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2005/08/26(金) 巨人工藤最年長10勝! 打球ヒジ直撃も力投
巨人の工藤公康投手(42)が、またまた快挙達成だ。虎ファンがあふれかえる甲子園で、最年長2ケタ勝利を挙げた。過去最多は大野(広島)が97年、42歳のシーズンに挙げた9勝だった。昨年は通算200勝を達成し、今季も開幕から先発陣入りし、2年連続13度目の2けた勝利で通算211勝。試合途中には打球を受けるハプニングもあったが、気迫で投げ抜いた。若手起用で活路を見いだそうとしている巨人だが、おやじの力は、やっぱり必要なのだ。
 打球が左ヒジに直撃した。マウンドでうずくまる工藤の周りに、ナインが集まる。ベンチに戻り、スプレーでアイシングを施した。心配する首脳陣に、工藤は迷うことなく続投を志願した。5回1死、関本の打球だった。打球は二塁仁志まで跳ね、ニゴロとなった。あと1死で勝利投手の権利を得る。迷いはなかった。
 工藤「4回2/3だったから、絶対もう1人投げたかった。『もう1イニング行きます』と言った。リリーフの人のためにも、できるだけ休ませたいし。(患部はしびれて)ボーっと、しているけど、ベンチでシューとやってもらって、感じは悪くなかった」。
 言葉に、24年間、マウンドを守り続けたプライドがにじむ。前日25日、ジャイアンツ球場で調整していると、背中の故障で離脱中の木佐貫を見つけた。「痛くない部分は筋力アップできるだろ。トレーニングをしろよ」。復帰後の投球のためにも、リハビリだけでは終わるな、と説いた。
 自身も数々の故障をした。その都度、体の仕組みの理解を深め、立ち上がり、マウンドに帰って来た。この日の続投志願も当然のことだった。6回もマウンドに立ち、いきなり142キロを投げた。阿波野投手コーチは「ヒジにチタンが内蔵されているのか」と驚いた。6回3安打無失点。堂々の10勝目だった。史上最年長の2ケタ勝利。歴史に名を刻んだ投球後でも、その笑顔には、当たり前のことをしているだけと書いてあった。
 42歳の力を見せつけた。3回2死二塁、打者は3番シーツ。内角と、弱点の高めを攻め続け、11球を費やし空振り三振に仕留めた。「真っすぐは、ブルペンから悪くなかった。あそこは、ああするしかなかったからね」と、力でねじ伏せた三振を振り返る。圧巻はシーツから始まった。5回の矢野まで5者連続三振。球団トップの号令の下、若返りが叫ばれる中、若手との差を披露した。
 2年連続の13度目の2ケタ勝利。チームは低迷していても、プロの投球を続けると強調する。「ファンの人が、球場に来て良かったと思ってもらえるよう、1戦1戦やるだけだよ」。ヒーローインタビューを終えると、記念のボールを観客席に投げ込むふりだけして、ズボンのポケットにしまった。グラウンドを後にする瞬間まで、工藤はファンを楽しませることを忘れない。

■天国の母に捧げる2発…燕・岩村が喪章&プロ魂みせ4打点

天国の母に捧げるホームラン−。ヤクルト・岩村明憲内野手(26)の母・美千代さん(享年58)が、26日未明に肺がんのため亡くなった。最期に立ち会うことができなかった岩村は、喪章をつけ、試合出場を直訴し、4打数3安打2本塁打で別れを告げた。ホームを踏んだ瞬間、天に向かって指を指した岩村。最愛の母との思いが溢れ返り、試合後は号泣した。〔写真:打ったぞ、おかん見てたか−。七回、この日2本目のホームランを放った岩村は天国の母に向かって、小さく合図を送った〕

 夜空の星になった母親をグラウンドから見上げた。最愛の母・美千代さんへ届けた2本のアーチ。息子に戻った岩村が天国に旅立った母親をそっと本塁から指差した。

 「きょうの三塁打と、2つのホームランは母親が打たせてくれたと思う。今のオレがあるのは母親の存在がほとんど。プロ野球選手として目の前の試合を放棄することはできないし、母親もそんなことは望んでいないと思った」。試合後はあふれる涙に、何度も何度もタオルを目にあてた。ユニホーム姿の男が、号泣した。

 故郷・宇和島から電話が鳴ったのは、この日の午前2時過ぎだった。肺がんのため治療中だった最愛の母が、58歳で息を引き取ったという悲しい知らせ。あまりに突然の最期。ぼう然としたまま、2時間しか眠れなかった。

 それでも人生で最も悲しい日にグラウンドに立つことを選んだ。「覚悟はしていた。死に目にあえないのは辛いけど、おれのやらなくてはいけないことは東京にある。実家に帰るのは甘えだと思って、やめた」

 三回に同点の三塁打を放つと、4−4の五回には勝ち越しの2ラン。そして七回にはバックスクリーンへ2打席連続の23号。4打数3安打4打点。左袖に黒い喪章をつけ打ちまくった。

 母親が経営する美容院の横で、壁あてをして育ったのが岩村の原点。あまりの野球好きに美容院の壁が壊れたというのは、生前の母親が大好きな話だった。がんを知ったのは昨年の6月21日。松山遠征で地元に戻ったときに、医者に告知され、「たばこも吸わないのに、おかんがなんでや!」。病院で絶叫し涙を流した。昨年秋には東京に呼び寄せ、最先端の治療を受けさせたが、今年6月に再入院。6月13日に美幸貴さんと入籍し、息子の幸せな結婚を喜んだ数日後のことだった。

 練習後に報告を受けた若松監督は「何度も“行ってあげなさい”と説得したんだけど、本人が大事な試合だからと言ったから」と話した。

 27日、28日の横浜戦(神宮)にも出場する決意を固めており、試合休日の29日まで宇和島の母親の元には帰れない。それまでは生きている間に素直に伝えられなかった感謝の言葉を白球に込め、最愛の母親を送り出す。


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