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2005/08/21(日) 派手な演出、歯切れは悪く=顔に日の丸、全員で気勢−田中知事ら新党会見・東京
顔に日の丸、「日本を変える」−。郵政民営化法案に反対した国会議員らが長野県の田中康夫知事を代表に据え、21日、新党を旗揚げ。東京都内で開いた記者会見では、派手な演出を見せた半面、答えにくい質問には明言を避け、歯切れの悪さも目立った。
 会見冒頭、司会の荒井広幸参院議員が「党名を発表します」と告げた。顔に日の丸のペイントをした若手スタッフがポスターパネルを手に、田中知事らの背後に。全員で「日本」と声を張り上げた。
 田中知事は「今の日本には夢がない。国政や地方行政で努力してきた私たちが日本を変えていく」と訴え、結党の趣旨を説明した。
 次いで、参加者5人が中央に集まり、いったん重ねた右手を振り上げながら「チーム日本」と再び大声で叫んだ。
 質疑では、田中知事に対し「これまで連携していた民主党との関係は」、自民党亀井派だった小林興起前衆院議員には「当選したら自民党に戻るか」などと鋭い質問が飛んだ。しかし、自説をとうとうと述べるなど明確な答えはなかった。
 会見終了後、田中知事は小林前議員とともに東京・池袋で街頭演説。同前議員の選挙区で、約400人の支持者に「民営化の先にどれだけ豊かさがあるのか疑問だ」とアピールした。
 練馬区の主婦(55)は「地元を知らない刺客を送り込むなど自民党には疑問を持っており、新党に期待したい。田中知事の応援は力強い」と話した。

■「県のこと考えているのか」=田中知事を批判−鷲沢長野市長
田中康夫長野県知事を代表とする新党「日本」の旗揚げに関し、鷲沢正一長野市長は21日、時事通信の取材に対し「知事は今でさえ県内を留守にしがちだ。知事の仕事があるのに、本当に県のことを考えているのか」と知事の政治姿勢を批判した。 

2005/08/20(土) 駒大苫小牧 57年ぶり夏連覇
深紅の大優勝旗は再び北の大地へ。第87回全国高校野球選手権大会最終日(20日・甲子園)は満員の5万人の観衆を集めて決勝を行い、昨夏優勝の駒大苫小牧(南北海道)が京都外大西(京都)に勝ち、1947、48年(第29、30回)の小倉(福岡)以来57年ぶり、史上6校目の夏連覇を達成した。
 粘り強い野球で初めて決勝へ進んだ京都外大西は、56年の平安以来49年ぶりの京都勢優勝はならなかった。
 抜けるような青い空に向け、マウンドに集まった駒大苫小牧ナインは人さし指を突き上げた。昨夏にも見たこの光景。おれたちが1番だ―。「みんな、最高だー」。インタビューに立った林裕也主将の絶叫が、甲子園にこだました。
 夏、連覇。57年ぶりの偉業は、1県1校制になって初の快挙だ。昨年に続いて胴上げの歓喜を味わった香田監督は「辛かったり、苦しかったり、いろんな葛藤(かっとう)があった。選手があきらめず頑張ってくれた」とナインをたたえた。
 「全員で優勝旗を返しに行く。夏2連覇を目指す」。掲げた大目標への道のりは、平たんではなかった。想像を超えるプレッシャーがのしかかる。選抜はあわやノーヒットノーランという屈辱を味わい、2回戦敗退。春季北海道大会は、初戦で敗れた。林は「何をやったらいいか分からなくなった」と振り返った。見失いかけた目標を口に出す者はいなくなった。
 「5、6月と、夏に向けての練習試合で思うようにいかなかった。夏が近づけば近づくほどダメだと思った」と香田監督は明かした。「お前らは必要ない」と松橋、吉岡の2投手をベンチから外した。地方大会間近、チームはどん底だった。
 「去年とは違う。自分たちは弱い」。林を中心に、3年生だけのミーティングを繰り返し、「勝っても負けても、素晴らしい結果と言えるようにしよう」と話し合った。そのためには地道に練習に取り組むしかない。林が野手陣を、ベンチから外された松橋と吉岡が投手陣をまとめた。全員で自分たちの野球を、追い求めた。
 全員がヒーローだった。主将として1番打者として、林は5試合すべてで2得点を記録。闘志を全面に出し、引っ張った。2回戦で松橋が完封。最大の関門だった大阪桐蔭を吉岡が抑えた。
 そして、参加4137校の頂点に立った。「『日本一の夏にしよう』がスローガン。だれが見ても僕たちが日本一」。林の声が、誇らしげだった。

2005/08/19(金) 郵政民営化「必ず実現」 自民、マニフェスト発表
自民党は19日、衆院選のマニフェスト(政権公約)を発表した。郵政民営化を公約のトップに掲げ「必ず実現する。次期国会で成立させる」と、廃案になった民営化関連法案を選挙後の特別国会に再提出し成立を目指す方針を明記。サラリーマン増税を「政府税制調査会の考え方はとらない」と否定したほか、官公労の支持を受ける民主党を揺さぶる狙いから公務員の給与見直しや定員削減も柱に据えた。これで国民新党を除く各党の政権公約が出そろった。
 小泉純一郎首相(党総裁)は同日の記者会見で「郵政民営化は行政、財政、経済、金融の構造改革であり、何よりも政治の構造改革だ」と強調した。
 政権公約は「自民党からの120の約束」と題し、120項目を行財政改革、経済政策、外交・安全保障などの各分野に分類。冒頭で「郵政民営化を突破口として日本の改革をさらに加速させていく」とした。

■「自民マニフェストはひどい」岡田代表が批判

民主党の岡田克也代表は19日、青森県八戸市で記者会見し、自民党が同日発表した衆院選のマニフェスト(政権公約)について「マニフェストではない。従来のものと比べても、ひどいものだ。郵政民営化について賛否を問うだけで、政策にまとまりがなく、有権者が判断できない」と批判した。

■堀江氏、無所属で出馬 広島6区 亀井氏と対決

自民党に衆院選出馬を要請されていたライブドア社長、堀江貴文氏(32)は十九日午後、小泉純一郎首相と党本部で会談した後で記者会見し、国民新党に参加した亀井静香元政調会長の広島6区から無所属で立候補することを明らかにした。
 堀江氏は「郵政民営化に賛成だが、初めての立候補であり、ぜひ無所属で志を試してみたい」と述べた。自民党は同選挙区に公認候補を擁立しないことになった。
 首相との会談を前に同日午前、堀江氏は記者団に「郵政民営化と、それに続く改革が(衆院選の)焦点になると思う。僕もそういう改革を推進していきたい」と意欲を示していた。
 これに関連、国民新党の亀井氏は十九日午前、テレビ番組に出演し、堀江氏について「相手の迷惑を考えず、金の力で何でもやってもうけるという方が、政治に出て何をやるのか」と批判。また、「選挙区からノーといわれてバッジをつけるつもりはない」と述べ、比例代表中国ブロックとの重複立候補はしない考えを示した。
 一方、郵政法案の参院採決で反対票を投じた荒井広幸参院議員は十九日昼、自民党本部に武部勤幹事長を訪ね、離党届を提出した。
 その後、荒井氏は記者団に「小泉さんの自民党では国民の負託に応えられない」と離党理由を説明。荒井氏は国民新党との連携を模索しているとされ、今後の対応については明言を避けつつも「私はすでに決意している」と述べた。
 また、自民党は十九日午前、郵政法案に反対して非公認とした前職への対抗馬を含め、衆院選挙区の候補者調整を続行、午後にも四次公認を決定する。同日までに衆院採決で反対票を投じた左藤章前議員が立候補する大阪2区に元松下政経塾塾生の川条志嘉氏、空白区の大阪7区に元東京都杉並区議の渡嘉敷奈緒美氏を擁立することを内定。自民党はすでに二百六十五選挙区で公認候補を決めているが、公明党との選挙協力対象区を除く二百九十一選挙区の擁立作業をほぼ終えたい考えだ。

2005/08/18(木) 大阪桐蔭・平田3発14塁打!清原超えた新怪物
(第87回全国高校野球選手権大会、準々決勝、東北4−6大阪桐蔭、第13日、18日、甲子園)なんと“清原超え”。甲子園に新怪物登場だ!! 大阪桐蔭(大阪)の4番・平田良介中堅手(3年)が、準々決勝の東北(宮城)戦で二回、四回と2打席連発弾。七回にもバックスクリーン右に逆転2ランを放ち、昭和59年(第66回大会)のPL学園・清原和博(現巨人)以来、史上2人目となる1試合3本塁打をマークした。五回の二塁打とあわせて『14塁打』は1試合最多塁打の新記録。歴史的な3発で6−4の快勝&4強進出を導いた新怪物。海の向こうでは“元怪物”のヤンキース・松井秀喜外野手(31)も仰天した。〔写真:2度あることは3度あった。七回、平田がバックスクリーン右にこの日3本目のアーチをかけた。3発で清原に並び、14塁打は“清原超え”。ヤ軍松井もビックリの新怪物だ〕

 伝説が聖地に舞い降りた。3万大観衆のどよめきと拍手に包まれて、新怪物が胸を張ってダイヤモンドを1周する。

 平田のバットが歴史を弾き出した。1点を追う七回一死三塁。逆転2ランが逆風をついてバックスクリーン右に突き刺さる。高校通算69号となる130メートル弾は、この日3発目。昭和59年の清原に並ぶ史上2人目の1試合3ホーマーの快挙だ。平成17年8月18日、新怪物伝説が誕生した。

 「(七回は)きょうは自分が何かやると思ったので、まわしてくれと思っていました。何度でも打てると感じていた。かなり満足のいく当たり。清原さんとタイ記録? 泣きたいくらいうれしいです」

 驚弾は二回だった。打った瞬間、本人だけではなく東北バッテリーも思い切り顔をあげた飛球。三飛? いや、左飛? なんと、左翼席に飛び込んだ。

 激弾は四回だった。左中間席に2打席連続の120メートルソロアーチ。さらに五回一死一、二塁では右翼スタンドまであと20センチというフェンス直撃の適時二塁打。惜弾となったが…。七回に打ち直しの伝説弾だ。“ほとんど4発”の4打数4安打5打点。大会新記録の14塁打は“清原超え”。新怪物が産声をあげた。

 怪物伝説はグラウンドにとどまらない。本塁打を量産するバットは長さ84センチ、重さ916グラム。長距離砲は遠心力を利用するため、普通は先端に重心があるものを好むが、平田の場合は真ん中。これだと実際の数字より重たく感じると用具メーカー担当者はいう。「この型を使うのは全国でも平田くんだけ。みんな重くて使いこなすことができませんから」。オンリーワンのバットが歴史を作った。

 好きな言葉は「世界平和」。実は3年前、巨人宮崎キャンプで清原が青島神社の絵馬にしたためた言葉と同じだ。小さいころ、テレビの中でだれかが笑うと一緒に笑う子供だった。涙は嫌いだった。野球をするのは一番笑えるから。自分の周りの人を幸せにできるから。だから−。

 大阪大会で再発した右足首痛に加え、寝違えも発症している。満身創痍(そうい)の状態にも平田は笑った。「試合になれば痛みは忘れます。足が壊れてもいい。それが高校野球ですから」。頂点まであと2勝。世界平和を目指して? くしくも清原の38歳の誕生日に肩を並べた主砲が、身上のフルスイングで14年ぶりのVを呼び込む。

2005/08/17(水) 日本イランに雪辱、B組1位突破…W杯最終予選
サッカー・2006年ドイツワールドカップ(W杯)アジア最終予選B組最終節、日本―イラン(17日・横浜国際総合競技場)――既にW杯本大会出場を決めている両国が対戦、日本が2―1で勝利を収めた。

 日本は通算成績を5勝1敗として、4勝1分け1敗のイランを逆転、B組1位で予選を終えた。日本は28分に加地、76分には大黒が得点。イランの反撃を79分のPKによる1点に抑えた。

 日本代表の次の試合は、来月7日の国際親善試合、ホンジュラス戦(宮城スタジアム)。(観衆6万6098人)

 アジア最終予選を戦ってきた実績あるメンバーを先発させた日本は、序盤から攻勢。12分、大黒が頭で落としたボールを玉田がシュート。1分後、大黒が右足で狙う。中盤で遠藤や小笠原がボールを奪い、前線へ効果的なパスを送った。

 先制点は28分。左サイドを破った玉田の低いクロスを、外から攻め上がった加地が右足で決めた。ここからイランも反撃に転じ、44分にはダエイがポスト直撃のシュートを放った。

 後半は73分までに3人の交代枠を使い切ったイランが攻め込み、日本はカウンターを狙う展開になった。先にゴールを奪ったのは日本。76分のCKに大黒が飛び込んで打ったヘディングが、きわどくゴールラインを越えた。イランも3分後にダエイが、自分で獲得したPKを決めて詰め寄る。しかし、残り時間の激しい肉弾戦をしのいだ日本が、逃げ切った。

          ◇

 日本・ジーコ監督「勝てば1位通過ということで、気合が入った試合だった。アウエーで負けた借りを返せて良かった。大変な戦いだったが、選手たちの意志の強さが実った。選手に対し、心からの賛辞を送りたい」

2005/08/16(火) 地震 宮城県川崎町で震度6弱 各地で被害 けが人多数
16日午前11時46分ごろ、東北地方で強い地震があり、宮城県川崎町で震度6弱を記録した。北海道から近畿にかけて震度5強から1を観測した。気象庁によると、震源地は宮城県沖で、震源の深さは約42キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.2と推定される。東北地方で震度6弱以上の地震を観測したのは、03年7月26日の宮城県北部の地震(M6.4)で震度6強を観測して以来という。
 この地震で、仙台市泉区松森にある「スポパーク松森」でプールの天井が落下、宮城県警によると、20人近くが重軽傷を負った。他にも同県蔵王町と大河原町、福島県新地町で各1人がけがをした。
 午後0時12分、石巻市鮎川で0.1メートルの津波が観測された。気象庁は今後さらに大きな津波が到達することも考えられるとして、宮城県の沿岸に津波情報を出し、警戒を呼びかけている。
 また、埼玉県加須市志多見で午前11時46分ごろ、木造瓦ぶき平屋建て家屋が倒壊。この家に住む女性(80)が一時閉じ込められたが午後12時34分、消防に救出された。
 仙台市など各地でマンションやビルのエレベーターに閉じこめられたとの救助要請が入っている。
 JR東日本によると、地震発生の午前11時46分、東北、上越、長野新幹線の全線、東海道新幹線東京−小田原駅間で早期地震検知システムが作動し、緊急停止した。その後、同54分に上越、長野新幹線、同58分に東海道新幹線が運転再開した。
 在来線は、宮城、福島、山形県で全線が停止。関東では横須賀線大船−逗子間が停車した。また、仙台市営地下鉄でも全線で運転停止。乗客は全員、最寄り駅で降り、けが人はなかった。
 また、日本道路公団東北支社によると、仙台北部道路が上下線で全面通行止めとなったほか、東北自動車道など福島、山形、秋田、岩手県の自動車道8線で一部通行止めとなっている。
 国土交通省仙台管理事務所によると、仙台空港は午前11時48分、一時、空港を閉鎖。その後、安全が確認されたため、正午に再開した。この影響で11時40分発予定だった仙台発那覇行きの全日空463便が24分、出発が遅れるなど、計2便に遅れが出た。また羽田空港でも午前11時55分から5分間、安全確認のため、空港を閉鎖した。
 気象庁の関田康雄・地震情報企画官は会見し、今回の地震について「太平洋プレートと陸のプレートの境界付近で発生したとみられる。今後1カ月間程度は震度5弱程度の余震は今後もある」と述べた。想定される宮城県沖地震との関連については「地震の規模は想定されるものより小さい」との認識を示した。


■10時間ぶり運転再開=東北新幹線、7時間缶詰めも−116本運休、10万人影響

宮城県南部で震度6弱を観測した地震の影響で、全線で運転を見合わせていた東北新幹線について、JR東日本は16日午後9時47分、東京〜仙台間で約10時間ぶりに運転を再開、続いて仙台〜八戸間も再開した。
 上下線で計116本が運休し、約10万3000人に影響が出た。同社は17日未明に東京に到着する乗客のため、山手線など首都圏の在来線で終電後も臨時電車を運転。早朝の電車を利用する乗客には、休憩用の電車を東京駅に用意した。
 同社によると、地震発生時に運行していた新幹線は14本で、すべて緊急停止した。大半は数時間内に近くの駅に移動。一部区間では電線が切れるなどして送電の復旧が遅れ、白石蔵王〜仙台間と仙台〜古川間に停止した2本は乗客計約1050人を徒歩で最寄り駅まで誘導した。
 また、仙台〜古川間に停止した別の2本は16日午後7時ごろ運転再開し、最寄り駅まで運行。乗客計約2210人が約7時間にわたり、車内に閉じ込められた。 

2005/08/15(月) 首相談話「反省とおわび」、中韓に未来志向訴え
政府は15日午前の閣議で、戦後60年の終戦記念日にあたり、先の大戦への反省やおわび、平和国家として歩む決意などを盛りこんだ小泉首相の談話を決定した。

 今年を戦後の大きな節目と位置づけたもので、終戦記念日の首相談話としては戦後50年の1995年に閣議決定した村山首相談話に続くものとなる。

 小泉首相談話は、先の大戦について、「我が国は、かつて、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、改めて「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を表明した。

 また、「二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにする」と不戦の誓いを表明した。戦後60年間については、「我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります」と平和国家としての歩みを強調した。

 また、「一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国」に言及し、「ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だ」と強調した。その上で、歴史認識に関連し、「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたい」と訴えた。

 政府は、中国や韓国で今年4月、日本の歴史認識に対する不満が噴出し、反日デモが多発したことなどにも配慮し、今回の首相談話を作成した。村山首相談話や、今年4月アジア・アフリカ会議(バンドン会議)首脳会議での小泉首相の演説などが基本となっている。

2005/08/14(日) KKコンビ消滅危機!桑田5失点降板、清原は左ひざ手術も
KKコンビ消滅の危機だ。巨人・桑田真澄投手(37)が14日の阪神戦(東京ドーム)の一回に危険球退場。5失点降板で、今後の登板が微妙になった。左ひざ痛で前日13日に出場登録抹消された清原和博内野手(37)も手術の可能性が高く、その場合は今季絶望。今オフ、2人の去就が注目される。

 帽子をとった桑田の額から、汗が引いた。一回に4点のリードを許し、なお一死一、二塁。投じた27球目のシュートが、矢野の頭部を襲う。「ゴンッ」。鈍い音とともに、虎党の怒号とG党の悲鳴が交錯した。危険球退場の宣告を受けた桑田は、精いっぱいの態度で自らの罪を償いながら、ベンチに消えた。

 「ボールに見せる球が高くいってしまった。チームが連勝していたし、その波を切らないようにしたかったけど…」

 先発ローテの一角を辛うじて担う桑田は、前回7日のヤクルト戦(神宮)では5回2失点で地位を保った。しかし、この日は3四死球を含む3安打5失点。精密機械のような制球で通算172勝をあげた背番号18の輝きは見る影もなかった。

 「桑田の次回登板? あります」。堀内監督はさらなるチャンスを約束したが、それはいつの日になるのか。今季0勝5敗、防御率10.22。それでも一軍登板を続ける桑田に対し、球団内部には「どうしてまだ投げるのか」と疑問視する声がある。本人は目標の通算200勝にむけ「もうひと花咲かせたい」と漏らしているが、現在は通常の単年契約のため、現役続行にこだわれば退団の可能性も十分ある。

 前日13日、その桑田と東京ドーム内の通路ですれ違ったもう1人の「K」清原もがけっ縁だ。治療法について、16日に球団側と最終協議を行うことが決定。首脳陣は完治するまで起用しない方針で、内視鏡手術に踏み切る公算が高く、その場合の今季復帰は絶望的だ。この日、清武球団代表も、残り試合での復帰について「本人はそう思っているだろう。でも、今は若い力を試している。戦力的にも、視聴率でも」とチームの若返りを優先させる考えを強調した。4年契約最終年の清原の背中にも、秋風が吹きはじめている。

 「次? 常に次ですよ。終わったことは、戻ってこないから」。この状況にも淡々と話す桑田はそういって球場を後にしたが、清原ともども今オフ去就が注目されるのは避けられない。PL学園時代から球界をリードしてきたKKコンビがプロ20年目、野球人生の岐路に立たされた。

2005/08/13(土) 受信料未払い NHK門前払い 人気公開番組「歌謡コンサート」で募集制限
NHKは、人気公開番組「歌謡コンサート」(火曜・後8時)の9月27日放送分の観覧募集について、受信料を払っている視聴者だけに限定することを13日までに決定した。同経営広報部によると、視聴者から「受信料を不払いの人が入場できるのはおかしい」との声を受けて実施するもの。今回、試験的な導入だが、年末の紅白歌合戦にも波及する可能性も高く、100万件を超える受信料未払い対策にもなりそうだ。

 7月末で117万1000件に達したNHKの受信料未払い問題に、初めての試みとなる“対抗策”が提示された。

 NHKは13日までに、9月27日放送の公開番組「歌謡コンサート」の入場者の募集要項を発表。当日は東京・渋谷のNHKホールからの生放送で、今回に限り「受信料をお支払いいただき、NHKを支えてくださっているみなさまに感謝の気持ちを込めて、受信料をお支払いいただいている方を対象に入場者を募集します」との方針を打ち出した。

 公開番組の観覧は基本的に無料で抽選になることが多く、視聴者から「受信料を不払いの人が入場できるのは不公平だ」という声が出ていたという。今回の“募集制限”はその声を受けての措置で、応募の往復はがきと受信料の契約台帳を照合して確認する。募集制限は今のところ同番組だけだが「応募者からアンケートを実施して意見を聞いて、今後を考えたい」(経営広報部)としている。

 NHKにはお昼の「スタジオパークからこんにちは」や、音楽番組「ポップジャム」、ジャニーズJr.を中心に若手アイドルが出演する「サンデーヤングミュージック〜ザ少年倶楽部〜」など、多くの公開番組がある。中でも「歌謡コンサート」は毎週10%後半の視聴率で、20%を超えることもある人気番組。毎週はがきによる入場者の募集が行われ、1500組3000人に抽選で入場整理券を無料で配布している。同番組は多いときは約1万、平均7000件の応募があるだけに、今回の措置が受信料未払い改善の「切り札」になる可能性は十分に考えられる。

 また、年末恒例の「紅白歌合戦」も昨年は過去最多の応募があっただけに、今回の試みでいい結果が得られれば、ほかの番組でも同じ措置がとられることもありそうだ。

2005/08/12(金) ろうそく520本で冥福祈る=遺族「残存機体資料館を」−日航機事故20年追悼式
 520人の犠牲者を出した1985年の日航機墜落事故から20年を迎えた12日夕、群馬県上野村にある「慰霊の園」で追悼慰霊式が営まれた。遺族らは犠牲者の冥福を祈り、空の安全を願った。
 式に先立ち、遺族組織の「8・12連絡会」は事故の風化を防ぐため、残存機体の保管資料館建設の要望書を日航側に提出した。
 式典には遺族193人や日航関係者ら計259人が参列。6月から「慰霊の園」理事長に就任した松元宇隆村長が「尊い生命の犠牲を無にしないよう活動を続けることが村民の使命」とあいさつした。
 慰霊塔の前に設けられた祭壇に、遺族らが白菊を献花し、手を合わせた。
 日航の新町敏行社長は「あのような事故は起こさない」と述べ、空の安全を誓った。
 終了後、慰霊塔を取り巻くように置かれた520本のろうそくに火をともし供養。墜落時刻の午後6時56分、松元村長が最後の1本に点火した。参列者は黙とうし、在りし日の故人に思いをはせた。 


■<JAL系機>飛行中エンジンから出火、福岡空港に緊急着陸

12日午後7時46分ごろ、福岡空港を離陸直後のホノルル行きJALウェイズ58便(DC10型機、乗員・乗客229人)が福岡市東区の上空を飛行中に、左主翼下の第1エンジンから出火した。同機は引き返し、午後8時20分に福岡空港に緊急着陸した。同区内に航空機の部品とみられる金属片が多数落下し、サッカーをしていた小中学生に金属片が当たるなどして計5人が軽いけがをした。乗員・乗客にけがはなかった。
 日本航空などによると、同機は午後7時45分に離陸。その1分後に地上の整備担当者がエンジンから出火するのを目撃した。同機は当時、高度約150メートルを上昇中で、機長は空港の管制室に「第1エンジンが不調」と報告し、同機はその後、海上に約50トンの燃料を放出して緊急着陸した。
 日本航空グループで国際線業務を担当する日本航空ジャパンの萱場(かやば)成郎・九州地区支配人は同日午後11時半過ぎから、福岡空港ビルで会見。「乗客と地域住民の方にご迷惑、ご心配をおかけし、深くおわび申し上げます」と謝罪した。
 同社によると、出火したエンジンを調べたところ、後部から多数の金属片が見つかった。最前列のファンブレード(回転翼)に損傷はなく、内部のブレードが破損した可能性が高い。ブレードが破損したことでエンジン内の空気の流れが乱れ、異常燃焼が起きたとみられるという。エンジンはオーバーホールを終え、02年7月3日に取り付けられた。
 多数の金属片は、福岡空港から約2キロ離れた東区社領などで見つかった。金属片は数ミリ〜約3センチで、福岡県警によると、同区社領2の社領スポーツ広場でサッカーをしていた小中学生にも当たり、4人が打撲ややけどの軽いけがを負った。近くの男性会社員(26)が落ちてきた金属片を触って指に水ぶくれができたほか、車のフロントガラスにひびが入る被害も出た。
 今回トラブルが起きたDC10は、米ダグラス社(後にボーイング社に買収)製で、左右の主翼に1基ずつ、尾翼部分に1基の計3基のジェットエンジンを搭載。日本では70年代後半に就航し、日本航空グループでは現在、ハワイ・ホノルルなど中・近距離の国際路線で計5機が運航しているが、来年度末で引退が決まっている。
 DC10は01年6月にも、同型機が愛知県の名古屋空港で同様の事故を起こした。この際も、金属片が多数地上に落下し、金属片を触った住民がやけどを負った。
 JALウェイズはJALグループの国際線航空会社。成田、関西、中部と、ホノルル、グアム、バンコク、サイパンなどを結んでいる。
相次ぐ空の不祥事。事故の遺族は「日航社長がきょう安全を誓ったのは言葉だけなのか」と怒りの声が上がった。
 事故で弟の加藤博幸さん=当時(21)=を亡くした小林由美子さん(46)は群馬県上野村の御巣鷹の尾根で慰霊登山をした帰りに、部品落下を知った。「会社自体、事故の教訓が風化しているのではないか。こういうことが起きたのは情けない」と声を震わせた。

8月絵日記の続き


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