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2006/10/03(火)
坂下船長が領海侵犯・密漁否定…盛田さんの遺影に謝罪
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ロシア国境警備隊に銃撃・拿捕(だほ)された北海道根室市の「第31吉進丸」の坂下登船長(59)は3日、ロシアでの裁判の供述を一転、「領海侵犯」と「密漁」を否定した。
この日、坂下船長は罰金と損害賠償合わせて約50万ルーブル(約220万円)を納めた後、根室市に戻り、午後4時過ぎ、記者会見に臨んだ。
坂下船長は冒頭、「国民の皆様にご迷惑をおかけし、申し訳ない」と顔を紅潮させながら陳謝。親類でもある甲板員、盛田光広さん(当時35歳)の死について「一生謝罪しても許されることではない。ただ、無防備な漁船員を撃つのはあってはならないこと。ロシア政府に怒りを持っている」と語った。
坂下登船長の記者会見での一問一答は、以下の通り。 −−事件があった時間と場所は ◆3時ちょっと過ぎから4時ごろの間か。納沙布岬から北西に1.2〜1.3マイルの地点だと思う。いわゆる「中間ライン」内側の「漁業規則ライン」があり、私はその線上でかごを敷設していた。 −−国後での取り調べや裁判では密漁を認めているというが ◆早く帰る方法はないか問うと、弁護士と通訳が「ひと月くらいで帰る方法がある」と特殊裁判という話を出してきた。私には椎間板ヘルニアの持病があり、極端に言えば強要されたと言ってもいい。「判決が出るまで長くなりますよ」と言われ、2人の乗組員や自分の体のことを考えた。 −−銃撃を受けた時の様子は ◆当時は漁具にコンブがからまり、乗組員に「縄を切れ」と命じた。計器の不調に気を取られている時に「パンパンパン」と音がした。ブリッジの窓から顔を出して見た瞬間、左舷にゴムボートが近づき、銃も見えたので船を停めた。「モリ、大丈夫か」と2、3回声を掛けたら、もう血を流していた。銃撃の前に、停船命令などはまったくなかった。 −−ロシア側の情報では「逃走を図った」「刃物で襲ってきた」などという話があるが ◆それはまったくのウソ。
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