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2006/01/03(火)
史上最大の逆転!亜大29度目挑戦でついに初V
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第82回東京箱根間往復大学駅伝復路(3日、神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場入口−大手町、5区間109.9キロ)史上初の大逆転! 往路6位の“ダークホース”亜大が29度目の出場で初の総合優勝を達成した。往路Vの順大や5連覇を狙った駒大など優勝候補が次々とブレーキを起こす中、「雑草軍団」が堅実な走りを続けて悲願の制覇。往路6位からの大逆転優勝は史上初めて。往路、復路ともに優勝のない総合制覇は95年の山梨学院大以来7度目。かつて実業団ニコニコドーでソウル五輪代表の松野明美を育てた知将・岡田正裕監督(60)が就任7年目で母校を頂点に導き、還暦を美酒で祝った。
緑と青のタスキが、北風を切って大手町に帰ってきた。追う影はない。亜大のアンカー岡田直寛(3年)は両手で高々とガッツポーズ。往路6位からの大逆転は、長い大会の歴史で初めて。往路Vも復路Vもない総合優勝。たくましい「雑草軍団」が歓喜の雄叫びをあげた。岡田監督に選手が群がり、その体が2度、3度…。高く、高く宙に舞った。
「元日にメンバーを集めて『優勝を狙いにいくぞ』と告げたら、選手たちはビックリしてましたよ。でも、実行してくれた。大学に来て指導者になってよかったです」
67年に亜大が箱根駅伝に初出場したときのメンバー。それから39年目。還暦を迎えて、母校を初の栄冠に導いた。女子の実業団ニコニコドー監督として松野明美らを育成した実績を残し、99年春に廃部になると、初出場時に指導を受けた築地美孝・現総監督から声がかかった。母校のためならと快諾。熊本の自宅を単身で離れ、東京・日の出町の選手寮に入り、食事も風呂も選手と一緒。寝食をともにした。
高校時代の実績に乏しい選手たちを、寮から大学まで約30キロの道のりを走って通学させ、夏合宿ではマラソン選手級の月間1100キロを超す走り込み。妥協なく鍛え上げた。
「女子の指導をして体重管理に神経をつかったことが役立っている。選手と24時間接して、目を光らせてます」
厳しいばかりではない。玄関脇の6畳一間の部屋から選手の生活に気を配る。「1人1役」を信条に、試合に出られない選手にも計時係や給水係など必ず役割を与えてチームの結束を強めた。木許史博主将(4年)は「監督のためにがんばろうって、みんながひとつになれる」と一体感を強調した。
往路トップの順大から2分51秒差の6位でスタートすると、6区で7位に落ちたが、順大が急ブレーキを起こした8区で2位に浮上。復路のエース区間を志願した9区の山下拓郎(3年)は公約どおりに区間賞。「お風呂で(身長1メートル47の)松野明美さんの話をしてくれて、おまえも背が低くても強くなれるぞって励ましてくれた」。1メートル60と小柄ながら、駒大を抜く単独トップを演出した。
初優勝がかかるアンカーの大役が託されたのは岡田直。監督と同じ熊本出身で同じ名字。運命的なものを感じた。走り出す直前、携帯電話に岡田監督から指示がきた。「3番でいいぞ。気楽にいけ」。緊張感が吹っ飛んだ。選手の性格を熟知した、経験豊かな知将の面目躍如だった。
「還暦を迎えたら熊本に帰らせてもらう約束だったんですけどね。2連覇、3連覇するまで帰さんと言われましたよ」
11日には地元熊本で友人とゴルフの約束があったが、早速の祝勝会でそれもキャンセルに。60歳の監督には、しばらくうれしい祝宴が続く。
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