだった。

 ハイライトは1点をもらった直後の8回。カブレラ、松中、ズレータのクリーンアップを連続三振に抑えた。「ギアが1段階、上がりましたね。この3人を抑えないと、勝ちは見えてこない」カブレラはスライダー、松中はフォークで空振りに。最後のズレータはカウント2−3からど真ん中の151キロで見逃し三振。勝負は決まった。伊東監督も「大輔が気持ちで投げてくれた」とエースをたたえた。

 走者を背負わなかったのは、終盤の2回だけ。この日は直球だけでなく、勝負球に変化球も多投した。「シーズン中だったら(直球の要求が少なく)イラついたかもしれないけど、今日はそんなことはなかった」入団1年目の1999年。あこがれの巨人・桑田から「5年先、10年先を見据えて取り組め」とアドバイスされたことがある。その教えを忠実に守った右腕は、速球派だけでなく技巧派としての顔も身につけた。プロ8年目でも、進化は止まっていない。

 ユニホームのポケットに、しっかりとウイニングボールをしまった。倫世夫人と初めて球場に観戦に来た生後10か月のまな娘にプレゼントした。「どこにいるかは見えてました。まだ分からないと思うけど、かっこいいところは見せられたかな」エースが期待通りの快投で第1ステージ突破に王手をかけた。日本一への階段を駆け上がるには、これ以上ない勝ち方だった。

 ◆「パパ、パパ」10か月の愛娘初観戦 熱い視線が、お立ち台に上がる夫に向けられていた。倫世夫人(31)=元日本テレビアナウンサー=にとって、昨年12月に長女を出産してから、初めての球場観戦。「娘が最初に見た試合が完封なんて、すごいですね」生後10か月のまな娘をあやす夫人の瞳は、少し潤んでいるように見えた。 何度も訪れたピンチにも、不安はなかった。「この子がいるから大丈夫、と安心して見られました」試合中、「パパ、頑張れ!」と長女に話しかけながら応援。歓喜の瞬間を、一緒に見届けた。 まな娘の“声援”も、しっかり届いていた。これまでは松坂の前で口を開くことがなかった長女が、一昨日から「パパ、パパ」と呼びかけるようになっていた。「娘が勝利の女神になりましたね」娘の顔を見ながら、倫世夫人は最高の笑顔を見せた。

 西武・伊東監督「両エースの投げ合いの中、よくワンチャンスを生かしてくれた。手に汗握るいい試合だった。松坂はしばらく実戦から遠ざかっていたし、かなり力が入っていたね。(打線は)プレーオフに入る前、外国人も含めて、バントやエンドランをやることは伝えていた。でも、あそこ(7回、強攻で和田が適時打)は打たせた。(7回の)満塁のピンチをしのいだのが大きかった」

2006/10/06(金) 関東から東北で大雨と強風、けが人・交通機関も乱れ
発達しながら北上する低気圧の影響で6日、関東から東北にかけての広い範囲で大雨と強風に見舞われた。

 神奈川県内で強風にあおられて転倒した歩行者ら7人が重軽傷を負ったほか、倒木が列車を直撃するなど、交通機関にも影響が出た。関東地方は連休中は晴天となる見込みだが、北日本は7日から8日にかけて、引き続き大荒れの天気となる模様。

 東京都狛江市では午後3時ごろ、多摩川の中州にホームレスの男性(52)が取り残されたが、約1時間後に救急隊員に救助された。男性にけがはなかった。また、江東区豊洲6の工事用道路で午後4時20分ごろ、保冷車と軽自動車が浸水したトンネル内で動けなくなった。保冷車の男性運転手(61)が車内に閉じこめられ、約50分後に消防隊員に助け出された。

成田国際空港では6日午後10時半までに開港以来最多の78便が羽田空港などに代替着陸したり、出発地に引き返したりした。うち23便は代替着陸先から成田に到着したが、折り返しの出発便も相次いで欠航するなど大幅にダイヤが乱れ、1万数千人に影響が出た。混乱は7日も続く見込み。
 同空港会社は、空港運用を7日午前2時まで3時間延長。空港で一夜を過ごす旅客が多数出るとみて、毛布・寝袋5000人分、非常食2万7000食、飲料水1万2000本などを手配。深夜の到着客向けにリムジンバスを増発した。
 成田航空地方気象台によると、空港周辺は6日午後から風速20メートルの強い風雨となり、風向きも急激に変化。同空港では96年9月に台風の影響で60便が代替着陸・引き返しとなったが、今回はこれを上回る影響が出た。
 挙式のため友人らと、ハワイに向かう予定だったさいたま市の会社員、堀恵一郎さん(36)、真由美さん(28)は搭乗便が欠航のため出発ロビーの隅で車座になって過ごした。「ホテルも満員。でも、せっかくの門出だし、『思い出がひとつ増えた』と考えたい」と苦笑いしていた。

また、海では6日午後5時20分ごろ、茨城県神栖市の鹿島灘沖約2キロの海上で、パナマ船籍の貨物船「ジャイアントステップ」号=9万8587トン、マスカレナス・メルロイ船長(49)=が座礁した。

 茨城海上保安部などによると、船にはインド人25人とスリランカ人1人の乗組員計26人が乗っていたが、船体が左に約50度傾き、船首付近にいたとみられる13人が海上に流された。この後、インド人4人が海岸に流れ着いて救出されたが、このうち1人が収容先の病院で死亡し、1人が左足骨折などの重傷。7日午前1時現在、残る9人が行方不明となっている。

 船に取り残された13人は船体後部のブリッジで救助を待っているという。

そのほかにも、塩釜海上保安部に入った連絡によると、6日午後10時45分ごろ、宮城県女川港付近で山代水産(同県気仙沼市)のサンマ漁船「第7千代丸」(198トン)が座礁、千葉常治船長(57)を含む乗組員16人全員と連絡が取れなくなった。 

2006/10/05(木) 坂本九さん長女が結婚…12月ハワイ挙式
1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故で死去した歌手・坂本九さん(享年43歳)の長女で歌手の大島花子(32)が結婚することが5日、発表された。お相手はブラジリアン柔術の道場を主宰する日本人男性のAさん(38)。12月に家族旅行でよく行った思い出の地、ハワイ・マウイ島で挙式する。インタビューに大島は「天国の父も『2人で頑張りなさい』と喜んでくれていると思う」と声を弾ませた。

 墜落事故から丸21年。坂本九さんと女優・柏木由紀子(58)の間に誕生し、事故当時、小学校6年生だった花子が結婚を決めた。

 お相手のAさんはブラジルに本部を持つ道場の日本代表。現在は国内の8つの支部を束ねている。優しい笑顔が印象的な男性だという。約5年前に花子が知人の紹介で道場に行ったことがきっかけで交際がスタートした。

 「プロポーズは特になく、お互いの気持ちが自然と結婚に向いていった」と花子。今年になって母に報告。「あなたが選んだ人なんだから」と祝福してくれたという。二女で女優の舞坂ゆき子(29)も「女所帯だったので男性が入ってくれて心強い」と喜んでくれた。

 6月に婚約し、父の墓前で報告。夏には事故のあった群馬県の御巣鷹山にAさんと母、妹の4人で登った。「心配していると思うけど2人で頑張っていきます、と伝えました。一緒にバージンロードを歩けなかったのは残念だけど、父も喜んでくれていると思います」。昨夏、事故後初めて家族で御巣鷹山に登ったが、1年後には“家族”が1人増えていた。

 九さんと柏木は1971年に結婚。九さんは「子供はたくさん欲しい」と話し、73年10月7日に待望の第1子となる花子が誕生した。トップスターの幸せな家庭は世間の注目を集め、お宮参りなどの様子も派手に報じられた。九さんは子育ても手伝い「子供ってかわいいですね」と目に入れても痛くないほどのかわいがりようだった。

 今後は12月にマウイ島で家族のみで結婚式を行い、帰国後、親しい知人を集めてホームパーティーを行う予定。「マウイは父や祖父とよく行っていた思い出の場所。家族と相談してそこで挙式しようと決めた。父も一緒に楽しめるかなと思って」。妊娠はしておらず、今後も父の遺志を継いで音楽活動は続けていく。

 【日航ジャンボ機墜落事故】1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬・御巣鷹の尾根に墜落。奇跡的に女性4人が助かったが、残る乗員乗客520人が死亡。単独の航空機事故では史上最悪の大惨事。事故原因について運輸省航空事故調査委員会(当時)は、78年に大阪空港で起きた尻もち事故の修理でボーイング社の作業員が修理ミスをし、日航、運輸省の担当者が見逃したとする報告書をまとめた。

2006/10/04(水) 王子の勝ち!斎藤、完封&田中から決勝打!早実が2冠
やっぱり王子がナンバーワン!! 早実が1−0で駒大苫小牧を下し、77年以来、29年ぶり2度目の優勝を飾った。夏の甲子園、国体の2冠達成は、昨年の駒大苫小牧に続き2年連続9度目、史上8校目の快挙だ。斎藤佑樹投手(18)=3年=は、ハンカチパフォーマンスを封印して完封勝利。四回には自らのバットで決勝点をたたき出し、田中将大投手(17)=3年=との勝負に決着をつけた。

 あふれる思いを白球に込めた。1−0の九回二死一塁。斎藤が胸に手を当てて天を仰ぐ。これが高校野球生活最後の投球だ…。そのフィナーレを飾るのにふさわしいのは、やはり宝刀スライダー。鷲谷から空振り三振を奪うと、控えめに両手の拳を握りしめた。

 「田中と決着をつけたかったし、今まで束縛されていたので、この大会は暴れてやろうと思っていました。有終の美を飾れてよかったです」

 球場につめかけた7200大観衆の前で、甲子園に続く国体制覇の2冠達成だ。この試合はハンカチを封印。ライバルとの真剣勝負に徹した“王子”に、またひとつ勲章が加わった。

 2勝1敗1分け。ついに駒大苫小牧にも勝ち越した。昨秋の明治神宮大会(準決勝、●3−5)で敗れた後、今夏の甲子園決勝、引き分け再試合、そしてこの日の国体決勝。4度目の対決で田中に初めて黒星をつけ、この世代のナンバーワン投手であることを結果で示してみせた。

 被安打9。“ひぐま打線”の餌食になりかけた四回一死満塁、七回と八回の一死一、二塁のピンチを、いずれも併殺打で切り抜けた。打っても四回二死二塁からは右前へ適時打。両チーム唯一の得点で、勝利の女神を引き寄せた。

 「これまでやってきたことが走馬燈のように思い出されます。1年生のころは、勉強と練習の両立が大変でした」。目を潤ませて振り返ったのは2年前の冬のこと。実家のある群馬・太田市から兄・聡仁さん(21)とともに上京していた斎藤が「ちょっと来てほしい」と母・しづ子さん(46)に助けを求めた。掃除、洗濯、なにより話し相手…。落ち着くまで3週間ほど、母の存在に救いを求めた。

 それが次第に、上京するしづ子さんに「来なくても大丈夫」と言うようになった。前日(3日)も、観戦を前に「高校生最後の試合を楽しんでね」と母がメールを送ると「ありがとう。頑張るよ」と力強い返信。和泉実監督(45)も「チームの中で斎藤が精神面で一番成長した」という。

 そして、すべてが終わった試合後。改めて「進学」を宣言したが“夢の続き”も明らかにした。「大学で4年間頑張ってからプロにいきたい。そこでまた田中と勝負して、プロ野球を2人で盛り上げられるようになれればいいですね」

 サヨナラは再び会うまでの遠い約束−。握手して別れた最後の昭和生まれ、“ハンカチ世代”の中心に斎藤がいる。

2006/10/03(火) 坂下船長が領海侵犯・密漁否定…盛田さんの遺影に謝罪
ロシア国境警備隊に銃撃・拿捕(だほ)された北海道根室市の「第31吉進丸」の坂下登船長(59)は3日、ロシアでの裁判の供述を一転、「領海侵犯」と「密漁」を否定した。

 この日、坂下船長は罰金と損害賠償合わせて約50万ルーブル(約220万円)を納めた後、根室市に戻り、午後4時過ぎ、記者会見に臨んだ。

 坂下船長は冒頭、「国民の皆様にご迷惑をおかけし、申し訳ない」と顔を紅潮させながら陳謝。親類でもある甲板員、盛田光広さん(当時35歳)の死について「一生謝罪しても許されることではない。ただ、無防備な漁船員を撃つのはあってはならないこと。ロシア政府に怒りを持っている」と語った。


坂下登船長の記者会見での一問一答は、以下の通り。
 −−事件があった時間と場所は
 ◆3時ちょっと過ぎから4時ごろの間か。納沙布岬から北西に1.2〜1.3マイルの地点だと思う。いわゆる「中間ライン」内側の「漁業規則ライン」があり、私はその線上でかごを敷設していた。
 −−国後での取り調べや裁判では密漁を認めているというが
 ◆早く帰る方法はないか問うと、弁護士と通訳が「ひと月くらいで帰る方法がある」と特殊裁判という話を出してきた。私には椎間板ヘルニアの持病があり、極端に言えば強要されたと言ってもいい。「判決が出るまで長くなりますよ」と言われ、2人の乗組員や自分の体のことを考えた。
 −−銃撃を受けた時の様子は
 ◆当時は漁具にコンブがからまり、乗組員に「縄を切れ」と命じた。計器の不調に気を取られている時に「パンパンパン」と音がした。ブリッジの窓から顔を出して見た瞬間、左舷にゴムボートが近づき、銃も見えたので船を停めた。「モリ、大丈夫か」と2、3回声を掛けたら、もう血を流していた。銃撃の前に、停船命令などはまったくなかった。
 −−ロシア側の情報では「逃走を図った」「刃物で襲ってきた」などという話があるが
 ◆それはまったくのウソ。

2006/10/02(月) 第85回凱旋門賞、ディープインパクトは3着
世界最高峰のG1「第85回凱旋門賞」(芝2400メートル、優勝賞金114万2800ユーロ=約1億7000万円、8頭)が1日、仏ロンシャン競馬場で行われ、武豊騎手(37)騎乗のディープインパクト(牡4歳=池江泰郎厩舎)は力を振り絞って奮闘したが、3着。日本最強馬をもってしても世界最高峰の壁は崩せなかった。

 最後の直線に差し掛かかっても、まだ武豊騎手の手綱は動かない。「それいけ、インパクト!」。ロンシャンのマンモススタンドから日本語の絶叫がこだまする。だが、外から仏国の3歳牡馬レイルリンクが襲いかかった。さらに外から同国の6歳牝馬プライド。デビュー12戦目で初めて後続馬に差された。あと一歩及ばず3着。日本人の夢は散った。

 武豊は馬上でがっくりと肩を落とした。「直線もハミを取らずに…。いつもなら直線で、もうひとつのギアがあるのに、それが出せなかった」。ショックの色は隠しきれなかった。「ディープインパクトでだめなら日本の競馬関係者ががっかりしてしまう」。事前に話していた言葉がまさか現実のものとなってしまうとは…。昨年まで、凱旋門賞84回の歴史は、そのまま欧州調教馬最強決定戦の歴史でもあった。門外不出の絶対的タイトル。そして今年も…。地元の意地はすさまじいものがあった。

 レース前のパドックでは理想的な筋肉を身に付け、眼光鋭く堂々と周回する愛馬の姿があった。この馬が、このコンディションで敗れたのなら、仕方ない。無言でインパクトを見つめる池江泰郎調教師の表情はそう語っていた。

 「勝った馬が強い。インパクトはよく走っている」。池江敏行助手は唇をかみしめていた。ポケットには厩舎の先輩馬メジロマックイーンの写真をしのばせていた。レース中、何度も握りしめ、声がかれるまで声援を送った。50日以上に及んだフランスでの生活。疲れがたまってレース1週前には39度の熱を出した。だが「ここで休んでいられるか」と気合を入れ、インパクトにまたがり続けた。

 武豊も無念さを隠しきれない。94年ムーラン・ド・ロンシャン賞(スキーパラダイス)など、ロンシャンでいくつもの勝ち星を積み重ねてきた。高低差10メートルのきつい起伏も、フォルス・ストレート(にせの直線)も、すっかり手の内に入れていたはずだった。だが地元勢のマークは想像以上に厳しかった。優勝騎手パスキエもファロンもスミヨンも、道中、視線は常にインパクトに向いていた。プレッシャーはきつかった。欧州最強馬ハリケーンラン(4着)に先着したのがせめてもの意地だった。

 夢は破れた。だが敗戦は馬も人も大きくする。世界の頂点へ、また出直しだ。

 ≪武豊に聞く≫

 ――レースを終えて感想を。

 残念です。悔しいというか残念。

 ――先行する形になったが?

 もしかしたら先手もあると思っていたので想定の範囲。内にいるのが嫌だったので、途中でいったん下げて外に出した。

 ――手応えよく直線を迎えたように見えたが…。

 いい感じだったけど…。いつものような、もうひとつのギアが出なかった。伸びない…ウーンという感じ。きょうは力を出し切っていない。

 ――体調面は?

 よかった。人馬ともにベストを尽くしたと自信を持って言える。

 ――日本のファンへひと言。

 やり残したことができた。また挑戦したい。本当に残念です。

10月絵日記の続き


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