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2005/08/09(火) 横浜佐々木“引退登板”、清原大泣き
 大魔神が、ライバル相手に燃え尽きた。今季限りで現役引退を決めた横浜佐々木主浩投手(37)が、故郷仙台で行われた巨人13回戦で“引退登板”。2回、親友でもある清原和博内野手(37)と対戦し、フォークで空振り三振を奪った。涙をこらえて投げる佐々木、涙で球が見えなかった清原−。この時期の特別な登板には異論もあったが、一時代を築いた2人のラスト対決に、満員の球場は感動に包まれた。
 マウンドと打席のわずかな距離なのに、お互いの姿がかすんでいた。2回無死一塁。打者清原の場面で「ピッチャー佐々木」がコールされた。特別に計らってもらったワンポイント登板。ブルペンの投球練習時から、佐々木の足は震えていた。
 地元ファンからスタンディングオベーションで迎えられての、ラスト対決。最後だから、数々の名勝負を演じてきたライバル清原とやりたかった。「サインが見えなくなるので、投げるボールは決めていた。キヨの顔を見たら、涙が出そうになった」。唇をかみ、必死に涙をこらえ投げ込んだ。直球だけでカウント2−1と追い込み、128キロ外角フォークで空振り三振を奪った。
 「もう対戦できなくなる」。思いは清原も一緒だった。佐々木が1球投じるごとに、大粒の涙が目を覆った。最後はボールが見えないほど号泣、本能だけでバットを振った。そのまま2人は、マウンド付近で握手し抱き合った。ベンチに戻った清原は、目を赤くしたまま動かない。佐々木はロッカー室で、男泣きした。
 佐々木「プロでここまでやれたのも、フォークボールがあったから。だから最後は投げたかった。こういう場をつくってくれた球団と監督とチームのみなさんに感謝してます。清原君をはじめ巨人軍にも感謝してます。思い残すことなく、悔いなく、投げることができた。ファンの方も最後まで熱い声援、ありがとうございました」。
 純粋な思いだった。シーズン途中で引退を表明し、地元仙台での巨人戦登板を希望。わがままという批判など、球団内にも賛否両論あったが、どうしても引き際に清原との対決にこだわった。それが佐々木の野球人生の生きざまだったからだ。
 佐々木「キヨがいたからここまでこれた。意地やプライドなんて言葉では表現できないほどの気持ちでやってきた。最後まで負けるもんか!  の思いで投げたかったから、キヨとやりたかった」。
 清原とは67年度生まれの同期生。東北高時代、PL学園の清原、桑田のKKコンビは雲の上の存在だった。ともに高3だった85年夏の甲子園。対戦はなかったが、出入り口から特別扱いされるKKに対し、コンプレックスを感じプロ根性が芽生えた。開会式の日、清原のスパイクを偶然見つけて、砂をかけた思い出がある。
 佐々木「片や球界のエリートで、オレは東北の田舎者だった。でも今に見てろと。プロに入ったらオレが一番になる思いで、それからずっとキヨを意識してやってきた」。
 清原もそのエピソードを覚えている。「ええ根性しとるヤツがおるな、と思ったな」。プロになっても佐々木は清原を追い求め、プライベートでも清原が高級車を購入したと聞けば、自らも高級車を購入した。負けたくない一心でプロ人生を送ってきた。
 あれから20年−。2人ともプライドが高く、負けず嫌いの性格。佐々木がメジャー時代には衝突して距離を置いた時期もあった。だが、2人の絆は再びグラウンドで固いものとなった。
 清原「いろんなものが込み上げてきて。本当に寂しいよ。最後は世界一のフォークがきた。成績ではなくて、最後は日本球界で、という生き方に敬意を表したいな。また1人サムライがいなくなるのは寂しいが、オレも力の続く限りやっていく。佐々木の魂はもらった」。
 将来、指導者として激突するであろう永遠のライバル。佐々木は清原との4球を胸に刻んで、マウンドを去った。


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