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2006/10/12(木)
超劇的!日本ハム25年ぶりV!新庄の前でサヨナラ!
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新庄バンザイ! 日本ハムが劇的なサヨナラ勝ちで25年ぶり3度目のパ・リーグ優勝を決めた。日本ハム・八木とソフトバンク・斉藤和の両先発による息詰まる投手戦は、0−0で迎えた9回2死一、二塁。稲葉の二塁左への当たりが内野安打になり、二塁走者・森本が一気に本塁を突いた。4万人を超す地元ファンの後押しもあり、アドバンテージの1勝を含む“3連勝”。今季で引退する新庄も公約通りのVに派手なパフォーマンスで喜びを表現した。日本ハムは21日からセの覇者・中日と日本シリーズで対戦。東映時代以来、44年ぶり2度目の日本一を目指す。
歓喜の瞬間は、一番近くで見届けた。弟のようにかわいがってきた森本がサヨナラのホームに滑り込むと、次打者だった新庄は両手を広げ、高々と跳び上がった。ヘルメットを放り投げた稲葉に突進する一番弟子の背中を、必死で追い掛ける。革手袋を外すのも忘れて鉄壁の外野陣3人で抱き合うと、まな弟子と肩を組み拳を突き上げた。色とりどりの紙テープが宙を舞い、総立ちとなった4万2380人の歓声は地鳴りとなる。サヨナラで決めた、25年ぶりのリーグ優勝。劇的なフィナーレに、札幌が揺れた。
一投一打に敏感に反応し、一球ごとに歓声とため息が交錯した。ブーイングで威嚇し、拍手が勇気を与えた。稲葉の打席で4万人が跳びはねると、札幌ドームを激震が襲った。ゲートで配られたボードで、スタンドは真っ赤に染まった。思い描いた夢を、はるかに上回る光景だった。
3月25日、まだ雪が残る開幕の朝だった。タクシーで球場へ向かう道中、新庄は運転手からシートへのサインを求められた。「色紙にしかサインしないんだ」と断ると、多くを語らずいったん近くのコンビニに車を止めさせた。店に入り、戻ってきた新庄の言葉に運転手は驚かされた。「運転手さん、ゴメン。色紙なかったよ」。華やかさだけではない。誠実に北海道のファンと向き合った3年間だった。
感動した運転手は「みんな応援してます。来年も再来年も、北海道にいてください」と呼びかけた。しかし、新庄の笑顔が消えた。「悪いけど、それはできないんだ」。引退宣言の約1か月前、すでに心は決まっていた。最後に背中を押したのが、この日と同じ4万3000人のファンで埋まった、スタンドの景色だった。
03年12月3日、札幌ドームで入団会見を行った夜のことだ。ススキノの飲食店で、志保夫人と数人の親しい関係者だけを集めて、ささやかな決起集会が開かれた。新庄の第一声は「どう? 会見、面白かった?」。少年のような笑顔で、深夜まで夢を語り続けた。「とにかく、北海道を盛り上げたい!」。携帯電話の着信音が、選手に聞こえそうなほどガラガラだったスタンドが、少しずつファンで埋め尽くされていった。一日で成ったわけではない。あれから1044日。夢はついに、現実となった。
引退の年にようやく成し遂げた、日本での初のリーグ制覇。夢にはもう少しだけ、続きがある。小笠原は「日本シリーズで4勝して、最後にツーさん(新庄)を胴上げしたい」と言い切った。「このチームでやれたことが、すごい財産になりました。みんなありがとう。以前、頂点に立ったら死んじゃうかもって言った? まだ先があるんで、そのとき考えたいと思います」。21日に開幕する中日との日本シリーズが、正真正銘のファイナルステージ。「SHINJO劇場 プロ野球編」。感動のラストシーンは、日本一の美酒と心に決めている。
◆SHINJO(新庄 剛志=しんじょう・つよし)1972年1月28日、長崎・対馬市生まれ、福岡・西日本短大付高から90年ドラフト5位で阪神入団。2年目から1軍定着。95年に突然、引退宣言をし騒動に。00年、FA宣言して米大リーグ、メッツに入団。02年、ジャイアンツに移籍、03年にメッツに再復帰するも、オフに日本ハムへ移籍して日本球界に復帰した。今季限りの引退を既に表明。181センチ、76キロ。右投右打。
◆北海道日本ハムファイターズ 1リーグ時代の1946年、横沢三郎がセネタースを設立。初代監督も兼務した。47年に東京急行電鉄に球団を売却、東急フライヤーズに。48年に社会人の大映球団が経営参加し、急映フライヤーズに改称したが、1年で元に戻した。主砲の大下弘は球界屈指の人気選手だった。 49年オフの2リーグ分立でパ・リーグに加盟。54年、東映に球団運営を委託、東映フライヤーズとなった。61年、巨人の監督を勇退した水原茂を招へい。62年に土橋正幸、尾崎行雄の両エースの活躍で初優勝を果たし、日本シリーズで阪神を破り日本一に輝いた。 73年に日拓ホームに身売りしたが、その年のオフに日本ハムに売却。球団社長に三原脩、監督に中西太を迎え、日本ハムファイターズが誕生。80年に新人の木田が22勝を挙げ、MVP、最多勝、新人王を総なめ。大沢啓二監督の81年に江夏、間柴らの投手力を武器に2度目のリーグVを果たしたが、シリーズでは藤田巨人に敗れた。 04年に本拠地を札幌ドームに移し、北海道日本ハムファイターズと名称変更した。
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