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2005/09/08(木)
松井秀、史上初!日米400号 王に次ぐ年少31歳2か月の金字塔
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ヤンキースの松井秀喜外野手(31)がデビルレイズ戦に「2番・中堅」で先発。4回にワックターから右翼に21号ソロを放ち、日米通算400本塁打を達成した。日本球界、大リーグを合わせての400号は史上初の快挙。松井は6回には右翼線に2点適時二塁打を放つなど4打数2安打3打点の活躍を見せた。チームは逆転勝ちで、ワイルドカード争い単独トップのキープに貢献した。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 デビルレイズ 4 0 0 0 0 0 0 0 0 4 ヤンキース 0 0 0 1 0 2 0 2 X 5 [勝]スターツ 5勝3敗 [S]リベラ 36S [敗]ボロウスキー 1勝3敗 [本]松井秀21号、ジオンビー27号2ラン(以上ヤ)
息を切らしていた。松井は全速力でダイヤモンドを駆けてきた。8月23日、ブルージェイズ戦以来、14試合、61打席ぶりに放った今季21号ソロは、日米通算400号の区切りのアーチとなった。4点を追う場面での一発に、感慨にふける余裕はなかった。
ヤンキー・スタジアムが静まり返っていた4回だった。相手先発・ワックターに打線が完全に抑えられていた中で迎えた第2打席。初球、外寄り高めにきた速球を振り抜くと、打球はライナーとなって右翼席最前列に飛び込んだ。これがチーム初安打。松井のアーチが反撃ののろしとなった。
400号に王手をかけてから、ここまで54打数13安打、打率2割4分1厘と当たりが止まった。「2番だと、自分が思っているより早く打順が回ってくる気がする。相手投手への対応がうまくできず、結果的に右肩が開く悪いクセが出ちゃう」自己分析できても、克服できずにいた。
前日、逆転負けを喫して、首位・レッドソックスとは4差に広がった。ヤ軍の一員としての「負けられない。勝ちたい」という思いがバットに乗った。区切りの一打の後、3点を追う6回には無死二、三塁から内角高めに浮いてきたチェンジアップを打ち返し、1点差まで追い上げた。
3点を松井がかえし、チームも燃えた。8回2死。それまで8打席凡退が続いていた4番・ロドリゲスが中前安打で出塁。続くジオンビーが27号逆転2ランを決めた。「彼は自分が『やりたい』と思うことをやり遂げてしまう。メジャーだけのプレーだけだったとしても、マツイなら同じ期間内に400本を達成できた」メジャー最年少記録となる29歳10か月で400号を達成したロドリゲスが、こうたたえた。
トーレ監督も改めて松井の存在の大きさを認めた。「一発が出たが、その後の2点二塁打で、我々は『逆転できる』と思えたんだ」チームに力を与える打撃に脱帽した。スコアボードに映し出されたゴジラの日本での実績に驚かされたことがある。「とんでもない打点を叩き出していたんだな。ここでも誰もが彼の攻撃力に一目、置いている。彼が私のチームにいて本当によかった。来年、彼がどうするかはわからないが、来年も私のチームにいてもらいたい」こう言って松井のヤ軍残留を熱望した。
メジャー68本目で達成した400号。「(日本時代と)足して400号とか、そういう気持ちはあまりない」逆転勝利の瞬間、笑顔を見せた松井だが、すぐに厳しい表情に戻った。チームはプレーオフ進出をかけて厳しい戦いを続けているが、ピンストライプ戦士として欠かせない存在になっていることは間違いない。(柳田 寧子)
◆日米経験者では初の大台 通算400本塁打は日本で13人、メジャーで40人が達成しているが、日米両方でプレーした外国人打者を見ても、これまではF・ハワードの382本が最多。松井が初めての大台達成だ。
◆王に次ぐ31歳2か月で達成 松井秀の31歳2か月での達成は、日本に当てはめると通算868本塁打の巨人・王貞治(現ソフトバンク監督)の29歳4か月に次ぐ若さ。メジャーでは今年6月にA・ロドリゲス(ヤンキース)が29歳10か月で最年少達成。他に30歳代で松井より早く達成したのはK・グリフィー(レッズ)、J・フォックス、M・マントルの3人。
◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年6月12日、石川県能美郡根上町(現・能美市)生まれ。31歳。92年のドラフト1位で巨人入り。1年目の93年、5月から1軍に昇格。94年は開幕戦からフル出場。97年4月27日には、史上3位となる22歳10か月で通算100本塁打を達成した。日本での主なタイトルは首位打者1度、本塁打王3度、打点王3度。MVP受賞3回。02年オフにメジャー挑戦を決意。フリーエージェント(FA)権を行使して、ヤンキースに入団した。188センチ、104キロ。右投左打。
◆長嶋さんが打たせてくれた 試合前に広岡広報が伝言
恩師の言葉が、耳から体へと自然に伝わっていた。「体が開いちゃってる。こういう時は軸足に体重をしっかり残さないと」長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督のアドバイスが、松井に強い意識を持たせた。
「今年、このまま399本で終わったら、どうなるんだろう」試合前に苦笑いしていた松井の顔が、広岡勲広報の耳打ちで、一瞬にして固まった。「そう言っていたんだ…」伝えられたのは、恩師の言葉だった。
所用のため帰国していた広岡広報に、長嶋さんがメッセージを託していたのだ。「常に自分の悪いところはわかっている。毎日、チェックしている」マッティングリー打撃コーチと話していた修正ポイント。だが、巨人時代、何度となく指導を受けてきた長嶋さんのメッセージに体が素直に反応した。恩師への感謝の気持ちが日米通算400号を生んだ。
◆400号記念球は実家へ
400号の記念ボールが試合後、松井の手元に届けられた。「一応、実家に送ろうかと思ってる。飾るか飾らないかは、オヤジ(昌雄さん)が決めるでしょう」石川・能美市の実家に隣接する記念館にまた1つ、ゴジラの偉業を伝える“勲章”が増える。
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