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2005/08/12(金)
ろうそく520本で冥福祈る=遺族「残存機体資料館を」−日航機事故20年追悼式
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520人の犠牲者を出した1985年の日航機墜落事故から20年を迎えた12日夕、群馬県上野村にある「慰霊の園」で追悼慰霊式が営まれた。遺族らは犠牲者の冥福を祈り、空の安全を願った。 式に先立ち、遺族組織の「8・12連絡会」は事故の風化を防ぐため、残存機体の保管資料館建設の要望書を日航側に提出した。 式典には遺族193人や日航関係者ら計259人が参列。6月から「慰霊の園」理事長に就任した松元宇隆村長が「尊い生命の犠牲を無にしないよう活動を続けることが村民の使命」とあいさつした。 慰霊塔の前に設けられた祭壇に、遺族らが白菊を献花し、手を合わせた。 日航の新町敏行社長は「あのような事故は起こさない」と述べ、空の安全を誓った。 終了後、慰霊塔を取り巻くように置かれた520本のろうそくに火をともし供養。墜落時刻の午後6時56分、松元村長が最後の1本に点火した。参列者は黙とうし、在りし日の故人に思いをはせた。
■<JAL系機>飛行中エンジンから出火、福岡空港に緊急着陸
12日午後7時46分ごろ、福岡空港を離陸直後のホノルル行きJALウェイズ58便(DC10型機、乗員・乗客229人)が福岡市東区の上空を飛行中に、左主翼下の第1エンジンから出火した。同機は引き返し、午後8時20分に福岡空港に緊急着陸した。同区内に航空機の部品とみられる金属片が多数落下し、サッカーをしていた小中学生に金属片が当たるなどして計5人が軽いけがをした。乗員・乗客にけがはなかった。 日本航空などによると、同機は午後7時45分に離陸。その1分後に地上の整備担当者がエンジンから出火するのを目撃した。同機は当時、高度約150メートルを上昇中で、機長は空港の管制室に「第1エンジンが不調」と報告し、同機はその後、海上に約50トンの燃料を放出して緊急着陸した。 日本航空グループで国際線業務を担当する日本航空ジャパンの萱場(かやば)成郎・九州地区支配人は同日午後11時半過ぎから、福岡空港ビルで会見。「乗客と地域住民の方にご迷惑、ご心配をおかけし、深くおわび申し上げます」と謝罪した。 同社によると、出火したエンジンを調べたところ、後部から多数の金属片が見つかった。最前列のファンブレード(回転翼)に損傷はなく、内部のブレードが破損した可能性が高い。ブレードが破損したことでエンジン内の空気の流れが乱れ、異常燃焼が起きたとみられるという。エンジンはオーバーホールを終え、02年7月3日に取り付けられた。 多数の金属片は、福岡空港から約2キロ離れた東区社領などで見つかった。金属片は数ミリ〜約3センチで、福岡県警によると、同区社領2の社領スポーツ広場でサッカーをしていた小中学生にも当たり、4人が打撲ややけどの軽いけがを負った。近くの男性会社員(26)が落ちてきた金属片を触って指に水ぶくれができたほか、車のフロントガラスにひびが入る被害も出た。 今回トラブルが起きたDC10は、米ダグラス社(後にボーイング社に買収)製で、左右の主翼に1基ずつ、尾翼部分に1基の計3基のジェットエンジンを搭載。日本では70年代後半に就航し、日本航空グループでは現在、ハワイ・ホノルルなど中・近距離の国際路線で計5機が運航しているが、来年度末で引退が決まっている。 DC10は01年6月にも、同型機が愛知県の名古屋空港で同様の事故を起こした。この際も、金属片が多数地上に落下し、金属片を触った住民がやけどを負った。 JALウェイズはJALグループの国際線航空会社。成田、関西、中部と、ホノルル、グアム、バンコク、サイパンなどを結んでいる。 相次ぐ空の不祥事。事故の遺族は「日航社長がきょう安全を誓ったのは言葉だけなのか」と怒りの声が上がった。 事故で弟の加藤博幸さん=当時(21)=を亡くした小林由美子さん(46)は群馬県上野村の御巣鷹の尾根で慰霊登山をした帰りに、部品落下を知った。「会社自体、事故の教訓が風化しているのではないか。こういうことが起きたのは情けない」と声を震わせた。
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